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万歩計
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目次









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下町 散策

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  下町散策(一葉記念館〜鷲神社 二の酉〜浅草寺)(H23−11−14)
  江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第1部 小塚原〜両国〜伝馬町(H22−11−02) 
  シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス路線延伸(H22−10−11) 
  東京メトロ沿線ウォーキング(再訪)(H21-10から順次掲載)
  江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第3部 日比谷〜永代橋〜洲崎十万坪(H22−09−29)
  住吉、錦糸町、東京スカイツリー、浅草寺ほおずき市散策(H22−07−09)
  谷中、根岸、入谷朝顔市散策(H22−07−07)
  谷根千(谷中・根岸・千駄木)散策(H21−09−13)
  日本橋〜本所吉良邸 義士祭〜押上(H20−12−13)
  浅草 浅草橋〜鷲神社(平成20年二の酉)〜吾妻橋(H20−11−17)
  都心の菊花展散策(H20−11−04)
  小雪舞う隅田川散策(浅草〜両国〜門前仲町)(H20−02−09)
  洲崎十万坪〜亀戸天神〜押上(H19−03−21)
  佃島・門前仲町〜深川・両国〜浅草(H18−12−16)
  銀座〜築地〜八丁堀(H18−09−24) 
   お盆の神社仏閣巡り(靖国神社〜湯島界隈〜浅草寺)(H18−08−12)
  白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18−07−08)
  馬喰横山〜水天宮〜日本橋(H18−07−01)



 東京メトロ沿線ウォーキング(再訪)(H21-10から順次掲載)
 東京メトロ沿線ウォークは、平成16年4月24日の「地下鉄が最初に走った街、上野・浅草」から、平成20年11月29日の「絵画の中の散歩道、新宿御苑・神宮外苑を散策」まで20回行われたイベントである。事前予約なしの当日受付で、回を増すごとに受付を済ませるのに大変な列が出来たが、そのコースを東京メトロ(旧営団)はホームページで最新版(平成21年4月現在)で紹介している。 本来は20回で終了しているが、ホームページでは21回が追加されている。
 下町の上野、浅草、銀座、深川、都心の中央、北部、南部の5エリアの名所旧跡を集めた優れたコース設計であり、再訪して現在の様子を掲載することとした。(平成21年10月開始)
 下町散策(一葉記念館〜鷲神社 二の酉〜浅草寺)(H23−11−14) 
 日比谷線三ノ輪駅から日光街道の大関横丁交差点で左折、明治通りへ入り、三ノ輪二丁目交差点で直進、土手通りへ進む。土手通りの三ノ輪一丁目交差点で右折、住宅街を歩き、最初の信号で左折して直進、銭湯一葉泉の角で右折すると一葉記念館がある。この経路は分かりにくく、道案内がある国際通りからのほうが良い。一葉記念館前公園には一葉女史たけくらべ記念碑、菊池寛による追悼の碑がある。一葉記念館前を西進、床屋前で左折して飛不動前交差点を過ぎると飛不動尊に着く。
 飛不動尊から直進し、露店が建ち並ぶ鷲神社の裏道を南下、長國寺横の路地に入ると熊手を売る屋台が林立する。色々な熊手を眺めつつ、本堂やお守り受け所を過ぎて鷲神社入口に着く。鷲神社は神仏分離令により長國寺から独立したので、境内はつながっている。鷲神社の熊手を売る屋台は、長國寺よりも種類、数も多く、大型になっている。熊手はおもちゃのような小ぶりのものでも5〜6千円であり、個人では大変である。鷲神社の小鳥居付近では、参拝客が屋台の熊手を見つつ、一寸刻みで社殿に向かう。流れに逆らってなんとか大鳥居から国際通りに出る。

 さして広くない鷲神社に入りきれない参拝客が国際通りに並ぶ。テレビによれば今年の暴力団排除条例により、露天商の数も減り、規制によって歩道の両脇に並ぶ屋台もなくなったため、広い歩道全てが解放されて歩きやすい。千束一丁目交差点を過ぎ、西浅草三丁目交差点で左折、言問通りへ入って最初の交差点で右折、ひさご通りを南下、江戸下町伝統工芸館を経て花やしき出口に着く。ひさご通りに入った、と思ったらすぐ花やしき側の出口が見えてくる。
 街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている花やしき通りを歩き、浅草寺に入る。お守り受け渡し所裏の復元された迷子しるべ石、五重塔、本堂、宝蔵門を見た後、仲見世通りを南下、雷門前で左折して新仲見世通りに進み、浅草駅に至る。

 江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第1部 小塚原〜両国〜伝馬町(H22−11−02)
 江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第1部として江戸、東京の事件、災害、刑場のメインと言える刑場(小塚原、伝馬町牢屋敷)、災害(関東大震災、東京大空襲)、事件(投込寺(浄閑寺)、本所吉良屋敷)、回向院(両国、小塚原)をテーマとし、三ノ輪駅点から南千住に出て吉野通りを南下、言問通りに入り東京スカイツリーを見た。その後、三ツ目通り、蔵前橋通りを経て、清澄通りで旧陸軍被服廠(横網公園)、本所吉良屋敷、回向院と歩き、江戸通りから十思公園(伝馬町牢屋敷跡)に着いた。

 三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ入って次の小路を右折すると、すぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。安政2年の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
 遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れた縁で文学碑が建てられた。ただ、本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が撮りにくい。正面に東京スカイツリーを見つつ、浄閑寺の白塀沿いに東進、南千住二丁目交差点で左折、吉野通りへ進み、南千住駅前歩道橋に至る。

 南千住駅前歩道橋を渡り、左手前の階段を下りると小塚原処刑場跡(延命寺)である。小塚原回向院は両国の回向院が手狭になったために建てられたもので、常磐線建設により南北に分けられ、刑場跡は線路脇に首切地蔵がある延命寺となっている。延命寺は、境内、墓地改修工事で雑然とし、首切り地蔵がかすかに見える。首切地蔵は、刑死者の菩提をとむらうため寛保元年に造立された。
 回向院入口の壁には、明和8年の蘭学者杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが、刑死者の解剖に立ち合ったことによる観臓記念碑がある。墓地は整備されて右に史跡参拝所が設けられ、入口から2.26事件の磯部浅一元大尉夫妻、相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓がある。奥には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。

 現在の高さは497mの東京スカイツリーを見つつ、吉野通りを南下、泪橋交差点で明治通りを渡る。北めぐりんが横断する東浅草二丁目交差点の次の無名の交差点で、靴ひもの株式会社マモル脇で右折すると正面に江戸六地蔵の東禅寺がある。次の東浅草交番前交差点は、浅草地区を周回する無料のニンニンパンダバスが横断し、山谷堀公園の吉野橋を経て、言問橋西交差点で左折、言問橋へ向かう。

 現在の高さは497mの東京スカイツリーを正面に見つつ言問橋を渡り、言問通りを牛嶋神社沿いに東進する。言問橋東交差点、向島一丁目交差点、東武伊勢崎線 業平橋駅と過ぎて、東京スカイツリー撮影スポットとして名高い北十間川に架かる東武橋に至る。業平一丁目交差点で左折、浅草通りへ出て、業平橋、大横川親水公園と経て、本所吾妻橋交差点で左折、三ツ目通りへ進む。

 三ツ目通りを南下、本所三丁目交差点で春日通りを渡り、石原三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ進み、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入る。旧陸軍被服廠(横網町公園)は、関東大震災で約4万人がこの地で焼け死んだため、震災慰霊堂が作られ、合わせてその後の復興を記念する復興記念館も建てられた。震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱などが展示されている。清澄通りを南下し、日大一中、一高、江戸東京博物館と過ぎて、緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ進む。

 京葉道路を西進、関東大震災殉職者慰霊碑がある本所警察署の先の両国三丁目交差点で左折、平成22年元禄市のポスターや両国小学校前の芥川龍之介文学碑(杜子春)を見て、両国玩具株式会社脇で右折、すぐ右に旧吉良邸の本所松阪町公園の白壁が見える。昭和9年に地元町会の有志が、世に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付した。
 突き当りを右折し、京葉道路へ出て旧国技館の両国シティコアの隣に両国回向院がある。天保4年からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれたことに因み、力塚など相撲関係石碑群があり、左奥の史跡記念墓地には鼠小僧供養墓がある。日露戦争の満州軍総司令官大山巌元帥書の表忠碑がある両国橋東詰めに至る。

 京葉道路を西進、隅田川に架かる両国橋を、浅草橋交差点で清杉通りを渡り、浅草橋交差点で左折、江戸通りへ進む。馬喰横山の繊維問屋街、馬喰町一丁目交差点、馬喰町交差点と過ぎて小伝馬町交差点で右折、人形町通りへ入る。交差点のすぐ先に伝馬町牢屋敷跡の十思公園があり、その前に処刑者慰霊の大安楽寺がある。十思公園には、刑死した松陰先生終焉之地碑、吉田松陰の辞世の歌碑や、石町の時の鐘がある。
 シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス路線延伸(H22−10−11)
 ニンニンパンダバスは今年(平成22年)9月1日から路線を延伸し、従来の浅草寺界隈から入谷(鷲神社)、上野(かっぱ橋道具街)、押上(東京スカイツリー)まで範囲が広がった。又、従来花やしきを起点としていたが、今回は二天門本店が起点と改められ、二天門本店、東京スカイツリーでは全員乗り換えるなど、運用の変更がなされ、バス停も見やすく改善されている。公式ホームページがないため、バス停が見つけにくい所があり、無料シャトルバスなので区間によっては混雑している。尚、二天門「本店」となっているが、2階建ての観光案内所である。
 江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第3部 日比谷〜永代橋〜洲崎十万坪(H22−09−29)
 江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第3部として永代橋崩落、大高潮災害の洲崎十万坪をテーマとし、日比谷交差点から大手町に出て、永代通りを歩いた。

 日比谷交差点から日比谷通りを北上、第一生命、帝国劇場、東京會舘と過ぎて、馬場先門交差点を渡ると重要文化財の明治生命館がある。さらに日比谷通りを馬場先濠沿いに北上、和田倉門交差点を渡ると東京海上日動ビル本館がある。和田倉門交差点から見た行幸通りは、工事も終え、きれいに整備されて歩きやすいプロムナードになっている。和田倉橋前の東京銀行協会ビルの先の大手町交差点で右折、永代通りへ入る。
 永代通りを東進、大手町駅前交差点には改装前の旧野村ビルの名残の時計台が付く大手町野村ビルがあり、丸の内一丁目交差点でJRガード下をくぐり抜けてサビアタワー前を歩き、呉服橋交差点で外堀通りを渡る。東北の角にCOREDO日本橋がある日本橋交差点で中央通り、江戸橋一丁目交差点で昭和通りを渡る。茅場町交差点界隈には兜町証券会社街があり、茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る。
 永代通りを東進、亀島川に架かる霊岸橋を渡り、新川一丁目交差点を過ぎると河村瑞賢屋敷跡、永代橋西交差点には船員教育発祥之地碑がある。隅田川に架かる永代橋から月島リバーシティ21(下流側)、東京スカイツリー(上流側)が見える。
 永代橋は、文化4年(1807年)8月に、深川八幡の祭礼の人出で橋が崩落、440名が溺死した。深川にあった海福寺に供養塔が作られたが、明治43年(1910年)に目黒に移転、供養塔も移った。永代二丁目交差点を過ぎ、門前仲町交差点で清澄通りを渡る。
 永代通りを歩き、深川不動尊、富岡八幡宮と過ぎて、平久川に架かる汐見橋を渡り、首都高9号深川線の高架下を進んですぐの木場五丁目交差点で右折、三ツ目通りへ入る。平木橋を渡ってすぐ左折、正面に赤い鳥居の洲崎神社が見え、境内に津波警告の碑、波除碑がある。
 寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日、深川洲崎一帯に襲来した高潮で多数の死者、行方不明者が出た。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西の5,467余坪を買上げて空地とし、さらに同6年(1794)12月、空地東西の北端に波除碑2基を建て、見通しの標とした。波除碑は当時は高さ6尺、角1尺であったが、材質が砂岩で脆く、関東大震災と戦災で破損が著しい。洲崎川緑道公園を歩き、東陽町駅前交差点で四ツ目通りを渡り、東京メトロ東西線の東陽町駅に着く。
 住吉、錦糸町、東京スカイツリー、浅草寺ほおずき市散策(H22−07−09)
 東京スカイツリーは押上駅脇にあるので、四ツ目通りを北上すれば、段々大きくなるはず、と思い、住吉駅から錦糸町駅を経て、押上駅まで歩く。名前の由来となった四之橋、錦糸町駅、錦糸公園、オリナスを過ぎ、右折すると亀戸天神に行く太平4丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。この交差点でやっと東京スカイツリーの頭がかろうじて見える。業平三丁目交差点で一瞬みえた後、浅草通りと交差する押上駅前交差点でやっと東京スカイツリーをはっきり見ることが出来る。
 押上駅手前の撮影ポイントとして人気の京成橋で左折、北十間川沿いに歩き、段々大きく、高くなる東京スカイツリーを見つつ歩く。低層棟工事も始まり、道路沿いには工事概要説明、工程表、周辺案内図など見物客への配慮がなされている。高さは398mとなり、最も近い所では写真に全景を収めるのも難しくなる。さらに進み、撮影ポイントとして有名な言問通りの東武橋に至る。
 言問通りを南下、業平一丁目交差点で右折、浅草通りへ入り、大横川親水公園を過ぎて吾妻橋交番前交差点で右折、三ツ目通りへ進む。大横川親水公園や、三ツ目通りの源森橋から東京スカイツリーがきれいに見える。
 源森橋を渡って左折、隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)に入り北上、言問橋手前の牛嶋神社に着く。隅田公園の汐入りの池沿いを歩いて南下、明治天皇行幸所の碑を過ぎて墨堤通りへ出る。1875年(明治8年)、明治遷都後初の宮中花見の再開において、明治天皇は東京で初めて行う花宴の会場に、この墨堤の水戸徳川家小梅邸を選んだ。枕橋から東京スカイツリーを見た後墨田区役所に行く。
 墨田区役所、アサヒビール本壮一帯のリバーピア吾妻橋は、越前福井藩松平氏などを経て秋田藩佐竹氏の屋敷として移りかわり、浩養園、佐竹の庭としてて一層有名になった。隅田公園のうるおい広場、アサヒビールタワーと過ぎ、隅田川に架かる吾妻橋を渡って吾妻橋交差点に着く。1ヶ月前に売り場を大幅縮小した浅草松屋前から新仲見世通りに入りを西進、右折して仲見世通りを北上する。
 仲見世通りが終わり、宝蔵門までの間にほおずきの鉢を売る屋台が並ぶ。この日は参拝すると四万六千日分のご利益がある、と言われる功徳日である。ほおずき市との関係は、昔、赤とうもろこしを吊るしていた家だけが落雷の被害を受けなかったことから、四万六千日の縁日に合わせ、ほおずきが売られるようになった。このため、この日にだけ雷除のお守りが売られる。
 平成大営繕中の本堂横の浅草神社前の広場には、ほおずき市の屋台が軒を連ねるが、反対側は工事足場のため数軒しか無い。宝蔵門を出て仲見世通りを南下、雷門を出ると吾妻橋方向に東京スカイツリーが見える。
 谷中、根岸、入谷朝顔市散策(H22−07−07)
 不忍通りの団子坂下交差点で右折、都道神田白山線(三崎坂)へ入り、次の交差点で左折、よみせ通りへ進んで北上、右折して谷中ぎんざに至る。名物谷中メンチの肉屋すずきなどを経て、夕やけだんだんを上り、彰義隊をかくまったため官軍に銃撃された弾痕が山門の扉に残る経王寺に着く。
 小林一茶がしばしば訪れた月見寺(本行寺)前の桜並木の御殿坂を下り、改装されきれいになったJR日暮里駅の北改札口から入り、東口前広場に出る。広場南のガスト横を南下し、六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られている善性寺の前には、羽二重団子が名物の芋坂藤の木茶屋がある。正岡子規も愛好し、根岸子規会案内板が設けられている。
 尾久橋通りを南下、竹台高校前交差点で右折、駐車場脇の小路へ入ると先代林家三平の遺品が展示される「ねぎし三平堂」があり、その隣のマンション角で左折、さらに次の角を左折すると根岸子規庵がある。根岸子規庵は戦後すぐに再建された古びた民家であり、斜め向かいの中村不折旧宅(書道博物館)が目標になる。
 尾久橋通りへ出て南下、根岸小前交差点で右折、尾竹橋通りへ入る。交差点角には絹ごし豆腐を作り、豆腐料理で有名な笹乃雪があり、店の前には正岡子規の直筆句碑がある。鶯谷駅前交差点で左折、言問通りへ進む。
 言問通りを南下し、鶯谷駅下交差点の凌雲橋から朝顔市は始まり、根岸一丁目交差点を過ぎると狭い歩道に入谷朝顔市の店が立ち並び、見物客で歩くのもままならない。1鉢2000円の4色大輪がお薦めとの事だが、12時過ぎでは折角の「朝」顔が萎れているのが残念である。狭い境内も人で溢れ返る入谷鬼子母神を過ぎ、入谷交差点に至る。
 谷根千(谷中・根岸・千駄木)散策(H21−09−13)
 人気の谷根千とコミュニティバスとを組み合わせたコースを散策した。
 谷中の東西めぐりん、根岸の北めぐりん、千駄木のBーグルバスだが、ぴったりするのは谷中の東西めぐりんだけで、見所を通らない北めぐりん、近くを通るが分かりにくいBーグルである。コミュニティバスの運行コースだけではせっかくの谷根千が楽しめないので、まず推薦コースを設定し、それに当てはまるバス停を組み込む形とした。
 コースを分かりやすくするため、上野駅を起点とし、入谷から根岸に入り、谷中霊園、谷中銀座、団子坂(千駄木)、根津神社を経て団子坂に戻り、谷中三崎坂を上って、上野公園を通り、上野駅に着く。そのコースで適切なバス停はその都度分かるようにしている。

 上野駅浅草口から昭和通りを北上、入谷交差点で左折、言問通りに入り、根岸一丁目交差点で右折して金杉通りに入る。根岸三丁目交差点で左折し、北めぐりんと同じコースを歩いて根岸四丁目交差点で左折する。北めぐりんと同じく根岸の住宅街を歩き、東日暮里四丁目南交差点で左折、尾竹橋通りに入り、根岸小学校前交差点で右折、尾久橋通りへ進む。正岡子規が晩年住んでいたことから、根岸子規会が資料を民家などの壁に貼り、根岸の紹介をしている。かつての高級料亭「鶯春亭」、根岸と子規との関係、子規庵などである。ボランティアのため、内容の割に貴重な資料に見えないのが残念である。尾久橋通りを北上、竹台高校前交差点で小道に入り、先代林家三平の資料館である「ねぎし三平堂」に向かう。「ど(土)ーもすい(水)ません」に因み、開館日は毎週の水、土と、日曜日である。尾久橋通りを北上、東日暮里五丁目交差点で左折し、小路を進むと右の石塀の先に善性寺があり、道の反対側に根岸の名菓である羽二重団子屋がある。善性寺は6代将軍徳川家宣の生母が葬られ、家宣の弟の松平清武がここに隠棲し、家宣のお成りがしばしばあった。善性寺の向い、芋坂下には文政2年に開かれたという藤の木茶屋(今の羽二重団子)がある。近くに住んでいた正岡子規は羽二重団子を好んだということで、店の周囲には案内板がいくつも立てられている。店の脇の小路を進み、日暮里駅のホームを見つつ、芋坂跨線橋を渡ると谷中霊園である。

 南部は徳川慶喜以外は立ち入れない徳川家の墓所が広がる谷中霊園のぎんなん通りを東から西に向かう。南北を走るさくら通りとの交差点には幸田露伴の小説で有名な天王寺の五重塔跡があり、更に進んで突き当りを右折すると諏訪台通り(初音のみち)である。突き当りの長安寺には狩野芳崖の墓があり、諏訪台通りを北上し、赤穂浪士ゆかりの観音寺など、寺町谷中らしい光景が続き、修理のため長期休館の朝倉彫塑館に着く。諏訪台通り(初音のみち)の突き当りの御殿坂の向いに彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけ、山門には今も銃弾の痕が残る経王寺がある。左折すると夕やけだんだんの階段下に下町屈指の谷中銀座があり、狭い道一杯に観光客が溢れ、名物の谷中メンチカツを買う行列が出来ている。突き当りは南北に走る谷中よみせ通りで、左折してよみせ通りのゲートを過ぎてすぐ右折、小道を歩いて不忍通りに出て右折、南下すると団子坂下交差点である。東西めぐりんの千駄木バス停から少し歩いて団子坂下交差点に着き、不忍通りの反対側にBーグルバスの千駄木バス停がある。

 Bーグルバスが右折する大観音通りの団子坂上交差点を過ぎてすぐに森鴎外の観潮楼跡を過ぎて西進し、高さ約6mの駒込大観音がある光源寺手前の駒込学園前交差点で左折、南下する。日本医科大学同窓会館前に夏目漱石旧居跡の碑がある。この家は、森鴎外が上野動物園近くの鴎外荘から移り、観潮楼に移るまで住んでいた。日本医大前交差点で日医大つつじ通りを渡り、東大地震研究所の角で左折、南下すると根津神社に向かう根津新坂・S坂である。根津神社は、徳川綱吉が6代家宣の産土神として宝永3年に千駄木にあった社をこの地に移した。3,000株のつつじ苑がある表参道を進み、漆塗り工事が間もなく終わるせいか、朱色が鮮やかな楼門、唐門、社殿を参拝する。翌週の例大祭の準備をする氏子を見つつ、不忍通りに出て北上、Bーグルバスのバス停を見つつ、団子坂下交差点に至る。

 団子坂下交差点から都道 神田白山線に入り、三崎坂を上り、谷中霊園入口を通り、上野桜木交差点で右折、言問通りに出る。都道 神田白山線は谷中の寺町を通り、幕末の江戸無血開城の功労者である山岡鉄舟と、初代三遊亭円朝の墓がある全生庵、仮名垣魯文の墓がある永久寺などがある(詳細は万歩計 東西めぐりん参照)。 言問通りの谷中六丁目交差点で左折、突き当りの護国院前交差点で右折して道なりに上野高校前を通り、清水坂を下ると動物園通りに出る。動物園通りの水月ホテル 鴎外荘の中には、新婚当時住んでいた森鴎外居住の跡を復元した家がある。鴎外はその後、日本医大傍の後に夏目漱石が住んだ家に移り、最後は団子坂上の観潮楼で没した。動物園通りを南下、日本で初めての上野動物園のモノレールの高架下を過ぎ、蓮の葉で覆われた不忍池から上野公園に入り、桜並木を南下し、上野駅の不忍口に出る。
 日本橋〜本所吉良邸 義士祭〜押上(H20−12−13)
 日本橋交差点から永代通りを南下、茅場町交差点で左折し、平成通りを歩き東京証券取引所、鎧橋を渡って新大橋通りに出て、水天宮に着く。人形町の甘酒横丁を歩き、江戸時代の歌舞伎公演に因み建てられた武蔵坊弁慶像がある浜町緑道を過ぎると浜町の明治座に着く。清洲橋通りを北上、薬研堀不動尊のある柳橋通りを経て、両国橋を渡り回向院、両国コアシティ(旧国技館)に至る。
 両国橋を渡った所には江戸時代から続くイノシシなどの肉を食するもゝんじやがあり、鼠小僧次郎吉の墓や、相撲関係の石碑がある回向院の隣の両国コアシティの中庭には、旧国技館の土俵の位置に輪が描かれている。本所松坂町の吉良邸は、白壁の中に稲荷神社がある小さな本所松坂町公園として整備されているが、場所が非常に分かりにくい。両国小学校や、両国3丁目郵便局を目標にした方が良い。泉岳寺の義士祭は線香がもうもうとし、参拝する人で溢れ返るが、本所の義士祭は衣料の安売りや、地元町内会主催の飲食物や、飲み物販売、国技館が販売するちゃんこ鍋、浅野家ゆかりの地の物産店が建ち並ぶ。
 吉良邸のある本所松坂公園を出て京葉道路を東進、清澄通りを経て三ツ目通りに入り北上、吾妻橋交番前交差点で右折、浅草通りへ進む。業平一丁目交差点で左折、言問通りへ曲がると、東武橋から5ヶ月前の今年の7月から始められた東京スカイツリータワーの建設が見られる。まだクレーンが立っているだけでほとんど進捗していないが、東武の業平橋駅から押上駅までの敷地に建つ予定である。押上は4社が乗り入れるターミナルで、浅草にも近いので観光立地は良い
 浅草 浅草橋〜鷲神社(平成20年二の酉)〜吾妻橋(H20−11−17)
 馬喰横山の繊維問屋街から江戸通りに出て、浅草橋の群代屋敷跡や浅草見附跡の碑を見た後、JR浅草橋駅の吉徳、久月などの人形店街、クリスマス用の飾り物商店街を通り、蔵前橋通りを渡って、国際通りに入る。春日通り、浅草通りを渡って、ROXなどがある浅草六区を通り過ぎ、千束五差路交差点に来ると歩道の半ばは焼きそば、串焼きなどの定番の屋台が占め、鷲(おおとり)神社の二の酉の市の参拝客で大混雑で、歩くのもままならない。
 3年前に国際通りを走るつくばエクスプレスが開通した時に訪れた鷲神社は、閑散としていた。平成20年 二の酉の市の浅草鷲神社の狭くはない境内の至る所に熊手を売る店が軒を接し、参拝客でごった返すため、歩くのもままならない。金、銀、赤など華やかな色で飾られた熊手は芸術品と言っても過言ではなく、数十万から2000円と幅広い値段である。境内を仕切ってテントを張り、人がすれ違うのも難しい狭い通路は、どこを行けば参道に出られるのかも分からない。さらに国際通りを進むと一葉記念館の案内があり右折、旧居跡の案内板を見た後改築された一葉記念館に至る。国際通りに戻るが、屋台と参拝客の混雑は昭和通りと交差する三ノ輪交差点まで続く。
 交差点を右折して昭和通りに進み、大関横丁交差点で右折して明治通りに入る。三ノ輪から土手通りを南下、吉原遊廓に因む見返り柳のある吉原大門交差点で右折、吉野通りに出る。江戸六地蔵の一つがある東禅寺を参拝後、山谷堀公園を経て江戸通りを歩き、浅草吾妻橋に着く。
 都心の菊花展散策(H20−11−04)

 日比谷公園は、会場の草地広場が広々としており、テントが散在しているとしか見えず、素人目にも立派な菊花がもったいない気がする。靖国神社の神門を通り、中門鳥居の前によしず張りの菊花展がある。規模は小さいが、きれいにまとめられている。靖国神社から靖国通りを歩いて、ニコライ聖堂、聖橋、湯島聖堂と進み、神田明神に至る。
 神田明神の境内は大きくないが、国学発祥之地碑、石獅子、天下祭など歴史の重みを感じさせる。裏参道から蔵前橋通りに出て、不忍通りを歩いて湯島天神に向かう。普段は土産物の屋台が並ぶ参道もよしず張りの菊花展となり、本殿や、大河ドラマ篤姫の菊人形が飾られた参集殿などに所狭しと見事な菊の鉢が並べられている。本殿裏手に回ると、千本咲や、ダルマ作りなどの素人にも分かりやすい説明がつけられた菊の鉢が並べられ、圧倒される。
 菊花を堪能した後、上野駅を経て、浅草通りを歩いてかっぱ橋道具街を通り、浅草六区に至る。外人が食品サンプルを土産に買うことでも有名なかっぱ橋は、様々な商品が並ぶ。浅草演芸ホールなど馴染みの六区を通り、五重塔通りを歩くと、浅草寺落慶50周年記念行事として江戸時代の奥山を再現した「浅草奥山風景」が行われている。浅草寺の札所の裏に設けられた菊花展の会場は、奉納品も含めて丁寧に飾り付けられており、見ていて楽しい。

 小雪舞う隅田川散策(浅草〜両国〜門前仲町)(H20−02−09)

 浅草寺で参拝の後、吾妻橋から江戸通りを南下、駒形橋、厩橋と過ぎて、稲穂を表す黄色の蔵前橋を渡る。横網町公園は、旧陸軍被服廠と言ったほうが分りやすく、関東大震災での火災による大旋風で人が巻き上げられたりして多くの人が死んだことで知られている。京葉道路を両国橋に向うと、芥川龍之介生育の地碑や、吉良上野介の本所松坂町跡の碑などがある。両国回向院は、かけらを持つと賭け事に勝つとの俗説があるねずみ小僧次郎吉の墓などがある。
 両国橋を渡り、浜町の明治座前を歩き、新大橋を渡る。新大橋は、関東大震災で唯一落ちずに被災者が逃げられたため、「人助け橋」とも言われる。小名木川河口に松尾芭蕉銅像がある芭蕉庵史跡展望庭園があり、清澄庭園と清澄通りを挟んで反対側の霊巌寺には、寛政の改革で知られる松平定信の墓所と江戸六地蔵がある。
 富岡八幡宮の別当寺だった永代寺は、神仏分離令で廃寺となり、跡地に深川不動尊が建立された。勧進相撲で知られる富岡八幡宮は、大関力士碑や、伊能忠敬像などがある。

 洲崎十万坪〜亀戸天神〜押上(H19−03−21)
門前仲町駅から永代通りを東進、深川不動尊、富岡八幡宮前を通り、東西線木場駅で右折、平木橋を渡り、洲崎神社に到る。寛政3年の深川の高潮被害から、幕府が土地を買い上げたことに由来する洲崎十万坪、立ち入り禁止の境界標の波除碑などがある。東陽町駅前交差点から四ツ目通りを北上、江東区役所を過ぎて右折、横十間川親水公園、道なりに仙台堀川公園を経て四ツ目通りに戻る。仙台堀川公園は、いかにも水辺という趣である。猿江恩賜公園は、幕府時代からの木材蔵があった所で、皇太子(昭和天皇)成婚記念で南側が東京市に払い下げられ、整備開園された。四ツ目通りを右折、蔵前橋通りを進み、亀戸天神に着く。亀戸天神は、寛文2年(1662)、太宰府天満宮より勧請、小規模ながら結構は大宰府に倣って造営されている。朱色の鳥居をくぐると石造の太鼓橋があり、藤棚のある心字池の向こうに本殿がある。
 佃島・門前仲町〜深川・両国〜浅草(H18−12−16)
明石町の聖路加ガーデン脇から佃大橋を渡ると、右側はもんじゃ焼き屋が立ち並ぶ西仲通りで、左側はありふれた下町風景の佃仲通りである。佃島は、徳川家康が関東下向の際、摂津国佃村の漁民と共に、住吉の社(田蓑神社)が分霊されたのを始めとする。石川島人足寄場南端の石川島灯台を見つつ、佃の大川端リバーシティ21を通る。門前仲町交差点で右折、深川不動を見て、清澄通りに戻り北上する。深川不動に隣接する深川公園には、永代寺跡の碑や、日露戦争の慰霊碑がある。仙台堀川に架かる海辺橋の南詰めには、松尾芭蕉の奥の細道の出発点である採荼庵(さいとあん)があり、北詰めに滝沢馬琴誕生の地の碑がある。清澄庭園脇を通り、二之橋を渡って左折し、本所松坂町の吉良邸跡に向う。赤穂義士祭は高輪泉岳寺が有名であるが、小さな稲荷神社となっている吉良邸跡を中心に、赤穂義士所縁の土地からの屋台が路地に所狭しと並ぶ。旧陸軍被服廠跡の横網公園は、震災の高熱で折れ曲がった鉄路などが外に展示され、慰霊堂や、復興記念館などがある慰霊公園である。
 銀座〜築地〜八丁堀(H18−09−24)
みゆき通りを歩き、建設中の芸術座、明治の文豪島崎藤村と北村透谷の記念碑がある泰明小学校、「君の名は」の碑がある数寄屋橋公園を経て、晴海通りに出る。晴海通りを東進し、銀座4丁目交差点、東銀座の歌舞伎座を通って、築地本願寺、軍艦操練所跡や波除稲荷神社のある築地市場を経てかちどき橋に到る。聳え立つ聖路加ガーデンの近くにある水炊きの治作の周りには、電信創業之地碑や、東京税関の元となった運上所跡の碑がある。佃島の高層マンションを見つつ、江戸初期創建の鉄砲洲稲荷神社の大きな富士塚を見て、南高橋を渡り、住友ツインタワーに向う。福井松平家に因む越前堀、霊岸島、関東大震災や東京大空襲の慰霊碑がある新亀島橋を経て新大橋通りに出る。右手すぐの東京メトロ(旧営団)茅場町駅脇には、伊能忠敬の旧居にあった地図御用所跡の碑がある。平成通りを歩き、鍛冶橋通りに出る。少し左手に歩くと鈴らん通り入口に八丁堀の与力・同心組屋敷跡の碑がある。
 お盆の神社仏閣巡り(靖国神社〜湯島界隈〜浅草寺)(H18−08−12)
地下鉄九段下駅を出ると、目の前に靖国神社の大鳥居が見える。靖国神社は年配者だけでなく、高校生や大学生など若い人が結構多く、家族連れも参拝している。靖国通りに沿って急な九段坂を下り、九段会館(旧軍人会館)、を経て、小川町交差点で左折、ロシア正教のニコライ堂を見て聖橋に着く。湯島聖堂の前身は昌平坂学問所(昌平黌)で、秋葉原の昌平橋近くの正門から入った方が分りやすい。仰高門から入り、大きな孔子銅像を経て、大成殿(孔子廟)に到る。神田明神は、道路を挟んで湯島聖堂の北側にあるが、歴史を感じさせる随神門、本殿ではあるが、境内は狭い。明神男坂を下り、鳥居から湯島天神に入る。湯島天神は室町時代初期に勧請されたと言われ、学問の神様である。不忍池の蓮の花は、時期が早過ぎてきれいではあったが、わずかしかない。かつては帰省客で混雑していた上野駅も閑散とし、かっぱ橋道具街も、多くの店がお盆休みである。しかし、浅草寺はいつもと変わらぬ人出で、アーケードの布の屋根は夏らしく涼やかである。
 白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18−07−08)
白山道路沿いの白山神社から、不忍通り沿いの根津神社まで徒歩30分程度と意外と近い。東京の電車や道路は都心から放射状に伸びており、近くとも両者をつなぐ電車が無いことによる錯覚である。徳川家康の生母のお大、秀頼の妻千姫などが葬られている伝通院や、谷中霊園の徳川慶喜以外の歴代将軍の墓を見ることを考えていたが、谷中霊園では、工事用の壁に遮られ、寛永寺では一般の墓所に入ることすら難しかった。幸田露伴の小説のモデルで、放火によって焼失した天王寺の五重塔跡や、最後の処刑者である高橋お伝の墓も谷中霊園にある。寛永寺に残る4代将軍の家綱、5代の綱吉の霊廟勅額門は見事である。入谷朝顔市は、言問通りの根岸1交差点から、入谷交差点間を歩行者天国として開催される。普段は閑散としている入谷鬼子母神も名物の大提灯も片付けられ、狭い境内は人並みに溢れていた。12時頃行ったせいもあり、朝一番が見ごろの朝顔はほとんど咲いていなかった。夕やけだんだんの階段を登ってすぐ左手に彰義隊をかくまったため、新政府軍に銃撃された弾痕が山門の扉に残る経王寺がある。
 馬喰横山〜水天宮〜日本橋(H18−07−01)
馬喰横山、浜町、水天宮、甘酒横丁、日本橋のコースは、神田明神の天下祭の神幸祭のコースと重なるが、神幸祭の溢れるばかりの人波は無く、淡々と歩くことが出来る。馬喰横山一帯は繊維問屋街で、近くの薬研堀不動院は川崎大師東京別院である。この不動院の隣の駐車場は、神田明神の天下祭の神幸祭で昼食休憩をする両国旧仮置屋である。浜町と言えば明治座であるが、隅田川沿いの浜町公園には加藤清正所縁の清正寺や、東京大空襲慰霊の明治観音堂があり、関東大震災で焼け落ちず「人助け橋」と言われた新大橋の西詰めには慰霊碑が立つ。甘酒横丁を歩き、食事をするため長蛇の列が出来る親子丼で有名な「玉ひで」がある甘酒横丁交差点に出る。妊婦や新生児を抱く家族で賑わう水天宮は、和菓子が美味しい三原堂や、人形焼の重盛などがある。八重洲口には平和の鐘と、名前の由来になったヤン・ヨーステンの記念碑がある。



 
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