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目次
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上野界隈、谷中、日暮里、根岸、千駄木、根津
暖冬の桜並木散策(谷中銀座〜谷中霊園〜上野公園〜上野東照宮〜不忍池)(R02−03−25)
千駄木駅から団子坂下交差点で不忍通りを渡り、団子坂通りを東進、次の交差点で左折して谷中よみせ通りを北上する。谷中よみせ通りの途中にあるゲートで右折し、 谷中ぎんざに入り東進して出口の夕やけだんだんの階段を上る。時刻が10時と早いこともあるが、新型コロナウイルスのせいか開店準備中の店員以外にはほとんど人を見かけず、信じられないほど閑散とした谷中ぎんざを歩く。山門に上野戦争での官軍の銃痕が残る経王寺、月見寺で知られる本行寺と経て御殿坂を下り、日暮里駅の旧駅舎に至る。
日暮里駅の旧駅舎前階段を上ると谷中霊園の入口で、七、八分咲のさくら並木を南下して突き当りで左折すると谷中天王寺である。 元々日蓮宗の不受不施派であったため弾圧を受け、廃寺になるところを輪王寺宮のとりなしにより元禄12年に天台宗となった。のちに家斉の側室お美代の方一派により日蓮宗改宗の動きがあり、天保4年に寺号を感応寺から天王寺とした。境内に入ったら真っ白なきれいな花が咲いていた。初めて見る花だがハナモモというそうで、花を鑑賞するために改良されたが、実は小さく食用に適さないとのことである。有名な銅造釈迦如来坐像、枝垂れ桜、沙羅双樹を見た後、さくら通りを南下し、天王寺五重塔跡、天王寺駐在所、川上音二郎碑と過ぎて、休館の台東区立下町風俗資料館がある上野桜木交差点で言問通りを渡る。例年なら多くの人が歩くさくら通りも閑散としている。
上野桜木交差点から東京藝術大に向かう都道神田白山線は一方通行の細い道で、抜けると道の両側に東京藝術大学のキャンパスが続く。新型コロナウイルス対策のため、東京国立博物館、旧音楽学校 奏楽堂の休館案内や大学構内への用事のない人の立入禁止の掲示がなされて物々しい。上野公園内の人出は少なく、大噴水前広場は花見シーズンとは思えないほど閑散としている。
閉園した上野動物園前の広場から桜の名所であるさくら通りを南下、小松宮彰仁親王銅像横の道を歩き、閑散とした上野東照宮の参道に入る。例年なら狭い参道にびっしりと並ぶ屋台はなく、さくら並木の後ろの五重塔や石灯籠の列がこのシーズンでくっきりと見えるのは初めてである。正面の金色に輝く唐門や金色殿まですんなりと歩け、石灯籠や銅灯籠の竿に刻まれた寄進者の大名の官位、氏名がよく分かる。いつもなら屋台の前に置かれた椅子席で繰り広げられる花見の宴もなく、静かではあるがなんとなく情緒に欠ける。さくら通りに戻り南下するが、酒宴禁止のため、さくら通りが広々と見える。9年前の東日本大震災でもひっそりと行われていた花見の宴は皆無で、命をかけての飲み会は行われていない。七、八分咲きのさくら通りをさらに進み、丘の上に清水観音堂が見える清水坂の階段を下り、不忍池に向かう。
不忍池の清水坂下交差点の北側にある上野動物園弁天門は閉鎖されており、そこから参道を歩いて弁天堂に向かう。上野公園内はいたる所に新型コロナウイルス対策のため閉館の掲示がなさtれ、花見の宴禁止で人出も例年に比べ閑散としていた。しかし、弁天堂は上野寛永寺の管轄のせいか、数は少ないものの飲食の屋台が並ぶ。しかし、いつもならイカなどのツマミとともに酒やビールが飛ぶように売れているが、観光客は素通りし、店員も所在無げで掛け声もかけようとしない。弁天堂を参拝後、弁財天の琵琶を模した朱塗りの小さな絵馬を飾った絵馬堂を過ぎ、ボート乗り場で左折、さくら並木の中通りを歩く。上野公園の桜に比べ木も若く、間隔も離れているので貧弱に見える。池之端一丁目交差点で不忍通りを渡り、昌平橋通りを南下、天神下交差点で左折、春日通りへ進み千代田線の湯島駅に至る。
新春の鷽替神事巡り(湯島天神〜五條天神社〜浅草駅)(R02−01−25)
千代田線湯島駅から昌平橋通りを南下 からあげ 八ちゃん角で右折、学問のみちを西進して湯島天神の天神石坂(天神男坂)を上る。 本殿手前横には合格祈願の絵馬が鈴なりになっており、右奥に鷽替神事の木の鷽授与所がある。間には名物の梅園が見えるが、さすがに枯木状態である。絵馬掛け所の奥に臨時のテントが張られ、鷽替神事の木の鷽授与所がある。押すな押すなの大盛況で、鷽替神事がこれほど人気がある行事とは知らなかった。本殿裏にも九十九折の長い行列ができており、神職が整理していた。この列は本殿と社務所をつなぐ渡り廊下の下をくぐり抜け、梅園沿いに一周する木の鷽授与所に向かう人々であり、このような光景は初めてである。湯島天神の夫婦坂を下りて右折、春日通りへ進む。
昌平橋通りの池之端一丁目交差点で不忍通りを渡り、不忍池池畔遊歩道へ入る。毎年7月から8月にかけて紅白の美しい花が咲き誇る不忍池の蓮であるが、冬枯れで茶色の茎やしおれた花が池面を覆い、寂寥感が漂う。冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進、野外ステージを過ぎ、下町風俗資料館前で大きく左に曲がって北上する。弁天堂参道入口にある駅伝発祥の地記念碑を通って右手の清水坂下交差点で左折、動物園通りを北上する。五條天神社の石碑に従い右折、坂を上ると途中に鳥居があり、その奥に五條天神社がある。神社は意外に大きいが、時刻は11時半なのに「鷽替え 本日の授与は終了いたしました」との掲示がされていたのには驚いた。戻って坂を上ると隣接して花園稲荷神社があり、上りきった所で右折してサクラ並木で有名なさくら通りに出る。
さくら通りの五条天神前から摺鉢山古墳に向い、突き当りの日本芸術院会館前で右折、遊歩道を南下する。今までに何回も歩いた上野公園であるが、初めて見るものがまだあり、木立の中の天海僧正毛髪塔を経て清水観音堂前の博士王仁碑を過ぎ、鬱蒼とした木立の中の彰義隊墓所の先の西郷さん銅像に着く。名所の西郷さん銅像には中国人観光客も記念写真を撮っている。階段を降り、上野駅前のヨドバシカメラ前へ至る。
JR上野駅(不忍口)手前のUENO3153(旧 聚楽台)を通り過ぎ、JR上野駅沿いに中央通りを東進 JR上野駅の不忍口、広小路口、正面玄関口と経て上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。浅草通りを東進、上野警察署前交差点、下谷神社前交差点、講道館柔道発祥の地(永昌寺)、仏壇・仏具店が並ぶ稲荷町交差点と過ぎて菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で国際通りを渡り、駒形一丁目交差点で左折、雷門仲通りを北上し浅草一丁目交差点で右折、雷門通りへ入り浅草寺の雷門を経て銀座線浅草駅に至る。
令和最初の散策(上野ぼたん苑〜上野公園〜合羽橋本通り〜浅草寺)(R01−05−04)
JR上野駅公園口の前の上野公園通りを渡ると東京文化会館で、そこで右折し、国立西洋美術館、大噴水広場、小松宮彰仁親王銅像を経てさくら通りから右折、上野東照宮へ向かう。ぼたん苑で開催されている春ぼたんまつりの大看板を過ぎて大石鳥居を通り表参道の水舎門を過ぎる。
別ページにまとめた上野東照宮のぼたん苑を出ると表参道の水舎と銅燈籠前に出る。藤堂高虎など寄進した大名の氏名が記された銅燈籠を見つつ表参道を進み、黄金色に輝く唐門を見た後、明治の廃仏毀釈で廃棄されそうになり、寛永寺に移管して保存された五重塔を見つつ表参道を戻る。ぼたん苑入口がある水舎門を通り、さくら通りに戻る。
上野東照宮ぼたん苑は、昭和55年4月、日中友好を記念し開園、回遊形式の日本庭園に植栽された牡丹は春は110品種600株、冬は40品種200株が栽培されている。ぼたん苑は「この字型」の繰り返し構造になっており、北東角の水舎門際に入場券の発券場所があり、北西角の唐門手前に出口がある。入苑待ちの長蛇の列を懸念していたが、券売所の奥には僅かな見物客しかいなかった。ぼたん苑に直接日光が当たらないような配慮がなされており、全てではないが、いくつかの花に花札が付けられている。
牡丹には疎く、知識もまるでないが、華やかな、華やか過ぎる花である。個人的には桜や梅、菊の色合いが好きである。樹高は1m前後で、牡丹の素晴らしさを愛でようと思うと身長180cmの体を折り曲げ、しゃがむようにせざるを得ない。ぼたん苑の3/4ほどの所に南北に横切る池之端参道があり、そこから入苑できないよう仕切門がある。
牡丹を愛でながらぼたん苑を散策、出口近くにお休み処(売店)と小規模の日本庭園があり、そこから寛永寺の五重塔が見える。そこから少し歩くと暖簾がかかった出口があり、出ると表参道の水舎前である。
上野公園を北上し、上野の森 親子ブックフェスタ2019が開催されている大噴水前広場、大噴水と過ぎて入場券購入待ちの長い列が出来ている東京国立博物館前で右折、
都道神田白山線(452号)を東進する。両大師堂、輪王殿 寛永寺旧本坊表門と経てJRの電車を眺めるスポットとしても名高く、地上5〜6階建てのビルと同じ高さの両大師橋を下る。都道神田白山線(452号)の突き当りを右折、昭和通りの北上野交差点へ出て右折し南下、北上野一丁目交差点で左折、かっぱ橋本通りを東進する。
かっぱ橋本通りを東進 北上野児童遊園がある東上野五丁目交差点で清洲橋通りを、松が谷二丁目交差点で左衛門橋通りを渡り、かっぱ寺(曹源寺)に着く。雨合羽商の合羽川太郎が、私財を投じて排水のための堀割工事にとりかかった時、隅田川の河童が工事を手助けしたことによる。かっぱ橋本通りをさらに東進、安政の大獄で獄死した梅田雲浜の墓がある海禅寺、外国人で賑わう合羽橋交差点でかっぱ橋道具街通りと渡り、出口のゲートがある公園六区入口交差点で国際通りを渡る。
六区花道を東進、浅草演芸ホール(東洋館)を過ぎ、全国各地の地産品を取り扱うまるごとにっぽんの右手を進んで奥山おまいりまちに入る。ビールを飲みながらたこ焼きを食べたり、立ち飲み屋風の一杯飲み屋などが連なり、花やしきなど所謂浅草六区で、建物はきれいになっても昔ながらのごちゃごちゃ感が漂う一画である。浪曲の定席である木馬亭を経てゲートを過ぎると浅草寺の本堂である。中国語が飛び交い、大混雑の浅草寺、宝蔵門(仁王門)、仲見世通りを南下、飲食店が多い新仲通りで昼食を取り、その後銀座線の浅草駅に向かおうと思ったが、13時というのにどの店も満席である。ふと見たら観音通りが比較的空いていたので、そちらに向かうが、人力車で練り歩く浅草ビューホテルの結婚式プランに突き当たり、食べられずに銀座線浅草駅に至る。
平成最後の日曜日の谷根千、根岸散策+根津神社つつじまつり(H31−04−28)
4年前(平成27年)に「つつじまつり」を見た時とは比較にならないほどの大混雑で、根津駅から人混みを掻き分けながら不忍通りを北上、根津神社の朱塗りの大鳥居から楼門の西側にあるつつじ苑入口に向かう。入口は乙女稲荷神社の千本鳥居入口と隣接しており、どの列がつつじ苑か分かりにくい。
白木の冠木門の先に入場券販売所があり、200円を出して入場する。 前のグループが小屋裏を左折して見物コースに向かったので迷わず後に従った。しかし、見物コースを歩きだすと反対側からくる人並みに逆らって歩くことになり、見物コースを間違えたことに気づいた。正しくは小屋からそのまま右に進まなければならなかったが、引き返すことも出来ず、そのまま進んだ。根津神社の西側の丘に作られたつつじ苑を南から進み、冠木門、楼門と見つつ丘を上り、表参道の大鳥居を左に見た所が頂上でそこで右折して横に進む。白だけでなく、赤と言っても微妙に違うつつじが咲き誇り、多くの人が写真を撮るため立ち止まり、それがまた大渋滞を引き起こしている。丘を北上して正規コースと合流した所で丘を下り出口に向かう。
つつじ苑を見終わって乙女稲荷神社の千本鳥居に向かおうとしたが、とても列に入れず、楼門に向かう。楼門も手前の神橋から社殿まで続く参拝客の列で近寄れず、楼門横から歩いて唐門を通り社殿を遠くから眺めて西門から西参道に出る。丘の上の大混雑の乙女稲荷神社を見ながら西参道を北上、鳥居を出て左折して日医大つつじ通りの根津裏門坂を上る。
日医大つつじ通りの根津裏門坂を上り、日本医大前交差点で右折して日本医大キャンパス横の道を北上する。日本医科大学の千駄木校舎、同窓会館の橘桜会館と過ぎ、夏目漱石旧居跡の碑に着く。家は森鴎外が引っ越した後に夏目漱石が住んだもので、保存のため移築され、現在
犬山市明治村にある。住宅街を北上して駒込学園前交差点で右折、大観音通りへ進む。交差点左角の駒込大観音(光源寺)には高さ約6mの駒込大観音がある。
大観音通りを東進、団子坂上広場、「青鞜社」発祥の地案内板、団子坂上交差点手前の森鴎外記念館と経て団子坂を下り、団子坂下交差点で不忍通りを渡り、団子坂通りへ進む。
団子坂通りを東進、次の交差点で左折、谷中よみせ通りへ入り北上する。普段は客の姿が見えないのに満席だったり、買い物客の列ができている商店を見つつ北上し、よみせ通りのゲートの先にある谷中ぎんざのゲートで右折、東進する。根津神社の「つつじまつり」の見物帰りの人々で大賑わいで、名物の立ち食いコロッケをツマミにプラスチックのカップに入ったビールや酒を飲みながら散策する人が多い。谷中ぎんざは食事ができる店がなく、そのためもあって立ち食いコロッケ店が流行っている。夕やけだんだんを上り、上野戦争で官軍に銃撃された弾痕が山門に残る経王寺、月見寺(本行寺)と経て御殿坂を下り、JR 日暮里駅 旧駅舎西口、御隠殿橋(別名 トレイン ミュージアム)と過ぎて日暮里駅の東口広場に出る。
JR 日暮里駅 東口バスターミナルからJR線路沿いを南下、紅葉橋などを経て6代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となった善性寺に着く。その向かいに日暮里名物の羽二重団子本店があり、土産に買うつもりだった。ところが本店ビルが老化し、耐震工事などを施すため2年前(平成29年)に改修工事に入ってしまい。日暮里駅構内の売店でしか買うことが出来なくなった。本店前の道を南下して尾久橋通りに出て、竹台高校前交差点で右折、駐車場脇の小路へ入ってねぎし三平堂に立ち寄る。尾久橋通りを南下し、根岸小前交差点で右折、尾竹橋通りへ入り直進、鶯谷駅前交差点で言問通りを渡り進んでJR鶯谷駅に至る。
KSN主催)谷中七福神巡り(H30−01−06)
田端駅北口から左折、田端駅前通り(都道458号)を渡り、田端アスカタワー、田端文士村記念館を右に見つつ南下、東台橋の下を過ぎて東覚寺坂を下る。案内に従い右折して全身隈なく赤紙が張られた赤紙仁王尊で知られる田端八幡神社に隣接する東覚寺に至る。広い境内も本堂に並ぶ参拝客の長い列で一杯となり、無料の甘酒接待所も賑わっている。赤紙仁王通りから右折、田端駅前通り(都道458号)へ出る。
田端駅前通り(都道458号) 谷田橋交差点で左折、住宅街を南下し吉井接骨院で左折して北上、千歳湯で右折して東進する。西日暮里四丁目交差点で道灌山通りを渡り、電柱の標識に従って左折、青雲寺(恵比寿)に着く。御朱印をもらうための長い列ができ、本堂左には滝沢馬琴筆塚の碑がある。住宅街を少し歩くと布袋尊が塀に描かれた修性院(布袋尊)があり、御朱印を貰う列ができる。再び住宅街を南下する。
修性院から住宅街を歩いてくるとパっと視界が開けて谷中銀座の有名なゲートが見え、その横に夕やけだんだんがある。谷中銀座界隈には食事をする店が少ない上に、グループで食べられるような大きな店もない。そのため、一時間後に夕やけだんだん下に集合で各自で昼食を取ることにした。よみせ通りまで足を延ばしたが、定食屋が数店あるが、小汚くて入る気がしない。食事が出来そうにないので近くの定食店で内容と値段がマッチしない割高の鰻定食を食べることにした。夕やけだんだんに戻り、坂を上って上野戦争の時に官軍に銃撃された弾痕が残る経王寺の手前で右折、諏訪台通り(初音のみち)へ進む。
寺町の諏訪台通り(初音のみち)を南下 朝倉彫塑館や門前に名所案内のある寺を過ぎて長安寺(寿老人) に着く。長安寺(寿老人)には明治初期の日本画家である狩野芳崖夫妻の墓があり、門前の道を進み谷中霊園のぎんなん通りを東進、墓石越しに東京スカイツリーを見つつ天王寺駐在所交差点で左折、さくら通りへ入る。天王寺駐在所交差点の天王寺五重塔跡を見た後、裸木のサクラ並木のさくら通りを北上、護国山天王寺(毘沙門天)に至る。毘沙門堂には御朱印の長い列ができ、銅造釈迦如来坐像を見た後山門を出てさくら通りを戻り、天王寺駐在所交差点に着く。
谷中霊園入口交差点で直進、上野桜木交差点で右折して言問通りを西進し、谷中六丁目交差点で左折して直進すると突き当りに護国院(大黒天)がある。護国院(大黒天)を出て左折、都立上野高校の校舎沿いに進み清水坂を下り、突き当りで左折、動物園通りへ出る。
水月ホテル鴎外荘の入ってすぐ右がホテルで、その先のガラスドアの先に森鴎外居住の跡と称する平屋の建物がある。ホテルの係員が建物の入口に居ることが多く、入ろうとすると誰何されてホテルに用があるかどうかを問われる。そのため、森鴎外居住の跡には殆んど行けない。動物園通りを南下、五條天神社を経て不忍池に至る。
飲食の屋台が並ぶ参道を歩き、参拝客で長い列が出来ている不忍池弁天堂(弁財天)に向かう。御朱印拝受所は弁天堂前のテントに設けられている。弁天堂の渡り廊下をくぐり抜け、不忍池(ボート池)の中通りの裸木のサクラ並木を歩き、突き当りで左折、蓮池沿いに歩いて池之端一丁目交差点に向かう。池之端一丁目交差点から不忍通りを南下、天神下交差点で左折、春日通りへ出て湯島駅に至る。
東京、横浜の有名商店街散策(04日暮里繊維街〜荒川仲町通り商店街〜ジョイフル三の輪〜旧日光街道 千住宿(H29−03−16) )
日暮里駅の東口バスターミナル南端から日暮里中央通りの裸木のサクラ並木を進み、日暮里駅前交差点で尾久橋通りを渡ると日暮里繊維街となる。日暮里繊維街は、日暮里中央通りを中心に両側約1kmにわたり、服地、繊維製品、服飾関連の小物や付属品の店舗が約90軒並ぶ。日暮里繊維街を東進、第二日暮里小学校の先の日暮里中央通り交差点で左折、尾竹橋通りへ進む。
尾竹橋通りを北上し三河島駅から最初の信号で右折してすぐの角を右折し、荒川仲町通り商店街へ入る。今まで2回JRのイベントで荒川仲町通り商店街を訪れたが、三河島駅の近くだが入口が分かりにくく、係員が立って道を指示していた。今回は係員がいないので曲がるタイミングが心配だった。荒川仲町通り商店街を東進し半ば過ぎで道路工事の為進めず、左折して住宅街を歩き、突き当りで右折、明治通りを南東に進む。荒川区役所前歩道橋、サンパール荒川前交差点と経て、当初予定していた荒川一丁目交差点の次の信号手前で左折、都電荒川線の踏切を渡り、すぐ先で右折し、ジョイフル三の輪へ入る。
都電荒川線の荒川一中前駅から入った所にジョイフル三の輪の入口がある。日比谷線三ノ輪駅や、都電荒川線三ノ輪橋駅周辺の散策コースによく取り込まれる有名な商店街である。ジョイフル三の輪を東進、区立瑞光公園を過ぎて、賑わっている都電荒川線三ノ輪橋駅界隈では品物を道路に張り抱いて並べる店が多く、買い物客の自転車通行も多いので歩きにくい。日光街道出口手前で右折、アーチが有名な都電荒川線始発の三ノ輪橋駅に寄った後、ジョイフル三の輪に戻り右折、出口で左折して日光街道へ出て北上する。
慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士らが葬られている。円通寺の住職が彼らの死を悼み弔ったことが縁で、上野寛永寺の黒門が境内に移設されている。黒門には当時の鉄砲の弾痕が生々しく残っている。彰義隊士の墓の一画には多くの石碑が立ち並ぶが、上野戦争時の戦死者だけでなく、明治時代の没後に建てられた慰霊碑もある。有名人や大きな碑を中心に撮ったが、戦死者の碑は少なかった。墓所には箱館戦争で有名な榎本武揚、大鳥圭介、永井尚志、高松凌雲などが並ぶがいずれも追弔碑である。
日光街道を北上、南千住警察署入口交差点を過ぎ、南千住交差点角の素盞雄(すさのお)神社に着く。延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は、「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。日光街道から参道を進むとひと目で富士塚と分かる岩山があるが、神社の説明板によると『素盞雄神社には「瑞光石」が鎮座する塚がある。この塚はある人の眼には富士塚として映り、″南千住富士″とも呼ばれる。』とある。正面の拝殿には赤絨毯にびっしりと飾られた雛人形があり、驚かされる。雛人形は地蔵堂脇のテントや、神楽殿にも飾られ、由緒などの説明はない。境内には大神輿のもみ綱新調のご奉賛の案内が境内のあちこちに掲示されていた。
日光街道 隅田川に架かる千住大橋隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。千住大橋南詰には八紘一宇の碑や、千住大橋の来歴とそれに関連して松尾芭蕉の奥の細道が記されている。北詰には千住浮世絵顕彰碑や、足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスの松尾芭蕉像と、芭蕉に焦点を当てている。この背景には深川から舟で来た芭蕉の奥の細道の第一歩が北詰(足立区)なのか南詰(荒川区)かの永年の論争がある。
足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスにある松尾芭蕉像、大名行列から歩き始めるとすぐに旧千住宿千住河原町の「元やっちゃ場 南詰」の説明板がある。やっちゃ場は多くの問屋のセリ声が「やっちゃい、やっちゃい」と聞こえてくる場所(市場)からきたと言われている。京成本線のガード下をくぐると道路の両側の商店に元やっちゃ場遺構の説明板が展示されている。千住仲町交差点で墨堤通りを渡るとこの案内板はなくなる。千住仲町交差点角の源長寺(延命子育て地蔵)を過ぎ、千住仲町を北上、掃部宿憩いのプチテラス、千住掃部宿の詳細な説明板と経て、千住警察署入口交差点を渡り、本町商店街へ入る。ハローワーク足立前にある問屋場・貫目改所跡、ハローワーク足立と過ぎ本町商店街を北上する。千住二丁目交差点で右折、北千住駅前通り(きたろーど1010)へ入ると北千住駅に至る。
東京、横浜の有名商店街散策(02アメ横〜鳥越神社〜浅草橋雑貨問屋街〜横山町繊維問屋街〜甘酒横丁(H29−01−28) )
JR上野駅の不忍口から国際化し、雰囲気が大きく変わったアメ横商店街に入り南下する。アメ横に入った途端ヒジャブというイスラム女性教徒の独特のスカーフ姿が目に入る。中国人グループは言うまでもない。キャリーバックは当たり前で大きなスーツケースを転がす人も多く、通行の邪魔になる。
火鍋などの中国料理が多いが、結構大きな店があちこちに出来ている。アメ横は5年ぶりだが、その後のインバウンドブームが多くのマグロなどの販売店を消し去ったことになる。アメ横商店街の南端交差点で左折、春日通りへ出て御徒町駅に着く。
春日通りを東進、台東四丁目交差点で昭和通りを渡り、元浅草一丁目交差点手前の都営 大江戸線/つくばエクスプレス線の新御徒町駅の隣に佐竹商店街(佐竹通り)の北口がある。江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地で、藩主は佐竹氏だった。アーケードには佐竹商店街に関するクイズの垂れ幕が掛かるが、回答はかすれて読めない。突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流、少し先の鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ入り東進、出口ゲートで右折する。
鳥越二丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ出て東進、鳥越神社を訪れる。白雑2年(651)白鳥神社として創建。前九年の役の際、源頼義・義家がこの地で白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り隅田川を渡ることができたことから、鳥越大明神と名付けられた。蔵前橋通りを進み、蔵前四丁目交差点の先の蔵前一丁目交差点で右折、江戸通りへ進む。交差点には旧町名由来案内の旧浅草蔵前と天文台跡の案内板がある。
蔵前一丁目交差点から江戸通りに入ると季節の飾り物を扱う立沢商店があり、今回は桜の造花が飾られていた。江戸通りを南下すると、リボンと紐の中根商店、生活空間ディスプレイのプリズム味岡、四季の装飾の大西造花、須賀神社、ディスプレー装飾の丸正と続く。道路の反対側には人形の久月総本店、人形の三桜がある。JR総武線・都営浅草線の浅草橋駅先には、人形の秀月、江戸最古の吉徳大光がある。浅草橋北詰には浅草見附跡碑があり、神田川に架かる浅草橋を渡って浅草橋南交差点にある郡代屋敷跡案内板の先に浅草橋交差点がある。
浅草橋交差点で靖国通りを渡り左折、靖国通りを清杉通りへ向かい途中のゲートで右折、新道問屋街へ入る。馬喰横山繊維問屋街は西辺はJR総武線快速、南辺は都営新宿線、東辺は都営浅草線で囲まれた変形4角形である。新道問屋街に入ってすぐの交差点で左折、東通りを東進し突き当りで右折、横山町大通りを南下する。紳士服の量販店で有名な坂善本店などの店を通り過ぎ、突き当りで左折して清洲橋通りへ入る。共栄会通りを渡り、東日本橋三郵便局東を経て日本橋交差点で清杉通りと合流する。清洲橋通りを南下、久松町交差点の賀茂真淵県居の跡案内板を見た後、明治座前の浜町公園前交差点で右折、明治座通り(甘酒横丁)へ入る。
明治座通り(甘酒横丁)を西進、弁慶像がある浜町緑道から甘酒横丁となる。長い列が出来ている大正5年創業のたい焼きの柳家などを過ぎ、甘酒横丁交差点で左折、水天宮通りへ進み南下する。「江戸からの商業地」案内板や、人形町今半と経て、水天宮前交差点で白木が美しい水天宮社殿を見る。長らく工事中だった水天宮社殿は昨年(平成28年)4月8日に仮宮からの移転が終わり、一般に公開された。その後水天宮通りを戻り半蔵門線水天宮駅に至る。
KSN主催 下谷七福神めぐり(H29−01−13)
鶯谷駅北口から突き当りの左角を曲がってすぐに右折し、小路に入る。小路正面の社殿下で左折、元三島神社(寿老神)に入り階段を上ると社殿である。鶯谷駅周辺のホテル街を歩き、元三島神社入口交差点で右折、言問通りへ出て東進、入谷鬼子母神(福禄寿)に入る。入ってすぐ右に福禄寿を祀る小堂がある。言問通りを戻り根岸一丁目交差点で右折、金杉通りを北上して英信寺(三面大黒天)に入る。
金杉通りを北上、床屋角で右折して住宅街を道なりに歩いて法昌寺(毘沙門天)に着く。門の正面奥に毘沙門天の小堂があり、本堂前にはコメディアンのたこ八郎によるたこ地蔵がある。小野照崎神社前で右折して東進、交差点を渡り左折して昭和通りを北上する。次の信号交差点で右折して道標に従い左折、北上すると朝日弁財天(弁財院)に至る。小野照崎神社の祭神は平安初期の漢学者・歌人で、地獄巡りの伝説で有名な小野篁である。
住宅街を北上し突き当りを右折して東進し、竜泉一丁目交差点を渡り、無名の交差点で国際通りを渡って飛不動前交差点で右折して飛不動尊正宝院(きく恵比寿)に着く。飛不動尊の門から北上、飛不動前交差点を過ぎて床屋角で右折すると一葉記念館である。飛不動尊の門からの道に戻り、北上して東泉小学校の向いに寿永寺(布袋尊)がある。
道なりに北上し突き当りの明治通りで左折、大関横丁交差点へ出る。日比谷線の三ノ輪駅を過ぎ、日光街道の次の小路を右折すると浄閑寺(投込寺)の山門で、墓所の新吉原総霊塔などを見た後、三ノ輪駅に戻る。
東京、横浜の有名商店街散策(01谷中銀座、上野界隈の徳川幕府の遺構巡り(H29−01−10) )
千駄木駅がある団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)へ入り最初の交差点で左折、谷中よみせ通りへ進む。延命地蔵尊が描かれている谷中よみせ通りのゲートの先にある谷中ぎんざ入口のゲートをくぐる。谷中七福神の幟が飾られた谷中ぎんざを東進、名物谷中メンチの肉のサトー、肉屋すずきや惣菜いちふじなどの有名店を過ぎ、夕やけだんだんを上る。坂上の御殿坂にあり山門に上野戦争時の弾痕が残る経王寺に寄った後、向かいの諏訪台通り(初音のみち)に進む。
初音町という町名は鴬谷と呼ばれるところがあり、初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことによる。入ってすぐに朝倉彫塑館がある諏訪台通り(初音のみち)は、通りの両側の至る所に寺院がある寺町で、道も狭く、結構車の通行もあり、路上駐車があると通り抜けるのに苦労する。赤穂義士供養塔がある赤穂浪士ゆかりの観音寺、狩野芳崖の墓がある長安寺、笠森お仙で有名な笠森稲荷がある功徳林寺、絵馬堂と過ぎ、突き当りの信号で左折、都道神田白山線へ進む。上野桜木交差点で左折して言問通りへ入り東進、浄名院の塀沿いの交差点で右折して上野寛永寺に向かう。
上野寛永寺に区道の門から入ると右手に根本中堂があり、正面奥に徳川慶喜が水戸退去前の2ヶ月ほど蟄居していた書院が見える。旧本堂(根本中堂)は現在の東京国立博物館前の噴水池あたりにあったが、彰義隊の兵火で焼失した。そのため川越市の喜多院の本地堂が移築され、寛永寺の本堂となった。本堂(根本中堂)の右側には鐘楼を始め、さまざまな遺構や碑がある。上野中学校沿いに区道を南下し突き当りで左折北上、突き当りで左折して寛永寺第三霊園に入る。徳川綱吉霊廟の勅額門を見た後、霊園の塀沿いに東進し徳川家綱霊廟の勅額門を過ぎ、忍岡中学校手前交差点で右折し東京国立博物館の柵沿いに歩いて東京国立博物館の正門で左折、上野公園へ向かう。
大噴水の外周沿いにチューリップの鉢植えセットが並べられている。正月ではあるが、蕾から咲き始めたばかりの段階だがきれいである。無風でポカポカして暖かく、大して歩いてもいないのに気が抜けたのか疲労感が強くなった。工事中の大噴水広場を過ぎ、数組の大道芸が演じられている枯木のサクラ並木のさくら通りを南下、動物園通りからさくら通りへの清水坂を上る。清水坂を上ると目の前に鬱蒼とした木立があり、そこが彰義隊墓所である。西郷銅像から京成上野駅への階段を下り、上野駅不忍口前のUENO3153(旧聚楽台)を経て東京メトロ銀座線の上野駅に至る。
桜の名所を散策2(満開直前で大混雑の谷中霊園、上野公園)(H28−03−31)
千駄木駅から団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)を東進、最初の交差点で左折して谷中よみせ通りへ入る。谷中よみせ通りゲートの先の谷中ぎんざ入口ゲートで右折し、谷中ぎんざを東進して夕やけだんだんを上る。夕やけだんだん坂上には山門に上野戦争時の弾痕がある経王寺や月見寺(本行寺)があり、桜並木の御殿坂を下るとJR日暮里駅の旧駅舎西口に着く。
日暮里駅西口から谷中霊園に入り、満開間近の桜並木を歩き突き当りで左折して天王寺に着く。 元々日蓮宗の不受不施派であったため弾圧を受け、廃寺になるところを輪王寺宮のとりなしにより元禄12年に天台宗となった。のちに家斉の側室お美代の方一派により日蓮宗改宗の動きがあり、天保4年に寺号を天王寺とした。境内には銅造釈迦如来坐像、開花したばかりの枝垂れ桜、沙羅双樹がある。満開間近の桜並木のさくら通りを南下し、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとしても知られている天王寺五重塔跡に隣接して天王寺駐在所がある。満開の桜並木のさくら通り沿いには川上音二郎、毒婦お伝、徳川慶喜などの墓所や慰霊碑などが並ぶ。都道神田白山線と合流し、上野桜木交差点で言問通りを渡る。
東京藝大の建物に挟まれた都道神田白山線を南下博物館動物園駅跡から上野公園へ入り、工事中の旧東京音楽学校奏楽堂の先に大噴水がある。上野公園の桜は数日前まではせいぜい5分咲だったのに当日も含めて3日間20℃前後の天気が続いたため満開である。桜祭りの準備が進む大噴水広場を過ぎ、満開の桜並木で大混雑のさくら通りから右折、上野東照宮へ向い、大石鳥居を過ぎて大混雑の満開の桜並木の参道を進むと改修なった唐門に着く。
満開の桜並木で大混雑のさくら通りを南下、花園稲荷神社、五條天神社と過ぎて清水観音堂の裏から不忍池に向かう。歩くのが困難な弁天堂参道ではただでさえ観光客や、飲食物を持った人々で大混雑なのに、唐突に突き出されるマナーを全く介さない中国人の自撮り棒が危険である。弁天堂の渡り廊下をくぐり抜け、ボート乗り場で左折し中通りの満開の桜並木を進む。池之端一丁目交差点から不忍通りを南下して湯島駅に至る。
都心の梅まつり(小石川後楽園、湯島天神)(H28−02−25)
飯田橋駅から神楽坂下交差点で右折、外堀通りを北上し飯田橋交差点の陸橋を渡って飯田橋職安前交差点で左折する。日中友好会館前を北上し、西口から小石川後楽園に入園する。別ページにまとめた梅まつりの小石川後楽園を見物後、江戸城外堀石垣を再利用した石積に沿って北上し、突き当りの交差点で右折、都道牛込小石川線(都道434号)へ入り東進する。ポットのような、鳥の首のようなビルは文京シビックセンターで、手前の留置線には2編成の丸ノ内線の車両がある。後楽園駅前交差点の歩道橋で都道牛込小石川線(都道434号)を渡ってメトロ・エム後楽園に入り、文京シビックセンター、礫川公園の前を過ぎて富坂下交差点で右折、春日通りへ進む。
春日通りを東進、春日町交差点で白山通りを渡り東富坂(真砂坂)を上って本郷三丁目交差点で本郷通りを渡る。本郷消防署前交差点を過ぎ、湯島天神入口交差点で右折して湯島天神で梅まつりを見物する(別ページ参照)。春日通りから天神下交差点で右折、不忍通りへ入り池之端一丁目交差点で左折して不忍池沿いに北上する。不忍池西交差点、横山大観記念館、上野動物園の池之端門、池之端二丁目交差点と経て、根津一丁目交差点で言問通りを渡ると根津駅に至る。
春日通りの湯島天神入口交差点で右折、湯島天神の唐門(西門)の透かし塀沿いに歩いて表鳥居(銅鳥居)から表参道に入る。宝物殿の先の本殿前には鈴なりの絵馬の塊があり、梅園前で猿回しが演じられている。咲きが期待はずれの梅まつりで、今年は暖冬と言われたので期待した人も多く、あちこちでこんなはずではとの声が聞こえた。昨年の同じ時期の梅園は満開で、さすがは湯島天神と思った。梅饅頭や梅酒の売店が設けられた参集殿を見た後、授与所前にある鈴なりの絵馬や、本殿横の梅、本殿裏のみすぼらしい枝垂れ梅と経て、夫婦坂参道を下りて春日通りに出て右折する。
小石川後楽園に入って涵徳亭前広場から大泉水沿いに左回りで歩き始め、西行堂跡、駐歩泉、竜田川と過ぎて大泉水の蓬莱島が正面に見える。延段を進み、木曽川の細流が流れる木曽山の先に寝覚の滝があり、唐門跡を過ぎると内庭である。小石川後楽園は大別すろと内庭と後園(後楽園)とに分けられる。内庭は水戸藩邸の書院の庭であって、江戸時代には「うちの御庭」などと呼ばれていた。
内庭から梅林の案内に従い進むと大泉水からの引き込みのための水門のように見える鳴門を経て、大泉水に出る。大泉水沿いに歩き、往時は松うっそうとして空もみえざりしと伝えられる松原には鉢植えの花や、水戸名産品を販売する梅まつりの特設テントと九八屋がある。九八屋の名の由来は「酒を飲むに昼は九分夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする、との教訓による。そこから北に梅林があるが、入った所ではかろうじて三分咲だが、多くは咲き始めであり、3年前の同じ頃に来た時と比べてみすぼらしいこと甚だしい。
梅林から西に進み、冬なので単なる泥田にしか見えないが八つ橋、杜若(かきつばた)があり、その先に円月橋がある。朱舜水の設計と指導により名工「駒橋嘉兵衛」が造り、橋が水面に映る形が満月になることからこの名がつけられた。さらに進むと休憩所があり、そこから南下すると昔の田舎のわぴた茶屋のたたずまいを現している丸屋があり、大泉水に出る。南に歩いて蓮池や、琵琶湖の唐崎の一つ松にちなんだ一つ松、涵徳亭と経て、西門を出て右折、後楽園駅へ向かう。
爽やかな春の谷根千巡り(幕末の谷中、つつじ祭りの根津、文豪の千駄木)(H27−04−24)
根津駅からつつじ祭りの案内がある不忍通りを北上、根津神社入口交差点で左折して根津神社の表参道にある朱塗りの大鳥居に着く。普段は空いている不忍通りも、中高年女性グループが溢れ、歩くのも大変である。つつじ祭りのつつじ苑を眺めつつ、表参道を歩くと楼門横の奥まった所に入口があり、根津神社の神域整備事業への寄附として200円を支払う。普段は門が閉められており、立ち入ることは出来ない。
順路に従い左手に進む。大鳥居横の新坂(権現坂・S坂)沿いの斜面につつじ苑は設けられており、様々な種類のつつじが植えられている。特定のつつじが一ヶ所に植えられているわけではないので、彩りが美しい。丘の下に楼門や大鳥居を見つつ、坂を上り切った所で右折する。弥生正緑館(文化庁登録有形文化財)や彩り鮮やかなつつじを楽しみながら丘を周回し、出口に至る。
つつじ祭りを楽しんだ後、楼門から神楽殿、唐門、透塀、社殿と巡り、社殿横の西門から西参道に出る。露店が立ち並ぶ西参道の上にある乙女稲荷神社は、つつじ苑を見た後に訪れる人が多く、立ち寄るのを諦めた。西参道の鳥居を出て左折、日医大つつじ通りの根津裏門坂を上る。
建て替え工事中の日本医大附属病院を見つつ日医大つつじ通りの根津裏門坂を上り、日本医大前交差点で右折して日本医大キャンパス横の道を北上し、日本医大の同窓会館である 橘桜会館前に川端康成の書である夏目漱石旧居跡の石碑がある。漱石がイギリス留学から帰国後4年弱住んだ家である。住宅街を北上し駒込学園前交差点で右折、大観音通りへ出る。駒込大観音(光源寺)には高さ約6mの駒込大観音がある。大観音通りを東進、「青鞜社」発祥の地の案内を過ぎ、団子坂上交差点手前には観潮楼と名づけた森鴎外旧宅を建て直した
森鴎外記念館がある。団子坂を下り、団子坂命名由来案内の先の団子坂下交差点で不忍通りを渡り、団子坂通りへ進む。
団子坂通りを進み、団子坂下交差点の交差点で左折、谷中よみせ通りを北上し、福丸饅頭(名物10円まんじゅう)の先に中央によみせ通りの出口近くにある延命地蔵尊が描かれているゲートがある。谷中よみせ通りを北上して入口のゲートから根津神社のつつじ祭りの帰りと一見して分かる中高年グループが屯している谷中ぎんざを東進、一般公募で名付けられた「夕やけだんだん」を上る。山門に上野戦争時の弾痕が残る経王寺、月見寺(本行寺)と経て桜並木の御殿坂を下り、JR日暮里駅の旧駅舎西口に至る。
JR 日暮里駅の旧駅舎西口脇の階段を上り谷中霊園へ入り桜並木を南下、突き当りで左折して天王寺に着く。天王寺は、もと日蓮宗の感應寺と称したが不受不施派であったため弾圧を受け、天台宗となった。のちに家斉の側室お美代の方により日蓮宗改宗の動きがあり、寺号を天王寺とした。谷中霊園のさくら通りを南下し、昭和32年の放火により消失した天王寺五重塔跡の隣の天王寺駐在所に至る。
谷中霊園のさくら通りを南下し、南端の公衆トイレを挟んで毒婦高橋お伝の墓と徳川慶喜墓所への案内板がある。徳川慶喜墓所への案内板に従って歩いて行き、明治維新の公卿大原重徳の墓の先にある徳川慶喜墓所を囲う塀沿いに歩き、
徳川慶喜墓所に着く。さくら通りに戻り谷中霊園入口交差点で右折、団子坂通りへ進む。
団子坂通りが左に大きく曲がる所にある交差点は、右折すると朝倉彫塑館や長安寺(狩野芳崖墓)がある諏訪台通り(初音のみち)を経て、山門に上野戦争時の弾痕がある夕やけだんだん坂上の経王寺に出る。仮名垣魯文の墓がある永久寺の先は三崎坂上で、三崎坂にある全生庵には山岡鉄舟墓、山岡鐡舟居士之賛、三遊亭円朝墓、三遊亭圓朝翁碑がある。三崎坂下には一見和風の公民館に見える谷中小学校がある。団子坂下交差点で不忍通りを渡り千駄木駅に至る。
谷中銀座から谷中霊園、上野寛永寺、入谷朝顔市散策(H26−07−08)
千駄木駅から団子坂下交差点で右折、都道神田白山線(三崎坂)へ入り次の交差点で左折、よみせ通りへ入る。アーチを過ぎ途中の谷中ぎんざ入口のゲートで右折、谷中ぎんざを東進し夕やけだんだんを上る。坂上の上野戦争時の弾痕が山門に残る経王寺、月見寺(本行寺)と過ぎ、桜並木の御殿坂を下ると日暮里駅の旧駅舎西口である。
日暮里駅西口から階段を上り谷中霊園に入って桜並木を南下、突き当りで左折すると更に突き当りに天王寺がある。元は感応寺だったが日蓮宗の不受不施派であったため弾圧を受け、廃寺になるところを輪王寺宮のとりなしにより元禄12年に天台宗となった。のちに家斉の側室お美代の方一派により日蓮宗改宗の動きがあり、天保4年に寺号を天王寺とした。天王寺の銅造釈迦如来坐像、名物枝垂れ桜を見た後、谷中霊園の幹線道路のさくら通りを南下、天王寺五重塔跡、川上音二郎銅像台座などを過ぎて谷中霊園入口で左折、都道神田白山線へ入り上野桜木交差点で左折、言問通りへ進む。
言問通りを東進、上野桜木二丁目交差点手前の交差点で右折し、上野寛永寺の築地塀沿いに東南に歩く。本堂(根本中堂)は慶応4年の彰義隊の兵火で焼失し、喜多院の本地堂が移築された。境内には虫塚を始め、上野戦争碑記、縁起 東叡山寛永寺、尾形乾山墓碑・乾山深省蹟などの多くの遺構が並ぶ。正門を出て左折、区道を東南に進み、突き当りの台東区立上野中学校角で左折して第三霊園入口から入って重文の徳川綱吉霊廟勅額門と天璋院篤姫墓所(非公開)の案内板を見る。寛永寺の霊園沿いに歩き、徳川家綱霊廟勅額門(重要文化財)を経て忍岡中学校角で左折、新坂を下ると山手線鶯谷駅の南口に着く。
鶯谷駅からJR跨線橋の凌雲橋を渡り新坂を下って鶯谷駅下交差点で右折、言問通りへ入る。東京スカイツリーがよく見える根岸一丁目交差点で入谷口通りを渡る。この交差点から入谷交差点までが入谷朝顔市の会場である。広い歩道の大半が朝顔市の屋台で占められ、狭くなった歩道を見物で立ち止まる人、行き交う人で大混雑である。まだ11時過ぎではあるが、朝顔の殆どは萎れており、植木職人が翌朝になると綺麗に花が咲くと呼びかけている。入谷交差点で昭和通りを渡り入谷駅に至る。
年末の下町散策(谷根千、上野公園、浅草寺羽子板市)(H25−12−18)
根津駅から不忍通りを北上、根津神社入口交差点で左折して根津神社の表参道にある鳥居に着く。神橋、楼門、透塀付きの唐門と通り社殿で参拝する。西門から西参道に出ると正面は乙女稲荷神社の赤鳥居で、階段を上って左に六代将軍家宣の胞衣塚がある。西参道の鳥居を抜けて日医大通りの根津裏門坂を下る。日本医大附属病院、根津神社北参道と経て千駄木二丁目交差点で左折、不忍通りへ戻り北上、
団子坂下交差点で右折して都道神田白山線(三崎坂)へ進む。
都道神田白山線(三崎坂)を東進、団子坂下交差点の次の交差点で左折、よみせ通りへ入り、10円まんじゅうで知られる福丸饅頭の先のゲートからメインストリートに進む。中程で右折して谷中ぎんざへ入り、閑散とした商店街を東進して夕やけだんだんの階段を上る。山門に上野戦争の銃弾痕がある御殿坂の経王寺前で右折、諏訪台通り(初音のみち)へ進む。初音のみちは、旧初音町に因み、初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことである。寺町の諏訪台通り(初音のみち)を南下、朝倉彫塑館、赤穂浪士ゆかりの観音寺と過ぎ、狩野芳崖夫妻の墓がある長安寺門前の道を進むと谷中霊園である。
谷中霊園のぎんなん通りを東進、墓石越しにる東京スカイツリーが見え、明治時代の教育者である中村正直の墓と過ぎて天王寺駐在所交差点で右折、さくら通りへ入る。天王寺駐在所交差点脇には、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルで昭和32年7月6日に放火により焼失した天王寺五重塔跡がある。裸木の桜並木が続くさくら通りを南下、戦時中金属の供出で取り外され、台座のみ残る川上音二郎の銅像台座、最後の斬首刑者の高橋お伝慰霊碑、徳川慶喜墓の案内と経て、都道神田白山線と合流し上野桜木交差点で言問通りを渡る。
都道神田白山線を直進して上野公園へ入り、東京藝術大学、大学美術館、京成博物館動物園駅跡、旧東京音楽学校奏楽堂と経て東京都美術館沿いに東進し、東京国立博物館前の大噴水(噴水池)に至る。整備された大噴水前広場には休憩所を兼ねたスターバックスの大きな店ができ、ヘブンアーティスト(大道芸)の芸人がスペインのバグパイプを演奏していた。裸木の侘びしさが漂う桜並木の公園中通りは、上野大仏、パゴタ付近から紅葉のモミジ、黄葉の桜がきれいな並木となり、五條天神社、清水観音堂と過ぎて蜀山人の碑がある公園正面入口の上野公園前交差点で左折、動物園通りへ出る。
中央通りのUENO3153(旧聚楽台)の先に上野駅不忍口、広小路口があり、中央改札口から構内に入り羽子板市の大幕や大熊手が飾られた中央改札前を通る。上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進み、境内には寄席発祥之地の碑、正岡子規 句碑がある下谷神社、講道館柔道発祥の地の永昌寺と経て、稲荷町交差点で清洲橋通りを、菊屋橋交差点でかっぱ橋通りを渡り寿四丁目交差点で左折、国際通りへ進む。
雷門一丁目交差点で右折、東京スカイツリー を正面に見つつ雷門通りを東進する。
大提灯が新しくなった雷門から正月の飾り付けが行われている仲見世通りを進み、屋台が並ぶ宝蔵門を抜けると五重塔の一画で羽子板市が開催されている。絵柄は昔ながらのものだが、押絵羽子板という立体感ある立派なものばかりである。羽子板には値札などなく、たまたま表示されていたものは高さ10cmほどで1万円である。久月の変わり羽子板には、二重あごの安倍晋三や、小太りの中年女性と化した滝川クリステルが飾られている。本堂前の神札授与所で縁起小判を買ったあと、浅草神社、二天門と経て銀座線浅草駅に至る。
上野寛永寺、上野公園散策(H25−03−12)
鶯谷駅南口から右折して新坂を上り、突き当りを右折し寛永寺霊園の塀沿いに歩く.。寛永寺第一霊園入口を過ぎ、第二霊園入口手前の徳川家綱霊廟勅額門(重要文化財)を見た後、突き当りの第三霊園入口の徳川綱吉霊廟勅額門(重要文化財)に寄る。第二霊園付近からは東京スカイツリーがよく見える。第三霊園入口の前で直角に左折し、台東区立上野中学校、東京文化財研究所、国際子ども図書館(旧帝国図書館)の前を南下し、黒田清輝記念館前交差点で左折、都道神田白山線(452号)へ進む。
都道神田白山線(452号)を上野公園沿いに東進、格式ある立派な旧因州池田屋敷表門(黒門)の隣に東京国立博物館があり、正門から改装工事を終えた大噴水(噴水池)が見える。シロナガスクジラのオブジェが飾られている国立科学博物館を過ぎ、両大師堂に立ち寄る。正保元年(1644)に寛永寺開山天海僧正の像を安置するため建立されたが後に延暦寺の慈恵大師の像も安置されたため、、両大師となった。幸田露伴旧宅の門を抜けて輪王殿に入り、門扉に小銃や大筒の弾痕が残る寛永寺旧本坊表門を見た後、両大師橋交差点で右折、都道神田白山線(452号)へ戻り、日本学士院の向かいに柵で立ち入りできない寛永寺旧本坊表門がある。
上野公園の国立科学博物館前の道を南下、大噴水前の木立の中にある野口英世銅像、西洋美術館、東京文化会館、句碑がある正岡子規記念球場と経て、摺鉢山古墳前で右折し五條天神社前で左折、斜め下の桜並木へ進む。右折すると桜のアーチで有名な桜通りである。咲き始めた桜の並木が続く清水観音堂の裏道を南下し不忍池への階段を下り、動物園通りを渡って
不忍池入り口にある茶店の桜木亭に至る。
不忍池の蓮池に架かる天龍橋を渡ると弁天堂で、周辺には多くの碑が建てられ、寒緋桜が咲く。弁天堂の裏にある工事中のボート乗り場前で左折、裸木の桜並木の中通りを歩いて池畔の遊歩道に入る。池之端一丁目交差点、野外ステージ、枯れた蓮の茎の奥に見える弁天堂、蓮見茶屋、下町風俗資料館と通り、茶店の桜木亭の前にある駅伝の碑に着く。奠都五十周年記念で大正6(1917)年に京都三条大橋から、上野不忍池の博覧会正面玄関まで行われたのが駅伝の始まりである。
不忍池の前の動物園通りから桜並木の桜通りへの階段を、続けて清水坂を上り清水観音堂へ出る。工事がほぼ終わった彰義隊墓所や西郷隆盛銅像前広場から階段を下り、桜が咲き始めた袴腰広場を経て公園正門から出る。上野公園前交差点で左折、中央通りへ進みUENO3153(旧聚楽台)を通り上野駅不忍口に至る。
鴎外と歩く 文の京の散歩道(H25−02−22)
このイベントはJRの期間設定コースで、予約不要でスタートの小石川後楽園正門(東門、通常閉鎖)で受付後、途中の森鴎外記念館で会員証のチェックをしてゴールの巣鴨駅で最終チェックをするものである。小石川後楽園、湯島天神と梅林の名所があるため受付は多かったが、10kmほど歩くため湯島天神までの人が多かったようである。
都営三田線水道橋駅から外堀通りを歩いて小石川後楽園の正門で受付を済ませて園内に入る。小石川後楽園の詳細は別ページにまとめた。通常利用する西門から出て塀沿いに歩いて後楽園駅前にある文京シビックセンターに至る。
春日通りを歩き、春日町交差点で白山通りを渡って東富坂(真砂坂)を上り、真砂坂上交差点で左折すると文京ふるさと歴史館である。コース外だが少し先の左に坪内逍遥旧居・常磐会跡があり、その横に歩行者専用の急な階段の炭団坂がある。炭団坂を下り、狭い路地を行くと樋口一葉の旧居がある。春日通りを東進、本郷三丁目交差点で本郷通りを渡り、本郷消防署前交差点を過ぎて湯島天神入口交差点で右折
唐門から湯島天神に入る。梅の盆栽が売られる参集殿、小規模の梅園、社殿、合格祈願の絵馬を見た後、夫婦坂から春日通りへ戻る。梅の種類によるのか花の開花状況にバラツキがあり、かなり咲いていてもせいぜい6〜7分咲きである。
正門(東門)でイベント参加の受付をした後、内庭に入る。内庭は護岸修復工事中で、水を全て抜いているので趣もなく殺風景である。木曽路を模して寝覚の滝、木曽山と過ぎ木曽川沿いに西進する。延段を下り、大泉水と蓬莱島を見つつ、紅葉が見事といわれる竜田川沿いを歩いて戦災で焼失した西行堂跡に至る。
小石川後楽園の西角にある涵徳亭から大泉水沿いに北上、蓮池の間の橋を渡り、琵琶湖の唐崎の一つ松にちなむ一つ松、丸屋、蓬莱島、松原の九八屋,、田端と経て後楽園の北東角に当たる梅林に至る。九八屋の由来は「酒を飲むに昼は九分夜は八分にすべし」で、田端は二代光圀が嗣子綱條の夫人に農民の苦労を教えようと作った田圃である。梅林は木の数が少ないのか、種類によって開花時期がずれているためか、数日前にテレビで放映していたような梅が咲き乱れている、という風景ではない。
北東角に当たる梅林から西に進み、杜若(かきつばた)園に架かる八つ橋、 愛宕坂、朱舜水が指導した円月橋、休憩所と過ぎて大泉水、一つ松に戻る。涵徳亭前を歩き、ふだん利用される西門から小石川後楽園を出る。
天神下交差点で春日通りを渡り、切通坂を戻り湯島ハイタウンA棟角で右折して旧岩崎邸庭園に向かう。突き当りの不忍池西交差点で左折、不忍通りへ出て横山大観記念館を過ぎ、根津一丁目交差点で言問通りを渡り、根津神社入口交差点で左折する。表参道の鳥居から根津神社に入り、名所のつつじ苑、神橋、楼門、唐門、透塀と経て社殿に着く。社殿の左には蕾だけで花は数個の白梅、右には1〜2分咲きの紅梅がある。東門から北参道を北上し鳥居を出て右折、日医大つつじ通りへ進む。
日医大つつじ通りを歩き、千駄木二丁目交差点で左折して不忍通りへ戻る。団子坂下交差点で左折、団子坂を上り、団子坂上交差点の先に長らく工事していた旧居「観潮楼」の跡地に建てられた森鴎外記念館に着く。
団子坂上交差点に戻り左折、「くらしのみち」を北上する。「くらしのみち」は地域と行政とが共同で安全快適な道路づくりを図るものである。「くらしのみち」を北上、特養ホームの千駄木の郷、宮本百合子ゆかりの地碑、高村光太郎旧居跡碑を経て動坂上交差点で都道白山小台線(458号)を渡る。駒込病院を過ぎ、富士講の遺構で有名な富士神社がある本郷通りの富士神社入口交差点に至る。
本郷通りを北上、上富士前交差点で不忍通りを渡り、六義園入口の案内柱で左折してレンガ塀沿いに進む。正門を過ぎ、突き当りで右折してレンガ塀沿いに進み、文京学院前交差点で左折、突き当りの福音館書店前交差点で右折して白山通りへ出て巣鴨駅に向かう。
タイムトラベル!昭和から平成へ、あらかわめぐり(H24−02−18)
日暮里駅から西日暮里二丁目交差点で右折、尾久橋通り(都道58号)を渡り、すぐ先の角で左折、あやめ通りへ入り北上、突き当りで右折してJR常磐線 三河島駅ホーム沿いに東進、突き当りで左折、尾竹橋通り(都道313号)の常磐線ガード下を進む。喫茶店アイリス角で右折してすぐ先で右折し、荒川仲町通り商店街へ進み東進、突き当りの荒川一丁目交差点で右折して明治通りへ出て、最初の信号手前で左折し都電荒川線の踏切を渡り、すぐ先で右折してジョイフル三ノ輪へ入る。日光街道に出る手前で右折、都電荒川線 三ノ輪橋駅を見た後戻り、ジョイフル三ノ輪の突き当りで左折、日光街道(国道4号)へ出て北上する。
日光街道(国道4号)の円通寺は、上野彰義隊所縁の寺として有名である。上野戦争(慶応4年5月15日)の彰義隊士の遺体266を上野の現西郷像裏(現在慰霊碑がある)でで火葬、当寺に収骨し、大ぴらに賊軍の法要ができる当時日本唯一の寺であった。その因縁で旧上野黒門を帝室博物館より明治40年10月当寺に下賜された。黒門は、上野八門のうちで表門にあたり、両軍攻防の重要な拠点で、弾痕が往時の激戦を今に伝えている。黒門の裏の一画には、彰義隊士の墓や、歩兵奉行大鳥圭介、海軍副総裁で箱館政権の総裁だった榎本武揚の追弔碑などがある。
日光街道(国道4号)から南千住仲通りへ入り東進、突き当りのJR南千住駅前で左折、コツ(骨)通り(吉野通り)へ出て北上する。「コツ」は小塚原処刑場だから「骨」などの説がある。南千住交差点で右折、日光街道(国道4号)へ進み千住大橋手前の交差点で右折してマンションが建ち並ぶ中を東進、JRなどの隅田川橋梁下を進み、南千住水防倉庫で左折して隅田川へ向かう。堤防は高層マンションのため日陰となり、前夜の雪で路面凍結しているので隅田川沿いの道を歩く。千住汐入大橋南詰めで右折、汐入公園に入る。平成18年に隅田川沿いに造られた都立入公園を南下、さくらばし、バーベキュー広場と経て西進、南千住八丁目交差点で左折、汐入中央通りへ入る。
汐入中央通り 汐入公園沿いに南下、突き当りで右折続けて左折し、JR貨物の隅田川駅沿いに南下して橋場橋通り入口交差点で右折、西進する。南千住二丁目交差点で吉野通りを渡リ、住宅街を西進し浄閑寺(投込寺)に着く。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、境内には新吉原総霊塔がある。日光街道(国道4号)に出て大関横丁交差点で右折、明治通りへ入ってすぐに左折、住宅街を西進し、日暮里中央通り交差点で尾竹橋通りを渡り、日暮里繊維街の日暮里中央通りへ進み、日暮里駅前交差点で尾久橋通りを渡ると日暮里駅に至る。
東京、横浜の紅葉・黄葉名所巡り 3部作 #1 東京 下町散策(谷中〜浅草〜錦糸町)(H23−11−16)
東京メトロ千代田線の千駄木駅から団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)へ進み、次の交差点で左折、よみせ通りへ入る。よみせ通りの半ばで右折、谷中ぎんざへ入り東進、夕やけだんだんを上って御殿坂の経王寺、紅葉の桜並木と経て、日暮里駅旧駅舎西口横の階段を上る。
日暮里駅西口から谷中霊園に入り、紅葉の桜並木の小道の先の突き当りを左折、天王寺に着く。ここから谷中霊園のメインストリートであるさくら通りの紅葉の桜並木を南下、天王寺五重塔跡、都道神田白山線との合流点を経て、上野桜木交差点で言問通りを渡る。
上野桜木交差点から、狭い路地を通り広い都道神田白山線へ出て、東京藝術大学、旧東京音楽学校奏楽堂と過ぎて紅葉の上野公園を歩く。竹の台広場(大噴水広場)や東京都美術館は工事中で、白いフェンスで覆われている。上野動物園を過ぎ、改修工事中の大噴水広場で右折、紅葉の桜並木を南下、五條天神社前で左折してすぐ先の摺鉢山古墳前広場で右折、清水観音堂、西郷銅像と経て公園入口へ向かう。
上野公園前交差点で右折、中央通りへ入り、上野駅を通り昭和通りの上野駅交差点で右折、浅草通りへ進む。下谷神社を過ぎ、稲荷町交差点で清洲橋通り、菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街を渡り、寿四丁目交差点で左折、国際通りへ進む。雷門一丁目交差点で右折、東京スカイツリーを正面に見ながら雷門通りを東進、雷門吾妻橋交差点を渡り、浅草通りへ入る。
隅田川に架かる吾妻橋から東京スカイツリーを見た後、吾妻橋東詰交差点で左折、リバーピア吾妻橋へ進み、隅田公園の紅葉した桜並木、墨田区役所、東京スカイツリー、勝海舟(安芳)像を見ながら墨田区役所前交差点で左折、墨堤通りへ進む。枕橋を渡って東武伊勢崎線の高架を過ぎた右手にある隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)に至る。緑道には藤田東湖の「天地正大気」の漢詩碑があり、紅葉した桜並木、東京スカイツリーを見つつ、明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いており、三輪鳥居と呼ばれる鳥居で有名な牛嶋神社の東口から出て左折、三ツ目通りへ進む。
三ツ目通りの言問橋東交差点で右折、言問通りへ入り、向島三丁目交差点、向島一丁目交差点、東武伊勢崎線業平橋駅と歩くにつれ、大きくなっていく東京スカイツリーを見ながら、北十間川に架かる東武橋を渡る。北十間川の南側道路から東京スカイツリーを見つつ、突き当りの北十間川に架かる京成橋で右折、押上通りへ進み、押上駅前交差点で浅草通りを渡り、四ツ目通りへ至る。
四ツ目通りを南下、横川交番前交差点で春日通りを渡り、オリナス・タワーが聳える太平四丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ入り東進、横十間川に架かる天神橋を渡って亀戸天神社の菊まつりを楽しむ(次ページに整理)。蔵前橋通りを戻り、太平四丁目交差点で左折、四ツ目通りを下り、美しく紅葉した桜並木だが、残念ながら整備工事のフェンスに遮られている錦糸公園を過ぎ、錦糸公園前交差点で右折、北斎通りへ進み次の交差点で左折、錦糸町駅に着く。
亀戸天神社の大鳥居を通ってすぐの太鼓橋(男橋)から見た東京スカイツリーは見事で、続く太鼓橋(女橋)を渡ると本殿である。本殿に向かい左右の会場で菊まつりが行われており、右がメインで、中央には東京スカイツリーを模したものも飾られている。規模としては湯島天神などに比べ小ぶりではあるが、見事な作品が並ぶ。
西日暮里から巡る歴史と人情香る下町散策(H23−11−03)
西日暮里駅から道灌山通り(都道457号)を進み、西日暮里五丁目交差点で尾久橋通りを渡り、水泳の北島康介選手の実家前を過ぎて、宮地交差点で斜め右下に右折、尾竹橋通り(都道313号)へ入り南東に歩く。三河島駅手前で左折、荒川仲町通り商店街へ入り、いかにも下町らしい商店街が延々と続く。突き当りの荒川一丁目交差点で右折、明治通りを南東に進み、大関横丁交差点で日光街道を渡る。
明治通りの大関横丁交差点を過ぎてすぐの目黄不動(永久寺)は、初めて公開されており、参加者から歓声が上がった。三ノ輪二丁目交差点で左折して東進、泪橋交差点で右折して吉野通り(都道464号)を下り、東浅草二丁目手前のコンビニ ポプラ手前で左折して玉姫稲荷神社に立ち寄る。吉野通りの東浅草一丁目交差点で左折、東進して今戸一丁目交差点で右折、石浜通りへ進み、今戸神社参拝後に今戸神社前交差点で石浜通りを渡り、小道を東進する。
突き当りの隅田公園リバーサイド スポーツセンターで左折し、テニスコート脇から桜橋へ向かう。Xの形状の桜橋の交差部分で戻り、平成中村座ができた山谷堀広場から橋場通りに出る。待乳山聖天を経て、言問橋西交差点で右折、言問通りへ進み馬道交差点で馬道通りを渡る。
浅草寺で開催準備中の時代祭風景を見た後言問通りに戻り、雷5656会館、ひさご通り入口と経て、西浅草三丁目交差点で国際通りを、金竜小学校前交差点でかっぱ橋道具街通りを、入谷交差点で昭和通りを渡る。さらに根岸一丁目交差点、鶯谷駅前交差点と過ぎ、突き当りで階段を上り、JR跨線橋の寛永寺橋を渡る。言問通りをさらに西進、上野桜木交差点、谷中六丁目交差点と進み、善光寺坂を下って根津一丁目交差点で右折、不忍通りへ至る。
不忍通りを北上、根津神社入口交差点で左折して根津神社に入る。神橋、楼門、唐門、透塀、社殿と過ぎて西参道入口から日医大つつじ通りへ出て千駄木二丁目交差点で左折、不忍通りへ進む。団子坂下交差点で右折、都道神田白山線(三崎坂)へ入り、次の交差点で左折、よみせ通り商店街へ至る。わくわく大感謝祭で賑わうよみせ通り商店街を歩き、延命地蔵尊を参拝後、道灌山通り(都道457号)で西日暮里駅に着く。
御徒町駅から行く秋の下町ハイキング(H23−10−02)
御徒町駅(北口)から春日通りへ出て東進、台東四丁目交差点で昭和通りを渡り、元浅草一丁目交差点手前のつくばエクスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅の横に佐竹商店街の入口がある。秋田藩佐竹家の江戸屋敷跡に、明治に人って見世物小屋や飲食店の屋台などが並んだのが始まりという。
佐竹商店街を南下、佐竹通り南口交差点で右折、清洲橋通りへ入り鳥越一丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ入り東進、鳥越神社に至る。日本武尊が東征の折に駐在し、前九年の役の際、源頼義・義家がこの地で白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り隅田川を渡ることができたことから、鳥越大明神と名付けられた。
蔵前橋通りを東進、蔵前一丁目交差点で江戸通りを渡り、「蔵前」という町名の由来である浅草御蔵跡碑の先で東京スカイツリーを見つつ蔵前橋を渡る。横網町公園に入り、震災時の猛火と熱風で溶解した遺構や東京都慰霊堂などを見た後入口で左折、清澄通りへ進み北上、本所一丁目交差点で左折、春日通りへ入り、厩橋東詰交差点で右折、隅田川緑道公園(隅田川テラス)へ至る。
厩橋から隅田川緑道公園(隅田川テラス)を北上、駒形橋、吾妻橋と過ぎて吾妻橋東詰交差点で浅草通りを渡り、リバーピア吾妻橋へ入る。台東区役所のうるおい広場に立つ勝海舟(安芳)像を見た後、墨田区役所前交差点で左折、墨堤通りへ進み、川面に映る東京スカイツリーで有名な枕橋の先の隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)に入る。間近に見える東京スカイツリー、明治天皇行幸所の碑、汐入の池、黄葉し、落葉が目立つ桜並木と経て、三輪鳥居で有名な牛嶋神社から言問通りに出て言問橋西交差点手前で左折、隅田公園へ至る。
隅田公園西岸を南下、浅草通りの吾妻橋西詰にある水上バス乗り場から雷門通りに入り、雷門を経て雷門一丁目交差点で右折、国際通りへ進む。浅草ROXを過ぎ公園六区入口交差点で左折、かっぱ橋本通りへ出て西進、合羽橋交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ入り南下、菊屋橋交差点で右折、浅草通りへ至る。
浅草通りを西進、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、赤い大鳥居が目印で寄席発祥之地の碑、正岡子規句碑がある下谷神社に寄る。上野駅交差点で左折、昭和通りへ入りすぐ歩道橋で横断し、中央通りで山手線高架下を進み左折、アメ横へ進む。春日通りを渡り、一体いつになったらゴールだろうか、と思うほど歩かされ、蔵前橋通り手前で左折、ゴールのガード下に新しく開業した御徒町2k540に至る。
都営バス 夢の下町バス(経路変更)(H23−07−20)
夢の下町バスは、東日本大震災直後から運行休止していたが、7月20日に経路、運行形態を変更して再開した。路線は東京スカイツリー経由で両国行きと錦糸町行きとに分かれ、上野松坂屋前が始発となる。錦糸町行きが中心となり、従来の東京駅〜両国は土休日の4便だけとなる。夢の下町は、都営の観光バスであるが、扱いは急行の路線バスで、料金は通常の200円と同じで、格安である。
(錦糸町ルートH230829)
向かいに上野松坂屋南館がある始発の上野松坂屋前バス停から中央通りを北上、上野広小路交差点で春日通りを、上野恩賜公園がある上野公園前交差点を渡り、京成上野駅前の#2上野公園山下バス停に至る。上野駅の不忍口、広小路口と過ぎて、上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。
浅草通りを東進、赤大鳥居の下谷神社前を通り、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、#3菊屋橋バス停の先の菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で左折、国際通りへ入り、雷門1丁目交差点で右折、雷門通りへ進んですぐに#4浅草一丁目バス停がある。雷門通りを東進、#5浅草雷門バス停の先に雷門があり、更に進んで吾妻橋交差点に至る。
東京スカイツリーを見つつ吾妻橋を渡ると#6リバーピア吾妻橋前バス停で、浅草通りの吾妻橋一丁目交差点を過ぎ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、間近に迫る東京スカイツリーを見つつ業平橋、業平一丁目交差点を過ぎると#7業平橋バス停である。ビルの間から見える東京スカイツリーを見ながら浅草通りを進み、#押上バス停に着く。このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。
押上駅前交差点で右折、四ツ目通りへ入り、横川交番前交差点で春日通りを、太平四丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。太平四丁目交差点で左折して蔵前通りを約10分歩くと亀戸天神で、両国行きはこの交差点で右折、隅田川手前の石原一丁目交差点で左折、清澄通りに入って両国に向かう。四ツ目通りのオリナス・コア、オリナス・タワー、オリナス・モール、錦糸公園と過ぎて、錦糸公園前交差点で右折、北斎通りへ入るすぐの錦糸町駅北口広場に終点錦糸町駅前バス停がある。
(両国ルートH230831)
丸の内オアゾの丸の内ホテル前に始発の東京駅丸の内北口バス停があり、丸の内一丁目交差点で右折、永代通りへ入る。経営統合で内幸町の新日石ビルからJXビル前に移設された金色のプロメテウス像前を過ぎ、呉服橋交差点で外堀通りを渡り、日本橋交差点で左折、中央通りへ進む。東京都の紋章を持つ獅子像や麒麟像がある日本橋を渡って、#2日本橋三越バス停に至る。
中央通りを北上、国の重要文化財である中央三井信託銀行(三井本館)の周囲には、三井グループの日本橋活性化プロジェクトの一環で建てられたCOREDO室町、三井記念美術館、日本橋室町野村ビルが並ぶ。室町3丁目交差点で江戸通りを渡り、神田駅手前の新設の#3神田駅前バス停を過ぎ、須田町交差点で靖国通りを渡る。神田川に架かる万世橋南詰に#4須田町バス停があるが、秋葉原電気街で歩行者天国がある場合は、須田町交差点で右折、昭和通り、神田川北岸を西進して万世橋の北詰にある千代田万世会館横の万世橋バス停に停まる。
中央通りの秋葉原電気街を北上、ビルの壁面は萌え〜系のイラストで覆われ、電気部品とハンダゴテは古すぎるが、パソコンで賑わった秋葉原の面影はない。8階にAKB48劇場があるドン・キホーテ秋葉原店を過ぎ、外神田五丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。上野三丁目交差点を経て、黒門交番の先の赤看板の中央三井信託銀行前に#5上野松坂屋前バス停がある。
中央通りを北上、上野広小路交差点で春日通りを、上野恩賜公園がある上野公園前交差点を渡り、京成上野駅前の#2上野公園山下バス停に至る。上野駅の不忍口、広小路口と過ぎて、上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。 浅草通りを東進、赤大鳥居の下谷神社前を通り、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、#7菊屋橋バス停の先の菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で左折、国際通りへ入り、雷門1丁目交差点で右折、雷門通りへ進んですぐに#8浅草一丁目バス停がある。雷門通りを東進、#9浅草雷門バス停の先に雷門があり、更に進んで吾妻橋交差点に至る。
東京スカイツリーを見つつ吾妻橋を渡ると#10リバーピア吾妻橋前バス停で、浅草通りの吾妻橋一丁目交差点を過ぎ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、大岡裁きのしばられ地蔵と業平伝説がある南蔵院跡の案内板を見て、間近に迫る東京スカイツリーを見つつ業平橋、業平一丁目交差点を過ぎると#11業平橋バス停である。更に浅草通りを進み、#12押上バス停に着く。このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。
浅草通りの押上駅前交差点で右折、四ツ目通りを南下、横川交番前交差点で春日通りを渡り、太平四丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ入る。錦糸町行きは、オリナス・タワーがある太平四丁目交差点を過ぎ、このまま四ツ目通りを直進する。蔵前橋通りを西進、東京スカイツリーが正面に見える太平一丁目交差点、大横川親水公園の報恩寺橋、三ツ目通りを渡る石原三丁目交差点を過ぎ、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入るとすぐ右手に東京都慰霊堂がある横網公園(旧陸軍被服廠跡)である。東京都慰霊堂では、翌日が関東大震災のあった9月1日なので,慰霊法要の準備がなされていた。
清澄通りの横網町公園前交差点で右折、関東大震災を記念し築地本願寺が建立した慈光院から東京都慰霊堂の三重塔が斜め向かいに見える。少し先に新設の#13都営両国駅前バス停があり、旧安田庭園の塀沿いを進み、突き当りを左折、国技館通りへ入り南下、両国公会堂、旧安田庭園前の舟橋聖一生誕記念碑、両国国技館、JR 両国駅と過ぎて、両国駅西口のガード下を進むと終点の両国駅前バス停に至る。
シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス 分割 上野ライン 未完(H23−07−18)
ニンニンパンダバスは今年(平成23年)7月1日から浅草ラインと上野ラインに分割、ROX前と花やしき前で浅草ラインに乗り換えられる。 上野ラインはバス停数 13(ROX前は始発と終点で計上)で、浅草ROX前を出てひたすら浅草通りを走り、次のバス停はJR上野駅の公園口である。台東区の東西めぐりんとかなり重なる経路を走り、御徒町周辺を巡った後、JR上野駅を出て浅草花やしき前までひた走るコースである。
実際に歩いてみると、上野松坂屋以外はバス停は設置されておらず、台風の影響で急激に蒸し暑くなり、残念ながら#10御徒町バス停で歩くのを断念した。それにしてもバス停が設置されていないコースを探しながら歩くのは負担が大きい。
始発の浅草ROX前から国際通りを南下、雷門1丁目交差点を経て寿四丁目交差点で右折、浅草通りへ入る。田原町界隈の仏壇仏具店街を過ぎて、菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、上野駅交差点で左折、昭和通りへ出て階段を上り、上野駅コンコース(ジュエリーブリッジ)を歩く。階段を下り、上野駅の外周沿いに中央通りを歩き、正面玄関口を通り、不忍口を過ぎて右折、上野公園通りへ至る。
上野公園通りの坂を上り、上野駅公園口を過ぎると、東西めぐりんの#20上野公園バス停はあるが、ニンニンパンダバスの#2JR上野公園口バス停は影も形もない。この時は、まさかこの後もバス停無しの運行とは思わなかった。
両大師橋前交差点で左折、都道神田白山線(452号)へ入るが、東京国立博物館の付近にも#3国立博物館バス停がどこにも見当たらない。旧因州池田侯表門(黒門)、旧東京音楽学校奏楽堂と過ぎるが、東西めぐりんのバス停はあるが、ニンニンパンダバスの#4東京芸大前は例によって見当たらない。そこでコースを外れて走り去るバスを見たので、運行していることは確認できた。突き当りを左折して護国院前で右折、曲がってすぐの交差点で左折して三段坂を下る。突き当たりで左折、動物園通りへ進み、森鴎外居住の跡と称する平屋の鴎外荘がある水月ホテルに着く。
動物園通りを南下、上野動物園の東園と西園とを結ぶ陸橋やモノレールの下を進み、不忍池の弁天島交差点手前で左折、五條天神社前を歩き、桜並木を北上して東照宮前に着く。しかし、#5上野動物園バス停はない。案内図通りに歩いているが、メインストリートの桜並木をバスが走れるのか、大いに疑問である。上野東照宮の大石鳥居前で左折、精養軒前で右折して伊豆栄梅川亭横を歩き、動物園通りに戻る。不忍池の弁天島交差点を経て、上野公園前交差点で右折、中央通りへ進む。
中央通りの不忍通りとの分岐交差点にあるはずの#6中央通りバス停、上野広小路交差点で左折、春日通りへ入りアメ横手前の#7JR御徒町駅バス停、台東四丁目交差点で右折、昭和通りへ入ってすぐにあるはずの#8仲御徒町多慶屋前バス停は、例によって影も形もない。もっともバス停設置場所一帯は放置自転車が多く、歩道には歩行者が飛び出さないように柵が張り巡らされ、バス停が設けられるような場所もない。どこに設置されるのか興味深い。
台東二丁目交差点で右折し突き当たりで右折、山手線沿いに進む。すっかり曇り空になって蒸し暑さが急に増した気がして測ってみたら、湿度は72%と急増している。山手線沿いを進み左折してガード下をくぐり、御徒町駅南口、上野松坂屋の間を進む。なんと上野松坂屋南店前に唯一の#9上野松坂屋バス停があった。中央通りに戻り、上野広小路交差点で春日通りを渡るが、#10御徒町バス停はない。ここで湿度86%となり、バス停を探しながら歩くには体調不調で、断念した。
東京、横浜の桜並木探訪 4部作H2304第1部 谷中霊園〜上野公園〜隅田公園〜東京スカイツリー散策(H23−04−07)
団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)の次の交差点で左折、よみせ通りへ入って途中で右折し谷中ぎんざへへ進む。谷中ぎんざを東進、夕やけだんだんを上って、彰義隊をかくまったため、官軍の弾痕が山門に残る経王寺、桜並木の御殿坂の月見寺(本行寺)と経て、日暮里駅旧駅舎西口に着く。
日暮里駅西口の谷中霊園入口から満開の桜並木の小道を進むと、丈六仏の銅造釈迦如来坐像、枝垂れ桜が有名な天王寺に着く。そこから満開のさくら通りを歩き、天王寺五重塔跡を経て、都道神田白山線と合流し、上野桜木交差点で言問通りを渡る。
上野桜木交差点から、広い都道神田白山線へ入ると大学美術館などの東京藝術大学のキャンパスで、満開の桜並木や、旧因州池田屋敷表門(黒門)、工事中の竹の台広場(大噴水広場)、東京国立博物館と過ぎて、国立科学博物館前で右折、別ページにまとめた国立西洋美術館を経て、東京文化会館前で右折する。満開の桜並木前を過ぎるとパンダ見物で大混雑の上野動物園で、入場券を買うのに長い列が出来ている。寛永寺の五重塔に行けないかな、と上野東照宮脇を歩いたが、鍵のかかった鉄柵に阻まれた。
国立西洋美術館の前庭には、美術の教科書にのるほど有名な彫刻が展示されている。ロダン作の考える人、カレーの市民、地獄の門、エヴァ、アダムと、ブールデル作の弓を引くヘラクレスである。それぞれの彫刻には、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で多くの美術品が被災した教訓から、免震化対策も行われている。
大石鳥居から上野東照宮に入り、花見の屋台が並ぶ満開の参道を歩いて、震災で立入禁止となっている銅燈籠、改修中の唐門を見物する。満開の桜並木は大勢の見物客で賑わい、公園口から出て、JR上野駅の不忍口に着く。中央通りの上野山下には、緊急支援の仙台行き高速バス乗り場があり、出発の打ち合わせをするボランティアの車列が出来ている。
昭和通りの上野駅交差点で右折、浅草通りへ入り、稲荷町交差点で清洲橋通り、菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街を渡り、寿四丁目交差点で左折、国際通りへ進んで雷門一丁目交差点で右折し、雷門通りを歩く。浅草寺雷門から仲見世通りを行き、宝蔵門を抜けて本堂、浅草神社を参拝して二天門から出る。浅草寺御水舎脇から東京スカイツリーが見える。
正面に東京スカイツリーを見つつ、二天門前交差点で馬道通りを渡り、台東区民会館横を進んで、東参道交差点で江戸通りを渡り、隅田公園西岸へ入る。東京スカイツリーを右手に見ながら満開の桜並木を上流に歩く。隅田公園の桜並木は、古木が多く立派な東岸に比べ、西岸は若木のため、迫力に欠ける。東京スカイツリーに向かって行くような感じで隅田川に架かる言問橋を渡り、東詰から隅田公園へ下りる。
隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の満開の桜並木を歩き、本殿前の全国でも数少ない三輪鳥居がある牛嶋神社、汐入りの池、明治天皇行幸所の碑を見て出口から右折、三ツ目通りへ出る。北十間川に架かる源森橋から東京スカイツリーを見て、吾妻橋交番前交差点で左折、浅草通りへ入り、屈指の東京スカイツリー撮影ポイントの大横川親水公園を経て、業平一丁目交差点で左折、言問通りへ進む。
言問通りの東武橋から東京スカイツリー、工事中の北十間川遊歩道を見た後、計画の634mに達した東京スカイツリーを見つつ歩く。あの大混雑はどこに行ったのか、と思うほど最も賑わっていたポイントでも観光客はごく少ない。押上通りの北十間川に架かる京成橋を渡り、改装中の押上駅に向かう。
東京まちさんぽ 第8回 根津から湯島へ 早春の息吹きを感じて歩く(H23−02−20)
南北線東大前駅から本郷通り(岩槻街道)を北上、向丘一丁目交差点で右折、日医大つつじ通りへ進む。 右折すると新坂(権現坂・S坂)を下り、根津神社の表参道に至り、左折して日本医大校舎沿いに進むと夏目漱石の旧居跡に出る日本医大前交差点を過ぎ、根津裏門坂を下って西参道入口から根津神社に入る。西参道を進み、乙女稲荷横を歩き、社殿 唐門、楼門、6代将軍徳川家宣の胞衣塚を見た後、日医大つつじ通りへ戻り、千駄木2丁目交差点で右折、不忍通りへと進む。
不忍通りを南下、根津一丁目交差点で左折、言問通りへ入り、善光寺坂を上って、左折すると谷中霊園に向かう上野桜木交差点に着く。上野桜木二丁目交差点手前の交差点で右折すると根本中堂がある東叡山寛永寺で、突き当りを左折し第三霊園前で右折する。第三霊園には重文の徳川綱吉霊廟勅額門があり、徳川家綱霊廟勅額門がある第二霊園の塀沿いに歩いて、突き当りを左折、新坂を下ると鶯谷駅である。
新坂(凌雲橋)を下り、鶯谷駅下交差点で右折、言問通りへ進み、入谷鬼子母神前を過ぎて金竜小学校前交差点で右折、かっぱ橋道具街へ入る。イベントが日曜に行われたこともあり、ほとんどの店が閉店のかっぱ橋道具街を南下、菊屋橋交差点で右折、浅草通りへと歩いて仏壇、仏具商店街の稲荷町交差点、下谷神社と経て、東上野三丁目交差点で右折する。台東区役所脇を進み、台東保険所前交差点で左折、東京メトロ唯一の銀座線上野検車区の踏切を渡り、突き当たりで右折、昭和通りへ入り、北上野交差点で左折、昭和通りを渡り、都道 神田白山線に至る。
都道神田白山線の急坂を上り、両大師橋を渡り、国立科学博物館脇で左折して上野公園に入る。東京文化会館、正岡子規記念球場と進み、摺鉢山古墳脇を右折して突き当たりの五條天神社前で左折する。清水観音堂裏で坂を下り不忍池 に出て左折し、周回する。
大正6年に京都三条大橋から3日間で博覧会正面玄関の不忍池まで走った駅伝発祥を記念した碑から、冬枯れの蓮池と化した不忍池を時計回りに歩き、池之端一丁目交差点から不忍通りへ出る。天神下交差点で右折、春日通りへ進み、湯島天神夫婦坂を過ぎ本郷三丁目交差点で右折、本郷通りへ入る。本郷弥生交差点で言問通りを渡り、ゴールの東大前駅に至る。
本郷、谷根千、上野の文豪、文化人の足跡巡り(H23−01−21)
春日町交差点から春日通りの真砂坂(東富坂)を上り、真砂坂上交差点で左折し、文京ふるさと歴史館、真砂中央図書館と過ぎて坪内逍遥旧居・常磐会跡の案内板がある炭団坂上に着く。炭団坂を下り、民家の角で左折、樋口一葉旧居を見た後、菊坂の一葉ゆかりの伊勢屋質店を経て、菊坂下交差点で右折、言問通りへ出る。
6年前に樋口一葉が5,000円札に選ばれたとき、多くのイベントが行われ、見物客が殺到した。その時、タバコやゴミが捨てられ、大声で密集地を歩いたり、民家をのぞくなどしたため、地区町内会から厳しい抗議がなされ、文京区として案内板を撤去したり、大勢での見物を遠慮するよう、指導を行っている。そのため、以前は多くの旧居を見物できたが、今は狭く密集した民家なので、そもそも場所が分からない。
言問通りのチェリスト本郷菊坂の隣の新坂を上る。坂上の太栄館は石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡で、「東海の小島の磯の白砂に云々」の歌碑がある。言問通りを東進し、本郷弥生交差点で本郷通りを渡り、東大農学部沿いに歩く。「弥生式土器」の発見地の案内板を過ぎ、弥生坂を下って根津一丁目交差点で左折、不忍通りへ入る。
不忍通りの根津神社入口交差点で左折、五代将軍・徳川綱吉が家宣の産土神として権現造の社殿を造営した根津神社に着く。神橋を渡り、黒みがかった朱色の楼門、唐門を経て社殿で参拝後、脇の新坂(権現坂・S坂)を上る。日本医大の橘桜会館前の夏目漱石旧居跡碑を見た後、駒込学園前交差点で右折、大観音通りへ入る。
団子坂上の森鴎外観潮楼跡は、平成24年秋(森鴎外生誕150周年)に開館予定の森鴎外記念館として建設工事中である。団子坂下交差点で左折、不忍通りへ入り、谷中よみせ通りから谷中銀座に進み、夕やけだんだんを上って山門に銃弾痕が残る経王寺前から諏訪台通り(初音のみち)へ歩く。狩野芳崖の墓がある長安寺前で左折、谷中霊園ぎんなん通りへ至る。
谷中霊園のぎんなん通りを東進、天王寺駐在所で右折してさくら通りを南下する。天王寺駐在所に隣接して幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとしても知られる天王寺五重塔跡がある。さくら通りを歩き、金属供出で台座だけとなった川上音二郎銅像、高橋お伝の墓を過ぎ、徳川慶喜墓所への案内板に従って東に歩く。明治維新の公卿大原重徳の墓に続いて徳川慶喜の墓所があり、葺石円墳がある。
都道神田白山線を歩き、上野桜木交差点で言問通りを渡って上野公園へ入る。東京藝術大学の大学美術館、旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)と過ぎ、改修工事が行われている大噴水前の桜並木、清水観音堂、彰義隊墓所と経て西郷銅像に至る。
谷中、根岸、入谷朝顔市散策(H22−07−07)
不忍通りの団子坂下交差点で右折、都道神田白山線(三崎坂)へ入り、次の交差点で左折、よみせ通りへ進んで北上、右折して谷中ぎんざに至る。名物谷中メンチの肉屋すずきなどを経て、夕やけだんだんを上り、彰義隊をかくまったため官軍に銃撃された弾痕が山門の扉に残る経王寺に着く。
小林一茶がしばしば訪れた月見寺(本行寺)前の桜並木の御殿坂を下り、改装されきれいになったJR日暮里駅の北改札口から入り、東口前広場に出る。広場南のガスト横を南下し、六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られている善性寺の前には、羽二重団子が名物の芋坂藤の木茶屋がある。正岡子規も愛好し、根岸子規会案内板が設けられている。
尾久橋通りを南下、竹台高校前交差点で右折、駐車場脇の小路へ入ると先代林家三平の遺品が展示される「ねぎし三平堂」があり、その隣のマンション角で左折、さらに次の角を左折すると根岸子規庵がある。根岸子規庵は戦後すぐに再建された古びた民家であり、斜め向かいの中村不折旧宅(書道博物館)が目標になる。
尾久橋通りへ出て南下、根岸小前交差点で右折、尾竹橋通りへ入る。交差点角には絹ごし豆腐を作り、豆腐料理で有名な笹乃雪があり、店の前には正岡子規の直筆句碑がある。鶯谷駅前交差点で左折、言問通りへ進む。
言問通りを南下し、鶯谷駅下交差点の凌雲橋から朝顔市は始まり、根岸一丁目交差点を過ぎると狭い歩道に入谷朝顔市の店が立ち並び、見物客で歩くのもままならない。1鉢2000円の4色大輪がお薦めとの事だが、12時過ぎでは折角の「朝」顔が萎れているのが残念である。狭い境内も人で溢れ返る入谷鬼子母神を過ぎ、入谷交差点に至る。
東京まちさんぽ 春と歴史のかおる下町さんぽみち (H22−04−03)
今年の変則的な天候が幸いし、開花から2週間経って満開となった桜を堪能しながら歩くイベントであった。南北線後楽園駅を出てこんにゃくえんま(源覚寺)に寄った後、千川通りを北上、植物園前交差点で左折、播磨坂へ入る。
小石川植物園は、白山御殿とよばれていた五代将軍徳川綱吉の下屋敷があったところである。享保7年(1722)、町医師、小川笙船の意見によって、幕府の医療施設が御薬園内に開設された。文京区の桜まつりが開かれている播磨坂は、満開の桜並木を楽しむ人だけでなく、席取りのシートが敷き詰められている。
播磨坂から小石川五丁目交差点で右折、春日通りへ入り、正面に池袋のサンシャインを見つつ、茗荷谷駅前交番交差点で右折、湯立坂へ進む。入ってすぐに文京区と姉妹都市であるドイツのカイザースラウテルン広場があり、一角獣を中心に6点の彫刻が展示されている。
その先は筑波大(旧東京教育大)附属小学校で、左には教育の森公園があり、右に進んで窪町東公園の桜を見つつ、湯立坂を下り、窪町東公園交差点で左折、千川通りへと歩く。公園の途中には守山藩の上屋敷であった占春園への入口がある。千川通りの千石三丁目交差点で右折、不忍通りへと進む。
千石三丁目交差点から不忍通りに入ってすぐに妖怪伝説がある猫又坂を登り、千石一丁目交差点で白山通りを渡る。交差点の直ぐ先には、1年後に中高一貫となって廃校となる名門都立小石川高校(旧制府立五中)がある。隣接する文京グリーンコート前交差点で左折、六義園南角で右折してレンガ塀沿いに歩いて、六義公園を経て六義園正門に至る。
5千人のイベント参加者も加わって大混雑の六義園に入り、じっくり景色を楽しんだり、写真の構図を決めるなど出来ず、回遊池を一周するのがやっとであった。六義園は別サイトで整理しており、そちらを参照ください。
内庭大門を入ってすぐ右に戦後植栽されてから、50年以上が経過している名物のしだれ桜があり、その大きさ、美しさに圧倒される。蓬莱島がある回遊地を左に進み、枕流洞、水分石がある南西端の滝見の茶屋に至る。
新緑のもみじなどの木立を歩き、満開の桜の巨木がある北西端の吹上茶屋を経て、回遊地沿いに歩いて焼きそばやおでん、ケーキなどを売る臨時茶屋を過ぎると名物のしだれ桜に戻る。狭い遊歩道は行き違う人で混雑している。正門から出るとレンガ塀由来の銘板が掲げられており、更に進んで本郷通りに出て右折する。
上富士前交差点から、文京区のコミュニティバスであるB−ぐるバスのバス停や、南北線の出入口を見つつ本郷通りを南下、本郷弥生交差点で左折、言問通りへと進む。B−ぐるバスが出てきて本郷通りに入る富士神社入口交差点傍には富士講の遺構がある富士神社がある。
二宮尊徳、鳥居燿蔵(江戸南町奉行)、榎本武揚などの墓がある名刹吉祥寺は、満開の枝垂れ桜や桜が多く、観光客で賑わっている。向丘二丁目交差点で大観音通りを渡り、参道が桜並木の浄心寺を過ぎ、B−ぐるバスが左折して日医大つつじ通りへと進む向丘一丁目交差点を経て、東大農学部正門前を通ると本郷弥生交差点である。
本郷弥生交差点で左折、言問通りに入ってすぐに「弥生式土器」の発見地の案内板や、弥生式土器発掘ゆかりの地碑があり、そこから坂を下って根津一丁目交差点で右折、不忍通りへ入る。
池之端二丁目交差点を過ぎ、不忍池の脇にある横山大観記念館前を通り、天神下交差点で右折、春日通りへと進む。切通坂を上り、湯島天神の夫婦坂を過ぎ、湯島天神入口交差点で左折、湯島天神に唐門から入り、本殿を参拝後、表鳥居(銅鳥居)から出る。
湯島天神の表鳥居(銅鳥居)を出て、不忍通り沿いの尾根道を南下し、三組坂上交差点で右折、霊雲寺を経て湯島二丁目交差点で左折、サッカー通り(傘谷坂)へ向かう。日本サッカーミュージアム前を通り、サッカーミュージアム交差点で本郷通りを渡って、サッカー通りの突き当りを右折、外堀通りの順天堂前交差点に着く。
神田川沿いに咲く桜を見つつ外堀通りの坂を下り、水道橋交差点で右折、白山通りへ入る。交差点のすぐ先にある安政の大地震で圧死した幕末の勤皇家 藤田東湖の「護母致命の処」案内板を見た後、東京ドームシティの脇を歩きつつ、満開の桜の巨木がある壱岐坂下交差点を過ぎ、春日町交差点で左折、春日通りへ進む。文京シビックセンター前を通り、富坂下交差点で左折してゴールの南北線後楽園駅に至る。
東京メトロ沿線ウォーク(再訪) #2 下町の風情漂う、谷中・根津・千駄木を歩く(H22−03−03)
湯島駅から不忍通りを北上、突き当りの池之端一丁目交差点で冬枯れの蓮の茎が侘しさを漂わせる不忍池に入り、枯木の桜並木の遊歩道を歩いて弁天堂に至る。上野一帯は天海僧正により京に模され、琵琶湖の竹生島に対応し、不忍池には周囲に様々な碑が建てられている弁天堂がある。弁天堂前交差点で動物園通りを渡り、清水坂を上る。
不忍池から清水坂を上ると清水寺に模された清水観音堂があり、その前の木立には彰義隊墓所と西郷像がある。1ヶ月後には満開の桜並木も今は枯木で、寒々としたメインストリートを歩き、大寒桜が咲く大噴水広場を経て東京国立博物館前交差点で左折、都道神田白山線へと進む。
都道神田白山線を東京国立博物館沿いに西進、旧因州池田屋敷表門(黒門)、旧東京音楽学校奏楽堂を経て、黒田清輝記念館手前で右折、国際子ども図書館(旧帝国図書館)に至る。
ここで左折せず直進すると上野寛永寺の第三霊園に着き、中には徳川綱吉霊廟勅額門があり、非公開の天璋院篤姫墓所の案内板がある。道を戻り、国際子ども図書館の手前で右折すると東叡山寛永寺の根本中堂があり、その先の浄名院前交差点で左折、言問通りへと入る。
言問通りの上野桜木交差点で右折、都道神田白山線へ入り、 幕末三舟の一人高橋泥舟の墓がある大雄寺を過ぎ、中華店前交差点で右折、諏訪台通り(初音のみち)へと進む。初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声で、旧初音町に因む。
一方通行の狭い道を北上、狩野芳崖墓がある長安寺、長期改修中の朝倉彫塑館を過ぎ、御殿坂に出て左折すると夕やけだんだんで、その下に下町の名所の一つで、谷中メンチなどがある谷中ぎんざがある。谷中ぎんざを出て左折、よみせ通りを進み、団子坂下交差点に着く。
不忍通りを南下、根津神社入口交差点で右折し、六代将軍徳川家宣の誕生の地で綱吉が権現造の社殿を造営した。改修がほぼ終わり、落ち着きのある朱色の楼門、唐門、社殿が美しく、社殿左右の紅梅、白梅が満開である。
神社脇の新坂は森鴎外によりS坂とも呼ばれる急坂で、上りきった突き当りを左折、東大農学部に沿って進み本郷通りに出て南下、本郷弥生交差点で左折、言問通りへと進む。
本郷弥生交差点から言問通りを東進、最初の信号で右折し、東大工学部沿いに進み、弥生美術館・竹久夢二美術館を経て、旧岩崎邸庭園裏で右折、無縁坂へと進む。東大医学部の壁沿いに歩き、龍岡門前交差点を左折し、本富士警察署前交差点で左折、春日通りへ出る。
春日通りを東進、湯島天神入口交差点で右折して唐門から梅まつりが行われている湯島天神に入る。受験生で溢れかえった正月と違い、梅まつりを楽しむ中高年が多く、やや盛りを過ぎた白梅が咲き誇っている。夫婦坂から春日通りに出て、天神下交差点で右折、不忍通りに入り、ゴールの湯島駅に着く。
新春の千駄木、谷中、根津、湯島散策(H22−01−06)
旧白山通り白山下交差点の東側のマンション脇にある細道を進むと、八百屋お七の墓がある円乗寺がある。道沿いに八百屋於七地蔵尊があり、狭い参道の奥に八百屋お七の墓と、供養塔がある。
白山下交差点に戻り、旧白山通りの薬師坂を上り、文京区のBーグルバスの#12 白山駅バス停の直ぐ先の中華料理店手前で左折、白山通りに向かう。白山神社は6月頃境内を彩るあじさいが有名で、天暦年問(947〜57)に加賀一宮白山神社を現在の文京区本郷に勧請したのが始まりとされる。
白山上交差点で右折して大観音通りへ入り東進、駒込大観音がある光源寺、団子坂上の改修のため閉館中の森鴎外の観潮楼跡を過ぎ、団子坂を下りて団子坂下交差点で左折、不忍通りへ入る。
不忍通りを北上、NTT脇で右折、突き当りで左折すると谷中よみせ通りの入口で、更に北上すると途中に谷中銀座のアーチがあり右折する。谷中銀座は谷根千の中でも人気スポットで、平日にもかかわらず、谷中案内のビラを持った中高年女性の集団が人気の谷中メンチの店などに長い列をなす。
谷中銀座の先にはNHKの朝の連続ドラマで脚光を浴びた夕やけだんだんがあり、上った所が御殿坂でJR日暮里駅に向かう。 夕やけだんだんの少し先の御殿坂には、山門に彰義隊討伐で官軍により撃たれた銃弾痕が残る経王寺がある。
御殿坂の経王寺前の細道が諏訪台通り(初音のみち)で、一方通行の狭い道を南下すると修復工事中の朝倉彫塑館があり、両脇に寺院が並ぶ寺町を進み、中華料理店脇で右折、団子坂通りへ進む。左折すると谷中霊園入口を経て言問通りに向かう。
団子坂通りは通称で、都道白山神田線(452号)であり、団子坂下交差点を経て、大観音通りとなって白山上交差点に至る。団子坂通りの両脇は仮名垣魯文の墓がある永久寺など、有名人の墓所が並ぶ寺町である。三崎(さんさき)坂を下り、団子坂下交差点で左折、不忍通りに出る。
団子坂下交差点から不忍通りを南下、根津神社入口交差点で右折し、一方通行の狭い道を進むと根津神社である。根津神社は、日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。改修が終わり、くすんだ朱色の社殿、楼門などがきれいである。
不忍通りに戻り、根津一丁目交差点で言問通りを渡り、池之端二丁目交差点に至る。不忍通りを下り、上野動物園の池之端門を過ぎて不忍池に入る。>鴨やゆりかもめなどの鳥が群れる遊歩道を歩き、枯果てた蓮池が侘しさを誘う。弁天堂は谷中七福神の一つで賑わい、裸木となった桜並木の遊歩道を戻って、池之端一丁目交差点から昌平橋通りに出る。
昌平橋通りを南下、天神下交差点で右折、春日通りへ入り、夫婦坂の階段を上って湯島天神の本殿裏に出る。破魔矢、お守り授与所も他の神社と違い、学業成就・合格祈願のお守りや絵馬が中心である。絵馬の山を見つつ、本殿に向かうが、中高校生グループの参拝が続く。急坂の男坂の鳥居の手前には講談高座発祥の地碑がある。狭い参道には露店が建ち並び、銅鳥居から出て湯島中坂を下り、千代田線 湯島駅に至る。
東京メトロ沿線ウォーク(再訪) #1 地下鉄が最初に走った街、上野・浅草(H21-11-15)
このコースは上野、浅草の観光名所をもれなく組み込んだ優れたもので、特に上野公園、隅田公園の桜の季節がお薦めである。
昭和通りの上野駅交差点脇にある東京メトロ本社から、上野駅前広場の上に造られたコンコース(ジュエリーブリッジ)を歩き、正面口から地上に降り、中央通りを広小路口、不忍口、改築予定の旧聚楽、京成上野駅入口と通り過ぎ、上野公園の入口に至る。
「日本の公園100選」の銘板がある公園入口から入り、西郷像がある広場に入り、木立の中にある彰義隊墓所、重文清水観音堂を見ながら北上、東京文化会館前で左折、突き当りの五條天神社前で右折、紅葉が始まった桜並木へ進む。上野動物園に行く親子連れとともに歩き、上野大仏、パゴダ、上野東照宮前を歩いて行き、大噴水広場に着く。紅葉、黄葉が進む木立の前を行き、東京国立博物館前で右折、都道 神田白山線へ入る。
寛永寺開山慈眼大師(天海僧正)、延暦寺の慈恵大師の像を安置する両大師、上野戦争のため、本坊はことごとく焼失し、唯一戦禍を免れた旧本坊表門と進むと両大師橋に至る。ミニ観光バスとして人気の台東区の東西めぐりんバスは、両大師橋を上り、この逆コースを走って谷中に向かう。
両大師橋のビル5〜6階に相当する高さから急坂を下り、凌雲橋歩道橋で左折、北上野交差点で右折、昭和通りへ入り南下する。上野七郵便局先の交差点で左折、昭和通りを渡り小路に入ってすぐに東京メトロ(旧営団)唯一の踏切がある銀座線上野検車区があり、更に進んで上野小学校前交差点で左折、清洲橋通りへと至る。
東上野五丁目交差点で右折、かっぱ橋本通りへ入り、同じ交差点を西から入る東西めぐりんバスと同じコースを進む。かっぱ橋本通りのかっぱ寺(曹源寺)、梅田雲浜の墓がある海禅寺と過ぎ、合羽橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡り、ROXビルがある公園六区入口交差点で左折、国際通りへと進む。
東西めぐりんバスとは反対に国際通りを北上、浅草ビューホテル前交差点で右折、花やしきへ入る。浅草寺界隈を周回する無料のニンニンパンダバスとは逆コースで、江戸時代風の土産物店が並ぶ花やしき通りを進み、平成の大営繕中の本堂横から銭塚地蔵堂、九代目市川團十郎像がある浅草寺裏に出て、雷5656会館前で右折、言問通りへ入る。
日当たりの差で黄葉の度合いが違ういちょう並木の言問通りを東進、馬道通り、江戸通りを渡り、言問橋西詰で隅田公園に入る。東岸には劣るが桜並木で有名な隅田公園を南下、水上バスの仮設乗り場近くにある山の宿の渡しの碑を過ぎると吾妻橋で、右折するとランドマークの浅草松屋がある。 吾妻橋交差点から雷門通りを西進、雷門からいつも歩くのに苦労する浅草寺仲見世を進み、平成の大営繕で白い覆いに囲われた本堂を参拝後、雷門通りに戻る。東西めぐりんバスや、都営観光路線バスの「夢の下町」バスとは逆方向に進み、雷門一丁目交差点で国際通りを渡り、菊水通りへ至る。
国際通りを北上、雷門一丁目交差点で左折する南めぐりんバスとともに菊水通りを歩き、東本願寺裏を経て、合羽橋南交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ入る。南めぐりんバスは右折し、北上する。
様々な食器具や食品サンプルなどを見ながらかっぱ橋道具街通りを南下、菊屋橋交差点で右折、浅草通りへ進む。仏壇、仏具店が建ち並ぶ銀座線稲荷町駅界隈を過ぎ、寄席発祥之地の碑や、正岡子規の句碑がある赤い大きな鳥居の下谷神社に寄る。浅草通りが昭和通りと突き当る上野駅交差点で左折、東京メトロ(旧営団)本社に着く。
谷根千(谷中・根岸・千駄木)散策(H21−09−13)
人気の谷根千とコミュニティバスとを組み合わせたコースを散策した。
谷中の東西めぐりん、根岸の北めぐりん、千駄木のBーグルバスだが、ぴったりするのは谷中の東西めぐりんだけで、見所を通らない北めぐりん、近くを通るが分かりにくいBーグルである。コミュニティバスの運行コースだけではせっかくの谷根千が楽しめないので、まず推薦コースを設定し、それに当てはまるバス停を組み込む形とした。
コースを分かりやすくするため、上野駅を起点とし、入谷から根岸に入り、谷中霊園、谷中銀座、団子坂(千駄木)、根津神社を経て団子坂に戻り、谷中三崎坂を上って、上野公園を通り、上野駅に着く。そのコースで適切なバス停はその都度分かるようにしている。
上野駅浅草口から昭和通りを北上、入谷交差点で左折、言問通りに入り、根岸一丁目交差点で右折して金杉通りに入る。根岸三丁目交差点で左折し、北めぐりんと同じコースを歩いて根岸四丁目交差点で左折する。北めぐりんと同じく根岸の住宅街を歩き、東日暮里四丁目南交差点で左折、尾竹橋通りに入り、根岸小学校前交差点で右折、尾久橋通りへ進む。正岡子規が晩年住んでいたことから、根岸子規会が資料を民家などの壁に貼り、根岸の紹介をしている。かつての高級料亭「鶯春亭」、根岸と子規との関係、子規庵などである。ボランティアのため、内容の割に貴重な資料に見えないのが残念である。尾久橋通りを北上、竹台高校前交差点で小道に入り、先代林家三平の資料館である「ねぎし三平堂」に向かう。「ど(土)ーもすい(水)ません」に因み、開館日は毎週の水、土と、日曜日である。尾久橋通りを北上、東日暮里五丁目交差点で左折し、小路を進むと右の石塀の先に善性寺があり、道の反対側に根岸の名菓である羽二重団子屋がある。善性寺は6代将軍徳川家宣の生母が葬られ、家宣の弟の松平清武がここに隠棲し、家宣のお成りがしばしばあった。善性寺の向い、芋坂下には文政2年に開かれたという藤の木茶屋(今の羽二重団子)がある。近くに住んでいた正岡子規は羽二重団子を好んだということで、店の周囲には案内板がいくつも立てられている。店の脇の小路を進み、日暮里駅のホームを見つつ、芋坂跨線橋を渡ると谷中霊園である。
南部は徳川慶喜以外は立ち入れない徳川家の墓所が広がる谷中霊園のぎんなん通りを東から西に向かう。南北を走るさくら通りとの交差点には幸田露伴の小説で有名な天王寺の五重塔跡があり、更に進んで突き当りを右折すると諏訪台通り(初音のみち)である。突き当りの長安寺には狩野芳崖の墓があり、諏訪台通りを北上し、赤穂浪士ゆかりの観音寺など、寺町谷中らしい光景が続き、修理のため長期休館の朝倉彫塑館に着く。諏訪台通り(初音のみち)の突き当りの御殿坂の向いに彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけ、山門には今も銃弾の痕が残る経王寺がある。左折すると夕やけだんだんの階段下に下町屈指の谷中銀座があり、狭い道一杯に観光客が溢れ、名物の谷中メンチカツを買う行列が出来ている。突き当りは南北に走る谷中よみせ通りで、左折してよみせ通りのゲートを過ぎてすぐ右折、小道を歩いて不忍通りに出て右折、南下すると団子坂下交差点である。東西めぐりんの千駄木バス停から少し歩いて団子坂下交差点に着き、不忍通りの反対側にBーグルバスの千駄木バス停がある。
Bーグルバスが右折する大観音通りの団子坂上交差点を過ぎてすぐに森鴎外の観潮楼跡を過ぎて西進し、高さ約6mの駒込大観音がある光源寺手前の駒込学園前交差点で左折、南下する。日本医科大学同窓会館前に夏目漱石旧居跡の碑がある。この家は、森鴎外が上野動物園近くの鴎外荘から移り、観潮楼に移るまで住んでいた。日本医大前交差点で日医大つつじ通りを渡り、東大地震研究所の角で左折、南下すると根津神社に向かう根津新坂・S坂である。根津神社は、徳川綱吉が6代家宣の産土神として宝永3年に千駄木にあった社をこの地に移した。3,000株のつつじ苑がある表参道を進み、漆塗り工事が間もなく終わるせいか、朱色が鮮やかな楼門、唐門、社殿を参拝する。翌週の例大祭の準備をする氏子を見つつ、不忍通りに出て北上、Bーグルバスのバス停を見つつ、団子坂下交差点に至る。
団子坂下交差点から都道 神田白山線に入り、三崎坂を上り、谷中霊園入口を通り、上野桜木交差点で右折、言問通りに出る。都道 神田白山線は谷中の寺町を通り、幕末の江戸無血開城の功労者である山岡鉄舟と、初代三遊亭円朝の墓がある全生庵、仮名垣魯文の墓がある永久寺などがある(詳細は万歩計 東西めぐりん参照)。 言問通りの谷中六丁目交差点で左折、突き当りの護国院前交差点で右折して道なりに上野高校前を通り、清水坂を下ると動物園通りに出る。動物園通りの水月ホテル 鴎外荘の中には、新婚当時住んでいた森鴎外居住の跡を復元した家がある。鴎外はその後、日本医大傍の後に夏目漱石が住んだ家に移り、最後は団子坂上の観潮楼で没した。動物園通りを南下、日本で初めての上野動物園のモノレールの高架下を過ぎ、蓮の葉で覆われた不忍池から上野公園に入り、桜並木を南下し、上野駅の不忍口に出る。
台東区 コミュニティバス 南めぐりん(H21−08−24)
南めぐりんは、上野駅から新御徒町駅、三井記念病院前、鳥越神社前、田原町駅、かっぱ橋、生涯学習センター北、上野学園、上野駅に至る巡回コースを走る。東西めぐりんとは#24上野学園、#26台東区役所で、北めぐりんとは#20生涯学習センター北で乗り換えることが出来る。南めぐりんは、浅草、根岸巡りの北めぐりんや、谷中巡りの東西めぐりんのようなミニ観光バスの要素はなく、病院や下町を巡る地域密着路線である。
上野駅を出て、東京メトロ(旧営団)本社脇の横道を通り、下町の街並みの中を進んで、春日通り、蔵前橋通りを渡って南下、三井記念病院に至る。
神田和泉町交差点で右折、清洲橋通りに出てすぐ左折、左衛門橋通りを渡り、浅草橋一・二丁目交差点で左折して北上して蔵前橋通り沿いの鳥越神社に至る。蔵前四丁目交差点で左折、新堀通りに入り北上、三筋二丁目交差点で右折して春日通りへ、さらに寿三丁目交差点で右折、国際通りを北上する。浅草通りと交差する寿四丁目交差点手前に田原町駅バス停がある。
国際通りを北上、雷門一丁目交差点先で左折、菊水通りへ入り、浅草東本願寺裏を進んで合羽橋南交差点で右折、かっぱ橋道具街通りに至る。食品サンプルなどで有名な一角とは離れているが、かっぱ橋道具街通りを北上、金竜小学校前交差点で言問通りを渡ると、北めぐりんとの乗り換えが出来る生涯学習センター北に着く。
生涯学習センター北バス停からさらに北上、横道に左折して突き当りの交差点で左折、左衛門橋通りを南下する。仲入谷交差点で言問通りを渡り、入谷南公園前交差点で右折、さらに北上野二丁目交差点で左折、清洲橋通りへ入る。形中学校前交差点で二股路を右折、東西めぐりんと接続する上野学園バス停を過ぎ、台東区役所に至る。区役所前の上野警察署脇を歩いて、浅草通りを渡ると終点の上野駅バス停である。
台東区 コミュニティバス 北めぐりん(H21−08−15)
台東区北めぐりんは、浅草駅から隅田公園、今戸神社、今戸一丁目、吉原大門、三ノ輪駅、一葉記念館入口、根岸三丁目、鶯谷駅南、入谷ふれあい市場前、千束二丁目、千束小学校前、浅草寺北、浅草駅に至る巡回コースを走る。東西めぐりんとは#1浅草駅で、南めぐりんとは#27生涯学習センター北で乗り換えることが出来る。
浅草松屋東側浅草駅を出て、江戸通りを北上、花川戸を過ぎ、言問橋西交差点で斜め右上の橋場通りへ入り、隅田川沿いに進む。隅田公園前の待乳山聖天、山谷堀公園から左のバス通りに入り、今戸神社に至る。今戸神社は沖田総司終焉の地で、招き猫で有名である。
4年前と運行経路が変更になり、今戸二丁目交差点で右折、今吉橋通りへ入り、一方通行の住宅街を北上、橋場老人福祉館西を経て、突き当りを左折して西進する。アサヒ商店街、日の出会商店街と進んで、吉原大門交差点で右折、土手通りへ入り北上、途中で明治通りと合流して三ノ輪駅に至る。
昭和通りに入って三ノ輪交差点で左折、国際通りに入るのも運行経路変更の2番目である。国際通りを南下、樋口一葉記念館入口の案内がある竜泉交差点で右折、下谷三丁目交差点で昭和通りを渡る。ここからは以前と同じコースで、金杉通りを南下、根岸三丁目交差点で右折して根岸三丁目バス停に着く。
コース変更3番目で、根岸三丁目バス停から突き当りの交差点を右折し、防災広場根岸の里を経て、尾竹橋通り、言問通りを回って鶯谷駅南(旧 鶯谷駅)に至る。根岸一丁目交差点で左折、金杉通りに戻り、根岸三丁目交差点で右折、入谷駅前で昭和通りを渡り、入谷ふれあい市場前に着く。
金美館通りの入谷市場前交差点で右折、言問通りを経て、南めぐりんと乗り換えられる#27生涯学習センター北に至る。金美館通りに戻り東進、国際通りを渡ってせんわ通りとなり、カクヤス酒店前で左折、台東病院を往復するのが4番目の経路変更である。一葉桜・小松橋通りに入って東進すると千束小学校前である。
一葉桜・小松橋通りを東進、千束通りを渡り、浅草警察署前交差点で右折、観音裏富士通り、言問通りと進み、馬道交差点で右折、馬道通りに出て、南下する。浅草松屋前を歩き、吾妻橋交差点でUターン、江戸通りへ入って浅草駅バス停に至る。
文京区 Bーグルバス(H21−08−09)
文京区のコミュニティバスのBーグルは、文京区区役所の文京シビックセンターを始発とし、丸ノ内線後楽園駅前から小石川後楽園、東京ドームホテルを経て、水道橋交差点から白山通りを北上、春日駅、白山下交差点から旧白山通りに入る。白山上交差点から本郷通り、日本医大、千駄木駅、団子坂、動坂上、六義園、千石駅を経て、白山下交差点から白山通りを南下、文京シビックセンターに戻る。
江戸城外堀石垣を再利用した小石川後楽園前を通り、外堀通りに出て、夏休みの宿泊客で賑わう東京ドームホテルに至る。水道橋交差点で左折、白山通りを北上、旧後楽園遊園地の東京ドームシティ アトラクションズ、講道館を過ぎて、春日通りを渡ると春日駅である。春日町交差点の左手には始発の文京シビックセンターが聳え立つ。さらに北進すると白山下交差点で二股に分かれ、右手の旧白山通りに入り、薬師坂を上って白山駅に着く。その横には白山神社の鳥居が見える。
白山上交差点で大観音通りに入り、向丘二丁目交差点で右折、本郷通りを南下、浄心寺などの寺町を進み、向丘一丁目交差点で右折、日医大つつじ通りへと進む。右折すると根津神社、左折すると夏目漱石旧居跡の碑がある日本医大前交差点を過ぎ、左に日本医大の附属病院、キャンパス、右に根津神社の北入口がある坂を下り、千駄木2丁目交差点で左折、不忍通りへ出る。不忍通りを北上すると団子坂下交差点にある千駄木駅で、ここで谷中を巡回する台東区の東西めぐりんと接続する。団子坂上交差点で右折、千駄木「くらしのみち」に入り北上、高村光太郎旧居跡碑の前を通り、5差路の動坂上交差点で交番脇の道を進む。駒込病院を過ぎ、富士講の遺構が残る富士神社入口交差点で右折、本郷通りへ入り北上して昭和小学校に至る。
本郷通りを北上、六義園入口の木柱がある所で左折すると、柳沢吉保が築造した大名庭園の六義園正門に至る。駒込駅に近い駒込橋交差点にある門からは六義園に入れない。その交差点で左折、六義園のレンガ塀沿いに西進、突き当りで左折すると白山通りで、不忍通りを渡り南下して千石駅に至る。千石駅前交差点で右折、白山通りへ入り南下、白山下バス停で千駄木方面に向かうバスと乗り換えることができる。さらに白山通りを南下、紳士服のコナカの駐車場入口脇に樋口一葉終焉の地の碑がある。春日町交差点で右折、富坂下交差点で左折すると、東京メトロ(旧営団)丸ノ内線の後楽園駅前に終点の文京シビックセンターバス停がある。
都営バス 夢の下町バス(H21−05−10)
都営夢の下町バスは専用のバスで、東京駅丸の内北口の丸の内オアゾ前から日本橋三越、須田町、上野公園山下、菊屋橋、浅草雷門、両国駅前、都営両国駅前に至る観光バスであり、料金は普通バスと同じである。
丸の内北口から永代通りを東進、呉服橋交差点を経て日本橋交差点で左折、日本橋を通り三越本店に着く。中央通りを北上、神田駅北口の神田警察通り界隈では神田祭の一環で、美土代町会、淡路一丁目町会などの神輿が練り歩く。万世橋からの秋葉原電気街は、神田祭の飾り付けがなされ、外人買い物客で賑わい、名物のメイド喫茶のビラ配りがあちこちで見られる。更に中央通りを進み、上野公園山下に至る。上野駅不忍口から駅前を西から東に進み、浅草通りに入る。神田明神の神田祭同様、上野駅前の下谷神社も大祭が行われており、狭い境内や参道は地元の氏子で賑わっている。菊屋橋のかっぱ橋道具街前を通り、国際通りから雷門通りに入り、雷門前の並木通りに進むと浅草雷門バス停がある。
雷門から並木通りを進み、江戸通りを南下、厩橋を渡って清澄通りを進み、関東大震災や、東京大空襲などの犠牲者を祀った東京都慰霊堂がある横網公園の横を通って旧安田庭園に至る。旧安田庭園は大名の下屋敷で、安田財閥の安田善次郎逝去後に東京市に寄贈されたもので、隅田川の水を引き入れた潮入り回遊式庭園である。旧安田庭園を出ると、国技館通りの先に夏場所初日を迎えた国技館が見える。JR両国駅前を通り、突き当りの回向院前で左折、芥川龍之介生育の地碑がある京葉道路を東進し、清澄通りに入って江戸東京博物館前の都営両国駅前バス停に着く。大相撲初日なのに夏場所の高い席はすべて売り切れ、自由席も早々と満席となっている。明暦の大火(振袖火事)の慰霊で建立された回向院は、鼠小僧次郎吉の墓などがある。
台東区 東西めぐりん(H21−05−01)
東西めぐりんは、台東区役所を始発とし、上野公園を通って谷根千で人気の谷中を周回し、かっぱ橋本通り、浅草、新御徒町を経て台東区役所に戻るコミュニティバスである。
ビル5〜6階の高さの急坂を上り、両大師橋から上野公園に入り、国立博物館、旧東京音楽学校の奏楽堂に至る。都道神田白山線を歩き、上野公園から谷中霊園の西側を進み、三崎坂に至る。この一帯は寺町で、大雄寺には高橋泥舟、永久寺には仮名垣魯文、全生庵には山岡鉄舟や、噺家三遊亭圓朝の墓がある。不忍通りの団子坂下交差点手前の小路で右折、谷中よみせ通りのアーチ手前で左折、不忍通りに出て千駄木駅に向かう。バス停は「谷中銀座・よみせ通り」であるが、正確にはよみせ通りの入り口であり、谷中銀座はさらに北上しないといけないので注意が必要である。
往路と同じコースで戻り、言問通りに出て西進、花屋の角を曲がって南下、動物園通りを歩いて森鴎外旧居が敷地内にある水月ホテル鴎外荘に至る。不忍池を経て中央通りに出て、山手線沿いの上野公園通りを上る。かっぱ橋本通りを東進、国際通りを通り、雷門に至る。かっぱ橋本通りは普通の商店街で、かっぱ橋道具街のような雰囲気はないが、かっぱ寺の曹源寺や、安政の大獄で獄死した梅田雲浜の墓がある海禅寺がある。
浅草駅を出ると、ミニ観光バスから「コミュニティ」バスの色彩が濃くなり、浅草消防署、南部区民事務所、永寿総合病院を巡るコースを走る。下町の裏道を走り抜けるため、無名の信号で曲がったり、本当にここで良いのだろうか、と思わざるを得ない道を進む。区役所で配布する運行ルートの地図も役に立たない。地域密着のバスの特徴である。
満開の上野、谷中、浅草散策(H20−03−29)
上野駅の不忍口から階段を上り、上野公園のシンボル西郷さんに着く。西南の役で賊将となった西郷隆盛は、明治22年に名誉回復されたのを機に銅像が建てられた。西郷さんの後ろの木立には上野戦争の彰義隊の墓所がある。上野公園名所の桜並木は満開で、場所取りのブルーシートがあちこちに敷かれる中を北上、大噴水を経て東京国立博物館に至る。パゴダの隣にある有名な大仏の顔を初めて見た。上野東照宮は、上野動物園の南にあり、分かりにくい場所にある。狭い参道は普段は閑散としているが、上野公園で唯一の屋台が所狭しと建ち並ぶ寛永寺の五重塔も満開の桜で霞んでよく見えない。狭い境内に入ると、籐堂高虎らが寄進した銅燈籠が立ち並び、日本で唯一の金箔で飾られた唐門が見える。大噴水の向こうに東京国立博物館が見える。大噴水から見た桜並木は、まさに桜のアーケードである。
徳川慶喜や長谷川一夫の墓がある谷中霊園の桜並木を進むと、幸田露伴の名作「五重塔」のモデルとなり、放火で焼失した天王寺の五重塔跡に着く。翌日(平成20年3月30日)に日暮里・舎人ライナーの開通を控え、装いを一新させた日暮里駅の桜並木を見つつ、尾久橋通りを経て、鶯谷駅で言問通りに入り、入谷、国際通りを歩いて雷門に至る。普段でも混雑している仲見世は、花見見物客も加わり、大混雑で、小旗を持ったガイドに案内される中国人ツアーが目立つ。
早慶レガッタのゴールでもあり、隅田川の中央で交差するX字型の桜橋を渡り隅田川東岸に向かう。東岸は土手沿いに桜並木が続き、幹も太く、町内会が屋台や、演芸などの催事を取り仕切っている。そのため、上野東照宮のようなビール、ジュースが500円という暴利もなく、休憩所も多く設けられているため、気軽に飲める。とは言え、花見客も多く、簡単には座れない。桜並木が土手沿いにあるため、多くの屋台船が東岸脇に停船している。隅田川の水上バスの乗船待ちの長い列は吾妻橋の西詰から東詰まで続き、さらに折り返している。
浅草・墨堤・入谷界隈を歩く(H19−05−26)
上野から、かっぱ橋、浅草、墨堤通り、言問通り、上野までウォーキング。上野駅交差点から昭和通りを300m北上し、右折して東京メトロ(旧営団)唯一の踏切を渡る。かっぱ橋本通りを東進、かっぱ寺の曹源寺、梅田雲浜の墓がある海禅寺と歩き、合羽橋交差点で右折、かっぱ橋道具街通りを南下する。各種調理機器や食品サンプルで有名なかっぱ橋道具街は、見物客で溢れ、狭い歩道を歩くのは困難である。国際通りから雷門通りと歩き、浅草松屋に到る。 隅田川に架かる吾妻橋を渡り、隅田川公園、墨堤通りを歩き、言問橋を過ぎ、桜橋を渡り、待乳山聖天を経て、言問通りを西進する。言問団子は小さく高いが、餡がたっぷりと付いて美味しい。入谷交差点を渡り、朝顔市の混雑が想像できない入谷鬼子母神前を歩き、凌雲橋を上って鶯谷駅、国立科学博物館、上野公園と通って、パンダ橋を経てゴールの東京地下鉄ビルに着く。合羽橋交差点脇の金色の河童河太郎像、国立科学博物館の鯨のオブジェなどを紹介。
お盆の神社仏閣巡り(靖国神社〜湯島界隈〜浅草寺)(H18-08-12)
靖国通り、聖橋、湯島聖堂、神田明神、湯島天神、不忍池、上野公園、浅草寺までウォーキング。地下鉄九段下駅を出ると、目の前に靖国神社の大鳥居が見える。靖国神社は年配者だけでなく、高校生や大学生など若い人が結構多く、家族連れも参拝している。靖国通りに沿って急な九段坂を下り、九段会館(旧軍人会館)、を経て、小川町交差点で左折、ロシア正教のニコライ堂を見て聖橋に着く。湯島聖堂の前身は昌平坂学問所(昌平黌)で、秋葉原の昌平橋近くの正門から入った方が分りやすい。仰高門から入り、大きな孔子銅像を経て、大成殿(孔子廟)に到る。小川町は、生類憐みの令のため鷹匠町に改称された。
神田明神は、道路を挟んで湯島聖堂の北側にあるが、歴史を感じさせる随神門、本殿ではあるが、境内は狭い。明神男坂を下り、鳥居から湯島天神に入る。湯島天神は室町時代初期に勧請されたと言われ、学問の神様である。不忍池の蓮の花は、時期が早過ぎてきれいではあったが、わずかしかない。かつては帰省客で混雑していた上野駅も閑散とし、かっぱ橋道具街も、多くの店がお盆休みである。しかし、浅草寺はいつもと変わらぬ人出で、アーケードの布の屋根は夏らしく涼やかである。
下町散策 白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18-07-08)
白山神社から、根津神社、谷中銀座、夕やけだんだん、谷中霊園、上野寛永寺、入谷朝顔市、入谷駅をウォーキング。白山道路沿いの白山神社から、不忍通り沿いの根津神社まで徒歩30分程度と意外と近い。東京の電車や道路は都心から放射状に伸びており、近くとも両者をつなぐ電車が無いことによる錯覚である。
徳川家康の生母のお大、秀頼の妻千姫などが葬られている伝通院や、谷中霊園の徳川慶喜以外の歴代将軍の墓を見ることを考えていたが、谷中霊園では、工事用の壁に遮られ、寛永寺では一般の墓所に入ることすら難しかった。幸田露伴の小説のモデルで、放火によって焼失した天王寺の五重塔跡や、最後の処刑者である高橋お伝の墓も谷中霊園にある。寛永寺に残る4代将軍の家綱、5代の綱吉の霊廟勅額門は見事である。
入谷朝顔市は、言問通りの根岸1交差点から、入谷交差点間を歩行者天国として開催される。普段は閑散としている入谷鬼子母神も名物の大提灯も片付けられ、狭い境内は人並みに溢れていた。12時頃行ったせいもあり、朝一番が見ごろの朝顔はほとんど咲いていなかった。夕やけだんだんの階段を登ってすぐ左手に彰義隊をかくまったため、新政府軍に銃撃された弾痕が山門の扉に残る経王寺や、谷中を走る4月から運行を開始した東西めぐりんなどを紹介。
新年の銀座、上野、浅草散策(H18−01−04)
銀座から、京橋、日本橋、秋葉原、上野、浅草をウォーキング。4年前の平成14年の大晦日に歩いたコースと同じで、建設中だった汐留シオサイト、日本橋COREDOは完成し、商店街も華やかな新春飾り付けがなされている。日本橋界隈は日本橋を覆い隠す高速道路の移設など、復権を目指す再開発運動が展開されている。三越本店の斜め前に出来た三井越後屋ステーションや、日本橋七福神めぐりのイベントで景品引渡しを行っている山本屋海苔店、日本橋三井タワー、日本橋COREDOなど、昔の面影は無くなりつつある。
秋葉原は今流行の「萌え〜のメイド喫茶」は見当たらなかった。アメ横も年末の熱気もなく、マグロや蟹を売ってはいたが、盛り上がりに欠ける。浅草はさすがに観光客も多く、揚げ饅頭やせんべいを食べながらのカップルや、孫と一緒の家族連れで賑わっている。
台東区 コミュニティバス 南めぐりん(H17−08−27)
台東区のコミュニティバス 「南めぐりん」の上野駅から、新御徒町駅、三井記念病院前、浅草橋北、鳥越神社前、田原町駅前、かっぱ橋、台東区役所、上野駅までウォーキング。南めぐりんは、JRの上野、秋葉原、浅草橋、日比谷線入谷を結ぶエリアを走る。コミュニティバスの性格上、路地を走るため細かい地図がないとバス停の位置が分からない。日本武尊や源義家に因む鳥越神社や、かっぱ橋道具街、かっぱ河太郎像などを紹介。
東京まちあるき 第5回 御徒町駅開業80周年記念ウォーク(H17-11-05)
御徒町駅から、湯島天満宮、神田明神、湯島聖堂、聖橋、交通博物館、鳥越神社、鳥越おかず横丁、御徒町駅をウォーキング。旧岩崎邸庭園、無縁坂を経て、大鳥居から湯島天滿宮に入る。湯島天滿宮恒例の菊まつりには大河ドラマの義経がらみの菊人形や、見事な菊の懸崖などがある。神田明神、湯島聖堂を経て、聖橋を渡り、淡路坂を下って交通博物館、万世橋、和泉橋を経て柳原通りを東進する。左折し、左衛門橋通りを北上、鳥越神社を参拝後、鳥越おかず通り、佐竹商店街を経て春日通りに出、アメ横を通って御徒町駅に向う。森鴎外の名作「雁」所縁の無縁坂、太田道濯か江戸城の鬼門除けとして建立した柳森神社などを紹介。
日暮里駅開業100周年記念 レトロな街「谷中・根津・千駄木」を歩く(H17-04-09)
日暮里駅から、日暮里繊維街、谷中霊園、谷中へび道、森鴎外旧居跡、根津神社、?外記念本郷図書館、谷中ぎんざ、日暮里駅をウォーキング。谷中霊園を始め、日暮里駅界隈、根津神社、御殿坂の満開の桜並木が見事である。森鴎外は新婚で住んだ水月ホテル内の旧居からから、日本医科大同窓会館前の家、最後に団子坂の観潮楼と移り住んだ、日本医科大の家は、後に夏目漱石も住んだ。日暮里駅近くの善性寺や羽二重団子(藤の木茶屋)などを紹介。
隅田川の橋めぐり 第2回 上野〜馬喰町 + 浅草三社祭(H17−05−21)
上野駅から、かっぱ橋道具街、山谷堀公園、桜橋、言問橋、浅草三社祭、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、馬喰町駅をウォーキング。食料品店に関する様々な道具が揃うかっぱ橋道具街は、見ているだけで楽しく、ガイドマップ片手の外人観光客も珍しくない。浅草神社には、一之宮から三之宮の本社神輿が飾られ、広い浅草寺境内は12時からの連合渡御を見るため良い所を、と言う観光客に溢れ、本堂裏に続々と集まる各町内の神輿が並んだ。ただでさえ観光客が狭い仲見世に集まるのに、浅草寺に向かう神輿が次々に来るため、全く歩くこともできない。
横網公園(旧陸軍被服廠跡)は、関東大震災で数万の焼死者を出し、後の東京大空襲の被災者も含めた東京慰霊堂や、震災記念館がある。記念館の外には屋外ギャラリーとして震災で焼けて原形をとどめない鉄柱や、モーターなどが展示される。夏場所の国技館や、神田川の出口で両国橋に近い柳橋などを紹介。
芸術の上野と下町情緒の谷中散策(H17−03−19)
上野駅から、アメ横、不忍池、上野恩賜公園、谷中銀座、夕やけだんだん、朝倉彫塑館、谷中霊園、上野寛永寺、鶯谷駅までウォーキング。桜の開花は遅れているが花見の準備が進む上野公園や、NHKのテレビ小説で有名になった「夕やけだんだん」、彰義隊士をかくまって攻撃を受け、山門に弾痕が残る経王寺、谷中霊園にある徳川慶喜の墓、幸田露伴の小説のモデルになった谷中天王寺の五重塔跡などを紹介。
樋口一葉が愛した本郷・真砂町(H16−11−20)
上野から、湯島、本郷、伝通院、教育の森公園、護国寺、雑司ヶ谷鬼子母神、池袋をウォーキング。樋口一葉所縁の法真寺、旧居、終焉の地や、宮沢賢治、坪内逍遥、金田一京助の旧居などを紹介。
隅田川さくらのライン下り(H16−03−27)
上野公園から、かっぱ橋道具街、浅草寺界隈、隅田公園、吾妻橋、駒形橋、本所、両国橋、浜町、馬喰町をウォーキング。さくら祭りや、関東大震災慰霊堂、本所松坂町の吉良邸跡などを紹介。
江戸・鳥取ふれあいウォーク(H15−06−07)
本郷三丁目から、湯島天神、上野、浅草、両国をウォーキング。不忍池、上野東照宮、上野恩賜公園、かっぱ橋本通り、大横川親水公園などを紹介。
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