巣鴨・田端、板橋・赤羽・王子

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  桜の名所を散策1(見頃予想大外れの飛鳥山、旧古河庭園、六義園)(H28−03−25)
  満開の桜名所散策(王子〜六義園〜早稲田)H270331
  残暑の城北三名園散策(H25−09−21)
  東京まちさんぽ 第07回 新春の寺院や巣鴨地蔵通りを楽しむウォーキング(H25−01−26)
  東京メトロ沿線ウォーク(再訪) #19 江戸の風情を残す町並みと寺院をのんびり歩く(H24−03−01)
  音楽の調べと共に、自然豊かな文化・歴史の街「目白」を歩く(H23−12−04) 
  歴史あるお寺を巡り下町情緒あふれる商店街を散策(H23−10−23) 
  緑あふれる飛鳥山公園の紫陽花と文化・歴史を楽しむ(H23−06−25) 
  東京、横浜の桜並木探訪 4部作)第3部 飛鳥山公園〜護国寺〜早稲田大学〜江戸川公園(H23−04−11)
  巣鴨から目白へ豊島区内をめぐる(H22−11−27) 
  江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第2部 板橋〜巣鴨〜白山(H22−11−09)
  北区 コミュニティバス 田端循環ルート
  北区 コミュニティバス 王子・駒込ルート 
  東京まちさんぽ 春と歴史のかおる下町さんぽみち (H22−04−03) 
  東京メトロ沿線ウォーク(再訪) # 6緑と静寂の街からおばあちゃんの原宿へ(H21−12−02)
  東京メトロ沿線ウォーキング)新しい都心の魅力を満喫〜護国寺・六義園・とげぬき地蔵〜(H20−10−25)
  東京下町の歴史と文化を訪ねて(H19−11−03)
  王子飛鳥山 満開の花見風景(H19−04−01)
<田端駅開業110周年記念>春のうららのさくら路と文士の田端を歩く(H18−04−08)
  駅開業120周年記念ウォーク 第5回 赤羽(H17−03−27)
  駅開業120周年記念ウォーク 第4回 板橋、目白(H17−03−12)
  おばあちゃんの原宿 巣鴨探索(H17−02−05)
  新撰組ゆかりのウォーク 板橋、小石川界隈(H16−04−24)
  都電沿線を歩く(巣鴨〜高田馬場)(H16−03−20)
  都電沿線を歩く(王子〜巣鴨)(H16−03−06)


 桜の名所を散策1(見頃予想大外れの飛鳥山、旧古河庭園、六義園)(H28−03−25)
 4日前に開花宣言し、1週間後には満開となるとの気象予報士の予測に従い、王子から六義園、谷中霊園、上野公園を経て隅田公園まで歩くことにした。JR王子駅(北口)から東西連絡通路を歩き、親水公園口(西口)を出ると、北口とは雰囲気が一変していわゆる飲み屋街となって音無川(石神井川)沿いの親水公園となる。例年なら満開の桜並木が見られるが、せいぜい1〜2分咲で、嫌な予感がよぎる。音無親水公園の遊歩道を歩き、舟串橋、旧岩槻街道の音無橋と進み、音無橋先で桜並木は終わる。道を戻り、王子神社への入口の階段を上ると名物のイチョウがあり、王子神社を参拝後に大鳥居を出て左折、旧岩槻街道へ出る。

 橋から見た音無親水公園の満開の桜並木が有名な旧岩槻街道の音無橋を渡り、音無橋交差点から本郷通り(明治通り)を南下、飛鳥山公園交差点から公園に入る。音無川親水公園の状況から予想されたことではあるが、例年なら全山ピンク色の飛鳥山公園の趣は全く無い。桜祭り準備中の多目的広場は色取り取りのテントが設営されているが、桜祭りが翌日から行われる。しかし、例年なら背後の桜並木はピンク一色なのに、と開催者が気の毒になる。ほとんど開花前の飛鳥山公園の飛鳥舞台から桜並木の遊歩道へ入り、桜の賦の碑、飛鳥山の歴史碑、飛鳥山碑、明治三十七八年 戦役記念碑と経て児童エリアに進む。ほとんど開花前で味気ない飛鳥山公園を南下、北区飛鳥山博物館、旧渋沢庭園、渋沢資料館と過ぎて南出入口を出て左折、本郷通りへ向かう。

 本郷通りを南下し、本郷警察署前の西ヶ原一里塚、国立印刷局東京工場、花と森の東京病院、滝野川公園、平塚神社と経て旧古河庭園正門に着く。庭園案内のボランティアのガイドに開花状況を聞いたが、せいぜい1分咲とのことで、入園せずに次に向かった。本郷通りの西ヶ原交差点で右折して大炊介坂を下り、霜降橋交差点から妙義坂を上るとJR駒込駅に着く。北口には染井吉野桜記念公園があり、南口には桜の巨木がある。駒込橋交差点には普段は閉鎖している六義園染井門が臨時で開いており、受付で開花状況を聞いたが、名物の枝垂れ桜で5分咲、普通の桜は1〜2分咲とのことで入園を断念した。これまでの経緯から、これ以上歩くだけ無駄と判断し、染井門前の南北線駒込駅から帰宅することとした。
 満開の桜名所散策(王子〜六義園〜早稲田)(H27−03−31)
 JR王子駅の親水公園口(西口)を出ると満開になったばかりの音無親水公園である。音無川(石神井川)沿いに満開になったばかりの音無親水公園を歩き、舟串橋、旧岩槻街道を走るかなりの高低差がある音無橋を過ぎるとサクラ並木は終わる。元来た道を戻り、王子神社への入口の階段に至る。
 音無親水公園から階段を上り、600年近い樹齢のイチョウを経て王子神社へ至る。王子神社は「王子」の地名の発祥となった古社で、熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の王子神を祀る。大鳥居を出て左折、旧岩槻街道へ出て桜が満開の音無親水公園に架かる音無橋を渡る。音無橋交差点から飛鳥山公園へ出て本郷通り(明治通り)を歩き飛鳥山公園に向かう。
 飛鳥山公園交差点から桜が満開の飛鳥山公園に入り、目の前にある多目的広場の飛鳥舞台は、以前休日に公園に来た時、花見のアトラクションが行われていた。飛鳥舞台の脇から遊歩道に出た所に明治維新百年植樹記念碑があり、桜並木の遊歩道を南下して桜の賦の碑、飛鳥山の歴史碑、異体字や古字を用い、石材の傷を避けて文字を斜めにするなど難解で有名な飛鳥山碑、明治三十七八年戦役記念碑と経て、児童エリアに着く。 さらに桜並木の遊歩道を南下、北区飛鳥山博物館、渋沢資料館と過ぎて旧渋沢庭園に入り、青淵文庫、晩香廬、渋沢栄一銅像w見た後、公園の南出入口から出て左折、本郷通りへ出る。

 本郷警察署の手前に2つの案内板(西ヶ原一里塚、二木榎保存之碑)があり、本郷通りの中洲のような場所に西ヶ原一里塚の碑がポツンとある。本郷通りの交通が激しいので一里塚の碑を撮るのは難しく、数回に一度しか撮れない。本郷通りを歩き、花と森の東京病院、滝野川公園、平塚神社と過ぎて西ヶ原交差点の歩道橋前の旧古河庭園の正門に着くが、入場待ちの列があることと、桜の名所という程でもないのでパスした。西ヶ原交差点で右折、大炊介坂を下り、霜降橋交差点から妙義坂を上り、駒込駅北口の染井吉野桜記念公園、JR跨線橋の駒込橋、桜が美しいJR駒込駅(南口)と進む。
 本郷通りの駒込橋交差点には六義園の染井門があるが、 いつもは閉じている。染井門が桜祭りに合わせて臨時開門されているので正門の名物の枝垂れ桜を見るため、入場を考えていたが、右手の煉瓦塀沿いに折り返して並ぶ長い列を見て断念した。本郷通りを南下、六義園入口の標識に従い右折して正門に着くが、染井門ほど入場待ちの列は長くないが、園内を見ると正門近くの枝垂れ桜付近は混雑しており、入園は断念した。六義園の煉瓦塀沿いに南西に進み、文京グリーンコート前交差点で右折、不忍通りへ出て千石一丁目交差点で白山通りを渡り、猫又坂を下って千石三丁目交差点で千川通りを渡って坂を上り、大塚三丁目交差点で白山通りを渡る。富士見坂を下り、惣門の先の護国寺交差点で護国寺の仁王門をくぐる。満開の桜が咲く表参道の先には水屋や不老門が見え、本堂の参拝も考えたが、持病の腰痛が気になり、断念した。

 不忍通りを歩き、護国寺西交差点で左折して首都高5号池袋線の高架の下を直進する。日本女子大の目白キャンパスの裏を通り、目白台二丁目交差点で右折して目白通りへ入る。右折すると鬼子母神に着く高田一丁目交差点を過ぎ、千登世橋で急な階段を下りて明治通りへ出る。明治通りに従って都電荒川線沿いの満開のサクラ並木を南下、撮影スポットとして有名な満開の神田川に架かる都電荒川線の高戸橋鉄橋の先の高戸橋交差点で左折して新目白通りへ進む。踏切を渡ってすぐ左折、線路沿いに北上し突き当りで右折して神田川の南側遊歩道を歩く。南側歩道には満開の桜並木が続き、広い川を両側から桜のアーチで覆っている。曙橋、面影橋、三島橋と過ぎて新目白通りに出て満開の桜並木を東進し、都電荒川線の終点の早稲田駅に着く。
 新目白通りの都電早稲田駅交差点で右折、早大入口仲通りへ入り、老舗蕎麦店の金城庵前交差点でワセダグランド坂通りを渡り、大隈通りへ進む。学生相手の定食屋や、マスコット角帽、ペナント店を過ぎて早稲田大学のシンボルである大隈講堂に至る。春休みということで大隈庭園に入ることは出来ないので大隈ガーデンハウス(学生食堂)で昼食を取る。味は今流行のホテルシェフ提供の某大学と違い、値段相当である。大隈講堂前広場に戻り、新入生勧誘看板が並ぶ早大南門通りを歩き、馬場下町交差点で左折、早稲田通りへ出て東西線の早稲田駅に着く。
 残暑の城北三名園散策(H25−09−21)
 駒込橋交差点にある東京メトロ南北線の駒込駅から本郷通りを南下、サンクス六義園店角で右折してレンガ塀に沿って歩き、六義園の正門に着く。六義園については別ページにまとめた。
 六義園を見物後本郷通りへ出て北上、駒込橋交差点(南北線 駒込駅)、JR跨線橋の駒込橋、JR駒込駅と過ぎて妙義坂を下る。霜降橋交差点から大炊介坂を上り、西ヶ原交差点で左折すると旧古河庭園に至る。旧古河庭園は別ページにまとめた。
 旧古河庭園を出て、本郷通りを北西に進み、うんざりするほど参道が長い平塚神社、滝野川公園、西ヶ原一里塚と経て飛鳥山公園に着く。別ページにまとめた飛鳥山公園を出て、明治通りのJR京浜東北線の王子駅を過ぎて東京メトロ南北線の王子駅に至る。

 六義園は元禄15年(1702)に柳沢吉保が築造し、明治10年頃岩崎彌太郎の別邸の一部となり、昭和13年3万余坪が東京市に寄贈された。寄贈の経緯は正門前広場にある東京市石碑に記されている。内庭大門を通ると名物のしだれ桜があり、荒廃した六義園を4代柳沢保光が復旧工事をした新脩六義園碑がある。出汐湊への散策道を進むと、大きな泉水の中の島にある田鶴橋や妹山・背山、向かいの吹上茶屋、臥龍石が一望に見える。コースから外れる心泉亭、宜春亭を見た後、正門前広場前の門に出てそこから出汐湊に引き返す。
 中の島の妹山・背山、玉笹石(紀州青石)や、蓬莱島と臥龍石、吹上茶屋などを眺めつつ泉水沿いに西進し、突き当りで木立の中を南西角に向かう。滝見茶屋と、枕流洞、水分石を見た後、六義園の西端の道を北上し、千鳥橋を過ぎて木立の向こうに吹上浜が見え出す。出汐湊から見た風景の反対に当たる和歌浦、蓬莱島を見つつ吹上松に至る。
 吹上浜から中の島の田鶴橋が正面に見える紀の川、藤代峠入口、渡月橋と過ぎ、休憩所兼売店に着く。出汐湊から一服の絵のような中の島、蓬莱島を見つつ、しだれ桜がある内庭を経て正門に向かう。

 旧古河庭園は明治の元勲陸奥宗光の別宅で、その後古河家が譲り受け昭和30年に東京都の管理となった。本郷通り沿いの英国風古典様式の本館を中心として、その前庭の欧風花壇及び南側の斜面を利用した池泉回遊式日本庭園よりなっている。正門から洋館へ進むと、洋館前にはバラ園や広い芝生があり、展望台の四阿からは崖下に広がる日本庭園が見える。洋風庭園の階段を下り、日本庭園に向かい左折して展望台の下の道を東進する。黒ボク石積、大きな奥の院型石造灯籠を見つつ、展望台の四阿下に着く。
 日本庭園の心字池にある大島(仮称)へ入り、奥の院型灯籠、泰平型灯籠、庭園の景色を楽しんだ後小島(仮称)を経て庭園の南端散策道に進む。心字池には2つの島があり、名前が分からないので便宜的に北の大きな島を大島とした。見晴台で濡鷺型灯籠、十五層塔を見た後心字池に戻り、雪見型灯籠から東側散策道に進み、奥の院型灯籠、崩石積、大滝と経て、階段を上り展望台へ出て洋館前の芝生に戻る。

 本郷通りの南出入口から飛鳥山公園に入り、すぐ先を右折して旧渋沢家飛鳥山邸を見物する。旧渋沢庭園に入って右折して晩香廬を訪れた後、前に大きな芝生が美しい青淵文庫を見る。青淵文庫は渋沢栄一(号・青淵)が80歳と子爵に昇爵した祝いに、門下生の団体「竜門社」より寄贈された。
 旧渋沢庭園から北上、渋沢資料館、北区飛鳥山博物館、児童エリアと過ぎて江戸時代からのサクラ名所である飛鳥山公園に入る。桜が満開の時は多くの見物客で賑わい、公園内には飛鳥山に関する多くの石碑が並んでいる。 あすかパークレールは、飛鳥山公園の北端に4年前の平成21年7月に出来たスロープカーである。高齢者や、障害者、子供連れが飛鳥山公園を気軽に楽しめるように作られた施設で、桜のシーズンには長蛇の列ができる。乗車時間は2分で明治通りの飛鳥大坂沿いに運行している。
 東京まちさんぽ 第07回 新春の寺院や巣鴨地蔵通りを楽しむウォーキング(H25−01−26)
 千川通りにある南北線後楽園駅から富坂下交差点で右折、春日通りへ進み、富坂を上り礫川公園沿いの春日の地名の由来も書かれている春日局之像、富坂上の中央大学理工学部と過ぎて伝通院前交差点で右折、白木造りの山門から伝通院に入る。徳川家康の生母お大の方、徳川秀忠公の長女千姫をはじめとして徳川家ゆかりの墓が数多くある。春日通りを西進、東京学芸大学付属の竹早小、中学校、桜並木で有名な播磨坂、丸ノ内線茗荷谷駅、跡見学園、お茶の水女子大学と経て大塚三丁目交差点で左折、不忍通りへ入り富士見坂を下ると大本山護国寺の仁王門に至る。
 不忍通りの護国寺西交差点で右折、都道音羽池袋線(435号)へ進み、首都高5号池袋線の高架沿いに小篠坂(小笹坂)を上る。都電荒川線が道路を横断する東池袋駅前交差点、エアライズタワー、池袋のシンボル サンシャイン60と見つつ東池袋交差点で右折する。サンシャイン前交差点で右折し、西巣鴨橋通りへ入り、サンシャインシティ横、東池袋中央公園を北上して東池袋三丁目交差点で春日通りを渡る。JR跨線橋の西巣鴨橋を渡り、北大塚三丁目交差点で右折、宮仲公園通り(旧癌研通り)へ進み、空蝉橋下交差点を経て大塚駅北口交差点で左折、都電荒川線を渡り、北大塚一丁目交差点で左折、折戸通りへ入って北上し巣鴨庚申塚がある庚申塚交差点で右折し、旧中山道の巣鴨地蔵通りへ進む。
 巣鴨名物の真っ赤な婆パンツ や塩饅頭の店が並ぶ旧中山道の巣鴨地蔵通りを南下、高岩寺(とげぬき地蔵尊)、巣鴨駅側入口の真性寺(江戸六地蔵)を経てJR山手線/都営三田線の巣鴨駅に着く。白山通りを進み、千石一丁目交差点で左折、不忍通りへ入り文京グリーンコート前交差点で左折、六義園のレンガ壁に沿って北東に進む。正門を過ぎ、突き当りで左折、本郷通りへ入り駒込橋交差点にある南北線駒込駅に至る。
 東京メトロ沿線ウォーク(再訪) #19 江戸の風情を残す町並みと寺院をのんびり歩く(H24−03−01)
 護国寺駅脇の護国寺仁王門から不忍通り(都道437号)を東進、護国寺惣門を過ぎ、富士見坂を上り、大塚三丁目交差点で春日通り(国道254号)を渡る。大塚四丁目交差点で右折し、筑波大付属小入口交差点先で左折して教育の森公園から占春園、窪町東公園を経て、窪町東公園交差点で左折、千川通り(都道436号)へ出る。
 教育の森公園は、東京教育大学が昭和53年3月末に閉学となったため、跡地を区が国から払い下げを受け、公園として整備したもので、ちびっこ広場、文京スポーツセンターを経て、突き当りを左折する。東京高師60周年記念に出席した昭和天皇の行幸記念碑がある入口から占春園に入り、散策して湯立坂の窪町東公園を下る。占春園は徳川光圀の弟を藩祖とする陸奥守守山藩松平家の上、中屋敷の地であった。
千石三丁目交差点で右折、不忍通り(都道437号)へ入り、猫又坂を上って、千石一丁目交差点で白山通り(国道17号)を渡り、上富士前交差点で左折、本郷通り(都道455号)へ進み、六義園正門標識、六義園染井門を経て駒込橋交差点で左折する。

 六義園の赤レンガ塀に沿って西進、突き当りで右折して白山通り(国道17号)に出る。巣鴨駅前商店街を北上、江戸六地蔵の真性寺から巣鴨地蔵通り(旧中山道)を北西に進み、高岩寺(とげぬき地蔵尊)、巣鴨名物の婆シャツ、婆パンツなどを見つつ、庚申塚交差点で庚申塚に寄る。庚申塚通り(旧中山道)に入って北西に進み、都電荒川線庚申塚駅を過ぎて堀割交差点で左折、明治通り(都道305号)へ進む。
千川上水調節池跡、右折すると近藤勇墓所がある板橋駅に向かう滝野川七丁目交差点と経て、上池袋交差点で右折、宮仲公園通り(都道436号 旧癌研通り)に入り、空蝉橋下交差点で右折する。空蝉橋通りを歩き、東京スカイツリーが見える空蝉橋を渡り、向原交差点で右折、春日通り(国道254号)へ進む。東池袋二丁目交差点で左折、サンシャインシティ 文化会館前を南下し、エアライズタワー脇で都道音羽池袋線(都道435号)に出て左折、有楽町線東池袋駅に至る。
 音楽の調べと共に、自然豊かな文化・歴史の街「目白」を歩く(H23−12−04)
 目白駅前交差点で目白通りを渡リ左折、最初の交差点で右折して狭い住宅街を北上、紅葉、黄葉の木々が美しい目白庭園に着く。数寄屋造りの「赤鳥庵」は、この地で創刊された文芸雑誌「赤い鳥」にちなんだ。西武池袋線の踏切を渡り、上り屋敷公園手前で右折、自由学園明日館を過ぎ、西武池袋線沿いのJR跨線橋(花のはし)を渡って突き当り交差点で明治通りを渡り、右折する。
 明治通りから左折して鬼子母神西参道に入り、法明寺鬼子母神堂、イチョウ並木の表参道、ケヤキき並木の表参道と歩き、突き当りの高田一丁目交差点で左折、目白通りへ進む。きれいに黄葉したイチョウ並木の目白通りを南東に進み、日本女子大、田中真紀子邸(旧田中角栄邸)と経て、東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂に至る。大聖堂は丹下健三の意匠で、ルルドの洞窟を模した施設がある。
 東京カテドラル 聖マリア大聖堂前交差点で目白通りを渡り右折、講談社野間記念館の先の永青文庫案内に従い左折する。和敬塾、休館中の永青文庫を過ぎ、急坂の胸突坂を下り途中で紅葉、黄葉した木々が美しい関口芭蕉庵に立ち寄る。胸突坂を下り、神田川に架かる駒塚橋で左折して神田川の北側遊歩道沿いに江戸川公園を東進する。

 江戸川公園側の冠木門から椿山荘庭園に入ってすぐ右手に長松亭があり、道なりに紅葉、黄葉した木々が美しい庭園を巡り、椿山荘三重塔の圓通閣に着く。ここから結婚式場などで有名な本館には係員が立ち、立入禁止となっており、冠木門を出て右折、江戸川公園を戻る。
 桜並木の神田川北側遊歩道を歩くが、裸木の桜並木がほとんどだが、紅葉が残っている場所もある。面影橋北詰で、門脇に太田道灌ゆかりの「山吹の里」の碑があるオリジン電気横で右折、住宅街を北上する。氷川神社、三遊亭円朝の怪談乳房榎ゆかりの南蔵院と過ぎて、江戸五色不動の一つ目白不動尊を祀る金乗院に至る。
 金乗院から住宅街の坂道を上り、突き当りの高田一丁目交差点で左折、目白通りへ出て、明治通りに架かる千登世橋を渡り、きれいなイチョウ並木を西進し、学習院正門に着く。特別公開の学習院を歩き、西5号館、堀部安兵衛が高田馬場仇討のあと、この池で刀の血を洗ったという一名血洗いの池、輔仁会館と経て西門を出ると目の前が目白駅である。
 歴史あるお寺を巡り下町情緒あふれる商店街を散策(H23−10−23)
 巣鴨駅から白山通りを南下、福音館書店手前交差点で左折し文京学院前交差点で右折、六義園の壁に沿って正門に着く。紅葉にはまだ早く、混雑しているので通り過ぎる。本郷通り(岩槻街道)へ出て、上富士前交差点で不忍通りを渡り、冨士神社入口交差点、二宮尊徳、鳥居燿蔵、榎本武揚などの墓所がある名刹吉祥寺、樋口一葉の師の半井桃水の墓がある養昌寺、江戸五色不動尊のひとつ目赤不動尊の南谷寺と過ぎ、 向丘二丁目交差点で右折、大観音通りへ進み白山上交差点で左折して、国道17号へ入る。
 国道17号の白山一丁目交差点で右折して浄心寺坂を下り、八百屋お七の墓がある圓乗寺を過ぎて白山下交差点で白山通りを渡って蓮華寺坂を上る。坂上の東洋大学白山第2キャンパスから小石川植物園沿いに御殿坂を下り、植物園前交差点で千川通りを渡り、播磨坂の桜並木を上る。手前に幕末三舟の高橋泥舟、山岡鉄舟の旧居跡がある小石川五丁目交差点で右折、春日通りへ出て北上、茗荷谷駅前交差点、跡見学園、お茶の水女子大と経て、大塚三丁目交差点で左折、不忍通りへ至る。

 大塚三丁目交差点から不忍通りの富士見坂を下り、護国寺を過ぎて護国寺西交差点で右折、小篠坂(小笹坂)を上る。都電荒川線の東池袋四丁目駅を経て、エアライズタワー前で右折、サンシャインシティ文化会館前を北上して突き当りの東池袋二丁目交差点で右折、春日通りへ出る。向原交差点で左折、都電荒川線沿いに北上し大塚駅前で左折、山手線沿いに坂を上る。突き当りの空蝉橋南交差点で右折、空蝉橋通りを北上して空蝉橋北交差点で宮仲公園通り(旧癌研通り)を渡る。
 都電荒川線の巣鴨新田駅の踏切を渡り折戸通りに出て北上、庚申塚交差点で右折、巣鴨地蔵通り(旧中山道)を南下する。高岩寺(とげぬき地蔵尊)、真性寺(江戸六地蔵尊)と過ぎて巣鴨駅前交差点で白山通りを渡り、ゴールの巣鴨駅に着く。
 緑あふれる飛鳥山公園の紫陽花と文化・歴史を楽しむ(H23−06−25) 
 王子駅から明治通りを北上、溝田橋交差点を渡り、都道307号となって、豊島二丁目交差点、豊島四丁目交差点と過ぎ、豊島五丁目交差点で右折して隅田川に架かる豊島橋に至る。
 都道307号の豊島橋手前で左折、新田橋付近までの隅田川沿いに遊歩道が設けられている東豊島公園へ入る。隅田川を歩き、新豊橋、新田橋と経て新神谷橋手前の東京水辺ライン 神谷乗り場横で左折する。神谷堀公園を通り、突き当たりで左折、北本通り(国道122号)へ南下、王子三丁目交差点で歩道橋を渡り直進する。

 北本通り(国道122号)の東側にある装束ゑの木市の幟の先で左折、装束稲荷神社に向かう。装束ゑの木市は毎月第3土曜日開催だが、このイベントのため臨時開催されたらしい。 毎年大晦日、関東一円の狐がここに立っていた榎の元に集まり装束を整え、関東総司である王子稲荷神社へ正月の挨拶をしたという伝説が残る。
 神社から「ほりぶん」前交差点で左折、北本通り(国道122号)へ戻り、北とぴあ前交差点で右折し権現坂ガードを抜けて右折、森下通りを北東に進む。「王子の狐」で有名な王子稲荷神社を経て、名主の滝公園に至る。
 都道455号の高架下で左折、南橋トンネルを歩いて突き当たりで左折、北区中央公園へ出る。公園の後方には陸上自衛隊十条駐屯地のビルが見え、中央図書館前を歩き団地内を南下、紅葉橋交差点で王子新道を渡り石神井川に架かる紅葉橋で左折して遊歩道へ入る。音無親水公園を歩き、旧岩槻街道の音無橋の下をくぐり、舟串橋前の王子神社への階段を上る。戻って王子駅親水公園口に至る。
 王子駅前歩道橋で明治通りを横断、さくら新道から桜の名所である飛鳥山公園に入り南下、飛鳥山公園の3博物館(紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢資料館)を過ぎて本郷通りに出る。西ヶ原一里塚、滝野川公園と経て旧古河庭園に着いて本郷通りを戻る。長い参道の平塚神社から飛鳥の小径(蝉坂)に出て下り、京浜東北線の上中里駅に至る。
 東京、横浜の桜並木探訪 4部作)第3部 飛鳥山公園〜護国寺〜早稲田大学〜江戸川公園(H23−04−11)
 JR王子駅の親水公園口(西口)の目の前に音無川(石神井川)沿いの散り始めた桜並木の音無親水公園が広がり、かなり高くにある音無橋の下を抜けると終点で、戻って舟串橋の向かいの階段を上り、「王子の狐」で有名な王子神社に至る。旧岩槻街道に出て、音無川(石神井川)に架かる音無橋を渡り、明治通りと合流する音無橋交差点から飛鳥山公園へ向かう。
 明治通り(本郷通り)の飛鳥山交差点から入り、自粛で花見の宴がない、散り始めた桜並木の飛鳥山公園を歩く。飛鳥山の歴史碑、江戸時代から難解な碑文としてよく知られている飛鳥山碑、明治三十七八年戦役記念碑を見つつ、児童遊園地を過ぎて、飛鳥山三博物館(紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢資料館)、明治の財界人渋沢栄一邸の遺構(晩香廬・青淵文庫)前を通り、飛鳥山公園から本郷通りへ出て西ヶ原一里塚に着く。
 本郷通りを歩き、滝野川公園、旧古河庭園を過ぎて、西ヶ原交差点で右折して大炊介坂を下る。霜降橋交差点を経て、JR駒込駅南口に至る。南口のバスターミナルは、今が盛りの桜が咲き乱れ、北区のコミュニティバスのKバスの王子・駒込ルートは、ここで折り返して王子駅に戻り、もう一つの田端循環ルートは南口が起点、終点となる。

 本郷通りの駒込橋交差点にある六義園染井門に名物の枝垂れ桜が葉桜である、との案内が出ており、六義園への立ち寄りを止めた。上富士前交差点で右折、不忍通りへ入り、文京グリーンコート、都立小石川中等教育学校を過ぎて千石一丁目交差点で白山通りを渡る。猫又坂を下り、千石三丁目交差点で千川通りを、大塚三丁目交差点で白山通りを渡る。千石三丁目交差点で左折して千川通りに入ると、窪町東公園交差点があり、そこから湯立坂を上ると、守山藩松平家の上、中屋敷だった占春園や、窪町東公園の桜並木がある。
 不忍通りの護国寺前交差点手前にひっそりとある惣門から護国寺に入り、桂昌殿前で左折し突き当たりの参道で右折して水屋前の階段を上り、不老門をくぐると脇に枝垂れ桜が咲く重要文化財の本堂に着く。護国寺は案内板は無いが、山縣有朋、田中光顕、大隈重信、三條実美の墓が本殿の右脇に固まり、いかにも有名人の墓、と言う感じで並んでいる。山縣有朋、大隈重信の墓所には、ちょうど一ヶ月前の東日本大震災で倒壊したと思われる灯篭が放置されている。月光殿(重要文化財)、多宝塔を見た後、仁王門から不忍通りに戻る。
 不忍通りの大塚三丁目交差点から富士見坂を下り、別ページにまとめた護国寺を参拝後、護国寺前交差点で左折、音羽通りへ入り、講談社、鳩山会館(通称 音羽御殿)と過ぎて、目白坂下交差点で右折、目白通りへ進む。

 急坂の目白坂を上りきった所に明治の元勲の山県有朋の山荘だった椿山荘があり、向かいに丹下健三の設計によるカテドラル聖マリア大聖堂、隣接して講談社初代社長の野間清治のコレクションが展示されている野間記念館がある。
 さらに進み、民家横を左折すると肥後熊本細川家の下屋敷跡で、細川家の歴史資料や文化財が公開された永青文庫を経て、江戸川公園の胸突坂へ至る。旧田中角栄邸の遺産相続の物納分で、全体の1/5に相当する目白台運動公園、田中真紀子邸(旧田中角栄邸)、日本女子大と経て、千登世橋からかなりの高低差がある階段を下りて明治通りへ出る。
 明治通りを南下し、満開の桜並木を背景に都電荒川線を撮る有名な撮影スポットである神田川に架かる高戸橋を過ぎ、高戸橋交差点で左折、新目白通りへ入ってすぐ左折し、神田川の南側遊歩道を歩く。神田川の両岸から満開の桜並木がアーチを作り、曙橋、面影橋、三島橋と過ぎて、甘泉園に行くため新目白通りへ出る。面影橋には、北詰に太田道灌の山吹の枝の故事に因む「山吹の里」の碑や、南詰に面影橋の由来案内がある。
 新目白通りの西早稲田パークタワー交差点で右折、早稲田大学西早稲田ビル向かいの水稲荷神社参道に入る。参道の階段を上ってすぐ左に堀部安兵衛之碑があり、高田馬場の仇討ちの顛末(叔父の決闘、仇討ち、堀部弥兵衛への養子縁組)が書かれている。水稲荷神社参道に入ってす右に甘泉園入口があり、小さいが静かな日本式庭園である。甘泉園という名は、園内に湧き水があり、清冽で常時涸れず、また、茶に適した事に因む。御三卿の清水家の下屋敷だった所で、早稲田大学から新宿区ヘ移管し、整備された。甘泉園出口前で右折、新目白通りへ出る。

 新目白通りの都電荒川線早稲田駅手前で右折、満開の桜が咲く早稲田大学総合学術情報センター(旧 安部球場)に入り、中央図書館、「早稲田野球の父」である安部磯雄像(右)と「学生野球の父」と称された飛田穂洲像(左)、早慶戦百周年記念碑を見て北門に向かう。
 ITセンター脇を通り、シェークスピア時代の劇場を模した坪内博士記念演劇博物館に出て、坪内逍遥先生像の右手と握手すると早稲田と縁が出来、合格する、と言われる早稲田伝説を見る。政経学部、国際コミュニティセンター前を進み、大隈侯銅像、かつての中央図書館である會津八一記念博物館をへて、大隈講堂に至る。
 大隈講堂の横にある大隈庭園は「授業実施日」でないため入れず、同好会やサークルのペナント製作店や学生食堂などが並ぶ大隈通りを歩く。突き当たりの老舗金城庵前で右折、グランド坂通りへ出てすぐ右折、新目白通りへ進み、リーガロイヤルホテル東京向かいの交差点手前で左折して神田川に架かる駒塚橋を渡る。
 駒塚橋北詰の胸突坂は早稲田と日本女子大とを結ぶ急坂で、上った所には多くの見るべきものがある。坂を上り始めてすぐに松尾芭蕉の関口芭蕉庵があり、細川藩の文書を集めた永青文庫、早稲田などの学生を集めた和敬塾、目白通りの講談社野間記念館、カテドラル聖マリア大聖堂、椿山荘と続く。
 神田川北側遊歩道沿いの江戸川公園の桜並木は散り始めで、関口芭蕉庵、椿山荘冠木門と過ぎて音羽通りに出て、江戸川橋交差点で右折、新目白通りにある有楽町線の江戸川橋駅に至る。
 巣鴨から目白へ豊島区内をめぐる(H22−11−27)
 巣鴨駅から白山通りを北上、巣鴨地蔵通り(旧中山道)手前の江戸六地蔵 真性寺を参拝後、巣鴨とげ抜き地蔵(高岩寺)の山門から入り、洗い観音を見た後、庚申塚交差点で右折、折戸通りへ入る。庚申塚交差点には巣鴨庚申塚がある。
 折戸通りから西巣鴨三丁目交差点で白山通りを渡り、お岩通りへ入り、巣鴨五丁目交差点で左折して都電荒川線の踏切を渡ると、四谷怪談のお岩さんの墓がある妙行寺である。妙行寺は寛永元年(1624)四谷に創建され、明治42年に現在地に移転した。墓所の奥になぜか鳥居があり、その裏に案内板が掲げられ、史跡墓所があり、浅野内匠頭長矩公夫人瑶泉院供養塔と、お岩様の墓がある。妙行寺を出て、左手の住宅街を進む。

 住宅街を歩き、突き当たりの滝野川三丁目交差点で左折、明治通りへ入り、西巣鴨交差点で白山通りを渡る。明治通りを南下し、旧本館の正面車寄せをモデルとした大正大学の凱旋門風の正門、左折すると庚申塚に至る堀割交差点、右折して滝野川桜通りを進むと、埼京線板橋駅に出る滝野川七丁目交差点を過ぎ、上池袋交差点で右折してプラタナス並木を西進すると東武東上線 北池袋駅に至る。
 北池袋駅商店街のふれあいロード北池を歩き、紅葉の桜並木の参道を進んで、池袋村の鎮守である氷川神社に着く。係員の指示で左折して住宅街を進み、谷端川緑道を南下する。熊野町交差点の横断歩道橋で川越街道を渡り、谷端川緑道をさらに進み、突き当たりで左折、要町通りに出て祥雲寺坂を上る。

 要町通りの坂を上り、祥雲寺を経て、西池袋五丁目交差点で右折、小路に入り、門柱に本名である平井太郎の名札が掛けられている旧江戸川乱歩邸に着く。立教大学の5号館、正門と進み、立教大学沿いに東進して係員の指示で右折、西池袋公園沿いに歩く。突き当りの西池袋一丁目交差点で右折し、劇場通りへ出て南下、池袋警察前交差点で左折してJR、西武池袋線のガード下をくぐり抜け、突き当たりの南池袋一丁目交差点で明治通りに出て右折する。
 南池袋一丁目交差点から南池袋パーク街へ入り、係員の指示で右折、シアターグリーン通りに進み、南池袋二丁目交差点で左折して突き当りを右折、グリーン大通りへ至る。東池袋交差点で音羽池袋線と合流し、都電荒川線東池袋四丁目駅手前の大勝軒本店では、創業者が入口に座り、あたかも道頓堀のくいだおれ太郎のようだった。名物のつけ麺は、量は多いが、出汁は甘く、削り節の味がやや強い。雑司ヶ谷霊園のいちょう通りを歩き、市村羽左衛門、尾上梅幸、竹久夢二の墓を見て外に出る。

 霊園を出て右折、黄葉のイチョウや他の木々が美しい雑司ヶ谷霊園沿いに歩き、都電荒川線のガード下をくぐり、大鳥神社を経て、住宅街を進み鬼子母神に着く。大鳥神社は鬼子母神境内に鷺明神として創祀し、神仏分離令により改称した。露天の石造仁王像、子授けイチョウ、創業天明元年(1781年)の老舗土産物店上川口屋を過ぎ、法明寺鬼子母神堂を参拝する。
 鬼子母神から大鳥神社参道の門を出て左折、明治通りへ出て、千登世橋下交差点で側道へ進み、千登世橋上交差点で右折、目白通りへ入る。 明治通りは直進して坂を下り、千登世橋の下を進むが、明治通りと目白通りとの高低差はかなりある。学習院の高等科・中等科門、学習院大学正門と過ぎ、目白通りを西進、学習院大学西門がある山手線 目白駅に着く。
 江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第2部 板橋〜巣鴨〜白山(H22−11−09)
 江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第2部として板橋駅の近藤勇墓所から、本妙寺(明暦の大火供養塔、遠山金四郎景元墓所)、慈眼寺(司馬江漢墓所、芥川龍之介墓所)を経て、巣鴨とげ抜き地蔵、江戸六地蔵の真性寺の菊まつり。巣鴨駅に出る。白山通りを南下し、旧白山通りに入り、八百屋お七の墓(円乗寺)を見た後、白山駅に着く。

 板橋駅前の旧中山道を右折し、埼京線踏切を横断、最初の信号で右折、滝野川桜通りへ入り、板橋駅東口前交差点の近藤勇墓所に着く。近藤勇は、慶應4年(1868年)4月25日、近くの板橋一里塚で処刑された。近藤勇と新選組隊士供養塔は、局長近藤勇と、副長の土方歳三の供養碑で、明治9年(1878年)に隊士の一人永倉新八が発起人となって建立された。墓所には他にも、供養塔、永倉新八の墓、近藤勇の像などがある。

 滝野川桜通りを北上、突き当りを右折、旧中山道へ進み東進、亀の子束子(たわし)を発明した西尾商店を経て、堀割交差点で明治通りを渡り、庚申塚通り(旧中山道)へ入る。都電荒川線庚申塚駅の踏切を渡り、庚申塚交差点で左折、庚申塚を参拝した後、折戸通りへ進む。庚申信仰は、中国の道教の三尸(さんし)説による。庚申の日の夜に三尸と言う虫が体から抜け出し、点綴に罪状報告をする、と言われている。そのため、この晩は寝ずに過ごし、寿命の縮むのを防いだ。

 巣鴨庚申塚から折戸通りを西進、西巣鴨三丁目交差点で右折して、白山通りを南下する。豊島市場前交差点で左折、突き当りに明暦大火供養塔や、遠山金四郎景元、千葉周作の墓などがある本妙寺山門に着く。本妙寺の石垣沿いに東進、染井霊園の角で左折して慈眼寺墓地と染井霊園の間の道を北上すると、江戸時代の画家司馬江漢、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓がある慈眼寺に至る。本妙寺、慈眼寺は別ページにまとめてある。来た道を戻り、突き当りの豊島市場前交差点で左折、白山通りへ出る。

 本妙寺は、天正20年(1592年)の徳川家康の関東移封により、浜松から移され、山門脇に史跡がどこにあるか分かりやすい境内案内図がある。明暦の大火の出火元で有名で入ってすぐに関宿藩主久世大和守歴代の墓があり、本堂横に 明暦の大火(振袖火事)の供養塔がある。
 明暦の大火は江戸の半分以上を焼いた大火で、本妙寺で曰く因縁のある振袖を焼いたことが出火の一因(異説あり)と言われる。犠牲者10万人以上と言われ、菩提を弔うため両国回向院が建立された。史跡墓所には、囲碁家元の本因坊歴代の墓、遠山金四郎景元の墓、千葉周作の墓などがある。

 慈眼寺の山門左に墓所入口がある。墓所には司馬江漢、斉藤鶴磯、赤穂義士討ち入りの際、斬死した吉良家の小林平八郎、芥川龍之介、谷崎潤一郎、比翼塚があることになっているが、小林平八郎の墓と比翼塚は見当たらなかった。芥川龍之介の墓の案内柱は墓所のはずれに近いところにあり、左折して突き当りに芥川家の墓、左に龍之介単独の墓がある。谷崎潤一郎の墓は、芥川龍之介の墓の案内柱の裏にあるが見落としやすい。司馬江漢の墓は、墓所のほとんど外れの一画の入口にあたり、その後ろに斉藤鶴磯の墓がある。

 白山通りから巣鴨とげ抜き地蔵(高岩寺)の塀沿いに進み、本堂横から入る。平日にもかかわらず長蛇の列の洗い観音を見つつ、山門から出て巣鴨地蔵通りを南下する。地蔵通りを出てすぐ右手の真性寺で菊まつりが行われており、見事な菊に見物客が多い。真性寺は、江戸六地蔵第4番として、正徳4年(1714)ごろ建立したものである。白山通りを歩き、巣鴨駅に至る。

 白山通りを南下、千石一丁目交差点で不忍通りを渡り、千石駅前交差点で左に進んで旧白山通りに入り、東洋大学を経て、白山上交差点で斜め右に進む。奥に白山神社の鳥居を見つつ坂を下り、白山下交差点のマンション横の道を進むと八百屋お七の墓がある円乗寺に着く。
 お七の生家は、駒込片町(本郷追分など)で、天和2年(1682)の天和の大火で、菩提寺の円乗寺に避難し、その後放火の罪で天和3年に火あぶりの刑に処せられた。三基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建て、右側のは寛政年間(1789〜1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立、左側は近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。旧白山通りに戻り、都営三田線の白山駅に着く。
 北区 コミュニティバス 田端循環ルート(H22−04−24)
 北区のコミュニティバスは、検討5路線の内、採算性などを考慮し、平成20年4月から王子・駒込、田端循環の2ルートについて試験運行を始めた。名所旧跡を巡る王子・駒込ルートと違い、駒込駅から田端駅前通りまでは住宅街を走るコミュニティバスであり、西ヶ原交差点からは同じ経路である。
 JR駒込駅から、駒込一丁目、田端区民センター、田端二丁目、田端文士村記念館、富士見橋エコー広場館、西ヶ原交差点、霜降橋、JR駒込駅に戻る巡回バスで、バス停13、料金100円である。JR駒込駅、滝野川小学校、滝野川福祉保健センターで王子・駒込ルートと無料で乗り換えられる。

 JR 駒込駅南口の駅前ロータリーにあるパチンコ店横で左折、南下し東俳シャトル前の五差路で左折、劇団東俳本社先交差点で右折する。駒込東公園前交差点を過ぎ、南下し突き当りを左折、田端銀座前交差点で右折、谷田川通りへ入り、#4 田端区民センターバス停に至る。田端区民センター前には、谷田川通りの由来や田端文士村の散歩道2 小杉放庵旧居跡地の案内板がある。 谷田川通りを南下、谷田橋交差点で左折、田端駅前通りへ入り東進、田端駅に向かう。田端駅前通りには萩原朔太郎のような田端文士芸術家村散歩道の解説が付いた街路灯が並び、駅前には田端アスカタワーが聳え、手前に東台橋がある。バス停案内が付いた田端駅前交差点で左折、江戸坂へ入ると田端文士村記念館前に#6 JR田端駅バス停がある。
 田端駅前通りの#5 田端二丁目バス停前の左に田端八幡神社があり、その横には全身赤紙で覆われた赤紙仁王尊で有名で、お礼奉納の草鞋が一杯の東覚寺がある。
 田端文士村記念館沿いの江戸坂を上り、田端高台交番前交差点で右折、田端高台通りへ進み、#8 富士見橋エコー広場館バス停を過ぎ、JR跨線橋の富士見橋を渡って北上、#10 女子聖学院を通り、#11 滝野川福祉保健センターバス停の後ろに左折すると、本郷通りへ入る西ヶ原交差点に至る。女子聖学院は1905年(明治38年)創設で、初代PTA会長は北村西望(彫刻家)で、中里幼稚園(現聖学院幼稚園)には、芥川龍之介、室生犀星の子供が通園した。
 西ヶ原交差点から本郷通りに入り、大炊之助坂を下り#12 滝野川小学校、#13 霜降橋、終点 JR駒込駅と王子・駒込ルートと同じコースを辿る。霜降橋交差点を過ぎ、妙義坂子育地蔵尊が祀られている妙義坂を上ると本郷通りは白や桃色の花が綺麗な花水木の並木となる。駒込駅前南交差点で左折、南口の駅前ロータリーにある終点 JR駒込駅に着く。
 北区 コミュニティバス 王子・駒込ルート(H22−04−10)
  北区のコミュニティバスは、検討5路線の内、採算性などを考慮し、平成20年4月から王子・駒込、田端循環の2ルートについて試験運行を始めた。
 王子・駒込ルートは、コミュニティバスらしく障害福祉センター、中央図書館を回った後、音無親水公園脇を経て、飛鳥山公園、旧古河庭園、駒込駅間を往復と、ミニ観光バスとなりバス停20、料金100円である。始発が王子駅の北にある北区の複合施設である「北とぴあ」前であり、地理不案内の人には分かりにくい。

 「北とぴあ」前の始発 JR王子駅バス停からJRの権現坂ガードを抜け、権現坂を上って王子本町一丁目交差点で右折、旧岩槻街道へ進む。旧岩槻街道を北上、障害福祉センターを過ぎ、中十条一丁目交差点で左に曲がる都道455号(本郷赤羽線)に入ってすぐの北都税事務所に至る。
 北都税事務所脇で左折、すぐやや盛りを過ぎた桜が咲く中央公園となり、その先に中央図書館がある。左右に色々な名称の王子アパートが延々と続く道を南下、紅葉橋交差点で左折、王子新道へ入り東進する。紅葉橋界隈は石神井川沿いに桜並木が咲き誇る。
 王子本町一丁目交差点で右折、旧岩槻街道へ進み、北区役所、元准勅祭社の王子神社(旧王子権現)を経て、音無橋に至る。音無橋から見る音無親水公園の桜並木は見事である。
 旧岩槻街道は音無橋交差点から本郷通り(岩槻街道)と改称し、左からくる明治通りと合流する。飛鳥山交差点で明治通りは右折分岐し、やや盛りは過ぎたものの桜が咲き誇る飛鳥山公園に入り、飛鳥山の3つの博物館(渋沢資料館、北区飛鳥山博物館、紙の博物館)、渋沢栄一(号・青淵)所縁の晩香廬・青淵文庫と歩き、本郷通りに出て南下、西ヶ原一里塚に至る。
 本郷通りを歩き、国立印刷局の滝野川工場、東京病院、滝野川公園、平塚神社と過ぎ、旧古河庭園がある西ヶ原交差点で右折する。西ヶ原交差点からは田端循環ルートと同じコースを進み、駒込橋を渡り、JR駒込駅南口のJR駒込駅バス停に至る。
 往路と同じコースを戻り、本郷通りを北上、西ヶ原交差点で左折すると旧古河庭園の入口である。旧古河庭園は明治の元勲陸奥宗光の別邸だったが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家のものになり、昭和34年に東京都に寄付された。英国風古典様式の本館を中心として、その前庭の欧風花壇及び池泉回遊式日本庭園よりなっている。一里塚交差点で左折するとゲーテの小径と呼ばれ、南下すると東京ゲーテ記念館がある。
 桜並木の飛鳥山公園沿いに歩き、飛鳥山交差点で明治通りと合流、音無橋交差点で本郷通りと分かれ、飛鳥大坂と呼ばれる急な坂を下るとJR王子駅である。王子駅から飛鳥山公園に行くには急な桜新道を上るしかなかったが、ケーブルカーがバリアフリーとして平成21年に造られた。王子駅前広場を通り過ぎ、北本通りの北とぴあ前交差点で左折、終点JR王子駅バス停に着く。
 東京まちさんぽ 春と歴史のかおる下町さんぽみち (H22−04−03)
 今年の変則的な天候が幸いし、開花から2週間経って満開となった桜を堪能しながら歩くイベントであった。南北線後楽園駅を出てこんにゃくえんま(源覚寺)に寄った後、千川通りを北上、植物園前交差点で左折、播磨坂へ入る。
 小石川植物園は、白山御殿とよばれていた五代将軍徳川綱吉の下屋敷があったところである。享保7年(1722)、町医師、小川笙船の意見によって、幕府の医療施設が御薬園内に開設された。文京区の桜まつりが開かれている播磨坂は、満開の桜並木を楽しむ人だけでなく、席取りのシートが敷き詰められている。
 播磨坂から小石川五丁目交差点で右折、春日通りへ入り、正面に池袋のサンシャインを見つつ、茗荷谷駅前交番交差点で右折、湯立坂へ進む。入ってすぐに文京区と姉妹都市であるドイツのカイザースラウテルン広場があり、一角獣を中心に6点の彫刻が展示されている。
 その先は筑波大(旧東京教育大)附属小学校で、左には教育の森公園があり、右に進んで窪町東公園の桜を見つつ、湯立坂を下り、窪町東公園交差点で左折、千川通りへと歩く。公園の途中には守山藩の上屋敷であった占春園への入口がある。千川通りの千石三丁目交差点で右折、不忍通りへと進む。
 千石三丁目交差点から不忍通りに入ってすぐに妖怪伝説がある猫又坂を登り、千石一丁目交差点で白山通りを渡る。交差点の直ぐ先には、1年後に中高一貫となって廃校となる名門都立小石川高校(旧制府立五中)がある。隣接する文京グリーンコート前交差点で左折、六義園南角で右折してレンガ塀沿いに歩いて、六義公園を経て六義園正門に至る。
 5千人のイベント参加者も加わって大混雑の六義園に入り、じっくり景色を楽しんだり、写真の構図を決めるなど出来ず、回遊池を一周するのがやっとであった。六義園は別サイトで整理しており、そちらを参照ください。
 内庭大門を入ってすぐ右に戦後植栽されてから、50年以上が経過している名物のしだれ桜があり、その大きさ、美しさに圧倒される。蓬莱島がある回遊地を左に進み、枕流洞、水分石がある南西端の滝見の茶屋に至る。
 新緑のもみじなどの木立を歩き、満開の桜の巨木がある北西端の吹上茶屋を経て、回遊地沿いに歩いて焼きそばやおでん、ケーキなどを売る臨時茶屋を過ぎると名物のしだれ桜に戻る。狭い遊歩道は行き違う人で混雑している。正門から出るとレンガ塀由来の銘板が掲げられており、更に進んで本郷通りに出て右折する。
 上富士前交差点から、文京区のコミュニティバスであるB−ぐるバスのバス停や、南北線の出入口を見つつ本郷通りを南下、本郷弥生交差点で左折、言問通りへと進む。B−ぐるバスが出てきて本郷通りに入る富士神社入口交差点傍には富士講の遺構がある富士神社がある。
 二宮尊徳、鳥居燿蔵(江戸南町奉行)、榎本武揚などの墓がある名刹吉祥寺は、満開の枝垂れ桜や桜が多く、観光客で賑わっている。向丘二丁目交差点で大観音通りを渡り、参道が桜並木の浄心寺を過ぎ、B−ぐるバスが左折して日医大つつじ通りへと進む向丘一丁目交差点を経て、東大農学部正門前を通ると本郷弥生交差点である。
 本郷弥生交差点で左折、言問通りに入ってすぐに「弥生式土器」の発見地の案内板や、弥生式土器発掘ゆかりの地碑があり、そこから坂を下って根津一丁目交差点で右折、不忍通りへ入る。
 池之端二丁目交差点を過ぎ、不忍池の脇にある横山大観記念館前を通り、天神下交差点で右折、春日通りへと進む。切通坂を上り、湯島天神の夫婦坂を過ぎ、湯島天神入口交差点で左折、湯島天神に唐門から入り、本殿を参拝後、表鳥居(銅鳥居)から出る。
 湯島天神の表鳥居(銅鳥居)を出て、不忍通り沿いの尾根道を南下し、三組坂上交差点で右折、霊雲寺を経て湯島二丁目交差点で左折、サッカー通り(傘谷坂)へ向かう。日本サッカーミュージアム前を通り、サッカーミュージアム交差点で本郷通りを渡って、サッカー通りの突き当りを右折、外堀通りの順天堂前交差点に着く。
 神田川沿いに咲く桜を見つつ外堀通りの坂を下り、水道橋交差点で右折、白山通りへ入る。交差点のすぐ先にある安政の大地震で圧死した幕末の勤皇家 藤田東湖の「護母致命の処」案内板を見た後、東京ドームシティの脇を歩きつつ、満開の桜の巨木がある壱岐坂下交差点を過ぎ、春日町交差点で左折、春日通りへ進む。文京シビックセンター前を通り、富坂下交差点で左折してゴールの南北線後楽園駅に至る。
 東京メトロ沿線ウォーク(再訪) # 6緑と静寂の街からおばあちゃんの原宿へ(H21−12−02)

 東池袋駅から音羽池袋線を南下、護国寺西交差点で左折、不忍通りへ入り、護国寺前を通り、春日通りと交差する大塚三丁目交差点に至る。音羽池袋線沿いの首都高5号池袋線の高架の反対側には雑司ヶ谷霊園があり、不忍通りのいちょう並木は、そろそろ終わりに近いが、きれいに黄葉している。
 徳川5代将軍綱吉が生母桂昌院の願いにより創建し、後に将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった護国寺の惣門は歴史を感じさせる。
 黄葉したいちょう並木の不忍通りの白鷺坂を下り、千石三丁目交差点で千川通りを渡って猫又坂を上り、千石一丁目交差点で白山通りを渡る。
 上富士前交差点で左折、本郷通りへ入り、六義園入口を通り、駒込橋交差点で左折、六義園北側沿いに西進、突き当りを右折、白山通り(中山道)へと進み、改築中の巣鴨駅に着く。紅葉鑑賞のため駒込駅前の六義園染井門は特別に開門され、文京区のコミュニティバスのBーグルが並行して走る。
 旧中山道の巣鴨地蔵通りと、それに続く庚申塚通りを北上、掘割交差点で左折、明治通りに出る。江戸六地蔵の真性寺がある入口から名物の塩大福や、赤い婆パンツが売られている巣鴨地蔵通りに入り、とげぬき地蔵(高岩寺)、庚申塚を参拝後、都電荒川線の庚申塚駅に着く。
 ここから庚申塚通りとなり、普通の商店街を進むと掘割交差点である。明治通りを渡り、旧中山道をさらに進むと近藤勇の墓所がある埼京線板橋駅や、板橋宿跡に至る。
 明治通りを南下、右折すると近藤勇の墓所がある埼京線板橋駅に向かう滝野川七丁目交差点を過ぎ、同じように似た道が集まる池袋六ツ又陸橋交差点で左折、春日通りへ入り、東池袋三丁目交差点で右折、サンシャイン60前へ進む。サンシャイン前交差点で左折、音羽池袋線へ入り、東池袋交差点でグリーン大通りと合流、左折するとゴールの東池袋駅である。

 東京メトロ沿線ウォーキング)新しい都心の魅力を満喫〜護国寺・六義園・とげぬき地蔵〜(H20−10−25)
 護国寺から、教育の森公園、占春園、六義園、巣鴨とげぬき地蔵、巣鴨庚申塚、空蝉橋通り、東池袋までウォーキング。
 出発点の護国寺仁王門前で左折、不忍通りを北上し、春日通りを渡って先の横道を右折し、東京教育大(現筑波大)のあった教育の森公園、陸奥守守山藩上屋敷跡の占春園を経て窪町東公園から千川通りに至る。占春園は江戸三名園の一つと言われていたとの案内板がいくつもあるが、木立豊かであるがその面影はない。千川通りを歩いて不忍通りに戻り北上、白山通りを渡り、本郷通りに出て左折、六義園沿いに半周して白山通りに戻り北上、巣鴨駅に至る。六義園の入口は分かりにくく、駒込駅前に立派な門と石柱があるが、そこからは入れず、本郷通りを南下してコンビニ脇の細道の奥に正門がある。
 おばあちゃんの竹下通りと言われる巣鴨地蔵通りは、普段でも混んでいるが、このイベントのせいもあっていつもより賑わっている。とげぬき地蔵(高岩寺)や、名物の赤い下着などを売っている商店街を通り抜けると巣鴨庚申塚がある。都電荒川線の庚申塚駅の横を通り、庚申塚通りを歩いて明治通りに至る。池袋の手前で左折、癌研通り、空蝉橋通りを歩いて向原交差点で春日通りに出て、サンシャインシティ前を歩いて東池袋に着く。庚申塚交差点を過ぎると、今までの巣鴨地蔵通りの賑わいは無く、旧中山道との案内もない庚申塚通りは普通の商店街となる。護国寺から春日通りに至る不忍通りの富士見坂などを巡る。
 東京下町の歴史と文化を訪ねて(H19−11−03)
 十条駅から、静勝寺(太田道灌)、赤羽自然観察公園、西が丘サッカー場、十条富士塚、十条駅までウォーキング。
 十条銀座を北上、環七を渡って埼京線沿いの清水坂公園に着く。更に北上し、赤羽駅西口手前の静勝寺の境内に至る。静勝寺は太田道灌が築いた稲付城跡で、特別に太田道灌像が公開されている。住宅街を西進、旧松澤家住宅が移築された赤羽自然観察庭園の西門から区役所通りに出る。
 区役所通りを南下、国立西が丘サッカー場を経て、姥ヶ橋交差点で環七を渡り、しばらく歩いて左折、十条仲通り商店街を東進して十条銀座に出る。踏切を渡り、更に東進すると大きな十条冨士塚がある。演芸場通りを歩いて十条銀座に戻り、十条駅に着く。姥ヶ橋交差点を渡った所に子供を死なせて自殺した乳母を祀った姥ヶ橋延命地蔵がある。講談社の創業者である野間清治の別邸だった稲付公園、開演を待つ老人の長い列が出来ている篠原演芸場などを巡る。
 王子飛鳥山 満開の花見風景(H19−04−01)
 満開の花見風景を楽しみつつ、王子の飛鳥山をウォーキング。
 飛鳥山交差点手前で飛鳥山公園に入り、先発隊による場所取りの青シートがあちこちに広がり、時間つぶしに早々と赤い顔をした人もいる。花見会場に設けられたステージではリハーサルが行われ、花見気分が溢れていた。公園内には桜の植栽を命じた八代将軍吉宗関係や、日露戦役記念碑などの碑がある。都電が展示されている遊園地などを巡る。
 <田端駅開業110周年記念>春のうららのさくら路と文士の田端を歩く(H18−04−08)
 田端駅から、あらかわ遊園、飛鳥山公園、西ヶ原一里塚、赤紙仁王尊(東覚寺)、田端駅をウォーキング。
先週末に満開だった桜は、田端駅周辺や、あらかわ遊園地はまだ花が残っていたが、桜の名所である飛鳥山は枝垂桜は見られるものの、葉桜に近く、花見の宴は侘しさが漂っていた。西ヶ原一里塚は、日光御成道の二番目の一里塚で、その前に七社神社があり、日露戦役記念碑がある。
 赤紙仁王尊(東覚寺)は、身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられている。王子駅前の国立印刷局王子展示室や、梶原渡船場跡、北区立滝野川公園、田端所縁の芥川龍之介、室生犀星の田端文士村記念館などを巡る。
 駅開業120周年記念ウォーク 第5回 赤羽(H17−03−27)
 浮間舟渡駅から、浮間ヶ原桜草圃場、浮間の渡船場跡、志村一里塚、赤羽緑道公園、静勝寺、赤羽駅をウォーキング。
本来は浮間舟渡駅前の浮間公園から荒川土手界隈、浮間5丁目交差点から新河岸大橋界隈、西が丘サッカー場、赤羽緑道と桜並木が多いコースである。例年に比べ1週間は遅い翌週の開花宣言が予想され、開花の兆しもない中で行われている桜祭りも侘しいものである。荒川にあった舟渡の渡船場跡や、太田道灌が築いた稲付城跡の静勝寺にある太田道灌木像などを巡る。
 駅開業120周年記念ウォーク 第4回 板橋、目白(H17−03−12)
 板橋駅から、旧中山道板橋宿、子供動物園、縁切榎をウォーキング。
 都営三田線の新板橋駅から中山道沿いの西進した所に板橋宿があり、仲宿や、石神井川にかかり地名にもなった板橋を経て縁切榎まで続く。キング。御三卿の一人で徳川吉宗の次男の田安宗武が帰依して等身大の愛染明王不動尊などを奉納した日曜寺や、子供のための文芸雑誌「赤い鳥」の鈴木三重吉にちなむ赤鳥庵がある目白庭園などを巡る。
 おばあちゃんの原宿 巣鴨探索(H17−02−05)
 巣鴨から、巣鴨大鳥神社、六義園、旧古河庭園、平塚神社、染井霊園、猿田彦大神庚申塚、とげ抜き地蔵、巣鴨までウォーキング。
 徳川綱吉の側用人柳沢吉保が設計し、明治になって岩崎弥太郎の別邸となり、昭和に東京市に寄付された六義園や、明治の元勲陸奥宗光の別邸だった旧古河庭園、明治の文豪が眠る染井霊園、おばあちゃん達で賑わう巣鴨とげ抜き地蔵などを巡る
 新撰組ゆかりのウォーク 板橋、小石川界隈(H16−04−24)
 板橋から、巣鴨庚申塚、教育の森公園、伝通院、小石川後楽園、鳥越神社、東京都慰霊堂、両国をウォーキング。新撰組(新選組)局長の近藤勇墓所や、清岡八郎墓所、浅草御蔵跡などを巡る。
 都電沿線を歩く(巣鴨〜高田馬場)(H16−03−20)
 巣鴨から、雑司ヶ谷鬼子母神、千登世橋、早稲田界隈、高田馬場をウォーキング。とげ抜き地蔵や、雑司ヶ谷墓地、堀部安兵衛の仇討ち跡の碑、甘泉園、早稲田大学などを巡る。
 都電沿線を歩く(王子〜巣鴨)(H16−03−06)
 王子から、飛鳥山公園、本妙寺、慈眼寺、滝野川公園、六義園、巣鴨をウォーキング。明暦の大火(振袖火事)や、遠山景元(遠山の金さん)、千葉周作、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓などを巡る。
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