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祭礼

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  日枝神社 山王祭 神幸祭(H22-06-11)
  神田明神 神田祭 平成19年神幸祭(全行程掲載)(H19−05−12)
  浅草三社祭(H17−5−21)
  神田明神 天下祭 神幸祭(神田明神〜将門塚〜三越本店) (H17−05−14)
  江戸 天下祭(H15−11−22〜24)
  神田明神 天下祭 神幸祭(H15−05−10)
  赤穂義士300年祭(H14−12−14)



 日枝神社 山王祭 神幸祭(H22-06-11)
 日枝神社の山王祭は、江戸時代に神田明神の神田祭と併せて天下祭と呼ばれ、隔年で神幸祭の巡行が行われる。今年(平成22年)は山王祭で神幸祭が行われ、日枝神社から国会裏、麹町大通り(新宿通り)を経て四ツ谷駅に行き、戻って日本テレビ通り、靖国神社、大妻通り、国立劇場と過ぎて皇居坂下門で宮司が参賀、神符献上を行う。その後、兜町の日本橋日枝神社、中央通り、日比谷を進んで日枝神社に着く。今年は所用で坂下門までしか歩けなかったが、全経路を撮った神田祭と対比しながら山王祭を見ると、氏子や地域の特性など、様々な違いがよくわかる。
 日枝神社の神幸祭は毎回平日の金曜に行われることと、巡行する大きな道路中心の経路、氏子、地域の特性からか見物客が少なく、特に9時頃通る四ツ谷駅までは閑散としている。平河町から国立劇場までは牛若大山車、市ケ谷駅交差点から大妻通りの五味坂交差点までは東郷元帥山車の附け祭が出て、千代田区の揃いの法被を着て小学生が引き手となる。
 神田明神 神田祭 平成19年神幸祭(全行程掲載)(H19−05−12)
 発輦祭、神保町交差点、将門塚、江戸通り、昭和通り、馬喰町、横山町、両国旧仮置屋、水天宮、堀留児童公園、三越本店,、秋葉原駅、神田明神通り、着輦祭をウォーキング。
 発輦祭前の境内には、御社殿前に整列した神人の持つ七色旗や、加茂能人形山車の色鮮やかさ、三鳳輦の華やかさが素晴らしい。氏子や鳶が前に詰めたため、発輦祭風景はほとんど撮れない。鳳輦は担がず、山車のように車に乗せて引っ張っていく。引っ張る神人の服装も一の宮鳳輦(大己貴命)は青、二の宮鳳輦(少彦名命)は橙、三の宮鳳輦(平将門命)は黄と分けられ、5月の青空によく映えている。かんかん帽に黒羽織、白袴の先導を先頭に、各鳳輦ごとに七色旗、神旗などが付いた一の宮鳳輦、二の宮鳳輦、三の宮鳳輦が続き、最後は太神楽である。各地区の町会はご祝儀を渡して手拭をもらい、三三七拍子で締めていくを繰り返す。遅れて午後の小休止を省いた2年前の反省か、しばしば鳳輦を走らせるため、付いていくのも大変である。
 将門塚では将門太鼓が打たれ、慰霊祭が行われる。岩本町一丁目交差点には美しい羽衣山車が鳳輦を出迎える。吉田松陰などが処刑された小伝馬町牢屋敷の裏にある十思スクエア前を通り、繊維問屋街の馬喰町、横山町を経て、両国旧仮置屋の川崎大師東京別院の薬研堀不動院隣の駐車場に鳳輦を収めて昼食休憩となる。横山町大通りは繊維問屋の大勢の店員が見物し、両国旧仮置屋は大混雑である。
 清洲橋通りを南下、大勢の見物客のいる明治座前を過ぎ、女性的な美しさで知られる清洲橋手前で西に曲がり、水天宮に向う。堀留児童公園から金座通りまでの道を行進する相馬野馬追いの騎馬隊は、10騎足らずで近くで見る甲冑は年代物であるが、威風堂々と見えるから不思議である。例年は三越からなのに、騎馬隊同様先行していた附け祭の大江山凱陣、大鯰と要石は小舟町交差点で待機していた。
 秋葉原ドンキホーテ界隈は電気街の中心であり、鳳輦との対比が面白い。神田明神通りを上る鳳輦と、秋葉原再開発で出来たUDXなどの高層ビルとの対比も一幅の絵になる。秋葉原名物のメードも見物に現れ、写真を撮る人が多かった。鳶たちが唄う朗々たる木遣りと共に明神坂を粛々と上る三鳳輦は、夕闇の中で幻想的である。神田明神の境内は発輦祭と比べ物にならない人出で、狭い境内は立錐の余地なく、写真を撮ろうにもシャッターを切るのが精一杯である。
 全行程を一つ歯の高下駄で歩く鼻高面(猿田彦)、猿楽通りの夏目漱石の碑、東京音楽大学発祥の地碑、神保町一丁目町会の法被を象った町会案内、和泉橋南詰めにある柳原土手跡の案内板、踊り子もなく、演奏だけの附け祭のサンバチームなどを紹介。
 浅草三社祭(H17−5−21)
 元々は浅草神社の三祭神のお祭だが、一之宮から三之宮の本社神輿が飾られている程度で、広い浅草寺境内は12時からの連合渡御を見るため良い所を、と言う観光客に溢れ、本堂裏に続々と集まる各町内の神輿が並んだ。ただでさえ観光客が狭い仲見世に集まるのに、浅草寺に向かう神輿が次々に来るため、全く歩くこともできず、無理やり雷門に進む感じである。
 神田明神 天下祭 神幸祭(神田明神〜将門塚〜三越本店) (H17−05−14)
 神田明神から、神保町、将門塚、岩本町、馬喰町・横山町繊維問屋街、両国旧御仮屋、浜町、水天宮、三越本店をウォーキング。江戸時代から続く祭礼で、各町会での出迎えも歴史を感じさせ、特に三越本店から三越いるかや、だるま、相馬野馬追神事騎馬武者、今年の目玉大鯰と要石などの附け祭が加わり、歩道は人が溢れ、歩くことも、写真を撮ることもままならない。
 一の宮鳳輦の青色、二の宮鳳輦の黄色、三の宮鳳輦の赤色と、巡行に従う人々の服も色鮮やかで、美しい。将門塚で演じられる将門太鼓、松枝町の羽衣山車、日本橋魚河岸発祥の地碑などを紹介。
 江戸 天下祭(H15−11−22〜24)
 江戸開府400年祭 日比谷公園での山車と神輿展示、日比谷から丸の内への山車と神輿巡行をウォーキング。天下祭は、幕府公認の祭として城内まで山車、神輿が入ることが許され、神田明神と、日枝山王社の2年毎の本祭に行われた。明治時代、市電(現在の都電)の電線のため巡行が難しくなったため、廃された。そのため、多くの山車が地方に売られ、関東大震災や戦災で消失した。今回江戸開府400年を記念し、日比谷公園に展示され、24日には日比谷界隈を巡行する。
 神田明神 天下祭 神幸祭(H15−05−10)
 江戸開府400年に合わせ、神田明神の天下祭の一つである神幸祭を見物した。三基の鳳輦神輿を中心に華やかな行列で下町を練り歩く様は圧巻である。コースも神田明神から、淡路町、神保町、神田橋、平将門首塚、馬喰横山、両国旧御仮屋と靖国通りのようなおきな道路から、一方通行の狭い道を行きつ戻りつする複雑なもので、全工程30kmである。
 非常に残念なことに、デジカメの電池が切れ、昼食後の行程(浜町〜水天宮〜三越)の写真が撮れなかった。特に、三越からは江戸開府記念で東京芸大生作成の見事な山車数台や、相馬馬追いの騎馬武者軍団が参加したのに、写真が撮れなかったのが非常に悔しい。
 赤穂義士300年祭(H14−12−14)
 赤穂義士討ち入り300年祭の泉岳寺をウォーキング。普段と様相が一変した泉岳寺や、都営浅草線泉岳寺駅からの長蛇の参拝客、人込みで動けない参道、線香の煙で見えない墓所などを巡る。



 
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