(Since H14-10-28)
万歩計サイト内散策
検索方法はGoogle検索と同じです。
検索キーワード X1、X2
1.AND検索 X1 空白 X2
2.OR検索 X1 OR X2
(ORは大文字)
3.NOT検索 X1-X2
(X2以外のX1)
結果は別タブに表示されます。
結果はGoogleの広告の後に表示されます。
目次
掲示板(一言どうぞ) |
本所、深川、両国、錦糸町
歳末の日本橋、人形町、浜町、本所(義士祭)、錦糸町散策(R01−12−14)
浅草線日本橋駅から黄葉も終りに近いイチョウ並木の昭和通りを北上、江戸橋南交差点右折して郵便発祥の地日本橋郵便局と日本橋ダイヤビルの間の日本橋川沿いの道を南下する。首都高都心環状線の高架を過ぎると兜神社があり、東京証券取引所沿いに南下、突き当りの証券取引所前交差点で右折、平成通りへ入る。約1000年ほど前に源義家が奥州平定の途中、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたことから鎧が淵と呼ばれるようになった。日本橋川に架かる鎧橋を渡り、証蛎殻町交差点で左折、新大橋通りへ進む。 新大橋通りを東進、銀杏八幡宮、銀杏稲荷を過ぎ、3年前に竣工した白木造りの社殿が見える水天宮前交差点で右折、水天宮通りへ入る。新しい水天宮は、以前は妊婦にとってきつい急な石段だったが、建物の中に設けられ、中間で折り返しとなる優しい階段となった。緑青ぶき瓦の社殿は白木造りとなり、参集殿もガラス張りのゆったりした建物になった。水天宮前交差点で新大橋通りを横断、人形町通りへ入り、親子丼の老舗玉ひでがある交差点で右折して甘酒横丁に進む。甘酒横丁を東進、浜町緑道との交差点にある勧進帳の弁慶像からは明治座通りとなり、突き当りの浜町公園前交差点で左折、明治座を見つつ清洲橋通りを北上する。
清洲橋通りを北上、久松町交差点のすぐ先のジョナサンのビル外壁に賀茂真淵県居の跡の銘板があり、東日本橋交差点の三叉路を右折、清杉通りを進む。清杉通りを北上、御幸通り入口を過ぎ、柳橋通り入口で右折し東北に進みガソリンスタンドで右折すると薬研堀不動院がある。その横の駐車場は、神田明神の神幸祭で両国旧御仮屋として、昼食休憩時に3基の鳳輦が収められる。ガソリンスタンドに戻り、仲通りに入り普通の住宅街を北上して突き当りで右折、京葉道路へ入る。京葉道路を東進、両国橋西交差点の柳橋通り出口を過ぎ、両国橋西詰で浜町河岸通りを渡ると両国橋である。上流の東京スカイツリーを見つつ両国橋を渡ると、以前は大山巌元帥の表忠碑だけが建っていた東詰の一画は整備されて両国橋児童遊園となり、大高源吾句碑などが移設されている。その先には江戸時代からイノシシ肉を料理する老舗の「もゝんじや」がある。
京葉道路を東進、一の橋通り入口の両国一丁目交差点を過ぎ、両国二丁目交差点から回向院山門を通る。回向院の南東に本所義士祭の会場である本所松坂町公園(吉良邸跡)があり、その一帯で町内会などのテントが張られ、本所元禄祭が行われている。そのため、小旗を持ったリーダーを先頭にした老人会のグループが回向院を多く訪れていて混雑している。この具ウープが他の人を妨げても関心がないため、じっくりと遺構を見物することもできず、早々に引き上げて本所義士祭に向かう。本所義士祭は、吉良邸跡に造られた本所松坂町公園前の小路に主として各町内会が設営したテントで行われる本所元禄市がメインで、大混雑である。敷地が狭い本所松坂町公園に入ることは不可能で、会場突き当りの名物ちゃんこ鍋を食べるのが精一杯だった。 本所元禄市から勝海舟生誕の地として東南角に資料展示されている両国公園に入る。義士祭から流れてくる人が勝海舟の資料を見物して近寄れず、元禄市で買った昼食で宴会をする人もいる。京葉道路に出て東進、緑一丁目交差点で左折して清澄通りへ進み北上する。江戸東京博前交差点で右折、北斎通りへ入り東進する。さすがに北斎通りまで来る人は稀で、すみだ北斎美術館がある緑町公園、野見宿禰神社、三ツ目通りを渡る亀沢四丁目交差点、青空に映える東京スカイツリーが美しい大横川親水公園と経て、錦糸町駅に至る。
浅草寺ほおずき市〜江戸通り〜国技館通り〜一の橋通り〜浜町公園散策(R01−07−09)
6月下旬からの日照時間が記録的な少なさで、かろうじて雨が降らないという予報を信じて浅草寺のほおずき市に行った。歩くコースとしていつ歩いたか記憶にない雷門・並木通り、両国駅周辺しか歩いたことのない国技館通り、時代劇でしか名を知らない一の橋通りと経て、久しぶりの浜町公園まで散策した。悪天候が続くせいか、浅草寺の人出は少なく、3年前に悩まされた傍若無人の中国人もだいぶマナーが良くなっている。季節外れの浴衣の若い女性や、短パン、刈り上げ、出っ腹むき出しの父親と似合わぬ服の母親に連れられた大昔の田舎っぺスタイルの中国人の間をぬって宝蔵門に向かう。まだ早いのか、天気のせいか分からぬが、閑散としたほおずき市を見て回る。4万6千日の縁起物である雷除を受領する。
6月下旬からの日照時間が記録的な少なさで、かろうじて雨が降らないという予報を信じて浅草寺のほおずき市に行った。歩くコースとしていつ歩いたか記憶にない雷門・並木通り、両国駅周辺しか歩いたことのない国技館通り、時代劇でしか名を知らない一の橋通りと経て、久しぶりの浜町公園まで散策した。悪天候が続くせいか、浅草寺の人出は少なく、3年前に悩まされた傍若無人の中国人もだいぶマナーが良くなっている。季節外れの浴衣の若い女性や、短パン、刈り上げ、出っ腹むき出しの父親と似合わぬ服の母親に連れられた大昔の田舎っぺスタイルの中国人の間をぬって宝蔵門に向かう。まだ早いのか、天気のせいか分からぬが、閑散としたほおずき市を見て回る。4万6千日の縁起物である雷除を受領する。
江戸通りを南下、駒形橋西詰交差点の世界のカバン博物館、駒形どぜう本店、家紋入りのミニ提灯を販売する江戸手描提灯の大嶋屋 恩田、浅草着物レンタル 和善と経て、厩橋交差点で左折、春日通りを東進する。春日通りに入ってすぐに都営大江戸線 蔵前駅があり、その先の厩橋を渡って厩橋東詰交差点で左折、国技館通りに進む。
首都高6号向島線沿いの片道一車線の地味な国技館通りは、厩橋東詰交差点に設置された標識がないと見落としかねない。国技館通りに入ると場違いなほど立派なビルがあり、ライオン本社ビルだった。プラタナスの並木が続く歩道を南下、蔵前橋を潜り抜け、旧安田庭園の北西角の北門の手前に 刀剣博物館がある。旧安田庭園の塀沿いに南下すると国技館があり、その先に両国駅西口がある。総武線高架下を通り、突き当りの両国回向院山門で右折、山門に隣接して両国花火資料館がある。
京葉道路の両国一丁目交差点で左折、一の橋通りへ入る。両国一丁目交差点の信号標識は一の橋通りの北側にしかなく、正面、左には標識がない。目標としては、回向院山門から最初の交差点であることで、見落とすと両国橋となる。一の橋通りを南下、両国幼稚園前の回向院正門跡案内、馬車通り交差点の相生町跡案内と過ぎ、一之橋北詰交差点には竪川に架かる一之橋の由来説明版がある。さらに一の橋通りを南下し、江島杉山神社を経て、新大橋交差点で右折、新大橋通りへ入る。
新大橋交差点で直進し、新大橋通りを渡ると一の橋通りは万年橋通りとなり、南下すると江東区芭蕉記念館を経て、芭蕉庵史跡の芭蕉稲荷神社、深川芭蕉庵に至る。
新大橋通りを西進、隅田川に架かる新大橋を渡り、新大橋西詰交差点で右折して住宅街を北上、浜町公園に入る。新大橋は隅田川に架かる3番目の橋で、大橋と呼ばれた両国橋に続くので新大橋と呼ばれた。新大橋の主塔には歌川広重の浮世絵のレリーフが嵌め込まれており、西詰には関東大震災で焼け落ちずに多くの人を助けた、という事で「人助け橋」とも言われるた碑がある。浜町公園の南東角の入口から入り、西進して遊具広場を経て健康遊具広場を通り、清正公寺に向かう。清正公寺は加藤清正ゆかりの寺で、言うまでもなく日蓮宗である。桜田門傍の藩邸跡、白金高輪の通称清正公、池上本門寺と清正ゆかりの遺構が多いのには驚かされる。そこから清正公寺沿いに北上し公園正門から出て浜町駅に至る。
初春の深川散策(富岡八幡宮・深川不動尊初詣〜深川七福神巡り〜相撲部屋〜芭蕉深川遺構)(H31−01−07)
都営大江戸線 門前仲町駅から清澄通りを南下、門前仲町交差点で左折して永代通りを進む。初春の飾付けがされた門前仲町商店街を東進深川不動尊の表参道 「人情深川御利益通り」入口の山門(通称 赤門)を過ぎ、富岡八幡宮大鳥居に着く。数年ぶりの訪問で色鮮やかに朱色となった大鳥居を過ぎて正面参道の右にある天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑、大関カ士碑を見物する。力士関係の碑の見物を終えたら、猿回しが始まったので、そちらに向かった。初春祝賀の猿回し初めは竹馬で歩き回る芸を見せ、芸はだんだん高度になり、右から階段を上って左から降りる時に逆立ちとなる。猿回しを見終わった後、伊能忠敬 日本測量出発地碑、富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)
と経て本殿に向う。
本殿を参拝し、破魔矢を受領した後、渡殿下を潜り抜けて本殿裏右脇の横綱力士碑、出羽一門友愛之碑、超五十連勝力士碑を見物する。碑は昭和63年に千代の富士が53連勝を達成した時の記念に建立されたもので、大鵬、北の湖、貴乃花など歴代の名横綱でも50連勝は達成できていない。本殿に戻り、摂社に向う西参道を進み、出入口の鳥居に至る。
深川公園を西進し、表参道 「人情深川御利益通り」へ進み、階段を上って旧本堂前の広場に着く。表参道の半ば以上から参拝する人々の長い列ができている。広い旧本堂前の広場の数ヶ所にテントを張って臨時御札場が造られている。御札場の品数の多さ、賑わいぶりは富岡八幡宮と大きな差がある。開運出世稲荷などを見物後、階段を降りてすぐ表参道を右折して深川公演に向かう。深川公園は姫生じ初年の廃仏毀釈で廃寺となった富岡八幡宮別当の永代寺跡である。公園内には明治卅七八年役戦死者忠魂碑(日露戦争忠魂碑)、追悼征清戦死者之碑(日清戦争忠魂碑)の巨石碑があり、西口から出て清澄通りに向う。清澄通りに出ると赤札堂深川店である。
清澄通りを北上、首都高9号深川線を潜り、深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡るtp法乗院(えんま堂)である。普段は閑散としているが、参拝する人が次々に訪れる。深川七福神巡りのパンフレットや朱印帳を持っていて七福神と勘違いしており、すぐ出ていく。法乗院(えんま堂)は閻魔大王像で有名だが、
何度も訪れているが、普段は網戸で遮られている閻魔大王像が、正月ということなのか、全開されてきれいに見ることができる。少し先の福禄寿の心行寺も何回も来ているが、岩国藩の吉川氏と関係ある寺、との認識であり、深川七福神の一つとは知らなかった。清澄通りを北上し仙台堀川に架かる海辺橋を渡った北詰の深川ふれあいセンター前には滝沢馬琴誕生の地碑がある。
霊巌寺がある深川資料館通り手前に圓珠院(大黒天)の立て看板があり、深川七福神巡りは本来の目的ではないが、距離200mと書かれているので立ち寄ることにした。日蓮宗寺院が延々と続く寺町を歩くのに疲れてきた頃に圓珠院(大黒天)に着く。次の龍光院(毘沙門天)は近くにあるが、清澄庭園から遠く離れるので清澄通りに戻ることにした。深川資料館通りを東進、霊巌寺、深川江戸資料館を見て清澄通りを渡り、清澄庭園に向う。
清澄通りの清澄庭園の案内柱に従い左折、清澄庭園の北辺沿いに中村学園通りを西進、村田春海の墓がある本誓寺を過ぎて清澄庭園の正門に着く。正門は北西角にあり、この交差点の西側は清澄公園、向いの北西には中村学園の中学校・高等学校がある。中村中学校・高等学校角で右折し、清洲橋通りを渡り直進、相撲部屋の錣山部屋の先に深川稲荷神社(布袋尊)がある。すぐ先の交差点で左折すると尾車部屋で、次の交差点で左折して南下すると大嶽部屋・大鵬道場があり、同じ並びで西進すると元山響部屋(旧 北の湖部屋)に着く。貴闘力が賭博問題で解雇されると3階建てのビルを高層ビルに建て替えた大嶽部屋、北の湖急逝後、1年余りで引っ越した後継の山響親方と相撲部屋経営も大変である。万年橋通りに出て北上 小名木川に架かる萬年橋を渡る。
萬年橋北詰から沿いに隅田川テラスを歩き、堤防を越えて芭蕉庵史跡展望庭園に着く。芭蕉の重い像が夕方になると動くという都市伝説がある芭蕉庵史跡展望庭園を出て、芭蕉庵跡の芭蕉稲荷神社の先の地図の昭文社前で左折、万年橋通りを北上する。江東区芭蕉記念館を経て、新大橋交差点で右折、新大橋通りへ入り、森下駅前交差点で右折、清澄通りを南下、都営大江戸線 森下駅に至る。
初冬の浅草寺羽子板市〜東京都慰霊堂・旧安田庭園〜回向院散策(H30−12−18)
銀座線浅草駅から観音通りに出て北上、左折して新仲通りへ出て芋ようかんの舟和前で右折、正月用の飾り付けがされた仲見世通りを北上する。かつては大声でグループで傍若無人に振る舞っていた中国人も、ようやく日本に慣れてきたのか、大人しくなったので歩きやすくなった。
宝蔵門を通り過ぎて左折し、羽子板の屋台を通り過ぎて本堂正面に向う。本堂前には多くの羽子板や人形の久月には多くの店が並ぶ。羽子板会場には色鮮やかな羽根突きの玉も並ぶ。似顔絵はよく似ているものもあるが、誰だか分からないとか、首を傾げざるをえ得ないものも多い。
浅草神社から二天門前交差点で右折、馬道通りを南下、浅草二丁目交差点、新仲通り入口交差点を経て吾妻橋交差点で雷門通り(浅草通り)を渡り江戸通りへ進む。
江戸通りを南下、駒形橋西詰交差点の駒形堂、浅草観音戒殺碑を見物後、隅田川に架かる駒形橋を東進し、駒形橋東詰交差点で右折、清澄通りへ進んで南下、本所一丁目交差点で春日通りを渡り、石原一丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。
石原一丁目交差点から清澄通りの西側にある横網町公園の東京都復興記念館沿いに南下する。横網町公園の正門に東京都慰霊堂、北に東京都復興記念館がある。東京都慰霊堂の三重塔の基部は納骨堂である。横網町公園の西門に向い、旧安田庭園の正門から入り、西門を出て国技館通りに出る。
国技館通りを南下、国技館南門から構内に入る。国技館正面入口の三横綱の立ち姿と土俵入り像と見物した後、相撲土産売店を見物する。相撲土産売店前 記念写真スポットを見て、両国駅に至る。
国技館通りを南下、両国二丁目交差点の回向院山門隣の両国シティコア(旧国技館)の中庭には旧国技館の土俵の位置が描かれている。回向院の史跡記念墓地内にはである。山東京伝の岩瀬氏之墓の正面は鼠小僧供養墓である。国技館通りを北上し、両国駅に至る。
初冬の本所散策(北斎通り、本所吉良祭、回向院)(H30−12−08)
錦糸町駅北口のアルカキット錦糸町を過ぎて紅葉したケヤキ並木北斎通りを西進する。アルカキット錦糸町前を走るすみだ百景バス(南部ルート)は普通は江戸紫色の車体だが、1台だけある電気自動車なので黄色だった。津軽稲荷神社、大横川親水公園、本所割下水説明板、三ツ目通りと交差する亀澤四丁目交差点、「葛飾北斎」ゆかりの地 本所割下水説明板と経て野見宿禰神社に至る。神社の表参道に相当する入り口は、何度も来ているが、いつも門は閉じられており、中には入れない。しかし、北斎通り側の入り口からの裏参道から入れたので、境内の歴代横綱の石碑を見物した。
北斎通りを西進、緑町公園は葛飾北斎生誕地とされ、左奥には銀色の「すみだ北斎美術館」がある。公園内には様々な案内があり、江川太郎左衛門屋敷跡前、江戸の町 南割下水、津軽の太鼓・津軽家上屋敷跡、葛飾北斎生誕地の高札が立つ。
北斎通りの行灯風の街灯にはかつて北斎の浮世絵が飾られていたが、今はすべて撤去されている。両国湯屋 江戸遊は、東洋式整体、食事などを楽しむ所で、18歳未満は入館禁止である。突き当りに江戸東京博物館がある江戸東京博前交差点で左折、清澄通りへ入り南下、江戸東京博物館、都営大江戸線 両国駅と過ぎて緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ進む。緑一丁目交差点には力士御用達のキングサイズ店が並ぶ。晴れ間が見えてきた京葉道路を西進、6代目圓楽など圓楽一門会が出演する両国亭の先のファミリーマート角で左折する。
京葉道路から入ってすぐの交差点で左折、左が両国公園で、右が墨田区率両国小学校である。両国公園は西に両国小学校に面する普通の児童公園であるが、南東角に勝海舟生誕の地記念碑がある。以前は記念碑と由来碑、それらの説明を記した案内板があるだけだった。しかし、時期は分からないが、勝海舟幕末絵巻として立派な説明板が作られ、ほとんど訪れる人もいなかった一画も次から次へと見物客が訪れる。両国公園の南にある両四会館に平成30年の元禄市の日程が記されたポスターが掲示されている。両国小学校南辺のプール沿いに西進、本所松坂町の吉良邸に向かう。
本所吉良祭会場東端のちゃんこ屋台で売られている1杯500円のちゃんこは、量も多く、安いためいつもは長い列が出来て買うのが大変である。なぜか、今年は全体的に人出も少なくすぐ買えた。世田谷の年末、年始の風物詩であるボロ市と違い、道も狭く距離も短い吉良祭であるが、例年は大混雑である。今年(平成30年)は格別に寒いわけでもないのに人出は少なく、歩くのも楽である。本所吉良邸跡は約30坪の小さな本所松坂町公園として整備されている。公園と言って吉良邸に因む展示場といった色彩が強く、狭いため、じっくりと見物したければ普段の日に訪れたほうが良い。案内をじっくり読もうとすると順番を待つ人が溢れて迷惑になるためである。衣類や食品などを売る屋台の多くは近隣の町内会が出店している。
回向院の裏門参道から史跡記念墓地の鼠小僧供養墓に向う。江戸時代 犯罪者には墓を作ることが禁止されていた。しかし歌舞伎や狂言の成功によって、祈願対象物としての墓の必要性が生じこの供養碑が作られたと思われる。鼠小僧の墓石を欠き、財布や袂に入れておけば、金回りが良くなる、あるいは持病が治るとも言われ、供養碑の手前に「欠き石」と呼ばれる碑があるが、ただ白いだけの石碑となっている。史跡記念墓地の猫の恩返し(猫塚)、石造海難供養碑を見た後、馬頭観音堂などがある動物供養の一画、出棺の挨拶が行われている本堂、相撲関係石碑群〈力塚〉と経て、山門に至る。名力士の手形や像が並ぶ国技館通りを北上し、両国駅西口に着く。
東京、横浜の有名商店街散策(08大島駅〜仙台堀公園〜砂町銀座〜仙台堀公園〜東陽町駅)(H29−12−26)
都営新宿線の大島駅がある新大橋通りの大島六丁目交差点で左折、丸八通りを南下し丸八橋北詰にある大島稲荷神社を見つつ丸八橋を渡って左折、小名木川沿いに東進する。塩の道橋右の仙台堀川公園入口から入って裸木のサクラ並木を南下、仙台堀川公園東交差点を過ぎ、東砂1丁目公園を左手に見つつ歩き、二つ目の信号がある交差点で右折して区道102号へ進む。
区道102号を西進、砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ入る。下町を代表する有名商店街とするにはシャッター店もあり、閑散としているのには驚いた。しかし、この印象は西進するにつれ変わっていった。丸八通りから入ると自動車がすれ違える広さのある商店街であるが、途中で車1台がやっとの狭い道となり、それからは歳末大売出しで大賑わいの商店街となって明治通り側の出口である砂町銀座入口交差点に出る。明治通りを南下し、城東警察署を過ぎ、境川交差点で清洲橋通りを渡って弾正橋に至る。
明治通りの弾正橋北詰から仙台堀川公園へ下り、弾正橋、貨物線のJR越中島線の鉄橋を潜り抜けて西進する。遊歩道は木々の間を曲がりくねり、仙台堀川に沿ったサクラ並木や、庭園風の池などを眺めて歩く。横十間川親水公園との合流点や、カナダから贈られたトーテム・ポールを過ぎ豊住橋脇の出口に至る。
豊住橋北詰交差点で左折、四ツ目通りへ入り仙台堀川に架かる豊住橋を渡る。東陽六丁目交差点で葛西橋通りを渡り、四ツ目通りを南下し、江東区役所を過ぎて東陽町駅前交差点の東京メトロ東西線の東陽町駅に至る。
年末の下町散策(神保町〜人形町〜富岡八幡宮〜築地場外市場)(H25−12−24)
黄葉したプラタナス並木の靖国通りを東進、神保町古本店街を歩き、駿河台下交差点で明大通り(千代田通り)を渡るとスポーツ用品店街で、小川町交差点で本郷通りを、淡路町交差点で外堀通りを渡り、須田町交差点で左折、中央通りへ入る。中央線ガード手前で左折し、旧万世橋駅のホームと階段遺構を利用した2階建ての商業施設で、今年(平成25年)の9月14日に開業したマーチエキュート神田万世橋に寄るが、11時開店で立ち入ることはできなかった。神田川に架かる万世橋を渡り、秋葉原電気街入口の万世橋交差点から靖国通りに戻る。工事中の東北縦貫線(上野東京ライン)の高架を抜け、岩本町交差点で昭和通りを渡る。
昭和通りを渡ってすぐの岩本町交差点で右折、黄葉したトチノキ並木の水天宮通り(人形町通り)へ入る。岩本町交差点では「水天宮通り」の標識となっているが、水天宮前交差点まではこの標識以外は「人形町通り」である。逆に水天宮前交差点を過ぎると「水天宮通り」となる。神田松枝町由来には神田明神の神幸祭でその美しさで有名な羽衣山車の写真が飾られている。伝馬町牢屋敷跡(十思公園)、,大安楽寺のすぐ先にある小伝馬町交差点で江戸通りを、人形町交差点で金座通りを渡る。人形町からくり時計台、甘酒横丁交差点、人形町今半と経て水天宮前交差点で左折、新大橋通りへ進む。交差点の斜め左角に安産の神様として有名な水天宮が見えるはずなのになく、社殿、社務所の建替え工事の案内がある。新大橋通りを東進、トルナーレ日本橋がある浜町中ノ橋交差点で左折、清洲橋通りへ入る。
清洲橋通りを進み、上流に萬年橋、芭蕉庵、東京スカイツリーが見える隅田川に架かる清洲橋を渡り、清洲橋東詰交差点先の陸奥宗光宅跡案内板を過ぎる。清澄町二丁目歩道橋前交差点で左折すると交差点手前角に、大鵬、北の湖に因む横綱通りの案内板がある。しかし、恒例の年末の予算消化の道路工事のため左折できず、中村学園北交差点で左折して錣山部屋、大鵬道場・大嶽部屋、北の湖部屋を見たあと清洲橋通りに戻る。清澄三丁目交差点で右折、清澄通りへ入り、清澄庭園、深川江戸資料館通り、滝沢馬琴誕生の地モニュメント、仙台堀川に架かる海辺橋と経て深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡り、門前仲町交差点で左折、永代通りへ進む。
永代通りを東進、正月飾りの門前仲町商店街、深川不動尊表参道の鳥居と過ぎて、大鳥居から富岡八幡宮に入る。正面参道を歩き伊能忠敬 日本測量出発地の像、大関カ士碑、神輿庫の富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)と経て、本殿で参拝して西参道から出る。深川公園を西進、境内入り口から深川不動尊に入ると旧本堂や本堂がある。表参道(人情深川 ご利益通り)の鳥居を出て右折、永代通りへ戻り門前仲町交差点で左折、清澄通りへ向かう。
清澄通りを進み、門前仲町の火の見櫓、大横川に架かる黒船橋、改修中で帆船らしさが見られない明治丸がある東京海洋大学(旧 東京商船大学)と過ぎ、大川端リーバーシティ21や豊洲風景が楽しめる晴海運河に架かる相生橋を渡って、初見橋交差点で右折し佃大橋東詰で左折、月島もんじゃ街(西仲通り)へ入る。月島もんじゃ街(西仲通り)をインフォメーションセンター、一番街から四番街まで歩き、出口で左折して月島第一小学校前交差点で右折、清澄通りへ戻る。月島川に架かる月島橋を渡り、勝どきビュータワー、プラザタワー勝どきが聳え立つ勝どき駅前交差点で左折、晴海通りへ進む。
晴海通りを北上、隅田川に架かる勝どき橋の西詰には勝鬨橋之記、海軍経理学校の碑、勝鬨の渡しなどの碑がある。築地六丁目交差点で左折、波除通りへ入り、天井大獅子、お歯黒獅子でも有名な波除稲荷神社前から場外市場へ進む。正月用の買い物客で賑わう場外市場を歩き、市場橋交差点で左折、新大橋通りへ出て左向かいの国立がん研究センター中央病院、朝日新聞社本社前を進んで都営大江戸線の築地市場駅に至る。
こどもの日の水天宮、清澄庭園、両国、亀戸天神散策(H25−05−05)
人形町駅がある甘酒横丁交差点で右折、人形町通りを歩き、水天宮前交差点で新大橋通りを渡って例大祭で大勢の産婦や赤子連れの家族で賑わう水天宮を参拝する。水天宮前交差点に戻り右折、新大橋通りを進む。左にトルナーレ日本橋町、右に日本橋浜町Fタワーがある浜町中ノ橋交差点で右折、清洲橋通りへ入り、首都高6号向島線下を通り、隅田川に架かる清洲橋を渡る。
清洲橋東詰交差点先で右折、清澄庭園・中村学園通りへ入り、天候不順が続いて行きそびれたため花が全くない藤棚が有名な清澄公園を通り、中村学園がある清澄庭園の正門に着く。別ページにまとめた清澄庭園を見物後突き当りで左折、清澄通りへ出る。清澄三丁目交差点、小名木川に架かる橋、高橋のらくろード(高橋夜店通り)がある高橋交差点と過ぎ、二ッ目通り(清澄通り)の由来碑がある森下駅前交差点に至る。
清澄庭園の正門から入り案内に従い左手に進むと、岩崎家が各地から集めた奇岩名石の数々があり、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築した大正記念館、新緑の木々に映える泉水を見つつ突き当りで右折、清澄通り沿いの鉄柵沿いに東辺を歩く。中の島を渡り、富士山を見つつ庭園の南東角に当たる九重塔、石仏群(江東区文化財)に至る。
清澄庭園の南東に位置し別名を「つつじ山」とも言われる富士山から、対角線の北西にある正門方向を見ると泉水を挟んで、中村学園や大正記念館、新緑の木々が美しい。庭園の南辺に沿って歩き、自由広場に入り、花菖蒲田、江東区立深川図書館前の「古池の」で有名な芭蕉の句碑、親子竹とんぼ教室を見た後に涼亭に着く。泉水沿いに歩き、東日本大震災で損傷を受けて撤去された傘亭跡、石橋、大正記念館と経て、正門に戻る。
清澄通りの竪川に架かる二之橋を渡り、二之橋北詰交差点で左折、馬車通りへ入り最初の信号で右折、東南角に勝海舟生誕の地の碑がある両国公園に寄る。公園の向かいの両国小学校の北沿いを歩き、芥川龍之介文学碑(杜子春)の角で左折、プール沿いに南下、両国玩具株式会社脇で右折すると本所吉良邸跡(本所松阪町公園)で、1年前に墨田区に寄贈された吉良上野介義央公座像がある。本所吉良邸跡前の道を西進、裏門から回向院に入り、鼠小僧次郎吉の墓などの史跡記念墓地、相撲関係石碑群<力塚>などを通り、回向院前の両国二丁目交差点で京葉道路(国道14号)を渡り、国技館通りへ進む。
国技館通りを北上、JR総武線の両国駅、夏場所前日の両国国技館と経て、南門から旧安田庭園に入る。円形ドームの両国公会堂、心字池を見つつ正門から出て、旧安田庭園前交差点から東京都慰霊堂(横網町公園)へ進む。慰霊堂、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑などを見て正門で左折、清澄通りへ出て北上、石原一丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ入る。
蔵前橋通りを東進すると、東京スカイツリーがだんだん大きくなり、石原二丁目交差点、三ツ目通りを渡る石原三丁目交差点、大横川親水公園に架かる報恩寺橋、太平一丁目交差点と進み、太平四丁目交差点で四ツ目通りを渡る。横川に架かる天神橋を渡り、亀戸天神社に入るが、花が全くない藤棚の間を歩く参拝客の長蛇の列を見て、引き返した。藤棚の上に東京スカイツリーが見える太鼓橋は新たな撮影スポットである。蔵前橋通りを戻り、太平四丁目交差点で左折、四ツ目通りへ入り、錦糸公園外れの半蔵門線錦糸町駅に至る。
東京メトロ沿線ウォーキング(再訪) #17 月島・深川、橋とリバーサイドの街並みを堪能する(H24−01−05)
東西線茅場町駅から茅場町交差点で右折、平成通りを南下し、八丁堀二丁目交差点で左折、八重洲通りへ入る。八丁堀交差点で新大橋通りを、亀島川に架かる亀島橋、新川二丁目交差点で鍛冶橋通りを渡って住友ツインビル手前の交差点で右折、直ぐ先の南高橋手前の交差点で左折してリバー通りへ進む。右側にある階段を下り、隅田川テラス(西岸)の亀島川水門に至る。
下流の聖路加ガーデンを見つつ、亀島川水門から見た隅田川テラス(西岸)を北上、霊岸島水位観測所、月島リーバーシティ21、中央大橋、東京ダイヤビルと眺めつつ、左奥に東京スカイツリーが見える永代橋に着く。下流の月島リーバーシティ21を見つつ永代橋を渡り、東詰から隅田川テラス(東岸)に下りる。
隅田川テラス(東岸)を隅田川沿いに南下、大島川水門手前の堤防の階段を上り、裏の小さな永代公園から右折、永代河岸通りへ進む。大島川(西支川)に架かる巽橋を渡り右折、練兵衛橋手前で左折、大横川沿いの桜並木の臨海公園を歩く。越中島橋横の臨海公園前交差点を過ぎ、突き当りの黒船橋北詰で左折、清澄通りへ入りる門前仲町交差点で右折、永代通りへ進む。
門前仲町商店街の歩道の屋台を横に見つつ永代通りを歩き、左折して深川不動尊の表参道「人情深川御利益通り」へ進み、深川不動尊本堂に着く。末社の恵比寿宮・大黒宮がある裏参道から富岡八幡宮に入り、本殿で参拝後に階段を下りた所で左折、東参道に進んで木場の木遣りの由来碑や木場の角乗りの碑を見る。
富岡八幡宮東参道を出て左折、八幡堀遊歩道へ入ると目の前に東京市で最初の鉄橋である旧弾正橋(八幡橋)があり、旧新田橋を経て八幡堀遊歩道を出て右折、首都高9号深川線沿いに東進、鶴保橋西交差点、平久川に架かる鶴保橋、大島川東支川に架かる木場橋と過ぎ、突き当りの交差点で三ツ目通りを渡って都立木場公園へ入る。右にふれあい広場、左に都市緑化植物園がある遊歩道を北上する。噴水広場、奥に東京スカイツリーが見える木場公園大橋、イベント広場、多目的広場と進み三ツ目通りに出て、隣接する東京都現代美術館 MO+に至る。
三ツ目通りの現代美術館前交差点の次の交差点で左折、深川資料館通り(花みずき商店街)を西進、深川江戸資料館、江戸六地蔵と寛政の改革の松平定信の墓所がある霊巌寺と経て、突き当たり交差点で右折、清澄通りへ入り、案内に従い左折、清澄庭園・中村学園通りを進んで清澄庭園正門に至る。清澄庭園は江戸時代の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、三菱財閥の深川親睦園として開園したが関東大震災に遭い、被害の少ない東半分を東京市に寄付して清澄庭園となり、更に昭和48年に西の隣接地を買収し、清澄公園として開園した。
清澄庭園正門に隣接して清澄公園の入口があり、入って直ぐに藤棚があり、満開時にはきれいな花をつけている。清澄庭園・中村学園通りを進み、清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ入り、読売新聞の建物の南西角にある平賀源内電気実験の地碑を見た後、清洲橋を渡り西詰から隅田川テラス(西岸)に下りる。階段を上り大橋西詰へ出て水天宮通りを首都高9号深川線の高架下を歩き、地下がゴールの水天宮前駅であるTCATに着く。
都営バス 夢の下町バス(経路変更)(H23−07−20)
夢の下町バスは、東日本大震災直後から運行休止していたが、7月20日に経路、運行形態を変更して再開した。路線は東京スカイツリー経由で両国行きと錦糸町行きとに分かれ、上野松坂屋前が始発となる。錦糸町行きが中心となり、従来の東京駅〜両国は土休日の4便だけとなる。夢の下町は、都営の観光バスであるが、扱いは急行の路線バスで、料金は通常の200円と同じで、格安である。
(錦糸町ルートH230829)
向かいに上野松坂屋南館がある始発の上野松坂屋前バス停から中央通りを北上、上野広小路交差点で春日通りを、上野恩賜公園がある上野公園前交差点を渡り、京成上野駅前の#2上野公園山下バス停に至る。上野駅の不忍口、広小路口と過ぎて、上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。
浅草通りを東進、赤大鳥居の下谷神社前を通り、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、#3菊屋橋バス停の先の菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で左折、国際通りへ入り、雷門1丁目交差点で右折、雷門通りへ進んですぐに#4浅草一丁目バス停がある。雷門通りを東進、#5浅草雷門バス停の先に雷門があり、更に進んで吾妻橋交差点に至る。
東京スカイツリーを見つつ吾妻橋を渡ると#6リバーピア吾妻橋前バス停で、浅草通りの吾妻橋一丁目交差点を過ぎ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、間近に迫る東京スカイツリーを見つつ業平橋、業平一丁目交差点を過ぎると#7業平橋バス停である。ビルの間から見える東京スカイツリーを見ながら浅草通りを進み、#押上バス停に着く。このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。
押上駅前交差点で右折、四ツ目通りへ入り、横川交番前交差点で春日通りを、太平四丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。太平四丁目交差点で左折して蔵前通りを約10分歩くと亀戸天神で、両国行きはこの交差点で右折、隅田川手前の石原一丁目交差点で左折、清澄通りに入って両国に向かう。四ツ目通りのオリナス・コア、オリナス・タワー、オリナス・モール、錦糸公園と過ぎて、錦糸公園前交差点で右折、北斎通りへ入るすぐの錦糸町駅北口広場に終点錦糸町駅前バス停がある。
(両国ルートH230831)
丸の内オアゾの丸の内ホテル前に始発の東京駅丸の内北口バス停があり、丸の内一丁目交差点で右折、永代通りへ入る。経営統合で内幸町の新日石ビルからJXビル前に移設された金色のプロメテウス像前を過ぎ、呉服橋交差点で外堀通りを渡り、日本橋交差点で左折、中央通りへ進む。東京都の紋章を持つ獅子像や麒麟像がある日本橋を渡って、#2日本橋三越バス停に至る。
中央通りを北上、国の重要文化財である中央三井信託銀行(三井本館)の周囲には、三井グループの日本橋活性化プロジェクトの一環で建てられたCOREDO室町、三井記念美術館、日本橋室町野村ビルが並ぶ。室町3丁目交差点で江戸通りを渡り、神田駅手前の新設の#3神田駅前バス停を過ぎ、須田町交差点で靖国通りを渡る。神田川に架かる万世橋南詰に#4須田町バス停があるが、秋葉原電気街で歩行者天国がある場合は、須田町交差点で右折、昭和通り、神田川北岸を西進して万世橋の北詰にある千代田万世会館横の万世橋バス停に停まる。
中央通りの秋葉原電気街を北上、ビルの壁面は萌え〜系のイラストで覆われ、電気部品とハンダゴテは古すぎるが、パソコンで賑わった秋葉原の面影はない。8階にAKB48劇場があるドン・キホーテ秋葉原店を過ぎ、外神田五丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。上野三丁目交差点を経て、黒門交番の先の赤看板の中央三井信託銀行前に#5上野松坂屋前バス停がある。
中央通りを北上、上野広小路交差点で春日通りを、上野恩賜公園がある上野公園前交差点を渡り、京成上野駅前の#2上野公園山下バス停に至る。上野駅の不忍口、広小路口と過ぎて、上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。 浅草通りを東進、赤大鳥居の下谷神社前を通り、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、#7菊屋橋バス停の先の菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で左折、国際通りへ入り、雷門1丁目交差点で右折、雷門通りへ進んですぐに#8浅草一丁目バス停がある。雷門通りを東進、#9浅草雷門バス停の先に雷門があり、更に進んで吾妻橋交差点に至る。
東京スカイツリーを見つつ吾妻橋を渡ると#10リバーピア吾妻橋前バス停で、浅草通りの吾妻橋一丁目交差点を過ぎ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、大岡裁きのしばられ地蔵と業平伝説がある南蔵院跡の案内板を見て、間近に迫る東京スカイツリーを見つつ業平橋、業平一丁目交差点を過ぎると#11業平橋バス停である。更に浅草通りを進み、#12押上バス停に着く。このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。
浅草通りの押上駅前交差点で右折、四ツ目通りを南下、横川交番前交差点で春日通りを渡り、太平四丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ入る。錦糸町行きは、オリナス・タワーがある太平四丁目交差点を過ぎ、このまま四ツ目通りを直進する。蔵前橋通りを西進、東京スカイツリーが正面に見える太平一丁目交差点、大横川親水公園の報恩寺橋、三ツ目通りを渡る石原三丁目交差点を過ぎ、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入るとすぐ右手に東京都慰霊堂がある横網公園(旧陸軍被服廠跡)である。東京都慰霊堂では、翌日が関東大震災のあった9月1日なので,慰霊法要の準備がなされていた。
清澄通りの横網町公園前交差点で右折、関東大震災を記念し築地本願寺が建立した慈光院から東京都慰霊堂の三重塔が斜め向かいに見える。少し先に新設の#13都営両国駅前バス停があり、旧安田庭園の塀沿いを進み、突き当りを左折、国技館通りへ入り南下、両国公会堂、旧安田庭園前の舟橋聖一生誕記念碑、両国国技館、JR 両国駅と過ぎて、両国駅西口のガード下を進むと終点の両国駅前バス停に至る。
東京メトロ沿線ウォーキング(再訪) #8 粋な下町文化が根づく街、深川を歩く(H23−04−20)
水天宮前交差点から人形町通りを北上、東の「江戸の賑い 人形町通り」と、西の「は組」の2基のからくり櫓を見つつ、甘酒横丁交差点を過ぎ、人形町交差点で右折、金座通りへ入る。人形町交差点には、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになった玄冶店跡の碑がある。
金座通りから賀茂真淵県居の跡の案内板がある久松町交差点で右折、清洲橋通りへ入り南下、明治座や、隅田川沿いにあり、その一角に加藤清正所縁の清正公寺がある浜町公園入口を過ぎて、浜町中ノ橋交差点で左折、新大橋通りへ進む。街路樹のさつきが咲き出している新大橋通りを東進、隅田川に架かる新大橋を渡る。関東大震災で唯一落橋せず「人助け橋」と讃えられた新大橋の碑が西詰に立っている。
新大橋通りの新大橋交差点で右折、万年橋通りを南下、江東区芭蕉記念館を始め、隅田川沿いに松尾芭蕉の遺構が並ぶ小名木川に架かる萬年橋を渡る。横道に入り、北の湖部屋や野球賭博問題を起こし、マンション工事が行われているかつての大嶽部屋・大鵬道場を経て、横綱通りから突き当たりで左折、清洲橋通りへ入り、清澄三丁目交差点で右折、清澄通りへ進む。
清澄通りを南下、清澄庭園、寛政の改革の白河藩主松平定信の墓所や江戸六地蔵が置かれている霊巌寺がある深川江戸資料館通り、滝沢馬琴誕生の地碑、松尾芭蕉が佇んだ像が置かれた採荼庵跡、岩国藩主吉川広嘉の妻が開基の心行寺、深川えんま堂(法乗院)と経て、深川一丁目交差点で左折、葛西橋通りへ入る。大和総研前交差点で右折、東日本大震災で鳥居破損のため立ち入り禁止の富岡八幡宮西参道を過ぎ、突き当たりで左折、永代通りへ進む。
永代通りの大鳥居から富岡八幡宮に入ると正面参道のすぐ右に、出発の都度必ず参詣して、無事を祈念した伊能忠敬の日本測量出発地碑があり、江戸勧進相撲発祥の地として昭和58年に建てられた大関カ士碑、巨人力士身長碑、強豪関脇力士碑が並ぶ。日本一の大神輿である御本社神輿などを見つつ、本殿に至る。
本殿と婚儀殿との回廊の下をくぐり抜けると右に横綱力士碑がある。初代明石志賀之助からの歴代横綱の名が刻まれたこの碑は、第12代横綱陣幕久五郎が発起人となり各界の協賛を得て明治33年に奉納された。他にも出羽海一門友愛之碑、超五十連勝力士碑が並ぶ。正面参道に戻り、大鳥居から右折、永代通りへ出る。
永代通りの深川不動尊を参拝後、門前仲町交差点で左折、清澄通りへ入り、完全に葉桜であるが、見事な桜並木の大横川に架かる黒船橋を渡る。越中島二丁目陸橋を渡り、東京海洋大学(旧 東京商船大学)の正門を過ぎて、柵越しに重要文化財の明治丸が見えるが、改修中で、帆船らしさが見られない。
清澄通りを南下、晴海運河に架かる相生橋を渡り、初見橋交差点で右折、都道新富晴海線(473号)へ入る。月島もんじゃ街(西仲通り)入口を過ぎ、佃大橋の歩道を進み、隅田川に架かる佃大橋からリバーシティ21や聖路加ガーデン セントルークスタワーを見つつ渡り、佃大橋交差点を経て入船橋交差点で右折、新大橋通りへ進む。
新大橋通りを北上、八丁堀駅前交差点で鍛冶橋通りを渡り、八丁堀交差点で右折、八重洲通りへ入り、亀島川に架かる亀島橋を渡ってすぐの東詰交差点で左折、中央区のコミュニティバスである江戸バス北循環と逆コースを歩く。新川一丁目交差点で永代通りを、日本橋川に架かる湊橋を渡り、箱崎湊橋通りを北東に進む。突き当たりのTCAT前交差点で左折、水天宮通りへ入って水天宮前駅に着く。
歳末の門前仲町、佃・月島、築地散策(H22−12−30)
都営大江戸線の門前仲町駅から清澄通りに出て、門前仲町交差点で左折、永代通りへ入る。正月飾りの門前仲町商店街を歩き、深川不動尊前を通り、正月飾りを売る露店を見つつ、大鳥居から富岡八幡宮に入る。正月準備が進む表参道や、御本社神輿(日本一の大神輿)を見ながら本殿に至り、恵美須社横の深川公園側鳥居がら出る。
正月参拝客向けの露店設営が進められている深川公園を西進、深川不動尊に着いて、参拝客向けの準備が進む香閣、本堂、参道に? 枳尼天(荼枳尼天)の赤い幟が立ち並ぶ開運出世稲荷を見る。狭い参道の両脇に土産物店が並ぶため、露店が殆ど無い表参道を歩き、朱鳥居から出て右折、永代通りへ進み、門前仲町交差点で左折、清澄通りへ至る。
清澄通りを南下 東京海洋大学(旧 東京商船大学)正門の先に重要文化財の明治丸がある。明治丸は改修中で、帆船らしさが見られない。相生橋北詰から豊洲の春海橋脇の日本ユニシス本社、横には屋根が付いた豊洲IHIビル、高層マンション群が見える。晴海運河に架かる相生橋を渡り、南詰交差点で右折、都道463号(上野月島線)へ入り、高層マンションが建ち並ぶリバーシティ21を北上、中央大橋南詰で左折、隅田川テラスへ進む。
佃公園の中央大橋脇から隅田川テラスへ下り、佃大橋、聖路加ガーデン セントルークスタワーが見える行き止まり場所からみどりの風像、石川島灯台がある佃公園に戻る。左下に和風の憩いの広場がある佃堀に架かる住吉小橋を渡ると住吉神社の銅製大鳥居(一の鳥居)があり、直進すると佃渡し跡広場で、佃島渡船跡の碑や、老舗の佃煮店がある。徳川家康が関東下向の際に摂津から分霊した住吉神社には、有栖川官職仁親王書の陶製扁額や、伝 東洲斎写楽終焉地の碑がある。佃堀に架かる佃小橋を渡り、月島機械本社前交差点で右折、佃大橋の下を進む。
歳の市で歩行者天国になっている月島もんじゃ街(西仲通り)は1番街から4番街まであり、南西に歩いてもんじゃ街を出るとマンションが続く。もんじゃ街は、年末なのに流行って外で行列ができる店と、店主が呼び込みをする店との対比がある。西仲通りの月島川に架かる西仲橋を渡り、月島第二幼小前交差点で右折、晴海通りへ進む。
勝鬨橋之記によると、日露戦争の皇軍大捷を記念して勝鬨の渡と名付けて設けた渡し場を東京市に寄付、その後架橋された勝鬨橋を渡り、築地六丁目交差点前の軍艦操練所跡を過ぎる。
築地場外市場の築地東通りを歩き、突き当りを右折、波除通りへ出て築地中通りに入る。浜藤本店角で左折、築地横丁を経て築地西通りに入り、突き当りを右折、波除通りへ進み、市場橋交差点で左折、新大橋通りへ出て都営大江戸線の築地市場駅に至る。アメ横はマグロとカニだけで、値引きのだみ声が風物詩となっているが、築地は色々な正月のおせちや、肉なども売られており、マグロとカニを探すのが一苦労で、値引きの声もかからない静かな買い物風景である。
江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第1部 小塚原〜両国〜伝馬町(H22−11−02)
江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第1部として江戸、東京の事件、災害、刑場のメインと言える刑場(小塚原、伝馬町牢屋敷)、災害(関東大震災、東京大空襲)、事件(投込寺(浄閑寺)、本所吉良屋敷)、回向院(両国、小塚原)をテーマとし、三ノ輪駅点から南千住に出て吉野通りを南下、言問通りに入り東京スカイツリーを見た。その後、三ツ目通り、蔵前橋通りを経て、清澄通りで旧陸軍被服廠(横網公園)、本所吉良屋敷、回向院と歩き、江戸通りから十思公園(伝馬町牢屋敷跡)に着いた。
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ入って次の小路を右折すると、すぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。安政2年の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れた縁で文学碑が建てられた。ただ、本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が撮りにくい。正面に東京スカイツリーを見つつ、浄閑寺の白塀沿いに東進、南千住二丁目交差点で左折、吉野通りへ進み、南千住駅前歩道橋に至る。
南千住駅前歩道橋を渡り、左手前の階段を下りると小塚原処刑場跡(延命寺)である。小塚原回向院は両国の回向院が手狭になったために建てられたもので、常磐線建設により南北に分けられ、刑場跡は線路脇に首切地蔵がある延命寺となっている。延命寺は、境内、墓地改修工事で雑然とし、首切り地蔵がかすかに見える。首切地蔵は、刑死者の菩提をとむらうため寛保元年に造立された。
回向院入口の壁には、明和8年の蘭学者杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが、刑死者の解剖に立ち合ったことによる観臓記念碑がある。墓地は整備されて右に史跡参拝所が設けられ、入口から2.26事件の磯部浅一元大尉夫妻、相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓がある。奥には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。
現在の高さは497mの東京スカイツリーを見つつ、吉野通りを南下、泪橋交差点で明治通りを渡る。北めぐりんが横断する東浅草二丁目交差点の次の無名の交差点で、靴ひもの株式会社マモル脇で右折すると正面に江戸六地蔵の東禅寺がある。次の東浅草交番前交差点は、浅草地区を周回する無料のニンニンパンダバスが横断し、山谷堀公園の吉野橋を経て、言問橋西交差点で左折、言問橋へ向かう。
現在の高さは497mの東京スカイツリーを正面に見つつ言問橋を渡り、言問通りを牛嶋神社沿いに東進する。言問橋東交差点、向島一丁目交差点、東武伊勢崎線 業平橋駅と過ぎて、東京スカイツリー撮影スポットとして名高い北十間川に架かる東武橋に至る。業平一丁目交差点で左折、浅草通りへ出て、業平橋、大横川親水公園と経て、本所吾妻橋交差点で左折、三ツ目通りへ進む。
三ツ目通りを南下、本所三丁目交差点で春日通りを渡り、石原三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ進み、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入る。旧陸軍被服廠(横網町公園)は、関東大震災で約4万人がこの地で焼け死んだため、震災慰霊堂が作られ、合わせてその後の復興を記念する復興記念館も建てられた。震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱などが展示されている。清澄通りを南下し、日大一中、一高、江戸東京博物館と過ぎて、緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ進む。
京葉道路を西進、関東大震災殉職者慰霊碑がある本所警察署の先の両国三丁目交差点で左折、平成22年元禄市のポスターや両国小学校前の芥川龍之介文学碑(杜子春)を見て、両国玩具株式会社脇で右折、すぐ右に旧吉良邸の本所松阪町公園の白壁が見える。昭和9年に地元町会の有志が、世に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付した。
突き当りを右折し、京葉道路へ出て旧国技館の両国シティコアの隣に両国回向院がある。天保4年からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれたことに因み、力塚など相撲関係石碑群があり、左奥の史跡記念墓地には鼠小僧供養墓がある。日露戦争の満州軍総司令官大山巌元帥書の表忠碑がある両国橋東詰めに至る。
京葉道路を西進、隅田川に架かる両国橋を、浅草橋交差点で清杉通りを渡り、浅草橋交差点で左折、江戸通りへ進む。馬喰横山の繊維問屋街、馬喰町一丁目交差点、馬喰町交差点と過ぎて小伝馬町交差点で右折、人形町通りへ入る。交差点のすぐ先に伝馬町牢屋敷跡の十思公園があり、その前に処刑者慰霊の大安楽寺がある。十思公園には、刑死した松陰先生終焉之地碑、吉田松陰の辞世の歌碑や、石町の時の鐘がある。
江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第3部 日比谷〜永代橋〜洲崎十万坪(H22−09−29)
江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第3部として永代橋崩落、大高潮災害の洲崎十万坪をテーマとし、日比谷交差点から大手町に出て、永代通りを歩いた。
日比谷交差点から日比谷通りを北上、第一生命、帝国劇場、東京會舘と過ぎて、馬場先門交差点を渡ると重要文化財の明治生命館がある。さらに日比谷通りを馬場先濠沿いに北上、和田倉門交差点を渡ると東京海上日動ビル本館がある。和田倉門交差点から見た行幸通りは、工事も終え、きれいに整備されて歩きやすいプロムナードになっている。和田倉橋前の東京銀行協会ビルの先の大手町交差点で右折、永代通りへ入る。
永代通りを東進、大手町駅前交差点には改装前の旧野村ビルの名残の時計台が付く大手町野村ビルがあり、丸の内一丁目交差点でJRガード下をくぐり抜けてサビアタワー前を歩き、呉服橋交差点で外堀通りを渡る。東北の角にCOREDO日本橋がある日本橋交差点で中央通り、江戸橋一丁目交差点で昭和通りを渡る。茅場町交差点界隈には兜町証券会社街があり、茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る。
永代通りを東進、亀島川に架かる霊岸橋を渡り、新川一丁目交差点を過ぎると河村瑞賢屋敷跡、永代橋西交差点には船員教育発祥之地碑がある。隅田川に架かる永代橋から月島リバーシティ21(下流側)、東京スカイツリー(上流側)が見える。
永代橋は、文化4年(1807年)8月に、深川八幡の祭礼の人出で橋が崩落、440名が溺死した。深川にあった海福寺に供養塔が作られたが、明治43年(1910年)に目黒に移転、供養塔も移った。永代二丁目交差点を過ぎ、門前仲町交差点で清澄通りを渡る。
永代通りを歩き、深川不動尊、富岡八幡宮と過ぎて、平久川に架かる汐見橋を渡り、首都高9号深川線の高架下を進んですぐの木場五丁目交差点で右折、三ツ目通りへ入る。平木橋を渡ってすぐ左折、正面に赤い鳥居の洲崎神社が見え、境内に津波警告の碑、波除碑がある。
寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日、深川洲崎一帯に襲来した高潮で多数の死者、行方不明者が出た。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西の5,467余坪を買上げて空地とし、さらに同6年(1794)12月、空地東西の北端に波除碑2基を建て、見通しの標とした。波除碑は当時は高さ6尺、角1尺であったが、材質が砂岩で脆く、関東大震災と戦災で破損が著しい。洲崎川緑道公園を歩き、東陽町駅前交差点で四ツ目通りを渡り、東京メトロ東西線の東陽町駅に着く。
江東区 城東シャトル(土・日・祝日運行)(H22−08−01)
錦糸町駅南口のバスターミナルから京葉道路を東進、横十間川に架かる松代橋を渡り、亀戸駅前交差点で右折、明治通りへ入る。北詰に旧千葉街道碑、五之橋由来碑がある竪川に架かる五之橋を渡る。竪川は、万治2年(1659年)に大横川、横十間川と共に新田開発を目的として開削した用水路で、西の方から一之橋から五つの橋が架けられた。
明治通りを南下、区民センター前交差点には五百羅漢跡碑があり、西大島駅前バス停がある。五百羅漢寺は現在目黒不動の近所に移っている。
明治通りを南下、貨物線越中島支線の廃駅となった小名木川駅前交差点を渡り、七夕祭りが名物の砂町銀座を過ぎ、境川交差点で清洲橋通り、仙台堀川公園の弾正橋、日曹橋交差点で永代通りを渡って新砂二丁目バス停に着く。湿度90%の蒸し暑さに、これ以上歩くのは別の機会とした。
北砂三丁目バス停、新砂二丁目バス停で見たラッピングされた城東シャトルには、砂町銀座の七夕祭り、大島の横十間川親水公園風景、亀戸天神と、名物の藤棚などが描かれている。
猛暑の中、明治通りを南下、日本郵便新東京支店、右折すると京葉線潮見駅に着く新砂二丁目交差点を過ぎ、砂町運河に架かる夢の島大橋を渡る。夢の島大橋から見える夢の島公園の夢の島マリーナには多くの船が係留され、後方には熱帯植物館の丸い屋根が見える。右木立の奥には、昭和29年にビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸の展示館がある。夢の島交差点で湾岸道路を渡って左折し、新木場駅バスターミナルの3番乗り場の新木場駅前バス停に至る。
新木場駅前バス停から、NECソフト本社ビルビル前で右折、千石橋北交差点を過ぎ、曙運河に架かる新曙橋を渡る。物流施設が並び、コンテナ、トラックが走る。歩き始めて10分経った日通航空前で、温度32.8℃、湿度74%、熱中症計は危険段階である。温度はさることながら、湿度が高く、猛烈な蒸し暑さである。辰巳埠頭震災時海上輸送基地から三ツ目通りが始まり、右側には首都高の辰巳JCTが見える。
辰巳運河に架かる新末広橋を渡ると、りんかい線東雲駅で、日通航空前から25分後で、温度32.3℃、湿度77%、熱中症計は危険である。相変わらず湿度が高い。東雲JCTを見ながら、道路は左に緩やかに曲がっていき、東京ビッグサイト東展示棟前で道路は右に曲がる。東京ビックサイト東棟前バス停は深川シャトルは停らず、ゆりかもめ線 国際展示場正門駅を過ぎた所に国際展示場正門駅バス停がある。
都道台場青海線を深川シャトルと同じコースで進む。少しでも木陰を、と水の広場公園に入るが効果はなく、熱中症にならないよう、こまめに休憩をとりつつ歩く。有明西運河に架かるあけみ橋を渡り、パレットタウン前バス停を経て、青海一丁目交差点を直進する。交差点はりんかい線東雲駅から1時間5分後で、温度34.0℃、湿度66%、熱中症計は危険である。
台場ウエストプロムナードの東京国際交流館の先に、深川シャトルは停らない船の科学館前バス停がある。船の科学館入口交差点で左折、都道台場青海線へ出て、東京湾岸警察署前交差点で左折、日本科学未来館バス停に至る。青海一丁目交差点から20分後で、温度32.6℃、湿度70%、熱中症計は厳重警戒になった。
江東区 深川シャトル(土・日・祝日運行)(H22−07−19)
深川シャトルは清澄通りの森下駅前から、門前仲町、豊洲、台場の日本科学未来館まで、深川、豊洲、台場の観光地を巡る。江東区が急行06系統として都バスに委託し、土曜、休日のみ運行されている。
森下駅前から小名木川に架かる高橋、清澄庭園、寛政の改革を行った白河藩主松平定信の墓所があり、江戸六地蔵が置かれる霊巌寺がある深川江戸資料館通りと、清澄通りを南下する。仙台堀川に架かる海辺橋手前には滝沢馬琴誕生の地案内が、渡った所には松尾芭蕉が奥の細道の旅行に出た時の採荼庵(さいとあん)がある。門前仲町交差点で左折、永代通りへ入り、深川不動に立ち寄る。
清澄通りを南下、門前仲町交差点で永代通りを渡り、越中島二丁目陸橋で左折、東京海洋大学沿いに越中島通りを南下し都立三商前交差点で右折する。芝浦工大、高層ビル群を見つつ豊洲橋を渡り、豊洲二丁目歩道橋で左折、晴海通りへ入る。開発が進む豊洲界隈を歩き、ららぽーと豊洲を過ぎて豊洲駅前交差点で右折、都道豊洲有明線へ入るとゆりかもめ線豊洲駅の脇に豊洲駅前バス停がある。豊洲橋から以降は木立と言えるようなものはなく、コンクリートの照り返しが激しく、真夏の歩きは過酷だということを思い知らされる。
ゆりかもめ線の高架沿いに都道豊洲有明線を東京ビックサイト前交差点まで、そこからは都道台場青海線を国際展示場正門駅まで歩く。特に開発が殆どなされてなく、荒野が続く有明駅までは、真夏の照り返しと直射日光に体力が奪われ、休憩を繰り返す難行苦行の連続だった。全てのバスではないが、清澄庭園や、門前仲町、豊洲風景を車体にラッピングした深川シャトルに癒されれる。
国際展示場正門駅前バス停から、都道台場青海線を歩き、東京ファッションタウン(TFT)ビル、あけみ橋と過ぎて、ゆりかもめ線青海駅前にあるパレットタウン前バス停に着く。青海一丁目交差点を直進、青海西臨時駐車場前を進み、船の科学館入口交差点で左折、都道台場青海線へ出る。東京湾岸警察署前交差点で左折すると終点の日本科学未来館である。
住吉、錦糸町、東京スカイツリー、浅草寺ほおずき市散策(H22−07−09)
東京スカイツリーは押上駅脇にあるので、四ツ目通りを北上すれば、段々大きくなるはず、と思い、住吉駅から錦糸町駅を経て、押上駅まで歩く。名前の由来となった四之橋、錦糸町駅、錦糸公園、オリナスを過ぎ、右折すると亀戸天神に行く太平4丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。この交差点でやっと東京スカイツリーの頭がかろうじて見える。業平三丁目交差点で一瞬みえた後、浅草通りと交差する押上駅前交差点でやっと東京スカイツリーをはっきり見ることが出来る。
押上駅手前の撮影ポイントとして人気の京成橋で左折、北十間川沿いに歩き、段々大きく、高くなる東京スカイツリーを見つつ歩く。低層棟工事も始まり、道路沿いには工事概要説明、工程表、周辺案内図など見物客への配慮がなされている。高さは398mとなり、最も近い所では写真に全景を収めるのも難しくなる。さらに進み、撮影ポイントとして有名な言問通りの東武橋に至る。
言問通りを南下、業平一丁目交差点で右折、浅草通りへ入り、大横川親水公園を過ぎて吾妻橋交番前交差点で右折、三ツ目通りへ進む。大横川親水公園や、三ツ目通りの源森橋から東京スカイツリーがきれいに見える。
源森橋を渡って左折、隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)に入り北上、言問橋手前の牛嶋神社に着く。隅田公園の汐入りの池沿いを歩いて南下、明治天皇行幸所の碑を過ぎて墨堤通りへ出る。1875年(明治8年)、明治遷都後初の宮中花見の再開において、明治天皇は東京で初めて行う花宴の会場に、この墨堤の水戸徳川家小梅邸を選んだ。枕橋から東京スカイツリーを見た後墨田区役所に行く。
墨田区役所、アサヒビール本壮一帯のリバーピア吾妻橋は、越前福井藩松平氏などを経て秋田藩佐竹氏の屋敷として移りかわり、浩養園、佐竹の庭としてて一層有名になった。隅田公園のうるおい広場、アサヒビールタワーと過ぎ、隅田川に架かる吾妻橋を渡って吾妻橋交差点に着く。1ヶ月前に売り場を大幅縮小した浅草松屋前から新仲見世通りに入りを西進、右折して仲見世通りを北上する。
仲見世通りが終わり、宝蔵門までの間にほおずきの鉢を売る屋台が並ぶ。この日は参拝すると四万六千日分のご利益がある、と言われる功徳日である。ほおずき市との関係は、昔、赤とうもろこしを吊るしていた家だけが落雷の被害を受けなかったことから、四万六千日の縁日に合わせ、ほおずきが売られるようになった。このため、この日にだけ雷除のお守りが売られる。
平成大営繕中の本堂横の浅草神社前の広場には、ほおずき市の屋台が軒を連ねるが、反対側は工事足場のため数軒しか無い。宝蔵門を出て仲見世通りを南下、雷門を出ると吾妻橋方向に東京スカイツリーが見える。
下町情緒あふれる隅田川界隈と話題のスポットを訪ねて(H22−07−03)
都営地下鉄と西武鉄道との共催イベントで、新宿線馬喰横山駅の出入口から清洲通りに出て、東日本橋三丁目中央通りを通り、突き当りで左折、清杉通りへ進み北上、柳橋通り(薬研堀不動院参道)へ入る。ガソリンスタンド角で右折、神田明神の神幸祭で昼食休憩する薬研堀不動院に寄った後、柳橋通りに戻り、突き当りで京葉道路(靖国通り)を渡る。隅田川、両国橋が見える神田川の河口に架かる柳橋を渡って北上し、総武線ガードを潜り、すぐ右折して総武線鉄橋前で右折、隅田川テラスへ至る。
梅雨時の曇天で霞む東京スカイツリーを遠望しつつ隅田川テラスを上り、隅田川に架かる蔵前橋を渡って、国技館通りを南下する。丸いドームの両国公会堂脇で左折し、旧安田庭園を散策して国技館通りに戻り、両国国技館に着く。普段は入れない国技館脇の通用門が開いており、正面入口の相撲絵を見たり、相撲土産店に寄った後、JR両国駅に至る。
国技館通りを南下し、突き当りの両国二丁目交差点で京葉道路を渡り、回向院に入る。狭い境内はイベント参加者などでごった返し、鼠小僧次郎吉の墓などがある史跡記念墓地を通り、通用門を出て左折する。竪川に架かる塩原橋手前交差点を経て、狭小な吉良邸跡(本所松坂町公園)に着く。両国回向院、吉良邸跡(本所松坂町公園)は別サイトで詳細に紹介しているのでご覧いただきたい。卒業生の芥川龍之介の文学碑(杜子春)がある両国小学校の先に両国公園があり、左奥の角に勝海舟生誕之地碑がある。清澄通りに出て、緑一丁目交差点で京葉道路を渡り北上、江戸東京博物館に至る。
江戸東京博前交差点で右折、北斎通りへ入り、野見宿禰神社、三ツ目通りを渡る亀沢四丁目交差点と過ぎ、長崎橋で左折、大横川親水公園へ入る。だんだん近くなる東京スカイツリーを見つつ北上、法恩寺橋 蔵前橋通り下の横川橋を経て、平川橋横から通りへ出て、東駒形三丁目東交差点の本所消防署東駒形出張所を過ぎ、東駒形二丁目交差点で右折、区役所通りへ進む。区役所通りを北上、吾妻橋一丁目交差点で浅草通りを渡り、ここから墨堤通りに改称する。
墨堤通りを北上、北十間川に架かる枕橋から見た東京スカイツリーを見た後、少し戻って墨田区役所前交差点で右折、台東区役所うるおい広場の勝海舟(安芳)像、金色のアサヒビール タワー前を過ぎて、吾妻橋東詰交差点で浅草通りを渡り、隅田川テラスへ進む。駒形橋を過ぎ、階段を上り厩橋へ出て春日通りを西進、厩橋交差点で江戸通りを渡ってゴールの都営大江戸線蔵前駅に着く。
新春の門前仲町、水天宮、浅草散策(H22−01−09)
門前仲町交差点から永代通りへ入り東進、参拝客で賑わう深川不動尊に入る。松が開けているのに初詣をする人、家内安全や合格祈願など用途別に分けられた護摩木に必要事項を書いて焚くことを願うが人が多い。
庭球場脇の道を歩き、富岡八幡宮の裏参道に行くと、深川七福神として普段は閑散としている末社の恵比寿宮に参る人で賑わっている。富岡八幡宮本殿参拝の長い列を見つつ、大関力士像、伊能忠敬 日本測量出発地などを眺めながら大鳥居から永代通りに出て、門前仲町交差点に戻り、清澄通りへ進む。 門前仲町交差点から清澄通りを北上、南詰に採荼庵跡、松尾芭蕉像がある海辺橋を渡ると清澄庭園である。清澄庭園の入口は清澄通り沿いにはなく、狭い小道の清澄庭園・中村学園通りの奥にある。
清澄三丁目交差点で左折、清洲橋通りへ入ると北側には錣山部屋や、大鵬道場・大嶽部屋、北の湖部屋が並ぶ。清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ進むと読売新聞の建物脇に平賀源内電気実験の地碑がある。清洲橋はドイツケルン市のライン河に架かるつり橋をモデルとした優美な曲線をもち、関東大震災復興で架け直された。
清洲橋通りを進み、日本橋浜町Fタワー、トルナーレ日本橋浜町の高層ビルが建つ浜町中ノ島交差点で左折、新大橋通りへ入り、水天宮前交差点で左折、水天宮通りへ進んで階段を上ると安産の神様で有名な水天宮である。境内は初詣を兼ねた妊婦や乳児連れの家族の参拝で賑わっており、出産準備用品販売の露店も並ぶ。
水天宮前交差点で新大橋通りを渡り、人形町通りへ進むと昨年(平成21年)11月に設けられた人形町からくり櫓(からくり時計)があり、その先で右折、甘酒横丁に入る。浜町緑道を過ぎると明治座通りと名前は代わり、明治座が聳え立つ浜町公園前交差点で左折、清洲橋通りへと進む。
清洲橋通りを北上、東日本橋交差点で左折、さらに馬喰町交差点で右折、江戸通りへ入り、浅草橋交差点で靖国通りを渡る。この一帯は馬喰横山の繊維問屋街である。南詰に郡代屋敷跡の案内板がある浅草橋を渡ると、JR浅草橋駅の前後は雛人形が飾られた吉徳や久月などの人形商店が続く。
江戸通りを北上、蔵前二丁目交差点で左折、国際通りへと進む。寿三丁目交差点で春日通りから来る台東区の南めぐりんと同じコースを歩き、寿四丁目交差点で浅草通り、雷門一丁目交差点で雷門通りを渡る。
浅草ビューホテル前で右折、花やしき通りへ入り、六区ブロードウェイの端のパチンコ店前には小さくて見落としやすいが、浅草凌雲閣記念碑がある。家族連れで賑わう花やしきでは、道路沿いに設けられた大江戸ステージで、役人と女怪盗のアトラクションが行われていた。花やしきを通り抜けると平成の大営繕で白い覆いで囲われた本堂が見える。
平成の大営繕中の本堂を参拝後、右から恒例の猿回しが行われている浅草神社に向かう。本堂脇のお守り授与所の裏に迷子しらせ石標がひっそりとある。正月らしく虎の絵馬や宝船、獅子舞などの飾り付けがなされ、いつも以上に大混雑の仲見世を歩き、雷門から出て、都営浅草線の浅草駅に至る。
東京まちさんぽ 第3回 東京の今、昔を見つける秋の下町探訪(H21−11−28)
押上駅から四ツ目通りを北上、押上駅前交差点で浅草通りを渡り、京成橋から東京スカイツリーを見つつ、北十間川沿いを歩く。東京スカイツリーは、1年前には基礎工事が始められて影も形も無かったが、今は215mまで完成し、最終の634m(武蔵 六三四)の1/3に達している。東京タワーと違い、裾が少し膨らんだ高層ビルのように見える。東武橋を渡り、東武伊勢崎線の業平橋駅に着く。
言問通りを北上、言問橋東交差点で左折、三ツ目通りへ入ってすぐに牛嶋神社がある。貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建、江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られ、また本殿前には全国でも数少ない三輪鳥居がある。境内から隅田公園に入り、裸木に近い紅葉した桜並木の墨堤通りを北上し、桜橋を渡って隅田公園の西岸に至る。
桜橋から紅葉した桜並木の隅田公園(西岸)を南下、東京スカイツリーが遠望できる言問橋、水上バスのりばと過ぎて吾妻橋で右折、雷門に向かう。雷門交差点で左折、東西めぐりんや夢の下町バスが走る並木通りへ入り、駒形橋西詰交差点で左折、浅草通りへ出て、駒形橋に向かう。駒形橋西詰交差点には、「駒形」の名前の由来の一つとなった浅草寺の駒形堂がある。
駒形橋を渡り隅田川東岸の隅田川テラスを南下、両国橋手前の水上バス両国発着場から国技館通りに出て、旧安田公園を経て、江戸東京博物館の江戸東京広場を通り、階段を下りて清澄通りに至る。隅田川テラスの駒形橋から厩橋までは日本庭園風で、蔵前橋から水上バス両国発着場までは葛飾北斎の富岳三十六景などが飾られた隅田川テラスギャラリーである。
江戸東京博前交差点で右折、北斎通りへ入り、野見宿禰神社を経て、亀沢四丁目交差点で三ツ目通りを渡り、長崎橋で左折、大横川親水公園を北上する。法恩寺橋横から蔵前橋通りへ出て、太田道灌によって創建された法恩寺を参拝後、太平四丁目交差点で四ツ目通りを渡る。
蔵前橋通りの横十間川に架かる天神橋を渡り、太宰府天満宮を模した亀戸天神を参拝後、蔵前橋通りを戻り、天神橋手前で左折、横十間川沿いの道へ入る。錦糸橋を渡り北斎通りへ入り、錦糸公園前交差点で右折、四ツ目通りへ進んで、ゴールの半蔵門線錦糸町駅に至る。
都営バス 夢の下町バス(H21−05−10)
都営夢の下町バスは専用のバスで、東京駅丸の内北口の丸の内オアゾ前から日本橋三越、須田町、上野公園山下、菊屋橋、浅草雷門、両国駅前、都営両国駅前に至る観光バスであり、料金は普通バスと同じである。
丸の内北口から永代通りを東進、呉服橋交差点を経て日本橋交差点で左折、日本橋を通り三越本店に着く。中央通りを北上、神田駅北口の神田警察通り界隈では神田祭の一環で、美土代町会、淡路一丁目町会などの神輿が練り歩く。万世橋からの秋葉原電気街は、神田祭の飾り付けがなされ、外人買い物客で賑わい、名物のメイド喫茶のビラ配りがあちこちで見られる。更に中央通りを進み、上野公園山下に至る。上野駅不忍口から駅前を西から東に進み、浅草通りに入る。神田明神の神田祭同様、上野駅前の下谷神社も大祭が行われており、狭い境内や参道は地元の氏子で賑わっている。菊屋橋のかっぱ橋道具街前を通り、国際通りから雷門通りに入り、雷門前の並木通りに進むと浅草雷門バス停がある。
雷門から並木通りを進み、江戸通りを南下、厩橋を渡って清澄通りを進み、関東大震災や、東京大空襲などの犠牲者を祀った東京都慰霊堂がある横網公園の横を通って旧安田庭園に至る。旧安田庭園は大名の下屋敷で、安田財閥の安田善次郎逝去後に東京市に寄贈されたもので、隅田川の水を引き入れた潮入り回遊式庭園である。旧安田庭園を出ると、国技館通りの先に夏場所初日を迎えた国技館が見える。JR両国駅前を通り、突き当りの回向院前で左折、芥川龍之介生育の地碑がある京葉道路を東進し、清澄通りに入って江戸東京博物館前の都営両国駅前バス停に着く。大相撲初日なのに夏場所の高い席はすべて売り切れ、自由席も早々と満席となっている。明暦の大火(振袖火事)の慰霊で建立された回向院は、鼠小僧次郎吉の墓などがある。
下町の初詣巡り(H21−01−06)
御茶ノ水駅から聖橋を渡ると、普段は閑散としている湯島聖堂に神田明神を参拝した後の会社員が多い。神田明神は企業参拝が多く、臨時の神札授与所の大テントが張られている。秋葉原電気街は普段と変わらず、萌え〜系のイラストがあちこちで飾られている。湯島天神はまだ受験生の姿はないが、合格祈願や、学業成就のお守りが前面に出ている所が天神様らしい。
これが年末の大混雑していたアメ横か、と思うほど閑散としているアメ横を通り抜け、ガラガラの上野駅構内を歩く。浅草通りから雷門通りと進み、正月の飾りがされている普段並みの混みの仲見世を通り、参拝後、隣の浅草神社に至る。吾妻橋を渡り、浅草通り、四ツ目通り、蔵前橋通りと歩いて亀戸天神に至る。太宰府天満宮を小さく模した亀戸天神の太鼓橋を渡り、藤棚の先に本殿がある。神札授与所は、湯島天神のように学業成就のお守りが中心になっている。
四ツ目通りに戻り、ショッピングモール オリナスの前を通り過ぎると錦糸町駅である。四ツ目通りから三ツ目通りに出て、戦前の人気漫画「のらくろ」の作者である田河水泡の遺品などが展示される「のらくろ」館がある高橋のらくろードを経て、清澄通りに出ると、清澄庭園、松尾芭蕉旧宅や、滝沢馬琴誕生の地、寛政の改革の松平定信の墓所で、江戸六地蔵がある霊巌寺などが続く。清澄通りをさらに南下すると、永代通りと交差する門前仲町交差点に着く。
「人情深川ご利益通り」の幟も新調された参道を歩き、大きな臨時神札授与所も設けられた深川不動尊を経て、富岡八幡宮に向かう。神札授与所も小振りで、境内も閑散としているのには驚いた。破魔矢を買って大鳥居から出て、門前仲町駅に戻る。
東京メトロ沿線ウォーキング)運河と橋で巡る深川(H20−04−26)
茅場町駅から平成通り、八重洲通りを進む。芭蕉句碑のある亀島橋を渡り、南高橋のあるリバーサイド通りに出て隅田川に向かう。亀島川が隅田川に合流する所が隅田川テラスの始点で、黄色の錨を模した江戸湊の碑がある。上流に向かって歩くとすぐに中央大橋があり、新川と高層マンション群がある大川端リバーシティとを結ぶ。永代橋を渡り、隅田川沿いに永代公園を下流側に歩き、大横川の桜並木沿いを歩いて黒船橋脇から清澄通りに出て門前仲町交差点に至る。
永代通りを進むと深川不動尊の表参道「人情深川御利益通り」や、勧進相撲の石碑などが数多くある富岡八幡宮に至り、豪壮な本殿前の横道を歩いて八幡堀遊歩道に着く。国産第1号の鉄橋である八幡橋(旧弾正橋)を見つつ、首都高深川線に沿って東進、三ツ目通りを渡って木場公園に着く。公園内を北上すると、隣接して東京都現代美術館に至る。三ツ目通りの東京都現代美術館近くから清澄庭園とを結ぶ深川資料館通りは、通りの2/3以上は満開の花みずき並木が続き、花みずき商店街、との名前がぴったりする。寛政の改革の松平定信の墓や江戸六地蔵がある霊巌寺を見つつ、清澄庭園に至る。戦後三菱財閥から譲られてできた清澄公園の藤棚の下を歩き、清洲橋を渡り、水天宮に至る。
下町散策 洲崎十万坪〜亀戸天神〜押上(H19-03-21)
門前仲町駅から永代通りを東進、深川不動尊、富岡八幡宮前を通り、東西線木場駅で右折、平木橋を渡り、洲崎神社に到る。寛政3年の深川の高潮被害から、幕府が土地を買い上げたことに由来する洲崎十万坪、立ち入り禁止の境界標の波除碑などがある。東陽町駅前交差点から四ツ目通りを北上、江東区役所を過ぎて右折、横十間川親水公園、道なりに仙台堀川公園を経て四ツ目通りに戻る。仙台堀川公園は、いかにも水辺という趣である。
猿江恩賜公園は、幕府時代からの木材蔵があった所で、皇太子(昭和天皇)成婚記念で南側が東京市に払い下げられ、整備開園された。四ツ目通りを右折、蔵前橋通りを進み、亀戸天神に着く。亀戸天神は、寛文2年(1662)、太宰府天満宮より勧請、小規模ながら結構は大宰府に倣って造営されている。朱色の鳥居をくぐると石造の太鼓橋があり、藤棚のある心字池の向こうに本殿がある。
神田から「粋 活・下町情緒」新日本橋までの散策(H19-02-10)
神田駅から日銀通りを歩き、日本銀行本店などを見つつ、日本橋の道路元標前に到る。日本橋の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表している。中央通りは東京マラソンの記念幟で飾られている。銀座2丁目、3丁目にはTIFFANY、Cartier、Louis Vuittonなど海外ブランド店が続く。佃大橋がコースのため、東京マラソンの幟で飾られている西仲通り(月島もんじゃ街)は11時ではあるが、店の多くは開店前で、食べられないと嘆く人もいた。佃島では、佃煮の甘いしょうゆの香りが漂い、佃島渡船碑、住吉神社、石川島灯台がある。
深川不動尊は、勧進相撲を始め相撲に縁の深い富岡八幡宮に隣接し、反対隣には廃寺となった富岡八幡宮の別当寺の永代寺跡がある。清澄通りを北上し、小津安次郎監督誕生の地碑、松尾芭蕉が奥の細道を旅立ちした採荼庵を経て、清澄庭園で左折、清洲橋に向う。水天宮に出て、人形町通りを北上、新日本橋駅に到る。京橋の親柱、2階建ての周遊観光のスカイバス TOKYO、富岡八幡宮の復興記念碑、永代寺跡碑の隣にある日露戦役慰霊碑などを紹介。
下町散策 佃島・門前仲町〜深川・両国〜浅草(H18-12-16)
佃大橋から、佃島、門前仲町、深川、本所吉良邸義士祭、両国、蔵前、浅草までウォーキング。明石町の聖路加ガーデン脇から佃大橋を渡ると、右側はもんじゃ焼き屋が立ち並ぶ西仲通りで、左側はありふれた下町風景の佃仲通りである。佃島は、徳川家康が関東下向の際、摂津国佃村の漁民と共に、住吉の社(田蓑神社)が分霊されたのを始めとする。石川島人足寄場南端の石川島灯台を見つつ、佃の大川端リバーシティ21を通る。門前仲町交差点で右折、深川不動を見て、清澄通りに戻り北上する。
深川不動に隣接する深川公園には、永代寺跡の碑や、日露戦争の慰霊碑がある。仙台堀川に架かる海辺橋の南詰めには、松尾芭蕉の奥の細道の出発点である採荼庵(さいとあん)があり、北詰めに滝沢馬琴誕生の地の碑がある。清澄庭園脇を通り、二之橋を渡って左折し、本所松坂町の吉良邸跡に向う。赤穂義士祭は高輪泉岳寺が有名であるが、小さな稲荷神社となっている吉良邸跡を中心に、赤穂義士所縁の土地からの屋台が路地に所狭しと並ぶ。旧陸軍被服廠跡の横網公園は、震災の高熱で折れ曲がった鉄路などが外に展示され、慰霊堂や、復興記念館などがある慰霊公園である。
空中廊下でつながれた独特の形の聖路加ガーデン、佃島の住吉神社の伝 東洲斎写楽終焉地の碑、東京海洋大学の重要文化財の帆船明治丸、高橋の「のらくろーど」、蔵前橋にある名前の由来になった浅草御蔵跡の碑などを紹介。
東京メトロ沿線ウォーキング)日本橋、清澄白河、両国 江戸の情緒を巡る旅(H18-10-14)
日本橋COREDOから歩き始め、三越と日本橋三井タワーの向かいの木屋で右折、富くじで有名な椙森神社を経て人形町通りに出る。人形町交差点手前のお富与三郎で有名な玄冶店跡を見つつ、甘酒横丁に入り、浜町の明治座で右折、清洲橋通りを進んで清洲橋に到る。女性的な優美さで知られる清洲橋からは、松尾芭蕉像がある芭蕉庵が見える。清洲橋を渡ってすぐに北の海部屋や、大嶽部屋・大鵬道場が、花篭部屋や間垣部屋は京葉道路と北斎通りの間にあり、いずれも少し分りにくい。
清澄3交差点で左折し、清澄通りを北上するが、右折すると清澄庭園や、寛政の改革の松平定信の墓所がある霊巌寺がある。葛飾北斎の生誕地は江戸東京博物館前にある。両国橋を渡り、馬喰横山の繊維問屋街を通って、江戸橋通りを東京駅までひたすら歩く。奥州道の江戸城防備のために設けられた常盤橋門の遺構が残る常盤橋公園には、渋沢栄一の銅像がある。
日本橋七福神めぐり(H18-01-28)
神田駅から日銀通りを歩き、日銀本店を経て再開発運動が進められている日本橋に出る。兜町近くの小網神社(福禄寿・弁財天)から、茶の木神社(布袋尊)、安産・子授けの神として信仰を集める水天宮(弁才天)を参拝する。コースは道なりに女性的な美しさで知られる清洲橋を渡り、深川芭蕉庵など松尾芭蕉所縁の地を巡る。
新大橋は関東大震災で唯一通行可能だったことから、大きな記念碑が西詰の交番裏に建てられている。新大橋通りを水天宮前近くまで戻り、松島神社(大国神)、甘酒横丁、末廣神社(毘沙門天)、笠間稲荷神社(寿老神)、人形町交差点脇の玄冶店(げんやだな)跡、富くじで有名な椙森神社(恵比寿神)、「べったら市」の寶田恵比寿神社(恵比寿神)と歩いていく。郵便発祥の地の日本橋郵便局や、源頼義の奥州平定に因む兜町と鎧橋などを紹介。
江戸百景 深川州崎十万坪(H16−11−03)
馬喰町から、清洲橋、清澄庭園、霊巌寺、木場公園、東陽町、州崎神社、越中島をウォーキング。芭蕉庵を始め、古池の句碑がある紀伊国屋文左衛門別邸だった清澄庭園、寛政の改革の松平定信の墓がある霊巌寺と深川を回り、三ツ目通りを下ってかつての貯木場だった木場公園に至る。四ツ目通りを南下、ごみの埋立地であった深川洲崎十万坪には、高潮で大被害を蒙ったことによる遺構が並ぶ。
江戸百景 大はしあたけの夕立(H16−05−29)
東京駅から、日本橋、小伝馬町、水天宮、新大橋、芭蕉庵、霊巌寺、富岡八幡宮、八丁堀をウォーキング。小伝馬牢屋敷跡や、清正寺、松平定信の墓、深川不動尊などを、豊富なコメント付き写真で紹介。
新撰組ゆかりのウォーク 板橋、小石川界隈(H16−04−24)
板橋から、巣鴨庚申塚、教育の森公園、伝通院、小石川後楽園、鳥越神社、東京都慰霊堂、両国をウォーキング。新撰組(新選組)局長の近藤勇墓所や、清岡八郎墓所、浅草御蔵跡などを紹介。
隅田川さくらのライン下り(H16−03−27)
上野公園から、かっぱ橋道具街、浅草寺界隈、隅田公園、吾妻橋、駒形橋、本所、両国橋、浜町、馬喰町をウォーキング。さくら祭りや、関東大震災慰霊堂、本所松坂町の吉良邸跡などを紹介。
江戸・鳥取ふれあいウォーク(H15−06−07)
本郷三丁目から、湯島天神、上野、浅草、両国をウォーキング。不忍池、上野東照宮、上野恩賜公園、かっぱ橋本通り、大横川親水公園などを紹介。
|