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首都圏

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  梅の季節の水戸散策H310302(偕楽園〜千波湖〜水戸東照宮)
  古き良き時代の町並み 小江戸川越 七福神めぐり(H24−01−21)
  幕張メッセ CEATEC Japan2011(H23−10−06)
  小江戸 川越散策(H23−03−06)
  筑波山ガマまつりと森林浴の道(H18−08−06)
  新撰組ゆかりのウォーク 近藤勇の足跡 流山(H16−09−18)
  東京ディズニーシー(H16−09−16)


 梅の季節の水戸散策H310302(偕楽園〜千波湖〜水戸東照宮)

 梅まつり期間の土、日、休日の下り線のみ開業する偕楽園駅(臨時駅)をSuicaで下車、人波に流されて常磐神社の表参道の石段を上る。上野東京ラインで品川から快速で2時間半、グリーンを使っても流石に遠い。帰りは水戸からは上野、東京しか停まらない特急ひたちで1時間半だった。階段を上りきった境内に並ぶ露店を通り抜け、長い参拝客の列を見て参拝を諦め、御社殿裏の様々な遺構や、徳川光圀公を育てた家老の三木家を祀った三木神社を見物する。水戸藩は第2代徳川光圀(義公)、第9代徳川斉昭(烈公)が尊崇され、常磐神社の祭神となっている。
 表参道から右折、義公讃仰碑を経て義烈館に向かう。徳川光圀(義公)、斉昭(烈公)の功績を讃えて造られた義烈館だが、知的障害者のグループが入口で屯しており、無理やり入館する気にもなれなかった。義烈館前の広場の屋台や猿回しなどを見た後、表参道の向かいにある藤田東湖を祀った東湖神社を経て偕楽園の東門前にある偕楽園レストハウスに向かう。

 偕楽園は約13ヘクタールの広さで、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が天保13年(1842)に創設、園内には現在約3千本(当初は約1万本)の梅があるといわれる。東門から梅を見つつ西進するが、全体として白梅の数が多いが、逆に紅梅の方が目立って目につく。見晴広場は広大な芝生広場であるが、ベンチは広場の角にいくつかある程度で数は少ない。水戸の人は慣れており、あちこちでブルーシートを広げて弁当や、駅弁を食べたり、宴会をするグループもいた。見晴広場の臥龍梅、左近の桜を見た後、千波湖をはじめ周囲の景観が一望できる突き出た台地の仙奕台に至る。
 仙奕台の眼の前に好文亭が見えるが、柵があって立ち入れない。入口は柵沿いに北に少し歩いて奥まった所にある芝前門の先にある。そこから南に戻って好文亭に入ることができる。梅林西端沿いに北上、偕楽園の名前の由来や創設した理由、利用の心得などが、斉昭の直筆で記されている偕楽園記碑を過ぎ、売店大和亭の向いの奥まった所に好文亭の芝前門がある。その先に好文亭の入場券販売所があるが、好天の土曜日ということもあり、入場待ちの長い列ができていた。なかなか列は前に進まないが、団体のガイドの話を聞いていたら好文亭に入れる人数に制限があることと、晴天の土曜なので見物客が多いためなかなか入場できないとのことだった。帰りの特急の時間も決まっていることから見物を諦めた。売店大和亭に戻り、梅林を北上、御成門に向かう。遺徳之碑遺徳之碑、二名匠碑と経て御成門に着く。
 御成門から南を向くと3本の道があるが、戻りはまっすぐ南下する真ん中の道を歩くことにした。好文亭からの道に比べ、梅の本数が少ないが紅梅の比率が高く、特に桃と見紛うほどに赤みがある鹿児島紅という紅梅がある。枝垂れ桜はよく見かけるが、枝垂れ梅は初めて見た。さすがに今回の散策では枝垂れ梅はこれだけだった。途中で二股路を左に進み、南下していくと東門に至る。

 東門の偕楽園レストハウスの右側沿いにある東遊歩道を南下、偕楽園レストハウスの西南角を過ぎると、九十九折の遊歩道になる。九十九折の遊歩道を南下すると左に常磐神社の表参道の石段と、大鳥居の影が見え、林の先に千波湖が見える。東遊歩道の曲がり角に大日本史完成之地の碑があり、途中で偕楽橋へ進む。偕楽橋を渡ると常磐線、県道50号線を超え、千波湖の北側にある桜川北側、南側の2ヶ所の降り口を経て、千波湖の南側の遊歩道に至る。偕楽端を南下し、桜川南側への降り口を下る。
 千波湖はもともと水戸城南側まであった大きな湖であった。明治大正時代に干拓・開田され、現在の千波湖は本来の1/3の大きさになった。偕楽橋を渡り、千波湖北側の堤(桜川南側)に降りるとボート乗り場がある。咲き始めた寒桜を見た後、桜並木の千波湖北側の堤を東進する。鴨が多く見られるボート乗り場を出て藤で覆われた四阿を過ぎるが、途中にベンチなど休むところはなく、枯木のような桜並木が延々と続く。千波湖と県道50号線の間を流れる桜川に架かる芳流橋は千波湖東端の千波大橋との中間に位置する。千波湖の堤を東進し、JR貨物駅、留置線や茨城県近代美術館を遠望して東端の千波大橋に着き、そこで右折して千波大橋沿いに南下する。
 千波大橋沿いに南下 突き当りで左折し千波大橋に入り北上する。千波大橋交差点で右折、県道50号線へ入り東進、弘道館の標識に従い左折して進み、水戸東照宮の大鳥居で左折する。宮下商店街を北上すると水戸東照宮の表参道の石段がある。偕楽園、千波湖と休める所が殆どなかったため、腰痛が酷くなり、前を行く若い二人連れもためらう石段を見て参拝を諦めた。宮下商店街で昼食を兼ねた休憩を考えたが、14時過ぎでどの店も閉店で、腰痛を癒やすことができなかった。商店街のアーケードを出ると東照宮行きの自動車道があるが、腰痛で歩く気にもならなかった。赤鳥居を通り右折、県道50号線の銀杏坂を下り南下、水戸駅に出る。近くにある弘道館、水戸城は断念した。

 古き良き時代の町並み 小江戸川越 七福神めぐり(H24−01−21)

 前日の初雪に続く氷雨の中を歩いたが、3社共催だが西武が主体のコースマップには道路名、交差点名、有名な建物などの目安となるものが全く無く、粗すぎて、ただでさえ住宅街を右に左に曲がっていくため苦労した。

 川越駅東口を出て、最初の交差点で右折案内に従い、続いて左折して妙善寺(毘沙門天)へ着く。県道39号(川越坂戸毛呂山線)を渡り直進、住宅街を右に左に曲がり、川越胃腸病院前を北上して第二番天然寺(寿老人)に至る。
 天然寺門前で右折、国道16号バイパスへ出て直ぐ左折、住宅街を右に左に曲がり、川越福音自由教会前を歩いて仙波三丁目交差点に着く。ここから喜多院までは、片道1車線だが、歩道がついた初めてのまともな道で、直進する。石州浜田(島根県浜田市)藩士の菩提寺で、移封ごとに移築した光西寺、江戸時代以前は喜多院より勢力をもっていた中院と経て、仙波東照宮に入り、随身門、石鳥居と過ぎ、拝殿の急坂前で右折して隣接する喜多院へ向かう。
 仙波東照宮から隣接する第三番喜多院(大黒天)に入る。喜多院は平安時代の天長7年(830)に淳和天皇の勅により慈覚大師が創建された勅願寺で、天海僧正(慈眼大師)が住職になってから徳川家康、家光等の手厚い庇護を受けた。天海僧正の木像が安置された慈眼堂、その裏の歴代住職墓所、慈恵堂(本堂)、鐘楼門、山門、番所や多宝塔と見物後、参道から出る。

 第四番成田山川越別院(ゑびす天)は、ベリー来航の年に、廃寺を成田山新勝寺の別院として再興した。さすがに川越の観光名所である喜多院界隈は道案内が充実しているが、やはり右往左往しながら川越市立診療所前を進み、裸木のイチョウ並みの参道を歩いて三芳野神社に着く。平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。左脇を歩き、川越城本丸御殿、川越市立美術館、川越市立博物館と進み左折、川越城中ノ門堀跡を経て川越市役所前を西進する。
 札の辻交差点で左折、様々な土産物店が並ぶ小江戸川越の名所蔵造りの町並みへ入り、南下して時の鐘入口交差点で左折、鐘つき通りへ進む。時の鐘は、川越城主酒井忠勝により建設されたと伝えられる。蔵造りの町並みを南下、第八十五国立銀行(現 埼玉りそな銀行川越支店)を過ぎ、仲町交差点で左折して大正夢浪漫通りに進み南下、道案内標識に従い右折して突き当りの蓮馨寺に着く。第五番蓮馨寺(福禄寿神)は天文18年(1549)、当時の川越城主大導寺政繁が開山し、塗り替えられたおびんずる様がある。蔵造りの町並みを北上し札の辻交差点で左折、高澤通り(県道39号(川越坂戸毛呂山線))へ出る。

 高澤通り(県道39号(川越坂戸毛呂山線))を左折し、菓子屋横丁へ入る。菓子屋横丁は、江戸時代の末期から明治時代の初めごろに、菓子を製造したのが始まりといわれる。新河岸川に架かる高沢橋手前で左折、赤穂浪士矢頭右衛門七妹の墓がある第三番見立寺(布袋尊)に至る。
 新河岸川を下り、最初の橋で左折、いつものように住宅街を右往左往して第七番妙昌寺(弁財天)に着き、本堂左の坂を下ると弁財天を祀る末社がある。妙昌寺から出て住宅街を東進、突き当りのルネサンスシティ川越前を右折して南下、連雀町交差点手前で右折して県道229号(本川越停車場線)に進み、西武本川越ペペを過ぎて西武本川越駅のゴールに至る。
 幕張メッセ CEATEC Japan2011(H23−10−06)
 液状化被害復旧工事痕が残る幕張駅南口からプレナ幕張の2階を通り、歩道橋へ出て、マリブイーストタワー、半円筒のアトリウム、マリブウエストタワー、マリブダイニングと過ぎて、メッセ交差点を渡り、歩道橋を下りると幕張メッセの国際会議場である。2階にある国際展示場入口からCEATEC受付に向かう。

 国際展示場の2階コンコースから1階に下り、CEATEC Japan 2011 ビジネス&ソサエティゾーンから見物を始める。3年ぶりの参加だが、CEATECと言うとIT技術の祭典と思っていたが、その雰囲気は薄れていた。太陽光発電パネルを始めとする自然エネルギーをどう活用するか、という展示が多く、環境技術展のようである。話題のクラウドや、スマートフォーンの活用などもあるが、電気自動車を展示しているブースがいくつもあった。別ページにまとめた裸眼3D技術デモは長い列ができていた。

 CEATEC Japan2011の目玉の一つであるNICT 裸眼3D技術デモは、40分待ちで長い列に参加を諦める人が多かった。まず他のイベントを見物した後、最後のイベントとして列に並んだが、実際には15分で見ることができた。裸眼で見れるインパクトは大きく、蜂の尻の針や襲いかかるジョーズ、ドアが空いた自動車車内のリアル感などである。写真ではそのリアル感が分からないので動画にしようとしたが、前に立つ人が不規則に左右に揺れて立体感を確認するため、まともな動画が撮れなかったのが残念である。

 小江戸 川越散策(H23−03−06)

 川越市駅前から県道246号川越市停車場線を北上、県道15号川越日高線に出て東進、連雀町交差点で左折して県道39号川越坂戸毛呂山線(川越街道)へ入る。川越城主大導寺駿河守政繁が開山の蓮馨寺を過ぎ、仲町交差点から小江戸川越の 蔵造りの町並みが始まる。 国の登録有形文化財である第八十五国立銀行として明治11年(1878)に設立された埼玉りそな銀行川越支店がまず眼に入る。

 蔵造りの町並みの時の鐘入口交差点で右折、薬師神社門前に時の鐘の櫓が立っている。時の鐘は、酒井忠勝が川越城主(1627〜1634)のころに建設されたと伝えられている。蔵造りの町並みには色々な土産物店が並び、両側に片道1車線の車道よりも広い歩道を作っているが、観光客で溢れ、車道にはみ出している。川越まつり会館、重要文化財大沢家住宅と過ぎて、札の辻交差点で左折、高澤通りへ進む。蔵造りの町並みはこの交差点までである。菓子屋横丁はロの字型で、いわゆる駄菓子店が集まり、狭い路地は大混雑である。

 高澤通りから札の辻交差点で右折、小江戸川越の蔵造りの町並みへ入り、時の鐘入口交差点、仲町交差点と元来た道を戻り、県道39号川越坂戸毛呂山線の連雀町交差点で右折、県道15号川越日高線へ進む。六軒町交差点で左折、県道246号川越市停車場線へ入り、東武スポーツクラブ沿いに南下して川越市駅に至る。

 筑波山ガマまつりと森林浴の道(H18−08−06)

 土浦駅から、筑波山つつじヶ丘、筑波山女体山頂、御幸ヶ原、筑波山男体山、筑波山神社をウォーキング。つつじヶ丘のロープウェイ駅から見るからに急な坂道を登りだす。山頂に近づくにつれ、岩に手をかけよじ登ることも珍しくない。35度近い猛暑のため全身汗みずくで、持参のペットボトルのお茶は沸騰し、あちこちで休む人が見られた。岩も登山者の靴で摩滅し、滑りやすく、足を踏み外したり、後ろに転がりそうな人もいた。山頂近くには多くの奇岩が続く。弁慶七戻り、母の胎内めぐり、国割り石、大仏岩などである。女体山山頂は狭く、岩は滑りやすいが、景色は見事である。
 女体山山頂からうって変わったようになだらかな道を下り、ケーブルカー山頂駅のある御幸ヶ原に着く。御幸ヶ原の目の前に男体山山頂が見え、ヘリコプターからレスキュー隊員が降りてきて救助活動をしていた。女性が滑落し、木に引っ掛ったが、同伴者に助けられたとのことである。麓の筑波山神社では、ガマ祭りで賑わっており、名物のガマの油売りが演じられていた。筑波山の奇岩群の出船入船、裏面大黒、北斗岩などを紹介。

  新撰組ゆかりのウォーク 近藤勇の足跡 流山(H16−09−18)

 南流山駅から、近藤勇陣屋跡、一茶双樹記念館、南流山をウォーキング。東福寺や、鰭ヶ崎三本松古墳、愛染堂、浅間神社の富士塚、天保六花撰の金子市之丞と三千歳の墓などを紹介。

 東京ディズニーシー(H16−09−16)

 東京ディズニーシーを散策。メディテレーニアンハーバーから、ミステリアスアイランド、パレード「スタイル!」、トランジットスチーマーライン、ロストリバーデルタ、アラビアンコースト、マーメイドラグーン、アメリカンウオーターフロント、ショー「ブラヴィッシーモ」などを楽しむ。
 
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