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中部・北陸(金沢、富山、伊勢)

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  JR東海)伊勢神宮両詣りと二見興玉神社拝殿内特別参拝R010516
  古稀祝いでの冬の金沢散策H290222-23 
  古稀祝いでの冬の金沢散策H290222-23
第2部 冬の金沢散策(近江町市場〜尾山神社〜武家屋敷跡〜忍者寺〜犀星のみち〜兼六園〜金沢城)H290223
  古稀祝いでの冬の金沢散策H290222-23
第1部 新幹線かがやき〜金沢(ひがし茶屋街〜主計町茶屋街)〜加賀料理、地酒銘酒H290222
 
  初秋の金沢、富山(立山、八尾おわら風の盆、高岡)散策H200829-H200901
  金沢散策(H12−10−27)


 JR東海)伊勢神宮両詣りと二見興玉神社拝殿内特別参拝R010516
 海外旅行は言うまでもなく国内旅行でも定年後はフリープランの飛行機を使ってきた。そのため、新幹線は本当に久しぶりで今回JR東海の50+募集の日帰りツアーに初めて参加し、大学2年の春休みに訪れて以来の50年ぶりの二見浦、大阪勤務時代の幼児だった子どもたちを連れての40年ぶりの伊勢神宮参拝を楽しんだ。それにしても名古屋までの全線こだまは初体験で、疲れるし飽きる旅で7時台で静岡まで立ち席が出るほど混雑するとは思わなかった。又、伊勢は近鉄が便利だが、JR紀勢本線が単線のディーゼルカーとは思わなかった。家を6時過ぎに出て7時前のこだまに乗り、浜名湖手前で晴れてきたので富士山は見られなかった。名古屋からの特急は踏切事故で16分遅れで松阪駅に着き、空いているのに時速30km以下でのんびり走る観光バスで1時間ほど揺られて二見浦に向かった。
 6時過ぎに家を出て、こだまの長旅の疲れで、のんびり走る観光バス内でうつらうつらして1時間、二見浦のショッピングモールと水族館がある伊勢夫婦岩めおと横丁に着く。すぐ2階の食堂に案内され、名物の神饌の食材を「ふんだんに使用した」神饌常若膳を食す。食材は小さな欠片の寄せ集め、としか見えず、このツアーの先行きに不安を感じだす。伊勢夫婦岩めおと横丁の土産物店は大きく、添乗員が事前に取りまとめをした名物赤福の他の土産として、伊勢うどんを買った。帰宅して食べたが独特のタレで意外と美味しかった。

 晴天のもと海沿いの二見興玉神社への参道を歩き、修繕中の朱塗りの鳥居を通り、境内社の龍宮社を過ぎると夫婦岩が見える。約50年前の大学2年の春休みにユースホステルを使った日本全国一人旅の第一歩として、東京からの夜行急行で朝着いて訪れた夫婦岩は昂揚感もあって大きく感じたが、高齢者となった今見ると貧弱な岩に見える。周囲には祭神である猿田彦大神の使いとされ、「無事カエル」、「お金がカエル」、「貸した物がカエル」などの意味がある多くの蛙が飾られている。ツアー特典の二見興玉神社の拝殿内特別参拝で、神社の故事来歴説明、参拝の仕方と二礼二拍手一礼の実地指導が行われ、最後に参拝記念品を拝受する。交通手段の酷さや、いささかお粗末な神饌食材の昼食で落ち込んでいた気持ちも夫婦岩の見物で上向き出した。
 外宮のバス駐車場から表参道火除橋を渡る。橋の中ほどに「ここでは左側通行」の高札がある。添乗員の説明では、外宮の正宮の参拝は右側で行うので左側通行となる。ちなみに内宮は同じ理由で右側通行となる。木立に覆われた表参道を西進、神楽殿を経て式年遷宮で以前の正宮跡地を整地した古殿地に着き、その隣に垣で囲われた現在の正宮がある。鳥居から正宮に立ち入ることはできるが撮影は禁止で、中に神宮所属の衛士が警備にあたっている。約40年前の参拝時に子供は幼児だったが、内宮に比べ小規模の外宮も結構歩いた気がした。今回はバス乗り場から添乗員の説明を聞きながらあっという間に着いた気がした。表参道を戻り、火除橋を渡ってバス駐車場に至る。

 五十鈴川に架けられた木造の宇治橋は神宮の表玄関で、長さは101.8m、両はしの鳥居は、両正宮の旧正殿棟持柱(むなもちばしら)をリサイクルしている。宇治橋を渡り右折して神苑に入り、木立の表参道を南下、五十鈴川御手洗場に立ち寄る。五十鈴川が左に曲がって表参道も東進し、神楽殿を過ぎて突き当りの二股路で右折、直進すると正宮に至るが、写真撮影は階段の下までである。
 正宮から表参道を戻り、突き当りで左折して神楽殿に向かい、右折して神楽殿沿いに北上して突き当りの御厩の左側を抜ける。参集殿の左側を通り、帰り道の参道を北上 表参道の神苑に合流して宇治橋を渡る。
  宇治橋正面の左側の木立にトイレがあり、その前におはらい町の案内図があり、その横に入口がある。おはらい町の入口は狭く、木立が視界を妨げて分かり難いが進むと大きな通りとなる。伊勢神宮に来るまでは、「おはらい町(旧参宮道)」は小規模な土産物が並ぶゴチャゴチャした町並みを予想していた。しかし大きな道路の両側には大きな店が並び、いかにも江戸時代の商家、といった感じの店構えである。おはらい町(旧参宮道)を北上、16時過ぎというのに早々と閉店を進める商店街を眺めつつ歩く。広々とした石畳と江戸時代の商家風の家並みが独特の雰囲気を醸し出している。なかなかおかげ横丁に辿り着けない、と思っていたら「もうすぐ 160m」の高札が建っており、更に進むと趣のある赤福本店の前におかげ横丁の入口がある。おかげ横丁は、おはらい町(旧参宮道)とは雰囲気が一変し、小規模の土産物店が並ぶ。おはらい町のほぼ終わり近くまで来たことから、おかげ横丁入口の赤福本店から引き返すことにし、宇治橋に至る。
 古稀祝いでの冬の金沢散策H290222-23
第2部 冬の金沢散策(近江町市場〜尾山神社〜武家屋敷跡〜忍者寺〜犀星のみち〜兼六園〜金沢城)H290223
 目覚めたら窓を叩く雨音は大きく、外に出ると持参の折りたたみ傘ではさせず、途中で大きいビニール傘を買った。皮肉なことに尾山神社からは風は強いが雨は小降りとなり、忍者寺付近からは時折強い風になるものの長い時間はささずに歩けた。しかし、寒風に悩まされ、貼るカイロで対策をしたつもりだったが雨に濡れたベンチで休憩せざるを得ないほど持病の腰痛に苦しんだ。近江町市場の蟹は貧弱で身がスカスカのため土産を諦めた。
 百万石通りを南下、野村證券、大和証券、日本生命などの大企業の店舗が建ち並ぶ上堤町交差点を過ぎ、尾山神社前交差点で左折し初代加賀藩主前田利家公と正室おまつの方を御祭神とし、歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に明治6年に建立された尾山神社に寄る。ギヤマンがはめ込まれたり、和・漢・洋折衷様式を見せる神門は、異国情緒漂う造りで、灯台としても使われた独特の形が有名である。平成14年にNHK大河ドラマで放送された「利家とまつ」を記念して前田利家公の騎馬像と、お松の方座像が建てられた。

 尾山神社前交差点で百万石通りを渡り、中央小学校南交差点を西進、大野庄用水に架かる橋の手前で左折すると、金沢市足軽資料館の清水家、高西家があり、立ち入り自由との案内があるが、玄関から覗けば一通り見ることが出来る。足軽資料館の土塀の狭い出口を出ると唐突に広い駐車場と建物が現れる。9年前の前回には無く、3年半前の平成25年10月に開業した金沢聖霊総合病院である。旧加賀藩士 高田家跡には中間部屋や厩が残る長屋門が付いている。
 尾山神社前交差点で百万石通りを渡り、中央小学校南交差点を西進、大野庄用水に架かる橋の手前で左折すると、金沢市足軽資料館の清水家、高西家があり、立ち入り自由との案内があるが、玄関から覗けば一通り見ることが出来る。足軽資料館の土塀の狭い出口を出ると唐突に広い駐車場と建物が現れる。9年前の前回には無く、3年半前の平成25年10月に開業した金沢聖霊総合病院である。旧加賀藩士 高田家跡には中間部屋や厩が残る長屋門が付いている。
 国道157号を進み、犀川に架かる犀川大橋を渡ると瓶割り坂である。その由来は、源義経一行が奥州に逃げ延びる時、義経の北の方(正室)が突然産気づき、弁慶が慌てて瓶の中から衣類を出そうとして瓶を落として割ってしまったためである。野町広小路交差点から国道157号は南大通りとなり、野町一丁目交差点で左折、寺町の細道の奥が忍者寺(妙立寺)である。ただし、忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備されたもので、堂内のあちこちは迷路のようになっている。撮影禁止で約1時間の見物を終え、元来た道を戻り犀川大橋に至る。

 犀川に架かる犀川大橋を渡り北詰で右折、犀星のみちへ入る。寒風で持病の腰痛に悩まされながら古木のサクラ並木が続く道をしばらく歩くと白塀の前に室生犀星文学碑が立ち並ぶ。その塀の後ろには高浜虚子、年尾父子句碑が並ぶ。句碑の少し先にある幸町南交差点で左折、本多通りへ出る。右折すると犀川に架かる桜橋である。本多通りを北東に進み、新竪町三丁目交差点、鱗町交差点と過ぎ、北陸放送本社、金沢中警察署、金沢歌劇座、石川県立図書館、旧県社石浦神社が固まる一角の先が広坂交差点である。
 本多通りを北上、百万石通りを渡る広坂交差点は兼六園の南西の角が真弓坂口と接している。広坂北交差点からお堀通り(百間堀)となり、鯉喉櫓台やいもり堀の復元整備状況の説明板が並ぶ。兼六園と金沢城との間の堀は防衛上重要な水濠で、長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4mあり、その大きさから百間堀の呼び名がついた。お堀通りは、兼六園沿いの茶店通り(江戸町通り)と平行し、石川門と兼六園とを結ぶ橋の下を抜けると兼六園下・金沢城バス停に前田利家像がある。兼六園下交差点でお堀通りを渡り、向い側に移る。お堀通り沿いに紺屋坂を上りきった所に兼六園の桂坂入口がある。

 60歳以上は無料の兼六園を桂坂口から入ると、霞ヶ池と徽軫灯籠があり、写真を撮る人で行列ができている。眺望台で金沢市内を眺めた後、名物の雪吊りが全く役に立たない唐崎松を見る。35年前に出張できた時は歩くのもままならない兼六園だったが、全く雪はない。雁行橋、明治紀念之標の日本武尊の像、根上松と経て成巽閣に至る。成巽閣に立ち寄ろうかと思ったが、防寒用の脱着に不便なハイカットのトレッキングシューズであり、腰痛でしばしば休憩したため帰りの新幹線の時刻の関係で断念した。いつかは忘れたが、立ち寄った記憶はある。
 成巽閣の西側の丘一面が梅林である。兼六園には何回も来ているが、秋が多く梅が咲いている風景は記憶に無い。全体として5〜6分咲であるが、広い園内に咲き誇っている。舟之御亭、平成12年、この地に再現された時雨亭、瓢池、噴水と巡り、兼六園の桂坂入口に戻る。
 金沢城と兼六園の間は、かつて百間堀のあったところで、石川門は金沢城の搦手門(裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。石川門を抜けてびっくりした。9年前の平成20年秋に来た時はただただ広い三の丸広場で、左手奥に五十間長屋、橋爪門続櫓があるだけだった。入ってすぐの三の丸北園地は狭間がズラッと並んだ白壁に囲まれている。河北門(一の門)から見た新丸広場の将来計画は分からないが、ただただ広い空間である。三の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓)、二の丸広場(五十間長屋、菱櫓、橋爪門続櫓)と見物した後、石川門を経て兼六園 桂坂入口に戻る。ここからタクシーで金沢駅に戻った。
 古稀祝いでの冬の金沢散策H290222-23
第1部 新幹線かがやき〜金沢(ひがし茶屋街〜主計町茶屋街)〜加賀料理、地酒銘酒H290222
 北陸新幹線の売り物の一つであるファーストクラスの上のグランクラスで東京。金沢を往復した。席は1+2で専任アテンダントが時折訪れ、飲み放題の飲み物の注文を取るので静かな旅行が楽しめる。日本茶、コーヒー共にいい味だが、惜しむらくは最もまずいサントリービールしか提供されないことである。軽食の幕の内弁当等の味、量共に妥当である。大きな窓からの風景は2月なのに長野〜上越妙高以外は屋根、道路ともに雪はなく、同区間は長いトンネルだらけでWi-Fiは接続しない。乗車時間は最速なのd2時間半と東京〜新大阪と同等だが、グランクラスで静かなのであっという間に金沢、という感じである。
 古稀祝での妻子からの旅費プレゼントの条件は、普通では味わえない旅行をすることである。北陸新幹線のグランクラス往復もその一つであるが、加賀料理を地酒銘酒で味わうのもその一つである。もともと酒を呑む時は食事は少ない方なので、コースではなく、のど黒の塩焼き、鴨肉の治部煮、鰤大根を肴に仲居推奨の地酒三大銘酒の天狗舞、手取川の山廃仕込を楽しんだ。

 金沢駅(兼六園口)を出ると正面に見える鼓門ともてなしドームの偉容に驚かされ、写真を撮らない人はいない。東口広場で測った熱中症計の温度16.5℃で、雪は全く無く、重装備の防寒対策は的外れである。金沢駅前中央口交差点で昭和大通りを渡り、金沢駅通りを南東に進み、リファーレ金沢、西門口前交差点の東本願寺 金沢別院と過ぎ、めいてつ エムザ店がある武蔵交差点で地下道で渡り、近江町市場の市姫神社口に至る。
 百万石通りを東進、市媛神社、博労町交差点と過ぎ、尾張町の石碑に着く。尾張町は業種は様々だが、如何にも江戸時代、という感じの商家が建ち並ぶ。町民文化館、老舗交流館、薬種福久屋 石黒 希清軒、線香・蝋燭 黒田香舗。諸油問屋 森忠商店と続く。尾張町も坂を下った所は橋場交差点で、その手前に石川県里程元標、復原されたガス燈、枯木橋と東内惣構堀がある。金沢文芸館、金沢五木寛之文庫がある橋場交差点で左折、城北大通りへ進み、八百萬本舗の先にある浅野川に架かる浅野川大橋を渡る。

 城北大通りの卯辰山麓 重要伝統的建造物群保存地区の心の道や周辺の町並みなどの案内板がある浅野川大橋交番前交差点で右折してひがし茶屋街に入り、浅野川沿いの東山河岸緑地、旧涌波家住宅主屋のひがし茶屋休憩館を過ぎて観音町石碑で左折、名物きんつば 中田屋、レストラン 自由軒などを散策し、茶屋街広場に至る。
 茶屋街広場にある旧諸江屋の茶席やなぎ庵は弁柄の大きな建物で、そこから懐華樓などのテレビや本で有名な商店街が続く。突き当りの加賀麩 不室屋で左折、地酒専門銘店 酒楽などの先で左折すると東茶屋街の鎮守社である菅原神社に着く。さらに、お茶屋美術館(旧 中屋)などが並ぶ狭い道を進んで突き当りで左折すると出発点の茶席やなぎ庵に着く。レストラン自由軒などもと来た道を戻り、浅野川大橋交番交差点に至る。

 城北大通りの浅野川大橋南詰で右折、主計町料理料亭街(鏡花のみち)へ入る。南詰に建つ今越清三朗翁出生の地石碑の今越清三朗と言っても誰のことか分からないが、横の「乃木将軍と孝子辻占売少年」の碑文を見て東京の乃木大将旧邸にある像を思い出した。金沢では、少年の出生の地碑だけだが、東京ではエピソードの像と説明文がついている。主計町は、大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士富田主計の邸地があったところなのでこの名がついたといわれる。主計町緑水苑には西内惣構堀があり、向かいの中の橋まで南詰からかなりの距離があるが、大小は違っても料亭が延々と続いている。浅野川に架かる小橋を渡り道なりに歩き、案内に従い左折すると金沢の名所としてよくテレビや本に掲載されているあめの俵屋本店に至る。
 道を戻り、浅野川に架かる小橋を渡り、彦三町交差点で左折、彦三大通りを南西に進む。彦三町中交差点を過ぎ、地下道で武蔵交差点(武蔵ヶ辻)を渡り、金沢駅通りへ進む。西門口前交差点の東本願寺 金沢別院、リファーレ金沢と経て、定宿にしている金沢駅(兼六園口)のANAクラウンプラザホテル 金沢に至る。
 初秋の金沢、富山(立山、八尾おわら風の盆、高岡)散策H200829-H200901
 8年ぶりの金沢は、金沢駅は大きく変貌したが、尾山神社、長町の武家屋敷、香林坊、犀川沿いの犀星のみち、兼六園は以前と変わらず、金沢大学移転後整備していた金沢城は鮮やか過ぎる白壁の五十間長屋などが完成している。富山城は前田氏時代には無かったが、昭和29年の富山産業大博覧会に模擬天守閣が建てられた。
 合掌造りで有名な五箇山の菅沼集落は、急勾配で高い屋根はさすがと思わせる。合掌造りとして最大の岩瀬家があり、内部の見学もできる。加賀藩の指示で作られた塩硝(煙硝)製造の取りまとめ役でもあり、役人のための書院の間もある。急勾配の階段を上ると、かつての養蚕の跡がある。
 おわら風の盆前夜祭最終日は雨が降る中、名物の町流しは中止となり、曳山会館での鏡町町内会や、公民館で演じられた諏訪町、西町の踊りを楽しめた。
 立山は朝早くに行かないと、すぐにガスが出る、とのガイドの指示で観光バスで室堂に向かう。前日までと違い、きれいに晴れ、日本一の落差である称名滝や、立山連峰の景観を楽しみつつ、標高2,400mの室堂ターミナルに着く。どの山も同じに見えるが、剱岳は鋭い岸壁で覆われ、地獄の針の山になぞられているのもよく分かる。みくりが(御厨)池、遠くに見える地獄谷、ミドリガ池、高山植物を見ながら、享保11年(1726年)に再建された室堂を経て、立山ホテルに戻る。わずか1時間で天気は変化し、青空は無くなりガスで覆われてきた。室堂から麓に向かうバスから見た立山はますますガスがひどくなり、穂を出し始めたススキも見えにくくなる。
 立山の麓に降りるときれいに晴れ上がり、北陸自動車道の立山インターから高岡に向かう。高岡の瑞龍寺は、壮大という名が実感できる大寺で、戦時には弾丸となる鉛葺きの仏殿、前田利長の2mの大位牌などがあり、国宝、重要文化財の建物が建ち並ぶ。魚で有名な氷見海鮮館を見た後、帰路に着く。
 金沢散策(H12−10−27)
初めて金沢に来たのは大学院修士2年の時、黒部ダムから富山を経ての一人旅の時だった。その後、出張や職場の慰安旅行、部下の女子社員の結婚式と何度も訪れた。雪の兼六園も素晴らしかった。
朝、駅前のホテルを出、金沢駅から近江市場、武蔵辻、尾山神社を経て長町の武家屋敷を観光し、昼食に兼六園で名物のじぶ煮を食べる、というのがお決まりのコースである。
 
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