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目次
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浅草界隈(浅草・山谷・吉原・押上・向島・千住)
新春の鷽替神事巡り(湯島天神~五條天神社~浅草駅)(R01-01-25)
千代田線湯島駅から昌平橋通りを南下 からあげ 八ちゃん角で右折、学問のみちを西進して湯島天神の天神石坂(天神男坂)を上る。 本殿手前横には合格祈願の絵馬が鈴なりになっており、右奥に鷽替神事の木の鷽授与所がある。間には名物の梅園が見えるが、さすがに枯木状態である。絵馬掛け所の奥に臨時のテントが張られ、鷽替神事の木の鷽授与所がある。押すな押すなの大盛況で、鷽替神事がこれほど人気がある行事とは知らなかった。本殿裏にも九十九折の長い行列ができており、神職が整理していた。この列は本殿と社務所をつなぐ渡り廊下の下をくぐり抜け、梅園沿いに一周する木の鷽授与所に向かう人々であり、このような光景は初めてである。湯島天神の夫婦坂を下りて右折、春日通りへ進む。
昌平橋通りの池之端一丁目交差点で不忍通りを渡り、不忍池池畔遊歩道へ入る。毎年7月から8月にかけて紅白の美しい花が咲き誇る不忍池の蓮であるが、冬枯れで茶色の茎やしおれた花が池面を覆い、寂寥感が漂う。冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進、野外ステージを過ぎ、下町風俗資料館前で大きく左に曲がって北上する。弁天堂参道入口にある駅伝発祥の地記念碑を通って右手の清水坂下交差点で左折、動物園通りを北上する。五條天神社の石碑に従い右折、坂を上ると途中に鳥居があり、その奥に五條天神社がある。神社は意外に大きいが、時刻は11時半なのに「鷽替え 本日の授与は終了いたしました」との掲示がされていたのには驚いた。戻って坂を上ると隣接して花園稲荷神社があり、上りきった所で右折してサクラ並木で有名なさくら通りに出る。
さくら通りの五条天神前から摺鉢山古墳に向い、突き当りの日本芸術院会館前で右折、遊歩道を南下する。今までに何回も歩いた上野公園であるが、初めて見るものがまだあり、木立の中の天海僧正毛髪塔を経て清水観音堂前の博士王仁碑を過ぎ、鬱蒼とした木立の中の彰義隊墓所の先の西郷さん銅像に着く。名所の西郷さん銅像には中国人観光客も記念写真を撮っている。階段を降り、上野駅前のヨドバシカメラ前へ至る。
JR上野駅(不忍口)手前のUENO3153(旧 聚楽台)を通り過ぎ、JR上野駅沿いに中央通りを東進 JR上野駅の不忍口、広小路口、正面玄関口と経て上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。浅草通りを東進、上野警察署前交差点、下谷神社前交差点、講道館柔道発祥の地(永昌寺)、仏壇・仏具店が並ぶ稲荷町交差点と過ぎて菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で国際通りを渡り、駒形一丁目交差点で左折、雷門仲通りを北上し浅草一丁目交差点で右折、雷門通りへ入り浅草寺の雷門を経て銀座線浅草駅に至る。
浅草七福神(九寺社)巡り(R02-01-04)
東横線渋谷駅は、約7年前の平成27年に東横線の副都心線との直結により地上2階から地下5階に移設された。そのため、他線への乗り換えに時間がかかるだけでなく、どのように乗り換えるのかが分かりにくく、渋谷駅の迷宮化などと言われて久しい。地下化以降は目黒線直通の南北線で溜池山王に出て銀座線に乗り換えるようになった。前日の1月3日に新駅舎がオープンとなり、東横線からの乗り換えがどうなったのかを知るため、久しぶりに東横線で渋谷駅に向かった。東横線/副都心線渋谷駅の渋谷ヒカリエ1改札を出て左折、オレンジ色の銀座線改札口行の表示に従いヒカリエのエスカレーターに乗り、案内通りに乗り継いで地上に出る。地上に出て右折するとすぐに銀座線渋谷駅の改札口があり、左にあるエスカレーターに乗ると地上3階の銀座線ホームに着く。旧渋谷駅の狭くてラッシュ時には線路に落ちそうだった薄暗いホームは広々とした明るい島式ホームとなり、ヒカリエ1改札から約5分で到着する。
新仲通り入口交差点で浅草松屋から馬道通りを渡り新仲通りを西進、芋ようかんの舟和前で右折して正月らしい飾り付けがされている仲見世通りを北上するが、寸刻みのノロノロ歩きである。いつもは多い中国人も少なく意外と欧米人が多く、和装の女性も日本語である。宝蔵門を抜けたら参拝客の長い列があり、本堂のはるか手前に参拝列最後尾の看板が見える。いつもは本堂の正面に据え付けられている線香台の常香炉が右のお水舎の前に移設されている。浅草名所七福神巡りなので参拝すべきであるが、参拝客の長い列を見てスルーして浅草神社に向かった。いつもは閑散としている浅草神社であるが、境内の前から長い列ができている。しかし、これは参拝する人の列で、境内には横から入ることができる。参道沿いには飲食物の屋台はなく、酉の市とは違うが色鮮やかな熊手の屋台や、臨時に設けられた破魔矢などの拝受所、朱印所がある。
二天門前交差点で馬道通りを渡り東参道・二天門通りを直進、花川戸公園東参道交差点で左折、江戸通りを北上する。言問橋西交差点で言問通りを渡り直進、橋場通りを北上 待乳山聖天前交差点で左折して参道の階段を上る。待乳山聖天境内の各所には大根と巾着が描かれており、ご利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表す。参道の山門を過ぎ、朱印所を兼ねた休憩所には御供えの大根が置かれているが、正月なので売り切れている。参拝後に本殿横のさくらレールに乗り駐車場を出て左折、橋場通りへ戻り、整備工事中の山谷堀公園、旧今戸橋を過ぎて石浜通りに進み、今戸神社に入る。参道入口の鳥居の両脇には「えんむすび(招き猫発祥の地)」と、「沖田総司 終焉の地」の案内がある。長い列の参拝客にお祓いをする神職を見たあと、石浜通りの今戸神社前交差点で左上の小路に進む。
今戸神社前交差点からの小道を進み、突き当りで左折、橋場通りを北上するがここからの道は初めてであり、距離感がつかめない。隅田公園、台東区立桜橋中学校、浅草病院、浅草人権プラザ前交差点と過ぎるが初めての土地なので距離感、土地勘が全くつかめず、橋場通りから奥に入った所にある橋場不動尊を見落とさないよう、気を使いながら北上する。特養橋場すみれ圓、オーケー橋場店、区立石浜図書館、橋場二丁目交差点と経て、茶色の普通のビルの隣の少し奥まった所に橋場不動尊(布袋尊)の参道が唐突に現れ、危うく見落とすところだった。細く長い参道の先に本堂が見えた時は小寺か、と思ったが脇に大きな建物があった。見落とした可能性もあるが、寺の来歴案内などはなく、参拝客も個人参拝は少なく、七福神巡りのツアー客でごった返ししていた。橋場不動尊から橋場通りは上り坂になり、上った所が白鬚橋西詰交差点で、その先に石浜神社(寿老人)の鳥居、本殿が見える。石浜城址公園は公園と言うより何もない広場、といった趣でその奥に石浜神社がある。
川の手通り 白鬚橋西詰交差点で右折、明治通りを西進、土地勘がないので地図の目標と比べながら歩く。国際自動車台東営業所、史跡平賀源内先生之墓と過ぎて清川二丁目交差点の次の交差点で地名表示がないがセブンイレブン角で左折、玉姫稲荷神社通りへ進む。交差点付近は普通の住宅街だが、南下するにつれて雰囲気は剣呑になり、鉄パイプとブルーシートで覆われた玉姫公園は年末闘争とか、底辺労働者を守れとか反権力闘争基地と化す。隣接する玉姫稲荷神社は、山谷のドヤ街で知られた吉野通り沿いの東側の神社である。玉姫稲荷神社を出てすぐの交差点で右折、アサヒ会通りへ進み、東浅草二丁目交差点で吉野通りを渡り、日の出会商店街へ入って西進、吉原大門交差点で土手通りを渡り吉原 仲之町通りへ入る。
吉原大門の標識まで道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。仲之町通りを西進するが、ソープ街は営業しているものの飲食店は正月休みで閉店しており、13時半を過ぎているので休憩と食事を兼ねて飲食店を探すも難航する。やっと蜀(四川)料理店で食事をして歩きを再開するも、小規模な吉原神社(弁財天)は大混雑で立ち入ることはできず、台東病院前の花園公園を経て鷲神社(寿老人)に向かう。鷲神社は酉の市に比べて格段に人出は少ないが、なぜか参道を柵で仕切り、本殿に向かう列を2人一列に限定、横からの割り込みもできないように制限、寸刻みどころか全く進まないようにされており、参拝を断念した。
正月休みということもあり、ほとんど人影もない国際通りを南下し、西浅草三丁目交差点で右折、言問通りへ進み西進する。金龍小学校前交差点は西浅草三丁目交差点から2番目の交差点で、言問橋側は正月休みで殺風景であるが、左折して入るかっぱ橋道具街通り側は多くの観光客で賑わっている。南下するにつれてかっぱ橋道具街通りは欧米観光客も増えて賑わい、台東区生涯学習センター、合羽橋北交差点、合羽橋交差点、金色のかっぱ河太郎像の碑と過ぎ、合羽橋交差点の次の交差点で右折する。最後の矢先稲荷神社は、WEBで調べてもGoogleMapで調べてもかっぱ橋道具街通りからの入り口が明確でなく、合羽橋交差点の次の交差点で右折することが唯一のヒントである。小路を西進すると七福神の幟が立つ矢先稲荷神社があり、参拝後にかっぱ橋道具街通りに戻って南下、菊屋橋交差点で左折して浅草通りへ入り東進、銀座線田原町駅に至る。
浅草寺ほおずき市~江戸通り~国技館通り~一の橋通り~浜町公園散策(R01-07-09)
6月下旬からの日照時間が記録的な少なさで、かろうじて雨が降らないという予報を信じて浅草寺のほおずき市に行った。歩くコースとしていつ歩いたか記憶にない雷門・並木通り、両国駅周辺しか歩いたことのない国技館通り、時代劇でしか名を知らない一の橋通りと経て、久しぶりの浜町公園まで散策した。悪天候が続くせいか、浅草寺の人出は少なく、3年前に悩まされた傍若無人の中国人もだいぶマナーが良くなっている。季節外れの浴衣の若い女性や、短パン、刈り上げ、出っ腹むき出しの父親と似合わぬ服の母親に連れられた大昔の田舎っぺスタイルの中国人の間をぬって宝蔵門に向かう。まだ早いのか、天気のせいか分からぬが、閑散としたほおずき市を見て回る。4万6千日の縁起物である雷除を受領する。
6月下旬からの日照時間が記録的な少なさで、かろうじて雨が降らないという予報を信じて浅草寺のほおずき市に行った。歩くコースとしていつ歩いたか記憶にない雷門・並木通り、両国駅周辺しか歩いたことのない国技館通り、時代劇でしか名を知らない一の橋通りと経て、久しぶりの浜町公園まで散策した。悪天候が続くせいか、浅草寺の人出は少なく、3年前に悩まされた傍若無人の中国人もだいぶマナーが良くなっている。季節外れの浴衣の若い女性や、短パン、刈り上げ、出っ腹むき出しの父親と似合わぬ服の母親に連れられた大昔の田舎っぺスタイルの中国人の間をぬって宝蔵門に向かう。まだ早いのか、天気のせいか分からぬが、閑散としたほおずき市を見て回る。4万6千日の縁起物である雷除を受領する。
江戸通りを南下、駒形橋西詰交差点の世界のカバン博物館、駒形どぜう本店、家紋入りのミニ提灯を販売する江戸手描提灯の大嶋屋 恩田、浅草着物レンタル 和善と経て、厩橋交差点で左折、春日通りを東進する。春日通りに入ってすぐに都営大江戸線 蔵前駅があり、その先の厩橋を渡って厩橋東詰交差点で左折、国技館通りに進む。
首都高6号向島線沿いの片道一車線の地味な国技館通りは、厩橋東詰交差点に設置された標識がないと見落としかねない。国技館通りに入ると場違いなほど立派なビルがあり、ライオン本社ビルだった。プラタナスの並木が続く歩道を南下、蔵前橋を潜り抜け、旧安田庭園の北西角の北門の手前に 刀剣博物館がある。旧安田庭園の塀沿いに南下すると国技館があり、その先に両国駅西口がある。総武線高架下を通り、突き当りの両国回向院山門で右折、山門に隣接して両国花火資料館がある。
京葉道路の両国一丁目交差点で左折、一の橋通りへ入る。両国一丁目交差点の信号標識は一の橋通りの北側にしかなく、正面、左には標識がない。目標としては、回向院山門から最初の交差点であることで、見落とすと両国橋となる。一の橋通りを南下、両国幼稚園前の回向院正門跡案内、馬車通り交差点の相生町跡案内と過ぎ、一之橋北詰交差点には竪川に架かる一之橋の由来説明版がある。さらに一の橋通りを南下し、江島杉山神社を経て、新大橋交差点で右折、新大橋通りへ入る。
新大橋交差点で直進し、新大橋通りを渡ると一の橋通りは万年橋通りとなり、南下すると江東区芭蕉記念館を経て、芭蕉庵史跡の芭蕉稲荷神社、深川芭蕉庵に至る。
新大橋通りを西進、隅田川に架かる新大橋を渡り、新大橋西詰交差点で右折して住宅街を北上、浜町公園に入る。新大橋は隅田川に架かる3番目の橋で、大橋と呼ばれた両国橋に続くので新大橋と呼ばれた。新大橋の主塔には歌川広重の浮世絵のレリーフが嵌め込まれており、西詰には関東大震災で焼け落ちずに多くの人を助けた、という事で「人助け橋」とも言われるた碑がある。浜町公園の南東角の入口から入り、西進して遊具広場を経て健康遊具広場を通り、清正公寺に向かう。清正公寺は加藤清正ゆかりの寺で、言うまでもなく日蓮宗である。桜田門傍の藩邸跡、白金高輪の通称清正公、池上本門寺と清正ゆかりの遺構が多いのには驚かされる。そこから清正公寺沿いに北上し公園正門から出て浜町駅に至る。
初冬の浅草寺羽子板市~東京都慰霊堂・旧安田庭園~回向院散策(H30-12-18)
銀座線浅草駅から観音通りに出て北上、左折して新仲通りへ出て芋ようかんの舟和前で右折、正月用の飾り付けがされた仲見世通りを北上する。かつては大声でグループで傍若無人に振る舞っていた中国人も、ようやく日本に慣れてきたのか、大人しくなったので歩きやすくなった。
宝蔵門を通り過ぎて左折し、羽子板の屋台を通り過ぎて本堂正面に向う。本堂前には多くの羽子板や人形の久月には多くの店が並ぶ。羽子板会場には色鮮やかな羽根突きの玉も並ぶ。似顔絵はよく似ているものもあるが、誰だか分からないとか、首を傾げざるをえ得ないものも多い。
浅草神社から二天門前交差点で右折、馬道通りを南下、浅草二丁目交差点、新仲通り入口交差点を経て吾妻橋交差点で雷門通り(浅草通り)を渡り江戸通りへ進む。
江戸通りを南下、駒形橋西詰交差点の駒形堂、浅草観音戒殺碑を見物後、隅田川に架かる駒形橋を東進し、駒形橋東詰交差点で右折、清澄通りへ進んで南下、本所一丁目交差点で春日通りを渡り、石原一丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。
石原一丁目交差点から清澄通りの西側にある横網町公園の東京都復興記念館沿いに南下する。横網町公園の正門に東京都慰霊堂、北に東京都復興記念館がある。東京都慰霊堂の三重塔の基部は納骨堂である。横網町公園の西門に向い、旧安田庭園の正門から入り、西門を出て国技館通りに出る。
国技館通りを南下、国技館南門から構内に入る。国技館正面入口の三横綱の立ち姿と土俵入り像と見物した後、相撲土産売店を見物する。相撲土産売店前 記念写真スポットを見て、両国駅に至る。
国技館通りを南下、両国二丁目交差点の回向院山門隣の両国シティコア(旧国技館)の中庭には旧国技館の土俵の位置が描かれている。回向院の史跡記念墓地内にはである。山東京伝の岩瀬氏之墓の正面は鼠小僧供養墓である。国技館通りを北上し、両国駅に至る。
関東三大酉の市H3011 一の酉 浅草 鷲神社、長國寺H301101
三ノ輪駅前の大関横丁交差点で明治通りを横断、昭和通りを南西に進み、三ノ輪交差点で左折、国際通りを南下する。国際通りを南下するに連れ、時折商売繁盛の縁起熊手を持ち帰る人に会い、飲食の屋台が増えてくる。龍泉交差点で左折した所に樋口一葉旧居跡碑があり、その先の飛不動前交差点で左折して北上する。
久しぶりに国際通りから歩いたので飛不動前交差点から北上するとすぐ左に飛不動尊があり、その先の右手にある床屋で右折すると一葉記念館があると勘違いした。飛不動前交差点からいくら北上しても飛不動尊は見当たらず、2つ目の信号を過ぎた所で右折、薬局で道順を教えてもらい、住宅街を南下して一葉記念館に至る。一葉記念館前を西進、床屋前で左折して南下、飛不動前交差点を過ぎた所で下谷七福神の恵比寿神である飛不動尊に至る。
飛不動尊前をさらに南下すると長國寺・鷲神社の裏道入口に着く。様々な飲食の屋台が建ち並ぶ長國寺・鷲神社の裏道を南下、縁起熊手の屋台が並ぶ長國寺境内に入る。屋台によって熊手の様式、デザインなどが異なるので一概には言えないが、ある屋台で一番大きな熊手で15万円、最も小さな熊手で来年の干支である亥の人形が飾られたもので3,500円、おかめが付いた最もシンプルなもので1,000円である。縁起熊手や酉の市饅頭、どら焼き、七福神飴、開運干支飴が売られているにぎり福の屋台が並ぶ表参道を動画撮影しつつ歩き、国際通りの山門に至る。山門にある酉の市由来案内では、江戸時代から続く長國寺が正統で、神仏分離令によって鷲神社が出来た、と強調している。
国際通りを南下、北側(三ノ輪駅方向)と、南側(浅草寺、入谷駅方向)から来る参拝者は大熊手が飾られた叉木で合流する。警備員が5列に整列して進むよう指示しているが、南北の参拝者が合流する叉木では全く進まず、牛歩どころか蝸牛の歩みですら無く、時折思い出したように数歩進む有様である。叉木に置かれた酉の市の案内では、酉の市はそもそも神様に由来するので仏教には関係なく、正統な酉の市執行者は鷲神社である、と強調している。参拝者の列から離れると元に戻れないため、酉の市だけで叉木のそばで売られている切山椒などを買うことが出来ない。屋台によって熊手のデザインも違うし、事前に予約している会社、政治家などの有名人の格も異なり、その名前を書いた紙も違う。衆議院議員で在任48日で辞任した松島みどりや、元議員の深谷隆司、石原慎太郎と4兄弟の名前などが見られる。入口の叉木から蝸牛の歩み以下のスピードで参拝を終えるまで30分かかった。出口で右折し、区立台東病院に向かう。
長國寺・鷲神社の裏道を南下、突き当りで左折し横道に入り花園公園へ向かう。花園公園を出て右折、せんわ通りの斜めすぐに吉原弁財天本宮があるが、その入口を屋台が塞ぐ形になっている。吉原弁財天の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、吉原神社にお祀りされていると共に、現在でも本宮が大切にお祀りされていて信仰が続いている。
せんわ通りを北上、区立台東病院から右に大きく曲がり、仲之町通りとなって東進する。区立台東病院は、もともと吉原の娼妓の性病治療をなすための病院から始まっている。旧吉原遊廓の仲之町通りを歩き、吉原神社、千束保健センター交差点、千束四丁目交差点、吉原交番前交差点と進み、吉原大門の標識に着く。吉原大門の標識から道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。五十間通りの吉原交番で左折、旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡を見た後、見返り柳が残る吉原大門交差点で左折、土手通りを北上する。
土手通りを北上、天ぷら屋 「土手の伊勢屋」を過ぎ、あしたのジョー 矢吹丈像で右折、いろは会商店街へ入り東進する。特徴あるアーケードは老朽化のため撤去され、矢吹丈(ジョー)、丹下段平などの立て看板も撤去されて入口に力石徹だけが置かれていた。なんの特徴もない幅広いシャッター街を歩くのは侘しいものである。吉野通り側のゲートのあった所では数人の労務者が座って4リットル入り焼酎ボトルなどを飲み交わしていた。身なりはきれいだったが、やはり山谷だ、と思わされた。浅草警察署 日本堤交番角で右折、吉野通りを南下するが、まだ14時過ぎなのにいたる所で路上飲酒が行われており、そばを歩くと胡散臭そうな目つきで眺められ、とても散策する気にはなれなかった。東浅草二丁目交差点にある都バス清川二丁目バス停で山谷、南千住経由三ノ輪までのコースは断念した。
浅草、向島の桜巡り(浅草寺~隅田公園(西)~桜橋~三囲神社~隅田公園(牛嶋神社))H300324
都営浅草線 浅草駅から江戸通りの雷門郵便局前で地上に出て右折、東進して吾妻橋交差点で雷門通りを渡り、左の馬道通りに進む。新仲通り入口交差点で左折、新仲通りを西進し、芋ようかんの舟和前で右折、仲見世通りを北上する。数年前と違い、マナーの悪さと服装のだらしなさで悪評の中国人も、団体ではなく家族や若い人グループとなり、目立たなくなっていた。ただ季節外れの浴衣姿でポーズをとっているのが場違いでおかしい。花見シーズンなので造花の桜が飾られている仲見世通りは、外国人の歩みが遅くて、なかなか前に進めない。左右に満開の枝垂れ桜がある宝蔵門、修築で九輪が美しくなった五重塔、本堂を経て二天門を出る。
東参道・二天門通りを東進し、二天門前交差点で馬道通りを渡り、姥ヶ池之旧跡碑、助六歌碑がある花川戸公園を過ぎ、東参道交差点で江戸通りを渡って先の助六夢通りを渡り、隅田公園(西岸)に入る。満開近い桜並木の隅田公園(西岸)を北上 遊具広場を過ぎ、言問橋の下を通り抜ける。言問橋に沿って助六夢通りへ向かい、
言問橋の西詰で助六夢通り沿いに東京大空襲慰霊碑がひっそりとある。
隅田川越しに東京スカイツーリを見つつ、満開近い桜並木の隅田公園(西岸)を北上、少年野球場、台東リバーサイドスポーツセンターを過ぎて桜橋を渡り、隅田公園の西岸から東岸へ渡る。桜橋は隅田川に架かる歩行者専用の橋で、X
字型で中央で交差するデザインの橋である。東岸には町内会のテントが並び、酒、ビールやつまみ、団子などの菓子が安価に販売されている。西岸と違い、東岸は狭い土手であり、歩行者専用道路である。ただ、桜は老木で西岸に比べ見ごたえがある。隅田公園(東岸)を北上、墨田区指定有形文化財の石造墨堤永代常夜燈を過ぎ、首都高6号 向島線の向島インター手前に店外に長い列が出来ている「桜もちの長命寺」を見つつ、向島インター直前の横断歩道を渡って「向島 言問団子」に至る。
墨堤通りと見番通りとの丁字路交差点で墨堤通りを渡り、右折して「桜もち 長命寺」に向かうが、店の外にも長蛇の列で名物の購入を断念した。丁字路交差点に戻り右折、見番通りへ入り南下して長命寺(隅田川七福神 弁財天)に立ち寄る、境内には芭蕉雪見の句碑など多くの碑が並ぶ。弘福寺(隅田川七福神 布袋尊)に寄った後、見番通りを南下して三囲神社に向かう。
三囲神社は、三井家(越後屋)が江戸進出時に三囲の名にあやかって守護神とし、境内には三越をはじめ、三井グループ各社の碑が並ぶ。 見番通りを南下、三囲神社の鳥居から鬼平情景や由緒、日比翁助の石垣の歌碑を見た後、参道に入る。境内には宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)をはじめ、大國神 恵比寿神を祀る内社殿、神楽殿前の三井グループ各社の碑などがある。三越所縁の三囲のライオン像、三越の商標碑が目立つ。三囲神社の鳥居を出て右折、墨田区立小梅小学校前を西進して墨堤通り手前で左折、小梅小学校に隣接する広場、魚釣り場と経て言問橋の下を通り抜ける。
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の牛嶋神社から、花見広場、本所吾妻橋駅までウォーキング。 言問橋を通り抜けると風景は一変し、桜をはじめ、様々な木々の庭園となる。言問橋を境に、隅田公園の南側は旧水戸藩下屋敷の小梅邸の庭園である。満開近い桜並木の隅田公園を南下 左折して牛嶋神社へ入る。明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いており、三輪鳥居と呼ばれる。宴もたけなわの花見広場(築山)、汐入の池を見つつ隅田公園を南下し、明治8年の明治天皇行幸を記念した明治天皇御製碑、明治天皇行幸所 水戸徳川邸 旧阯碑、隅田公園 水戸邸跡 由来記碑と過ぎ、南東の出口から三ツ目通りへ出る。北十間川に架かる源森橋を渡り、吾妻橋交番前交差点で左折、浅草通りの本所吾妻橋駅に至る。
奥浅草探訪(小塚原~山谷~吉原~鷲神社~いろは会商店街(あしたのジョー)~三ノ輪駅)H291125
南千住駅前で吉野通りを渡り北上、常磐線の高架下を歩くと回向院に出る。回向院に入ると右の壁に観臓記念碑があり、その先に一般霊園と区別された史跡参拝所がある。2.26事件の磯部浅一元一等主計夫妻の墓、相馬大作供養碑、腕の喜三郎、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓、橋本左内の墓、吉田松陰の墓、頼三樹三郎の墓などがある。吉田松陰の墓の前に多くの墓が並んでいるが、名前を見ても誰だか分からない。吉野通りに出て常磐線の高架下を南下、日比谷線の高架手前で右折して小塚原処刑場跡の延命寺に入ると、処刑者を慰霊する日蓮宗の題目塔と大きな首切地蔵がある。
吉野通りの南千住駅前歩道橋を渡り、右折すると投込寺で有名な浄閑寺に出る南千住二・三丁目交差点を過ぎ、あしたのジョーの矢吹丈が励んだ丹下ジムがあったとされる泪橋交差点で明治通りを渡る。橋名の由来は小塚原の御仕置場に赴く囚人たちが現世を去るに際して涙を流しがら渡ったからとも、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからだとも伝える。吉野通りを南下、コンビニのポプラ手前で左折、玉姫稲荷神社へ東進し寶珠稲荷神社やドヤ街とも言われる格安のホテルを過ぎる。
寶珠稲荷神社からさらに東進し、格安のホテルが並ぶ先に玉姫稲荷神社の南鳥居があり、そこから境内に入る。玉姫稲荷神社の境内は多くのテントが建ち並び、外から見る以上に広い。その広い境内で押すな押すなの大混雑である。靴のめぐみ祭り市はそれぞれのテントで皮革製品が格安で売られている。台東区のこの一帯には靴製造業など皮革製品を扱う会社が多く、テントの殆どが靴販売であるが、次いで女性用のバッグであり、僅かな数であるがベルトも売られている。大きな王冠と紳士靴の神輿が飾られている拝殿前の特設会場では抽選結果の報告とゲストの芸能人の紹介が行われていた。片側2車線ある広い玉姫稲荷神社通りも観光客で大賑わいである。玉姫稲荷神社通りを南下 右折してアサヒ会商店街へ進む。
アサヒ会商店街には靴のめぐみ祭り市の小旗が飾られているが、皮革製品を売るテントや屋台はなく、あの喧騒はどこに行ったのだろうと思う。アサヒ会商店街を西進 東浅草二丁目交差点で吉野通りを渡り日の出会商店街を西進 北めぐりんの東浅草二丁目バス停、東浅草小学校前交差点と経て、吉原大門交差点で土手通りを渡り吉原仲之町通りへ進む。
旧吉原遊廓の名所の一つで吉原大門交差点の見返り柳から吉原大門の標識まで道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。吉原大門の標識から仲之町通りを南西に歩くが、片道1車線の狭い通りであるが、両脇にはローマの休日とか金瓶梅、鹿鳴館、ペッパーミントなど吉原らしいビルが並ぶ。揚屋通りと交差している千束四丁目交差点、京町一丁目通りと交差する千束保健センター交差点、吉原神社と過ぎて、せんわ通りの台東区立台東病院に着く。そのすぐ先の新吉原弁財天本宮には、今は個人の庭の池程度であるが関東大震災では500人近くが溺死した吉原花園池(弁天池)跡に慰霊の大観音像がある。
せんわ通りのカクヤス前交差点で右折して西進し千束一丁目交差点で右折、酉の市の提灯が飾られた国際通りを北上する。鷲神社の叉木の両脇には大提灯が飾られるなど華やかなものだが、三の酉に備えて取り付けの鉄枠だけがある。
店によって竹だったり、鉄だったりするが、熊手を挿す柱の仕組みが分かって面白い。社殿で参拝後、瑞鷲渡殿を通り長國寺へ向かう。長國寺と鷲神社とは明治の神仏分離令までは同じ寺だったため、酉の市の主導権争いは激しく、長國寺は「酉の市の寺」として強調するが、鷲神社はそれほどでない。国際通りの西徳寺交差点で右折するが、今回は「あしたのジョー」を地域おこしにしているいろは会商店街訪問を優先するので飛不動尊、一葉記念館には立ち寄らない。右に吉原ソープ街を見つつ東進、日本堤一丁目交差点で右折して土手通りを南下する。
土手通りを南下しあしたのジョーの矢吹丈像で左折、いろは会商店街へ向かう。アーケード入口には目立つゲートがあったが撤去されているため場所が分かりにくい。いろは会商店街のアーケードは昭和51年に建設されたが、今年(平成29年)5月から撤去作業が始められて29年度中に終了の予定である。いろは会商店街の所々に矢吹丈(ジョー)、丹下段平などの立て看板が置かれているが、シャッター商店街化が進んでおり、規模は小さく普通の商店街化しているアサヒ会商店街や日の出会商店街との違いが目立つ。土手通り側入口、吉野通り側入口とも幹線道路から奥まった所に入口があり、それが寂れさせる一因の気もする。吉野通り側入口ゲートの左側には数人の労務者が座って4リットル入り焼酎ボトルなどを飲み交わしていた。現在地に移転前は山谷地区交番と言われ、山谷暴動時のマンモス交番の愛称で知られていた浅草署日本堤交番の角で左折、吉野通りを北上し泪橋交差点で左折、明治通りをして西進し三ノ輪二交差点で右折して三ノ輪駅に至る。
初秋の奥浅草散策H290909
浅草駅から新仲通りを進み舟和前で右折、仲見世通りを北上する。塗り直され光輝く九輪が美しいた五重塔を見つつ、本堂の西側を進むと浅草寺病院の前に観光バス用の大きな駐車場がある。。その右奥に九代目 市川團十郎 「暫」の大きな銅像がある。駐車場の西側を北上
、言問通りを渡ると雷門左手にある常盤堂雷おこし本舗の店舗である雷5656会館がある。
雷5656会館前で言問通りを渡り、浅草見番通り(柳通り)を北上する。道路脇に松尾芭蕉の奥の細道に因んだ説明板が並ぶ。浅草三業会館(浅草見番)前には、レスリングの浜口京子選手のアテネオリンピックでの銅メダル獲得の記念樹のオリーブが植えられている。目印がなく分かりにくい交差点で右折、一葉桜・小松橋通りへ出て東進、浅草警察署、浅草富士浅間神社(浅草のお富士さん)と経て浅草五丁目交差点で左折、馬道通りへ進む。馬道通を北上、キグナス ガソリンスタンド交差点で右折して東進する。山谷堀公園の山谷堀橋を過ぎ、東浅草一丁目交差点で吉野通りを渡り、次の交差点で右折、石浜通りへ出て南下する。
石浜通りの今戸神社の鳥居前に「えんむすび(招き猫発祥の地)」と、「沖田総司 終焉の地」の案内がある。円形の珍しい形をした絵馬は2種類あり、雌雄の招き猫(二匹とも右足を上げており、「千客万来」で、左足の「金運招福」ではない)と、お雛様の絵が描かれている。本殿手前には沖田総司終焉之地碑、今戸焼発祥之地碑がある。
石浜通りを南下、台東区リバーサイド スポーツセンター横の三叉路で直進、橋場通りへ進むと隅田公園 山谷堀広場の後方に東京スカイツリーがよく見える。吉原への通路の一つだった山谷堀公園 旧今戸橋を過ぎると待乳山聖天 正門があり、その横に参道の階段が続く。境内各所に印されている大根や巾着は聖天様の大きなご利益を端的に表したもので、休憩所で売られている御供の大根を買う人が多い。本堂で参拝後、橋場通りに出る。
東京、横浜の有名商店街散策(04日暮里繊維街~荒川仲町通り商店街~ジョイフル三の輪~旧日光街道 千住宿(H29-03-16) )
日暮里駅の東口バスターミナル南端から日暮里中央通りの裸木のサクラ並木を進み、日暮里駅前交差点で尾久橋通りを渡ると日暮里繊維街となる。日暮里繊維街は、日暮里中央通りを中心に両側約1kmにわたり、服地、繊維製品、服飾関連の小物や付属品の店舗が約90軒並ぶ。日暮里繊維街を東進、第二日暮里小学校の先の日暮里中央通り交差点で左折、尾竹橋通りへ進む。
尾竹橋通りを北上し三河島駅から最初の信号で右折してすぐの角を右折し、荒川仲町通り商店街へ入る。今まで2回JRのイベントで荒川仲町通り商店街を訪れたが、三河島駅の近くだが入口が分かりにくく、係員が立って道を指示していた。今回は係員がいないので曲がるタイミングが心配だった。荒川仲町通り商店街を東進し半ば過ぎで道路工事の為進めず、左折して住宅街を歩き、突き当りで右折、明治通りを南東に進む。荒川区役所前歩道橋、サンパール荒川前交差点と経て、当初予定していた荒川一丁目交差点の次の信号手前で左折、都電荒川線の踏切を渡り、すぐ先で右折し、ジョイフル三の輪へ入る。
都電荒川線の荒川一中前駅から入った所にジョイフル三の輪の入口がある。日比谷線三ノ輪駅や、都電荒川線三ノ輪橋駅周辺の散策コースによく取り込まれる有名な商店街である。ジョイフル三の輪を東進、区立瑞光公園を過ぎて、賑わっている都電荒川線三ノ輪橋駅界隈では品物を道路に張り抱いて並べる店が多く、買い物客の自転車通行も多いので歩きにくい。日光街道出口手前で右折、アーチが有名な都電荒川線始発の三ノ輪橋駅に寄った後、ジョイフル三の輪に戻り右折、出口で左折して日光街道へ出て北上する。
慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士らが葬られている。円通寺の住職が彼らの死を悼み弔ったことが縁で、上野寛永寺の黒門が境内に移設されている。黒門には当時の鉄砲の弾痕が生々しく残っている。彰義隊士の墓の一画には多くの石碑が立ち並ぶが、上野戦争時の戦死者だけでなく、明治時代の没後に建てられた慰霊碑もある。有名人や大きな碑を中心に撮ったが、戦死者の碑は少なかった。墓所には箱館戦争で有名な榎本武揚、大鳥圭介、永井尚志、高松凌雲などが並ぶがいずれも追弔碑である。
日光街道を北上、南千住警察署入口交差点を過ぎ、南千住交差点角の素盞雄(すさのお)神社に着く。延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は、「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。日光街道から参道を進むとひと目で富士塚と分かる岩山があるが、神社の説明板によると『素盞雄神社には「瑞光石」が鎮座する塚がある。この塚はある人の眼には富士塚として映り、″南千住富士″とも呼ばれる。』とある。正面の拝殿には赤絨毯にびっしりと飾られた雛人形があり、驚かされる。雛人形は地蔵堂脇のテントや、神楽殿にも飾られ、由緒などの説明はない。境内には大神輿のもみ綱新調のご奉賛の案内が境内のあちこちに掲示されていた。
日光街道 隅田川に架かる千住大橋隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。千住大橋南詰には八紘一宇の碑や、千住大橋の来歴とそれに関連して松尾芭蕉の奥の細道が記されている。北詰には千住浮世絵顕彰碑や、足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスの松尾芭蕉像と、芭蕉に焦点を当てている。この背景には深川から舟で来た芭蕉の奥の細道の第一歩が北詰(足立区)なのか南詰(荒川区)かの永年の論争がある。
足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスにある松尾芭蕉像、大名行列から歩き始めるとすぐに旧千住宿千住河原町の「元やっちゃ場 南詰」の説明板がある。やっちゃ場は多くの問屋のセリ声が「やっちゃい、やっちゃい」と聞こえてくる場所(市場)からきたと言われている。京成本線のガード下をくぐると道路の両側の商店に元やっちゃ場遺構の説明板が展示されている。千住仲町交差点で墨堤通りを渡るとこの案内板はなくなる。千住仲町交差点角の源長寺(延命子育て地蔵)を過ぎ、千住仲町を北上、掃部宿憩いのプチテラス、千住掃部宿の詳細な説明板と経て、千住警察署入口交差点を渡り、本町商店街へ入る。ハローワーク足立前にある問屋場・貫目改所跡、ハローワーク足立と過ぎ本町商店街を北上する。千住二丁目交差点で右折、北千住駅前通り(きたろーど1010)へ入ると北千住駅に至る。
東京、横浜の有名商店街散策(02アメ横~鳥越神社~浅草橋雑貨問屋街~横山町繊維問屋街~甘酒横丁(H29-01-28) )
JR上野駅の不忍口から国際化し、雰囲気が大きく変わったアメ横商店街に入り南下する。アメ横に入った途端ヒジャブというイスラム女性教徒の独特のスカーフ姿が目に入る。中国人グループは言うまでもない。キャリーバックは当たり前で大きなスーツケースを転がす人も多く、通行の邪魔になる。
火鍋などの中国料理が多いが、結構大きな店があちこちに出来ている。アメ横は5年ぶりだが、その後のインバウンドブームが多くのマグロなどの販売店を消し去ったことになる。アメ横商店街の南端交差点で左折、春日通りへ出て御徒町駅に着く。
春日通りを東進、台東四丁目交差点で昭和通りを渡り、元浅草一丁目交差点手前の都営 大江戸線/つくばエクスプレス線の新御徒町駅の隣に佐竹商店街(佐竹通り)の北口がある。江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地で、藩主は佐竹氏だった。アーケードには佐竹商店街に関するクイズの垂れ幕が掛かるが、回答はかすれて読めない。突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流、少し先の鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ入り東進、出口ゲートで右折する。
鳥越二丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ出て東進、鳥越神社を訪れる。白雑2年(651)白鳥神社として創建。前九年の役の際、源頼義・義家がこの地で白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り隅田川を渡ることができたことから、鳥越大明神と名付けられた。蔵前橋通りを進み、蔵前四丁目交差点の先の蔵前一丁目交差点で右折、江戸通りへ進む。交差点には旧町名由来案内の旧浅草蔵前と天文台跡の案内板がある。
蔵前一丁目交差点から江戸通りに入ると季節の飾り物を扱う立沢商店があり、今回は桜の造花が飾られていた。江戸通りを南下すると、リボンと紐の中根商店、生活空間ディスプレイのプリズム味岡、四季の装飾の大西造花、須賀神社、ディスプレー装飾の丸正と続く。道路の反対側には人形の久月総本店、人形の三桜がある。JR総武線・都営浅草線の浅草橋駅先には、人形の秀月、江戸最古の吉徳大光がある。浅草橋北詰には浅草見附跡碑があり、神田川に架かる浅草橋を渡って浅草橋南交差点にある郡代屋敷跡案内板の先に浅草橋交差点がある。
浅草橋交差点で靖国通りを渡り左折、靖国通りを清杉通りへ向かい途中のゲートで右折、新道問屋街へ入る。馬喰横山繊維問屋街は西辺はJR総武線快速、南辺は都営新宿線、東辺は都営浅草線で囲まれた変形4角形である。新道問屋街に入ってすぐの交差点で左折、東通りを東進し突き当りで右折、横山町大通りを南下する。紳士服の量販店で有名な坂善本店などの店を通り過ぎ、突き当りで左折して清洲橋通りへ入る。共栄会通りを渡り、東日本橋三郵便局東を経て日本橋交差点で清杉通りと合流する。清洲橋通りを南下、久松町交差点の賀茂真淵県居の跡案内板を見た後、明治座前の浜町公園前交差点で右折、明治座通り(甘酒横丁)へ入る。
明治座通り(甘酒横丁)を西進、弁慶像がある浜町緑道から甘酒横丁となる。長い列が出来ている大正5年創業のたい焼きの柳家などを過ぎ、甘酒横丁交差点で左折、水天宮通りへ進み南下する。「江戸からの商業地」案内板や、人形町今半と経て、水天宮前交差点で白木が美しい水天宮社殿を見る。長らく工事中だった水天宮社殿は昨年(平成28年)4月8日に仮宮からの移転が終わり、一般に公開された。その後水天宮通りを戻り半蔵門線水天宮駅に至る。
吉原遊郭の遺構巡り(三ノ輪~吉原~山谷堀公園)(H28-10-04)
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ進み次の小路を右折すると浄閑寺(投込寺)がある。浄閑寺は、安政2年(1855)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。墓所には永井荷風文学碑や、山谷日雇労働者のためのひまわり地蔵尊がある。
日光街道を戻り、大関横丁交差点で左折、明治通りへ進みY字路の三ノ輪二丁目交差点で直進、土手通りを南下する。日本堤一丁目交差点で右折し、左に吉原ソープ街を見つつ西進してよし原揚屋町一丁目案内柱の先のY字路で右折する。飛不動前交差点手前で右折すると一葉記念館である。
一葉記念館前を西進、床屋前で左折して飛不動前交差点を過ぎると飛不動尊がある。飛不動尊は近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。長國寺裏参道の入口交差点で右折、西徳寺交差点で左折して国際通りを南下すると長國寺山門に着く。長国寺は明治初年の神仏分離令で一部が新たに鷲神社として分割されたが酉の市を開いている。さして広いとも思えない参道だが、酉の市の時は熊手を売る露店と参拝客でごった返し、もっと広いかと思った。長國寺から鷲神社へ向かい、広い駐車場も酉の市では多くの熊手商の露店と参拝客で溢れかえり、歩くのもままならない。御社殿で参拝後、参道を歩き大鳥居を過ぎて国際通りに出る。
国際通りの千束一丁目交差点で左折、せんわ通りを東進しカクヤス前交差点で左折してせんわ通りを北上する。吉原弁財天の新吉原花園池(弁天池)は、関東大震災で多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死し、供養のため大観音像が大正15年に造立された。台東区立台東病院を過ぎ、旧吉原遊廓の仲之町通りを東進する。京町通りは千束保健センター交差点で、揚屋通りは千束四丁目交差点、江戸町通りは吉原交番前交差している。吉原大門の標識を過ぎると道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。吉原大門交差点には吉原遊廓名残の見返り柳がある。
五十間通りの吉原大門交差点で土手通りを渡り、日の出会商店街へ進む。旧吉原遊廓を出て直進すると日の出会商店街に進むことから、昭和33年の遊廓廃止は大きなダメージとなり、隣接するいろは会商店街に繁栄の座を奪われた。その後、イメージチェンジを図り、今は普通の商店街である。日の出会商店街を東進、東浅草二丁目交差点で右折して吉野通りを南下、東浅草交番前交差点手前にある石の坂本ビル先で右折すると高尾太夫の墓がある春慶院に至る。この墓は、世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説巷談を生んだ二代目高尾太夫の墓という。
吉野通りの東浅草交番前交差点で右折、地方橋通りを西進し土手通りと交差する地方橋交差点手前で左折、山谷堀公園へ入る。山谷堀は吉原への通路の一つであった。山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。猪牙船などを仕立ててこのコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにお大尽遊びだった。山谷堀公園の意匠は様々で、左隅に簡単な溝があるだけだったり、小公園風のものもある。山谷堀に架かった橋の親柱は残っており、紙洗橋、正法寺橋と過ぎて吉野橋の浅草高校前交差点で吉野通りを渡る。聖天橋のあこがれ像を経て紅葉が始まったサクラ並木がある旧今戸橋に至る。橋場通りを南下して待乳山聖天に至る。
梅雨の晴れ間の浅草散策(ほおづき市、隅田公園、長命寺、弘福寺、三囲神社、牛嶋神社)(H28-07-10)
新仲通りが中国人団体客で溢れかえっており、仲見世通り経由で浅草寺に行くのは難しいと判断した。そのため、銀座線浅草駅から松屋浅草店前の新仲通り入口交差点で右折、馬道通りを北上、
二天門前交差点で左折、東参道へ進む。二天門前の大型バス駐車場から中国人が陸続として浅草寺に向かうため、二天門を通るのも大変である。木陰は全て中国人に押さえられているため、浅草神社の隅で熱中症対策の首周り保護具を装着する。本堂東と浅草神社の間にもほおづき市の屋台が並ぶ。
7月9、10日は四万六千日のご縁日と言われ、これに合わせてほおずき市が出来、「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになった。以前ほおずき市に来た時は中国人などおらず、じっくり見ることが出来たが、本堂も含めて歩くのも大変である。五重塔は朱色の塗装工事中で、仲見世通りの人混みをかき分けかき分け雷門に向かう。
雷門通りを東進、吾妻橋交差点で江戸通りを渡り吾妻橋西詰で左折、隅田公園(西岸)へ入り隅田川上流に向けて北上する。隅田公園に入った所で熱中症計は危険レベルで、保冷剤付きの熱中症対策の首周り保護具は装着わずか30分でヌルくなってきている。水上バスぼ吾妻橋乗船場、特急りょうもう号が走る東武スカイツリーライン鉄橋、隅田川に架かる言問橋、江東区リバーサイドスポーツセンターの少年野球場と過ぎる。スポーツセンター前の山谷堀広場で給水休憩をしたが、熱中症対策の首周り保護具の保冷剤が完全に溶けて効果が無くなってきた。浅草神社で付けてわずか45分であり、止むを得ず予備の保冷剤に切り替えた。桜橋は中央で交差するX字形の橋で、下流側の南西角から入り、上流側の北東角に出て東岸に移る。
墨堤通りの長命寺桜もちの先にある首都高6号向島線 向島インター前で信号のない横断歩道を渡ると名物の言問団子である。言問団子先の三差路交差点で右折、見番通りへ入り南下、三差路交差点で右折すると隅田川七福神 弁財天の長命寺で、「長命寺の桜もち」は江戸時代に門前で売り出したことによる。見番通りをさらに南下し、隅田川七福神 布袋尊の弘福寺の先で桜橋通りを渡る。
見番通りを歩いていると、交差点角に唐突に立派な鳥居が見え、その横には三囲神社の大きな石碑が建つ。三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたためである。鬼平情景や由緒が書かれた案内が立つ参道を歩き、境内に入ると三井グループ各社の碑がある神楽殿があり、社殿前には宝井其角の「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)がある。社殿前で測ると熱中症計は危険レベルで、スポーツセンター前の山谷堀広場で熱中症対策の保冷剤を変えてまだ30分だが、すっかりヌルくなっているが予備はなく、そのまま使うことにした。社殿左の内社殿には隅田川七福神の恵比寿神と大黒神が祀られ、境内には三越の旧池袋店から移した三越のシンボルである三囲のライオン像が鎮座する。
見番通りの突き当りで言問通りに出て左折し、すぐ言問橋東交差点で右折して三ツ目通りへ進むと牛嶋神社の大鳥居がある。貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建された牛嶋神社社殿の三輪鳥居は、明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いている。牛嶋神社の南の隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)の汐入りの池からサクラ並木を南下、南東の出口から三ツ目通りへ出る。東武スカイツリー線高架手前から見た東武スカイツリーは建設時には有名な撮影スポットだった。三ツ目通りの北十間川に架かる源森橋を渡り、吾妻橋交番前交差点で右折して浅草通りへ進むと本所吾妻橋駅がある。
真冬の隅田川散策(北千住駅~墨堤通り~向島百花園~浅草駅)(H28-02-16)
北千住駅から旧日光街道旧千住宿のほんちょう商店街を南下、ハローワーク足立前交差点の問屋場・貫目改所跡、千住高札場跡、一里塚跡と過ぎ、千住仲町交差点で左折、墨堤通りへ入る。常磐線などのガード下を通り、左側に東武スカイツリーライン、右側には京成本線の両線に挟まれて東進、東武スカイツリーライン 牛田駅手前で大きく右に曲がり京成関屋駅に至る。
墨堤通りを南下、千住曙町交差点で川の手通りを渡り、旧綾瀬川に架かる綾瀬橋を過ぎると、1Kmにわたって災害時の避難場所にもなる東白鬚公園と高層都営アパート群が続く。鐘ヶ淵陸橋交差点で鐘ヶ淵通りを渡り、梅若公園の蝦夷共和国総裁だった榎本武揚像と経て、防災高層都営アパートの間の参道を西進して旧水神社の隅田川神社に立ち寄る。
墨堤通りを南下、白鬚橋東詰交差点で左折して明治通りを東進、百花園前バス停の後の塀には向島百花園行き先案内がある。百花園の外周改修工事のため、通行禁止であり、明治通りを進んで百花園入口交差点で右折、向島百花園の児童遊園の奥向いに向島百花園の入口がある。向島百花園(次頁にまとめた)を見物した後、
百花園入口交差点で左折、明治通りへ戻り西進して白鬚橋東詰交差点で左折、墨堤通りへ進む。
入口にある向島百花園の沿革によれば、江戸時代文化2年(1805)頃、佐原鞠塢が梅を多く植えたことから「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされる。その後所有者の変遷があり、東京市の公園になった。新梅屋敷として創建された、と言う来歴を彷彿させる梅園である。梅園としては湯島天神などが有名であるが、狭い敷地に密集したものではなく、広い園内に白梅、紅梅が程よい割合で植えられている。園内にはさまざまな碑や句碑があり、北の塀沿いに大きな池や秋の名物である萩のトンネルがある。
墨堤通りを南下 白鬚神社上交差点で左折して白鬚神社を訪れる。隅田川七福神選定で白鬚大明神はその御名から、白い鬚の老人の神様だろうから、寿老人と決められた。東京スカイツリーを見つつ、墨堤通りを南下して三差路交差点を右折、交差点角には定休日の言問団子店、十月桜、河津桜の展示、長命寺桜もち店と続く。長命寺や弘福寺、三囲神社に行くには三差路交差点の左側の見番通りを行かなければならない。墨堤通りの土手沿いを歩き、階段を上り桜橋デッキスクエアへ出る。
天気も良く、風も心地良いため隅田川テラスを桜橋から言問橋まで歩き、振り返ると東京スカイツリーが美しい言問橋を渡る。言問通りを西進、馬道交差点で左折して馬道通りへ入る。二天門前交差点、浅草二丁目交差点と過ぎ、新仲通り入口交差点の松屋浅草の地階にある銀座線浅草駅に至る。
浅草界隈の寺社の歳末風景(H27-12-30)
三ノ輪駅から昭和通りを進み三ノ輪交差点で左折、国際通りを南下し、北めぐりんバス停の#15 一葉記念館入口の向いには一葉記念館入口の案内がある。西徳寺前交差点の先に長國寺の山門がある。長國寺は鷲神社の北にあり、もともと鷲妙見菩薩を祀り酉市も行っていた。明治維新後の神仏分離令により、鷲神社が分離されたが、今も長國寺が酉の市を開帳している。鷲神社の立派な朱塗りの大鳥居前には「浅草 七福神巡り案内」と「東京下町 八社福参り案内」とが掲示されている。小鳥居(天保10年建立)横の駐車場は酉の市の時は熊手店がびっしりと建ち並び歩くのも大変であるが、何も無いとこんなに広かったのか、と驚かされる。参道を進み、茅の輪が飾られた叉木の先に御社殿があり、横の瑞鷲渡殿の下をくぐり抜け、社務所を経て長國寺に向かう。駐車場を抜けると長國寺であるが、葬儀中であり、立ち寄らずに門前で右折した。
長國寺で右折、突き当りの台東病院で左折して商店街を歩きつつ北上すると、左手に飛不動尊が見える。飛不動前交差点を過ぎ次の交差点で右折すると、一葉女史たけくらべ記念碑がある一葉記念公園と一葉記念館がある。公園と記念館の間の道を直進して次の交差点で左折し、吉原のソープ街である「よし原揚屋町」、「よし原江戸町一丁目」の案内柱を見つつ日本堤一丁目交差点で右折、土手通りを南下する。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊廓を振り返ったというところから名付けられた「見返り柳」がある吉原大門交差点に至る。
地方橋交差点から土手通りを南下し、キグナス馬道SS前交差点で左折するとすぐに山谷堀公園の旧山谷堀橋がある。東浅草一丁目交差点で吉野通りを渡り次の信号で右折、石浜通りへ入って南下すると縁結びの今戸神社に着く。鈴なりの円形の絵馬や茅の輪が飾られた叉木があり、本殿手前には沖田総司終焉之地碑、今戸焼発祥之地碑がある。石鳥居越しに見える東京スカイツリーを見つつ石浜通りへ戻る。
石浜通りを南下し、台東リバーサイド スポーツセンター横の三叉路で右折、橋場通りへ進む。山谷堀公園の旧今戸橋からは東京スカイツリーの全景がきれいに見える。大根祭りの額が掲げられた待乳山聖天の参道の階段を上り、山門を経て本堂に至る。参道の石柵に掘られた大根、巾着、大根が描かれた巾着型の香炉、本堂横の巾着型の水盤と、
大根・巾着の意匠は、待乳山聖天のご利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表すという。言問橋西交差点で右折、言問通りへ入り西進、馬道交差点で左折して馬道通りへ入る。
馬道通りを南下して二天門前交差点で右折、小旗で誘導される中国人団体客が次々と現れ、大声で喚き散らし、自撮り棒で歩行を妨害されるも二天門から浅草寺に入る。浅草神社の先に鏡餅、菰樽が飾られた本堂があり、すっかり正月気分で一杯の風景である。宝蔵門を通り、まるで正月が来たような賑わいで、歩くのもままにならない仲見世通りを進み、新仲通りに入って東進、新仲通り入口交差点で馬道通りを渡ると松屋浅草店で、その地下の銀座線浅草駅に至る。
初春の日光街道 千住宿散策(H27-03-11)
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へに進み次の小路を右折するとすぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。本堂の左にある門から霊園に入り、本堂沿いに北上して突き当たり手前で右折すると、一際高く大きい「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の有名な川柳が書かれた新吉原総霊塔が見える。総霊塔の向かい側には永井荷風文学碑と山谷労働者供養のひまわり地蔵尊がある。常磐線と明治通りに挟まれた道路を東進、突き当りの南千住二丁目交差点で左折して吉野通りへ進み、常磐線跨線橋の歩道橋を降りると日比谷線南千住駅である。
南千住駅から吉野通りの向い側にある小塚原処刑場跡(延命寺)に行くと、 刑死者の菩提を弔うため建てられた首切り地蔵がある。吉野通りを北上 常磐線の高架の先にある小塚原回向院は、両国の回向院が手狭になったために建てられたもので、常磐線建設により南北に分けられて、刑場跡は線路脇に首切地蔵がある延命寺となっている。霊園右側の史跡参拝所入口に2.26事件の磯部浅一元一等主計夫妻の墓があり、順に相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓と続き、突き当りの橋本左内、吉田松陰など安政の大獄での処刑者の墓が並ぶ。コツ通り(吉野通り)を北上、左折すると荒川南千住五郵便局がある交差点で左折して西進、南千住警察署入口交差点で左折して日光街道へ出る。
円通寺の住職が慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士の死を悼み弔ったことが縁で、上野寛永寺の黒門が境内に移設されている。寛永寺の黒門は上野戦争の激戦地として知られ、門柱には多くの弾痕が刻みつけられている。彰義隊士の墓がある一画には多くの石碑が立ち並ぶが、上野戦争時の戦死者だけでなく、明治時代の没後に建てられた顕官の慰霊碑が多く戦死者の碑は少なかった。大鳥圭介、永井尚志、高松凌雲、榎本武揚など上野戦争に参加していない顕官の大きな碑が並ぶ。御書院番として「戊辰五月十五日 於上野山王台戦死彰義隊 後藤鉄次郎 追吊碑」が目につくが、肝心の戦死者の碑は目立たない。
日光街道を北上し、小塚原回向院、南千住駅前を通る吉野通り(コツ通り)が合流する南千住交差点には素盞雄(すさのお)神社がある。荒川区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で、翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。飛鳥の杜には子育ての銀杏があるが、境内にいくつも建てられたテントや社殿の色々な階段だけでなく、神楽殿にも飾られている雛人形には圧倒される。氏子が不要になった人形を奉納したと思われるが、その保管や展示の手間を考えると脅威を感じる。隅田川に架かる千住大橋の南詰には八紘一宇の碑や千住大橋由来碑が並び、北詰には松尾芭蕉の奥の細道の矢立初めの地碑が建つ。
旧日光街道の足立市場前交差点には千住宿奥の細道プチテラスがあり、千住は奥の細道への旅立ちの地であるため松尾芭蕉像が建つ。ここから墨堤通りと交差する千住仲町交差点まで、板張りの旧千住宿のやっちゃ場紹介板があちこちで飾られている。やっちゃ場は多くの問屋のセリ声がやっちゃいやっちゃいと聞こえてくる場所(市場)からきたと言われている。街道の西側に三十数軒の青物問屋が軒を並べ、毎朝威勢の良いセリ声が響きわたった。千住宿歴史プチテラスを過ぎ、千住仲町交差点で墨堤通りを渡る。
旧千住宿の千住仲町交差点角にある源長寺(延命子育て地蔵)は、千住大橋架橋等に尽した郡代伊奈備前守忠次を敬慕してその法名にちなむ寺号を付した。千住仲町商店街を北上、交差点を渡りほんちょう商店街へ入ると角にハローワーク足立があり、その前に問屋場・貫目改所跡がある。賑やかではあるが、旧千住宿の遺構は特にない普通の商店街であるほんちょう商店街を北上、千住二丁目交差点で北千住駅前通り(きたろーど1010)を渡り、宿場町通りへ進む。
旧日光街道の旧千住宿の宿場町通りを北上、公園にもなっている高札場、伝馬屋敷の面影を今に伝える商家の横山家住宅、江戸時代から300年続く千住名倉医院と経て、、突き当りの荒川の堤防で左折する。
荒川堤防の突き当りで、角にまなびピア21(足立区 生涯生活センター)がある千住新橋南詰交差点で左折、日光街道へ出て南下する。北千住駅入口交差点で左折、北千住駅前通り(きたろーど1010)へ進み東進、北千住駅西口交差点を経て日比谷線/東武スカイツリーライン 北千住駅に至る。
歳末の下町散策(浅草寺 羽子板市~東京スカイツリー~亀戸天神~錦糸町駅)(H26-12-19)
松屋浅草店前の新仲通り入口交差点で馬道通りを渡り、新仲通りを西進して舟和前で右折、正月用の飾り付けがされた仲見世通りを北上し宝蔵門横から羽子板市会場へ入る。五重塔前の一画で開催されている羽子板市では、どの店も値札がついていないがたまたま10cm足らずの小さな羽子板に7500円との値札が付いていた。今年は今までに出た女性の変り羽子板も久月で展示されていた。浅草寺本堂から浅草神社を経て二天門を出る。
二天門前交差点で左折、馬道通りに出て北上し馬道交差点で右折、萎びたイチョウ並木の言問通りを東進する。言問橋西交差点を過ぎ、東京スカイツリーに向って隅田川に架かる言問橋を渡る。言問橋から隅田公園のサクラ並木を見て言問橋東詰にある隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)の牛嶋神社を経て、言問橋東交差点で三ツ目通りを渡る。言問通りを東進して突き当り交差点で右に曲がり、都営押上アパート1号館前交差点を過ぎると東武伊勢崎線(東京スカイツリーライン)のとうきょうスカイツリー駅に着く。
北十間川に架かる東武橋手前の「とうきょうスカイツリー駅交差点」で左折、北十間川沿いの墨田区おしなり公園へ入る。東京スカイツリーを見上げつつ 東京スカイツリー西交差点、ソラマチひろば、「おしなり橋」と過ぎて突き当りの京成橋交差点で右折、押上通りへ入る。押上駅前交差点で浅草通りを渡リ、四ツ目通りへ進み南下して業平三丁目交差点、春日通りを渡る横川交番前交差点と経て、角にオリナス・タワーがある太平四丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ入る。天神橋西詰交差点を過ぎ、横十間川に架かる天神橋を渡ると、くず餅が名物の船橋屋に着く。
亀戸天神参道入口の門は、藤まつりなどその時時に応じて文字が書き換えられているが、交換工事である。大鳥居を抜けると太鼓橋(男橋)があり、左に東京スカイツリーが見える。太鼓橋(男橋)から見た心字池、藤棚は撮影スポットとして有名である。琴字燈籠(琴柱灯篭)、太鼓橋(女橋)、五歳の菅公像と過ぎて社殿に着く。歌川豊国の碑、松尾芭蕉句碑、筆塚など様々な碑が並ぶ東参道を歩き、突き当りで右折すると大鳥居である。蔵前橋通りに戻り、天神橋交差点を経て太平四丁目交差点で左折、四ツ目通りへ出る。錦糸公園沿いを南下、錦糸公園前交差点で右折して北斎通りへ入り、錦糸町駅北口バスターミナルで左折すると錦糸町駅である。
秋の浅草界隈散策(かっぱ橋道具街、浅草寺、今戸神社、鷲神社)(H26-11-07)
上野駅から浅草通りを東進、赤い大鳥居の下谷神社、講道館柔道発祥の地の永昌寺と過ぎて稲荷町交差点で清洲橋通りを渡る。菊屋橋交差点で左折、かっぱ橋通りを北上、合羽橋交差点で右折して合羽橋本通りへ入って正面に東京スカイツリーを見つつ東進、公園六区交差点で国際通りを渡る。
浅草演芸ホール(東洋館)沿いの六区花道を東進 六区ブロードウェイを渡り奥山大木戸から奥山おまいりみちに入り東進する。大衆演劇の木馬館、雷5656茶屋と過ぎて奥山門を出て五重塔脇を歩く。お守り拝受所裏の迷子しるべ石を見た後、外人だけではなく、修学旅行の中学生で溢れかえっている本堂に向かう。三社祭の浅草神社を経て二天門から出る。
二天門前交差点で馬道通りを渡り、工事休館中の台東区民会館前を東進、姥ヶ池の伝説がある花川戸公園を経て東参道交差点で左折、江戸通りを北上する。五差路の言問橋西交差点で言問通りを渡り橋場通りを北上する。台東区のコミュニティバスである北めぐりんの#3隅田公園バス停の先に待乳山聖天の正門があるが、閉鎖されており、左折して参道の階段を上る。待乳山聖天は、浅草寺の支院で、境内の各所には大根と巾着が描かれている。ご利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表す。山門から本堂で参拝の後、橋場通りを北上、山谷堀を埋め立てて出来た山谷堀公園の旧今戸橋に着く。公園の桜並木は紅葉始めである。
橋場通りを北上、台東リバーサイド スポーツセンター横の三叉路で左折、石浜通りへ進むと今戸神社に着く。境内に入ると招き猫が描かれた鈴なりの円形の絵馬があり、本殿手前には沖田総司終焉之地碑、今戸焼発祥之地碑がある。以前は自動販売機の前にニンニンパンダバスのバス停があったが、何時からか無くなっていた。今戸神社を出て最初の信号で左折、東浅草一丁目交差点で吉野通りを渡り、山谷堀公園の山谷堀橋を通り突き当りで右折、土手通りを北上して地方橋交差点に至る。
見返り柳がある土手通りの吉原大門交差点で左折、吉原の仲之町通りへ入るが特になんということもない商店街が続く。吉原大門の標識を過ぎると、雑居ビルに間借りではなく、仲之町通りの両側にソープランドのビルが建ち並ぶ。12時というのに黒服の客引きが各ビルに並び、通行人に声をかけている。千束四丁目交差点で右折、揚屋通りを北上し、よし原揚屋町の標識がある突き当りで左折
すぐ先のY字路で右折する。飛不動前交差点手前で、角の薬局に 「樋口一葉 たけくらべ 美登利の家 大黒屋の寮跡」の銘板がある交差点の案内板に従い右折すると一葉記念館がある。一葉記念館前公園には菊池寛による追悼の碑と一葉女史たけくらべ記念碑がある。
飛不動前交差点で左折すると飛不動尊がある。奈良県大峰山に本尊を安置し修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を授けられたことが由緒である。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。絵馬にはCA合格とか、JAL、ANA入社祈願など航空関連の願い事だらけである。西徳寺交差点で左折、国際通りを南下し、長國寺山門を過ぎて一の酉準備中の鷲神社参道から社殿に向かう。国際通りを南下して千束一丁目交差点を経て西浅草三丁目交差点で左折、言問通りへ入る。
言問通りの西浅草三丁目交差点から最初の交差点で右折、ひさご通りへ入り南下、浅草酉の市のポスターを見たりしつつ江戸下町伝統工芸館を過ぎる。ひさご通りを出て左折すると花やしき通りだが右折する。六区ブロードウェイの北端には浅草凌雲閣記念碑があり、そこから南下して再開発中の浅草新劇会館、浅草中劇会館跡、ドン・キホーテ、浅草演芸ホール(東洋館)、浅草ROXと経て浅草ROX2前で左折、新仲見世通りへ入る。途中で右折して仲見世通りへ進み、雷門を通り抜けて左折、雷門通りへ出て銀座線浅草駅に至る。
隅田公園の満開の桜を愛でる(H26-04-01)
浅草駅から桜見物で賑わう水上バスの乗船場がある吾妻橋西詰から歩き始め、アサヒビールタワーなどがあるリバーピア吾妻橋、東京スカイツリーなどを見つつ吾妻橋を渡って鬼平情景の案内がある吾妻橋東詰交差点で左折、隅田公園(東岸)を隅田川沿いに北上する。勝海舟(安芳)像が立つ台東区役所のうるおい広場を通り、墨田区役所前交差点で左折、墨堤通りへ進む。東京スカイツリーがよく見える北十間川に架かる枕橋の枕橋先の東武スカイツリーライン高架先に隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)がある。
墨堤通りの入口から旧水戸藩下屋敷の小梅邸に入ると、満開の桜並木が飛び込んでくる。 明治天皇行幸所碑や満開の桜に隠れがちな東京スカイツリーを見つつ園内を北上する。北の外れに牛嶋神社があり、東参道の先に東京スカイツリーが見え、満開の枝垂れ桜や社殿前の独特の三輪鳥居が有名である。牛嶋神社脇の枝垂れ桜を見つつ公園をさらに北上して言問通りに出る。
言問橋東詰には墨堤通り沿いの満開のサクラ並木が見事で、言問橋を渡ると隅田公園の東岸、西岸両方の満開のサクラ並木が美しい。言問通りの言問橋西交差点で江戸通りを渡り、馬道交差点で左折、馬道通りへ入る。二天門前交差点で右折して浅草寺の二天門に入ると右から本堂、五重塔、宝蔵門が見える。本堂、宝蔵門と歩き、伝法院のサクラ並木を眺める参拝客で混雑する仲見世通りから左折し、新仲通りを進み、新仲通り入口交差点で浅草駅がある松屋浅草店に着く。
新春の下町散策(亀戸天神社~東京スカイツリー~浅草寺)(H26-01-14)
亀戸駅北口交差点で右折、亀戸十三間通り(明治通り)を北上し亀戸四丁目交差点で左折、亀戸天神通り(蔵前橋通り)へ入る。亀戸四丁目交差点には亀戸梅屋敷があるが、休館日で入れなかった。江戸時代、亀戸には呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘清香庵があり、その庭には見事な梅の木々が生えていたことに因み命名された。亀戸四丁目交差点のすぐ先に亀戸香取神社の鳥居があり、亀戸大根之碑や、スポーツの神、白い石の勝運袋で知られる。境内の白い小石は、白星・勝星といわれ、中年男性が探していた。亀戸天神通り交差点で右折し、亀戸七福神の毘沙門天である普門院を参拝する。
亀戸天神通り(蔵前橋通り)から亀戸天神社の大鳥居を抜けると太鼓橋があり、左奥に東京スカイツリーが見える。太鼓橋、心字池、藤棚、太鼓橋(女橋)と進むと社殿である。亀戸天神通り(蔵前橋通り)を西進、老舗和菓子屋の船橋屋を過ぎ、横十間川に架かる天神橋を渡ってオリナス・モール前を西進し、太平四丁目交差点で右折、四ツ目通りへ入る。四ツ目通りを北上し、横川交番前交差点で春日通りを渡り、東京スカイツリーが左に間近に見える押上駅前交差点で浅草通りを渡リ、押上通りへ進む。
東京スカイツリーの撮影ポイントの一つである北十間川に架かる京成橋を渡って左折、北十間川沿いの「おしなり公園」を西進する。東京スカイツリーのソラマチひろば、東京スカイツリー西交差点と進み、東京スカイツリー駅交差点で右折して言問通りへ入る。東武伊勢崎線(東京スカイツリーライン)の「とうきょうスカイツリー駅」、向島三丁目交差点と経て言問橋東交差点で三ツ目通りを渡る。隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)の牛嶋神社の先の工事中の首都高6号向島線の高架下を進むと東京スカイツリーの有名な撮影ポイントの一つである隅田川に架かる言問橋で、言問橋西交差点で江戸通りを渡る。
言問通りの馬道交差点で左折、馬道通りへ進み二天門前交差点で右折して二天門から浅草寺に入る。入ってすぐ右に浅草神社の鳥居があり、社殿に参拝する。浅草寺の本堂の右には月桂冠、左には大関の菰樽が積み重ねられているのは圧巻である。宝蔵門を抜けて新春の飾り付けの仲見世通りを歩き、途中で左折して新仲通りへ入り東進、新仲通り入口交差点で馬道通りを渡って銀座線浅草駅がある松屋浅草店に至る。
年末の下町散策(谷根千、上野公園、浅草寺羽子板市)(H25-12-18)
根津駅から不忍通りを北上、根津神社入口交差点で左折して根津神社の表参道にある鳥居に着く。神橋、楼門、透塀付きの唐門と通り社殿で参拝する。西門から西参道に出ると正面は乙女稲荷神社の赤鳥居で、階段を上って左に六代将軍家宣の胞衣塚がある。西参道の鳥居を抜けて日医大通りの根津裏門坂を下る。日本医大附属病院、根津神社北参道と経て千駄木二丁目交差点で左折、不忍通りへ戻り北上、
団子坂下交差点で右折して都道神田白山線(三崎坂)へ進む。
都道神田白山線(三崎坂)を東進、団子坂下交差点の次の交差点で左折、よみせ通りへ入り、10円まんじゅうで知られる福丸饅頭の先のゲートからメインストリートに進む。中程で右折して谷中ぎんざへ入り、閑散とした商店街を東進して夕やけだんだんの階段を上る。山門に上野戦争の銃弾痕がある御殿坂の経王寺前で右折、諏訪台通り(初音のみち)へ進む。初音のみちは、旧初音町に因み、初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことである。寺町の諏訪台通り(初音のみち)を南下、朝倉彫塑館、赤穂浪士ゆかりの観音寺と過ぎ、狩野芳崖夫妻の墓がある長安寺門前の道を進むと谷中霊園である。
谷中霊園のぎんなん通りを東進、墓石越しにる東京スカイツリーが見え、明治時代の教育者である中村正直の墓と過ぎて天王寺駐在所交差点で右折、さくら通りへ入る。天王寺駐在所交差点脇には、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルで昭和32年7月6日に放火により焼失した天王寺五重塔跡がある。裸木の桜並木が続くさくら通りを南下、戦時中金属の供出で取り外され、台座のみ残る川上音二郎の銅像台座、最後の斬首刑者の高橋お伝慰霊碑、徳川慶喜墓の案内と経て、都道神田白山線と合流し上野桜木交差点で言問通りを渡る。
都道神田白山線を直進して上野公園へ入り、東京藝術大学、大学美術館、京成博物館動物園駅跡、旧東京音楽学校奏楽堂と経て東京都美術館沿いに東進し、東京国立博物館前の大噴水(噴水池)に至る。整備された大噴水前広場には休憩所を兼ねたスターバックスの大きな店ができ、ヘブンアーティスト(大道芸)の芸人がスペインのバグパイプを演奏していた。裸木の侘びしさが漂う桜並木の公園中通りは、上野大仏、パゴタ付近から紅葉のモミジ、黄葉の桜がきれいな並木となり、五條天神社、清水観音堂と過ぎて蜀山人の碑がある公園正面入口の上野公園前交差点で左折、動物園通りへ出る。
中央通りのUENO3153(旧聚楽台)の先に上野駅不忍口、広小路口があり、中央改札口から構内に入り羽子板市の大幕や大熊手が飾られた中央改札前を通る。上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進み、境内には寄席発祥之地の碑、正岡子規 句碑がある下谷神社、講道館柔道発祥の地の永昌寺と経て、稲荷町交差点で清洲橋通りを、菊屋橋交差点でかっぱ橋通りを渡り寿四丁目交差点で左折、国際通りへ進む。
雷門一丁目交差点で右折、東京スカイツリー を正面に見つつ雷門通りを東進する。
大提灯が新しくなった雷門から正月の飾り付けが行われている仲見世通りを進み、屋台が並ぶ宝蔵門を抜けると五重塔の一画で羽子板市が開催されている。絵柄は昔ながらのものだが、押絵羽子板という立体感ある立派なものばかりである。羽子板には値札などなく、たまたま表示されていたものは高さ10cmほどで1万円である。久月の変わり羽子板には、二重あごの安倍晋三や、小太りの中年女性と化した滝川クリステルが飾られている。本堂前の神札授与所で縁起小判を買ったあと、浅草神社、二天門と経て銀座線浅草駅に至る。
下町散策(一葉記念館~鷲神社 三の酉~浅草寺)(H25-11-27)
日比谷線三ノ輪駅から大関横丁交差点で左折、明治通りへ進み、三ノ輪二丁目交差点で直進、土手通りへ入る。正面に東京スカイツリーを見つつ日本堤一丁目交差点で右折、吉原ソープ街の「よし原江戸町一丁目」や「よし原揚屋町一丁目」の案内柱を過ぎ、Y字路で右折する。飛不動前交差点手前で一葉記念館への案内があり右折すると一葉記念館に着く。一葉記念館前公園には菊池寛による追悼の碑、一葉女史たけくらべ記念碑がある。
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一葉記念館前を西進、床屋前で左折して飛不動前交差点を過ぎると、近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣客が多い飛不動尊に着く。長國寺裏参道の三の酉の露店前を右折し、西徳寺交差点で左折、国際通りへ入る。
江戸時代に酉の市を開いていた長國寺から、鷲神社が明治維新の神仏分離令により分離した。両者は小道一つで境界としているが、互いに酉の市開催の正当性をホームページで主張している。長國寺は鷲妙見菩薩を祀っているから酉の市を開くとし、鷲神社は江戸時代から開いているとする。境内の広さと知名度から鷲神社のほうが賑わっている。
国際通りにある長國寺の山門から酉の市名物の熊手を売る露店が並ぶ狭い参道を歩き、本堂横の小道を通って提灯が一杯の鷲神社の社殿に着く。社殿への参拝客の長い列ができ、脇に押しのけられるような形で熊手を買う人がおり、三三七拍子の掛け声が響く。大鳥居前には名物の切山椒や大頭(八頭)の露店があり、流れに逆らうようにして国際通りに出る。
鷲神社に向かう疎らな参拝客とすれ違いながら南下、千束五差路交差点を過ぎ 西浅草三丁目交差点で左折、言問通りへ進む。
言問通りの西浅草三丁目交差点から最初の無名の交差点で右折、朱漆塗の大門を抜けてひさご通りを南下、江戸下町伝統工芸館のすぐ先に花やしき側の出口が見えてくる。ひさご通りをでて右折すると花やしき通りで、正面が六区ブロードウェイ、左折すると国際通りである。花やしき通りは街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている。花やしき通りを歩き、花やしきの浅草門を過ぎて浅草寺側出口に着く。
浅草寺西境内の影向堂から本堂へ出て、五重塔、宝蔵門を見たあと外人や修学旅行生で賑わう仲見世通りを歩く。大提灯が新しくなった雷門を通りぬけ、浅草線 浅草駅に至る。
梅雨明けし、猛暑の東京スカイツリー散策(H24-07-17)
5日前に行ったが強風でスカイツリーが営業中止になったため、振替で再訪した。前回は東京ソラマチを散策したので、今回は半蔵門線押上駅から4階のスカイアリーナに直行、エントランス正面からチケットカウンターに向かった。きれいに晴れ上がり、気温も34℃となって梅雨明け宣言が出された。ソラマチひろばやスカイアリーナからはアンテナ塔の先端まできれいに見えた。
正面エントランスから入って直ぐ目の前の当日券購入者のすごい列に驚かされる。チケットカウンター前だけでなく、そこに向かうまでの何重にも折れ曲がる長い列ができており、スカイツリーの人気の凄さにただただ感心する。入場振替の書類を持っているので係員の指示で直接カウンターに向かい、すぐ入場券を購入できた。
天望デッキ行きエレベーター(天望シャトル)待ちの列も長いが、大型の3基のエレベーターがフル稼働し、案外早く乗ることが出来る。天望デッキまでは最大分速600m、50秒である。天望デッキに着いてすぐ右折、天望回廊行きチケット購入の列に並ぶ。待ち時間は50分と表示されていたが、20分で買うことができ、桜模様のエレベーターで天望回廊に向かう。
天望回廊に着いた正面は隅田川の水神大橋である。東に向かって流れてきた隅田川が大きく右に曲がり南下した所にある橋で、うっすらとではあるが近くの堀切駅、荒川沿いの首都高6号向島線の堀切JCT、常磐線/日比谷線の鉄橋などが見える。間近に隅田川の桜橋があり、言問橋東詰の隅田公園(旧水戸藩下屋敷)、牛嶋神社、東武スカイツリー駅(旧業平橋駅)が見える。スロープを上リ、浅草寺、言問橋、東武スカイツリー線(伊勢崎線)鉄橋、浅草ビューホテル、上野公園、吾妻橋際の台東区役所、アサヒビール本社、吾妻橋ライフタワーが一望できる。
さすがにうっすらとしか見えないが、右端に都庁の第一庁舎の2つの塔が見え、その左に削ぎ落としたような3つの塔が並ぶ新宿パークタワーが見える新宿副都心、東京ドーム、
両国国技館と過ぎ、隅田川に架かる清洲橋、隅田川大橋、永代橋や、晴海、豊洲が眺められる。新木場のゲートブリッジや大観覧車がある葛西臨海公園も見ることが出来る。東京タワーは肉眼では見えるが、写真では分かりにくく、レインボーブリッジは台場アンカレイジがわずかに見える。最高点のソラカラポイント(450m)を経て、天望デッキに下りるエレベーターに向かう。
天望デッキは3階構造になっており、4階から天望シャトルで上ると3階に着き、天望回廊から下ると2階に着く。天望デッキから5階の出口に戻る時は1階から天望シャトルに乗る。天望デッキと天望回廊とでは100mの高低差があり、同じ風景でも受ける印象も違うし、迫力が違う。そのため、天望デッキでの見物は止めることにした。天望デッキの1階からエレベーター(天望シャトル)に乗リ、出口フロアー(5階)に着く。
東京スカイツリーの出口フロアー(5階)から連絡橋で東京ソラマチ(5階)へ行く。天空(プラネタリウム)の見物予約をした後、昼食をとった東京ソラマチ(6階)から見た当日券購入者のための待機場所テントは混雑しており、積乱雲も発生している。天空(プラネタリウム)を見物後、幼児が水遊びを楽しんでいるソラマチひろばの噴水、ソラマチ商店街と経て、地下3階の押上駅へ向かう。
押上駅から東京スカイツリー ソラマチ散策(H24-07-12)
きれいに改装された半蔵門線押上駅を出て、指示に従い左折してエスカレーターで地下3階から地上へ出るとソラマチひろばである。ソラマチひろばからはスカイツリーのアンテナ部分が雲に隠れているが、展望デッキ、その上の展望回廊ははっきりと見える。ソラマチひろばから階段で2階へ進み、PLAZAやセシルマクビーなどのファッション店が並ぶ2階からNe-net
(ネ・ネット)などがある3階に進む。4階は土産物店が並び、まめぐい、トーキョータイヤキ、バオ バオ イッセイ ミヤケ、ノイエ(Neue)などがある。入場券引換所のスカイツリーのエントランス正面の場所を確認すべく、土産物店をざっと見て進む。
東京ソラマチ(4階)からスカイアリーナへ出るとスカイツリーが聳え立ち、正面には当日券購入者のための待機テントがあり、その奥が入場券引換所の正面エントランスである。引換まで時間があるのでソラマチ4階の見物を続けることにした。Hello Kitty Japan、空の小町、値段が634,000円で話題の東京スカイツリー模型が展示されている東京下町雑貨がっちゃら屋、ナノブロックストア、鳩居堂などが並ぶ。喧騒ではっきり聞こえなかったが、気になる館内放送が流れ、入場券引換所のエントランス正面に行くと営業中止を伝える係員がおり、1ヶ月以内に振替入場するための用紙が渡された。
5階のJ:COM Wonder Studioからソラマチダイニングの6階に行くと、Salon de Sweets、とんかつ さぼてん、Viva NAPOLI、ひつまぶし 名古屋 備長、六厘舎 TOKYOなどの有名店が並分。7階から強風(?)の東京スカイツリー2階や北十間川風景を見て、プラネタリウム 天空と過ぎ、世界のビール博物館でドイツビールを飲んで残念会も含めた打ち上げとした。
こどもの日の水天宮、清澄庭園、両国、亀戸天神散策H240505(H24-05-05)
人形町駅がある甘酒横丁交差点で右折、人形町通りを歩き、水天宮前交差点で新大橋通りを渡って例大祭で大勢の産婦や赤子連れの家族で賑わう水天宮を参拝する。水天宮前交差点に戻り右折、新大橋通りを進む。左にトルナーレ日本橋町、右に日本橋浜町Fタワーがある浜町中ノ橋交差点で右折、清洲橋通りへ入り、首都高6号向島線下を通り、隅田川に架かる清洲橋を渡る。
清洲橋東詰交差点先で右折、清澄庭園・中村学園通りへ入り、天候不順が続いて行きそびれたため花が全くない藤棚が有名な清澄公園を通り、中村学園がある清澄庭園の正門に着く。別ページにまとめた清澄庭園を見物後突き当りで左折、清澄通りへ出る。清澄三丁目交差点、小名木川に架かる髙橋、高橋のらくろード(高橋夜店通り)がある高橋交差点と過ぎ、二ッ目通り(清澄通り)の由来碑がある森下駅前交差点に至る。
清澄庭園の正門から入り案内に従い左手に進むと、岩崎家が各地から集めた奇岩名石の数々があり、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築した大正記念館、新緑の木々に映える泉水を見つつ突き当りで右折、清澄通り沿いの鉄柵沿いに東辺を歩く。中の島を渡り、富士山を見つつ庭園の南東角に当たる九重塔、石仏群(江東区文化財)に至る。
清澄庭園の南東に位置し別名を「つつじ山」とも言われる富士山から、対角線の北西にある正門方向を見ると泉水を挟んで、中村学園や大正記念館、新緑の木々が美しい。庭園の南辺に沿って歩き、自由広場に入り、花菖蒲田、江東区立深川図書館前の「古池の」で有名な芭蕉の句碑、親子竹とんぼ教室を見た後に涼亭に着く。泉水沿いに歩き、東日本大震災で損傷を受けて撤去された傘亭跡、石橋、大正記念館と経て、正門に戻る。
清澄通りの竪川に架かる二之橋を渡り、二之橋北詰交差点で左折、馬車通りへ入り最初の信号で右折、東南角に勝海舟生誕の地の碑がある両国公園に寄る。公園の向かいの両国小学校の北沿いを歩き、芥川龍之介文学碑(杜子春)の角で左折、プール沿いに南下、両国玩具株式会社脇で右折すると本所吉良邸跡(本所松阪町公園)で、1年前に墨田区に寄贈された吉良上野介義央公座像がある。本所吉良邸跡前の道を西進、裏門から回向院に入り、鼠小僧次郎吉の墓などの史跡記念墓地、相撲関係石碑群<力塚>などを通り、回向院前の両国二丁目交差点で京葉道路(国道14号)を渡り、国技館通りへ進む。
国技館通りを北上、JR総武線の両国駅、夏場所前日の両国国技館と経て、南門から旧安田庭園に入る。円形ドームの両国公会堂、心字池を見つつ正門から出て、旧安田庭園前交差点から東京都慰霊堂(横網町公園)へ進む。慰霊堂、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑などを見て正門で左折、清澄通りへ出て北上、石原一丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ入る。
蔵前橋通りを東進すると、東京スカイツリーがだんだん大きくなり、石原二丁目交差点、三ツ目通りを渡る石原三丁目交差点、大横川親水公園に架かる報恩寺橋、太平一丁目交差点と進み、太平四丁目交差点で四ツ目通りを渡る。横川に架かる天神橋を渡り、亀戸天神社に入るが、花が全くない藤棚の間を歩く参拝客の長蛇の列を見て、引き返した。藤棚の上に東京スカイツリーが見える太鼓橋は新たな撮影スポットである。蔵前橋通りを戻り、太平四丁目交差点で左折、四ツ目通りへ入り、錦糸公園外れの半蔵門線錦糸町駅に至る。
東京スカイツリーと満開の隅田公園の桜巡り(H24-04-10)
京成本社ビルの裏に東京スカイツリーがわずかに見える駅前が整備された京成押上駅から、押上駅前交番東交差点で右折、押上通りへ出る。京成橋北詰で右折、東京スカイツリーやイーストタワーが目の前の北十間川沿い遊歩道を歩く。一ヶ月後の開業に備え、工事が進められているため、フェンスで近づけないが十分楽しめる。遊歩道には桜の若木が植えられて花も咲いているが、痛々しい感じである。おしなり公園を出て、業平橋駅前交差点で右折、言問通りに出るとすぐにとうきょうスカイツリー駅と改称された旧業平橋駅である。
言問通りを歩き、言問橋東交差点で左折、三ツ目通りへ入ってすぐに牛嶋神社がある。牛嶋神社は隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の北側にあり、明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いている三輪鳥居と呼ばれる珍しい鳥居がある。神社の鳥居を出ると汐入の池で、桜の木の上に東京スカイツリーが聳え立つ。満開の桜のアーチを南下、明治天皇行幸所の碑を過ぎて出口から出て墨堤通りを渡り右折、隅田公園(隅田川東岸)に進む。
隅田公園(隅田川東岸)は若木の西岸に比べ桜は老木で、満開の桜は見応えがある。ただ東岸は墨田川の堤防に造られているため狭く、ビニールシートを引いての宴会は出来ない。また西岸同様屋台は禁止されている。言問橋下交差点で言問通りの言問橋に入り、東京スカイツリーや墨田川を遡上する水上バスを眺めつつ、隅田公園(隅田川西岸)に進む。東岸に比べ若木であるが、道幅があるため花見の宴を楽しむ人々を見つつ、桜のアーチを南下、水上バス乗り場がある吾妻橋西詰に着く。東京スカイツリーやアサヒビールタワーなどが見える有名な撮影ポイントである。そこから吾妻橋交差点っを過ぎ、浅草駅に至る。
東京、横浜の紅葉・黄葉名所巡り 3部作 #1 東京 下町散策(谷中~浅草~錦糸町)(H23-11-16)
東京メトロ千代田線の千駄木駅から団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)へ進み、次の交差点で左折、よみせ通りへ入る。よみせ通りの半ばで右折、谷中ぎんざへ入り東進、夕やけだんだんを上って御殿坂の経王寺、紅葉の桜並木と経て、日暮里駅旧駅舎西口横の階段を上る。
日暮里駅西口から谷中霊園に入り、紅葉の桜並木の小道の先の突き当りを左折、天王寺に着く。ここから谷中霊園のメインストリートであるさくら通りの紅葉の桜並木を南下、天王寺五重塔跡、都道神田白山線との合流点を経て、上野桜木交差点で言問通りを渡る。
上野桜木交差点から、狭い路地を通り広い都道神田白山線へ出て、東京藝術大学、旧東京音楽学校奏楽堂と過ぎて紅葉の上野公園を歩く。竹の台広場(大噴水広場)や東京都美術館は工事中で、白いフェンスで覆われている。上野動物園を過ぎ、改修工事中の大噴水広場で右折、紅葉の桜並木を南下、五條天神社前で左折してすぐ先の摺鉢山古墳前広場で右折、清水観音堂、西郷銅像と経て公園入口へ向かう。
上野公園前交差点で右折、中央通りへ入り、上野駅を通り昭和通りの上野駅交差点で右折、浅草通りへ進む。下谷神社を過ぎ、稲荷町交差点で清洲橋通り、菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街を渡り、寿四丁目交差点で左折、国際通りへ進む。雷門一丁目交差点で右折、東京スカイツリーを正面に見ながら雷門通りを東進、雷門吾妻橋交差点を渡り、浅草通りへ入る。
隅田川に架かる吾妻橋から東京スカイツリーを見た後、吾妻橋東詰交差点で左折、リバーピア吾妻橋へ進み、隅田公園の紅葉した桜並木、墨田区役所、東京スカイツリー、勝海舟(安芳)像を見ながら墨田区役所前交差点で左折、墨堤通りへ進む。枕橋を渡って東武伊勢崎線の高架を過ぎた右手にある隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)に至る。緑道には藤田東湖の「天地正大気」の漢詩碑があり、紅葉した桜並木、東京スカイツリーを見つつ、明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いており、三輪鳥居と呼ばれる鳥居で有名な牛嶋神社の東口から出て左折、三ツ目通りへ進む。
三ツ目通りの言問橋東交差点で右折、言問通りへ入り、向島三丁目交差点、向島一丁目交差点、東武伊勢崎線業平橋駅と歩くにつれ、大きくなっていく東京スカイツリーを見ながら、北十間川に架かる東武橋を渡る。北十間川の南側道路から東京スカイツリーを見つつ、突き当りの北十間川に架かる京成橋で右折、押上通りへ進み、押上駅前交差点で浅草通りを渡り、四ツ目通りへ至る。
四ツ目通りを南下、横川交番前交差点で春日通りを渡り、オリナス・タワーが聳える太平四丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ入り東進、横十間川に架かる天神橋を渡って亀戸天神社の菊まつりを楽しむ(次ページに整理)。蔵前橋通りを戻り、太平四丁目交差点で左折、四ツ目通りを下り、美しく紅葉した桜並木だが、残念ながら整備工事のフェンスに遮られている錦糸公園を過ぎ、錦糸公園前交差点で右折、北斎通りへ進み次の交差点で左折、錦糸町駅に着く。
亀戸天神社の大鳥居を通ってすぐの太鼓橋(男橋)から見た東京スカイツリーは見事で、続く太鼓橋(女橋)を渡ると本殿である。本殿に向かい左右の会場で菊まつりが行われており、右がメインで、中央には東京スカイツリーを模したものも飾られている。規模としては湯島天神などに比べ小ぶりではあるが、見事な作品が並ぶ。
下町散策(一葉記念館~鷲神社 二の酉~浅草寺)(H23-11-14)
日比谷線三ノ輪駅から日光街道の大関横丁交差点で左折、明治通りへ入り、三ノ輪二丁目交差点で直進、土手通りへ進む。土手通りの三ノ輪一丁目交差点で右折、住宅街を歩き、最初の信号で左折して直進、銭湯一葉泉の角で右折すると一葉記念館がある。この経路は分かりにくく、道案内がある国際通りからのほうが良い。一葉記念館前公園には一葉女史たけくらべ記念碑、菊池寛による追悼の碑がある。一葉記念館前を西進、床屋前で左折して飛不動前交差点を過ぎると飛不動尊に着く。
飛不動尊から直進し、露店が建ち並ぶ鷲神社の裏道を南下、長國寺横の路地に入ると熊手を売る屋台が林立する。色々な熊手を眺めつつ、本堂やお守り受け所を過ぎて鷲神社入口に着く。鷲神社は神仏分離令により長國寺から独立したので、境内はつながっている。鷲神社の熊手を売る屋台は、長國寺よりも種類、数も多く、大型になっている。熊手はおもちゃのような小ぶりのものでも5~6千円であり、個人では大変である。鷲神社の小鳥居付近では、参拝客が屋台の熊手を見つつ、一寸刻みで社殿に向かう。流れに逆らってなんとか大鳥居から国際通りに出る。
さして広くない鷲神社に入りきれない参拝客が国際通りに並ぶ。テレビによれば今年の暴力団排除条例により、露天商の数も減り、規制によって歩道の両脇に並ぶ屋台もなくなったため、広い歩道全てが解放されて歩きやすい。千束一丁目交差点を過ぎ、西浅草三丁目交差点で左折、言問通りへ入って最初の交差点で右折、ひさご通りを南下、江戸下町伝統工芸館を経て花やしき出口に着く。ひさご通りに入った、と思ったらすぐ花やしき側の出口が見えてくる。
街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている花やしき通りを歩き、浅草寺に入る。お守り受け渡し所裏の復元された迷子しるべ石、五重塔、本堂、宝蔵門を見た後、仲見世通りを南下、雷門前で左折して新仲見世通りに進み、浅草駅に至る。
西日暮里から巡る歴史と人情香る下町散策(H23-11-03)
西日暮里駅から道灌山通り(都道457号)を進み、西日暮里五丁目交差点で尾久橋通りを渡り、水泳の北島康介選手の実家前を過ぎて、宮地交差点で斜め右下に右折、尾竹橋通り(都道313号)へ入り南東に歩く。三河島駅手前で左折、荒川仲町通り商店街へ入り、いかにも下町らしい商店街が延々と続く。突き当りの荒川一丁目交差点で右折、明治通りを南東に進み、大関横丁交差点で日光街道を渡る。
明治通りの大関横丁交差点を過ぎてすぐの目黄不動(永久寺)は、初めて公開されており、参加者から歓声が上がった。三ノ輪二丁目交差点で左折して東進、泪橋交差点で右折して吉野通り(都道464号)を下り、東浅草二丁目手前のコンビニ ポプラ手前で左折して玉姫稲荷神社に立ち寄る。吉野通りの東浅草一丁目交差点で左折、東進して今戸一丁目交差点で右折、石浜通りへ進み、今戸神社参拝後に今戸神社前交差点で石浜通りを渡り、小道を東進する。
突き当りの隅田公園リバーサイド スポーツセンターで左折し、テニスコート脇から桜橋へ向かう。Xの形状の桜橋の交差部分で戻り、平成中村座ができた山谷堀広場から橋場通りに出る。待乳山聖天を経て、言問橋西交差点で右折、言問通りへ進み馬道交差点で馬道通りを渡る。
浅草寺で開催準備中の時代祭風景を見た後言問通りに戻り、雷5656会館、ひさご通り入口と経て、西浅草三丁目交差点で国際通りを、金竜小学校前交差点でかっぱ橋道具街通りを、入谷交差点で昭和通りを渡る。さらに根岸一丁目交差点、鶯谷駅前交差点と過ぎ、突き当りで階段を上り、JR跨線橋の寛永寺橋を渡る。言問通りをさらに西進、上野桜木交差点、谷中六丁目交差点と進み、善光寺坂を下って根津一丁目交差点で右折、不忍通りへ至る。
不忍通りを北上、根津神社入口交差点で左折して根津神社に入る。神橋、楼門、唐門、透塀、社殿と過ぎて西参道入口から日医大つつじ通りへ出て千駄木二丁目交差点で左折、不忍通りへ進む。団子坂下交差点で右折、都道神田白山線(三崎坂)へ入り、次の交差点で左折、よみせ通り商店街へ至る。わくわく大感謝祭で賑わうよみせ通り商店街を歩き、延命地蔵尊を参拝後、道灌山通り(都道457号)で西日暮里駅に着く。
御徒町駅から行く秋の下町ハイキング(H23-10-02)
御徒町駅(北口)から春日通りへ出て東進、台東四丁目交差点で昭和通りを渡り、元浅草一丁目交差点手前のつくばエクスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅の横に佐竹商店街の入口がある。秋田藩佐竹家の江戸屋敷跡に、明治に人って見世物小屋や飲食店の屋台などが並んだのが始まりという。
佐竹商店街を南下、佐竹通り南口交差点で右折、清洲橋通りへ入り鳥越一丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ入り東進、鳥越神社に至る。日本武尊が東征の折に駐在し、前九年の役の際、源頼義・義家がこの地で白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り隅田川を渡ることができたことから、鳥越大明神と名付けられた。
蔵前橋通りを東進、蔵前一丁目交差点で江戸通りを渡り、「蔵前」という町名の由来である浅草御蔵跡碑の先で東京スカイツリーを見つつ蔵前橋を渡る。横網町公園に入り、震災時の猛火と熱風で溶解した遺構や東京都慰霊堂などを見た後入口で左折、清澄通りへ進み北上、本所一丁目交差点で左折、春日通りへ入り、厩橋東詰交差点で右折、隅田川緑道公園(隅田川テラス)へ至る。
厩橋から隅田川緑道公園(隅田川テラス)を北上、駒形橋、吾妻橋と過ぎて吾妻橋東詰交差点で浅草通りを渡り、リバーピア吾妻橋へ入る。台東区役所のうるおい広場に立つ勝海舟(安芳)像を見た後、墨田区役所前交差点で左折、墨堤通りへ進み、川面に映る東京スカイツリーで有名な枕橋の先の隅田公園(旧水戸藩下屋敷
小梅邸)に入る。間近に見える東京スカイツリー、明治天皇行幸所の碑、汐入の池、黄葉し、落葉が目立つ桜並木と経て、三輪鳥居で有名な牛嶋神社から言問通りに出て言問橋西交差点手前で左折、隅田公園へ至る。
隅田公園西岸を南下、浅草通りの吾妻橋西詰にある水上バス乗り場から雷門通りに入り、雷門を経て雷門一丁目交差点で右折、国際通りへ進む。浅草ROXを過ぎ公園六区入口交差点で左折、かっぱ橋本通りへ出て西進、合羽橋交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ入り南下、菊屋橋交差点で右折、浅草通りへ至る。
浅草通りを西進、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、赤い大鳥居が目印で寄席発祥之地の碑、正岡子規句碑がある下谷神社に寄る。上野駅交差点で左折、昭和通りへ入りすぐ歩道橋で横断し、中央通りで山手線高架下を進み左折、アメ横へ進む。春日通りを渡り、一体いつになったらゴールだろうか、と思うほど歩かされ、蔵前橋通り手前で左折、ゴールのガード下に新しく開業した御徒町2k540に至る。
都営バス 夢の下町バス(経路変更)(H23-07-20)
夢の下町バスは、東日本大震災直後から運行休止していたが、7月20日に経路、運行形態を変更して再開した。路線は東京スカイツリー経由で両国行きと錦糸町行きとに分かれ、上野松坂屋前が始発となる。錦糸町行きが中心となり、従来の東京駅~両国は土休日の4便だけとなる。夢の下町は、都営の観光バスであるが、扱いは急行の路線バスで、料金は通常の200円と同じで、格安である。
(錦糸町ルートH230829)
向かいに上野松坂屋南館がある始発の上野松坂屋前バス停から中央通りを北上、上野広小路交差点で春日通りを、上野恩賜公園がある上野公園前交差点を渡り、京成上野駅前の#2上野公園山下バス停に至る。上野駅の不忍口、広小路口と過ぎて、上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。
浅草通りを東進、赤大鳥居の下谷神社前を通り、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、#3菊屋橋バス停の先の菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で左折、国際通りへ入り、雷門1丁目交差点で右折、雷門通りへ進んですぐに#4浅草一丁目バス停がある。雷門通りを東進、#5浅草雷門バス停の先に雷門があり、更に進んで吾妻橋交差点に至る。
東京スカイツリーを見つつ吾妻橋を渡ると#6リバーピア吾妻橋前バス停で、浅草通りの吾妻橋一丁目交差点を過ぎ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、間近に迫る東京スカイツリーを見つつ業平橋、業平一丁目交差点を過ぎると#7業平橋バス停である。ビルの間から見える東京スカイツリーを見ながら浅草通りを進み、#押上バス停に着く。このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。
押上駅前交差点で右折、四ツ目通りへ入り、横川交番前交差点で春日通りを、太平四丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。太平四丁目交差点で左折して蔵前通りを約10分歩くと亀戸天神で、両国行きはこの交差点で右折、隅田川手前の石原一丁目交差点で左折、清澄通りに入って両国に向かう。四ツ目通りのオリナス・コア、オリナス・タワー、オリナス・モール、錦糸公園と過ぎて、錦糸公園前交差点で右折、北斎通りへ入るすぐの錦糸町駅北口広場に終点錦糸町駅前バス停がある。
(両国ルートH230831)
丸の内オアゾの丸の内ホテル前に始発の東京駅丸の内北口バス停があり、丸の内一丁目交差点で右折、永代通りへ入る。経営統合で内幸町の新日石ビルからJXビル前に移設された金色のプロメテウス像前を過ぎ、呉服橋交差点で外堀通りを渡り、日本橋交差点で左折、中央通りへ進む。東京都の紋章を持つ獅子像や麒麟像がある日本橋を渡って、#2日本橋三越バス停に至る。
中央通りを北上、国の重要文化財である中央三井信託銀行(三井本館)の周囲には、三井グループの日本橋活性化プロジェクトの一環で建てられたCOREDO室町、三井記念美術館、日本橋室町野村ビルが並ぶ。室町3丁目交差点で江戸通りを渡り、神田駅手前の新設の#3神田駅前バス停を過ぎ、須田町交差点で靖国通りを渡る。神田川に架かる万世橋南詰に#4須田町バス停があるが、秋葉原電気街で歩行者天国がある場合は、須田町交差点で右折、昭和通り、神田川北岸を西進して万世橋の北詰にある千代田万世会館横の万世橋バス停に停まる。
中央通りの秋葉原電気街を北上、ビルの壁面は萌え~系のイラストで覆われ、電気部品とハンダゴテは古すぎるが、パソコンで賑わった秋葉原の面影はない。8階にAKB48劇場があるドン・キホーテ秋葉原店を過ぎ、外神田五丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。上野三丁目交差点を経て、黒門交番の先の赤看板の中央三井信託銀行前に#5上野松坂屋前バス停がある。
中央通りを北上、上野広小路交差点で春日通りを、上野恩賜公園がある上野公園前交差点を渡り、京成上野駅前の#2上野公園山下バス停に至る。上野駅の不忍口、広小路口と過ぎて、上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ進む。 浅草通りを東進、赤大鳥居の下谷神社前を通り、稲荷町交差点で清洲橋通りを渡り、#7菊屋橋バス停の先の菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡る。寿四丁目交差点で左折、国際通りへ入り、雷門1丁目交差点で右折、雷門通りへ進んですぐに#8浅草一丁目バス停がある。雷門通りを東進、#9浅草雷門バス停の先に雷門があり、更に進んで吾妻橋交差点に至る。
東京スカイツリーを見つつ吾妻橋を渡ると#10リバーピア吾妻橋前バス停で、浅草通りの吾妻橋一丁目交差点を過ぎ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、大岡裁きのしばられ地蔵と業平伝説がある南蔵院跡の案内板を見て、間近に迫る東京スカイツリーを見つつ業平橋、業平一丁目交差点を過ぎると#11業平橋バス停である。更に浅草通りを進み、#12押上バス停に着く。このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。
浅草通りの押上駅前交差点で右折、四ツ目通りを南下、横川交番前交差点で春日通りを渡り、太平四丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ入る。錦糸町行きは、オリナス・タワーがある太平四丁目交差点を過ぎ、このまま四ツ目通りを直進する。蔵前橋通りを西進、東京スカイツリーが正面に見える太平一丁目交差点、大横川親水公園の報恩寺橋、三ツ目通りを渡る石原三丁目交差点を過ぎ、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入るとすぐ右手に東京都慰霊堂がある横網公園(旧陸軍被服廠跡)である。東京都慰霊堂では、翌日が関東大震災のあった9月1日なので,慰霊法要の準備がなされていた。
清澄通りの横網町公園前交差点で右折、関東大震災を記念し築地本願寺が建立した慈光院から東京都慰霊堂の三重塔が斜め向かいに見える。少し先に新設の#13都営両国駅前バス停があり、旧安田庭園の塀沿いを進み、突き当りを左折、国技館通りへ入り南下、両国公会堂、旧安田庭園前の舟橋聖一生誕記念碑、両国国技館、JR 両国駅と過ぎて、両国駅西口のガード下を進むと終点の両国駅前バス停に至る。
シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス 分割 浅草ライン(H23-07-14)
ニンニンパンダバスは平成20年12月の運行開始以来、度々運行経路を変更してきた。今年(平成23年)7月1日に2年半で3度目の経路変更を行い、浅草界隈を周回する浅草ラインと、上野、御徒町界隈の上野ラインに分割した。両者はROX前を共通始発とするため、浅草ラインは従来の逆の右回りとし、経路も大幅に縮小、分かりやすくなった。バス停数は12で、50分周期で運行する。
一方で、以前からの問題だが、あるべきバス停が突然なくなる、あるべきバス停が運用上設置されていない、案内図とバス停の位置が大きくずれているなどの顧客軽視の批判は免れない。
浅草ROXの向かいのROX前バス停を出て、国際通りを北上、浅草ビューホテル前の#2花やしき前バス停を過ぎ、西浅草三丁目交差点で右折、言問通りへ入る。千束通り交差点を過ぎ、雷5656会館角で左折、柳通りへ進み浅草三業会館(浅草見番)前の#3浅草見番バス停に至る。
柳通り一帯は秋田の本庄藩主六郷邸があり、名勝の地象潟から浅草象潟町は名付けられた。象潟に因み、柳通りには松尾芭蕉の奥の細道の句碑や、地元出身の浜口京子の北京オリンピックでの銅メダル獲得記念オリーブなどがある。柳通りから右折して一葉桜・小松橋通りへ出て、#4奥浅草観光案内所バス停、浅草警察署、浅草のお富士さんと言われる浅間神社を過ぎ、浅草五丁目交差点で馬道通りを渡り、浅草五丁目交差点で右折、吉野通りへ出る。
南下し、言問橋西交差点手前で左折、待乳山聖天横を歩き、突き当りを左折、石浜通りへ進み北上、山谷堀公園の今戸橋、北めぐりんの#4リバーサイド スポーツセンター前バス停と過ぎ、今戸神社に着く。
今戸神社は招き猫発祥の地であり、沖田総司終焉の地であるが、#5今戸神社バス停は、社殿前から石浜通りの鳥居前に移設されたので、注意が必要である。
石浜通りを北上、今戸一丁目交差点で右折し突き当たりで右折、橋場通りへ進み、台東リバーサイドスポーツセンター沿いに南下する。裏に桜橋がある陸上競技場、山谷堀公園の今戸橋を過ぎて待乳山聖天の向かいに#6桜橋バス停がある。案内図では陸上競技場前にあるはずだった。東京スカイツリーがきれいに見える言問橋西交差点で言問通りを渡り、江戸通りへ入り、#7花川戸バス停、東参道交差点と経て東武浅草駅のガード下を突き抜け、浅草二丁目交差点で右折、馬道通りを北上して#8二天門本店に至る。
馬道通りを北上、馬道交差点で右折、言問通りへ入る。言問橋西交差点、隅田公園西岸と過ぎ、正面に東京スカイツリーを見つつ、隅田川に架かる言問橋を渡る。左に隅田公園、牛嶋神社と過ぎて、言問通りを東進、言問橋東交差点、向島三丁目交差点、向島一丁目交差点と東京スカイツリーが次第に近づき、東武伊勢崎線業平橋駅に着く。今は閑散とした北十間川に架かる東武橋から東京スカイツリーを見た後、業平一丁目交差点で右折、浅草通りへ進む。
浅草通りに入り、以前の東京スカイツリーバス停同様、#9業平橋は設置されておらず、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡り、吾妻橋一丁目交差点で右上の細道を進んでリバーピア吾妻橋を過ぎ、隅田川に架かる吾妻橋を渡る。吾妻橋西詰めにある地下鉄浅草駅出入口の前に#10水上バスのバス停がある。
雷門通りを進み、雷門交差点手前にある#11雷門バス停、浅草一丁目交差点と経て、浅草庶民文化資料館である#12三十坪の秘密基地バス停、久保田万太郎生誕の地碑と過ぎ、雷門一丁目交差点で右折、国際通りへ入るとファミリーマート 西浅草一丁目店の外壁に仁丹塔跡碑があり、終点ROX前バス停に至る。
東京、横浜の桜並木探訪 4部作H2304第1部 谷中霊園~上野公園~隅田公園~東京スカイツリー散策(H23-04-07)
団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)の次の交差点で左折、よみせ通りへ入って途中で右折し谷中ぎんざへへ進む。谷中ぎんざを東進、夕やけだんだんを上って、彰義隊をかくまったため、官軍の弾痕が山門に残る経王寺、桜並木の御殿坂の月見寺(本行寺)と経て、日暮里駅旧駅舎西口に着く。
日暮里駅西口の谷中霊園入口から満開の桜並木の小道を進むと、丈六仏の銅造釈迦如来坐像、枝垂れ桜が有名な天王寺に着く。そこから満開のさくら通りを歩き、天王寺五重塔跡を経て、都道神田白山線と合流し、上野桜木交差点で言問通りを渡る。
上野桜木交差点から、広い都道神田白山線へ入ると大学美術館などの東京藝術大学のキャンパスで、満開の桜並木や、旧因州池田屋敷表門(黒門)、工事中の竹の台広場(大噴水広場)、東京国立博物館と過ぎて、国立科学博物館前で右折、別ページにまとめた国立西洋美術館を経て、東京文化会館前で右折する。満開の桜並木前を過ぎるとパンダ見物で大混雑の上野動物園で、入場券を買うのに長い列が出来ている。寛永寺の五重塔に行けないかな、と上野東照宮脇を歩いたが、鍵のかかった鉄柵に阻まれた。
国立西洋美術館の前庭には、美術の教科書にのるほど有名な彫刻が展示されている。ロダン作の考える人、カレーの市民、地獄の門、エヴァ、アダムと、ブールデル作の弓を引くヘラクレスである。それぞれの彫刻には、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で多くの美術品が被災した教訓から、免震化対策も行われている。
大石鳥居から上野東照宮に入り、花見の屋台が並ぶ満開の参道を歩いて、震災で立入禁止となっている銅燈籠、改修中の唐門を見物する。満開の桜並木は大勢の見物客で賑わい、公園口から出て、JR上野駅の不忍口に着く。中央通りの上野山下には、緊急支援の仙台行き高速バス乗り場があり、出発の打ち合わせをするボランティアの車列が出来ている。
昭和通りの上野駅交差点で右折、浅草通りへ入り、稲荷町交差点で清洲橋通り、菊屋橋交差点でかっぱ橋道具街を渡り、寿四丁目交差点で左折、国際通りへ進んで雷門一丁目交差点で右折し、雷門通りを歩く。浅草寺雷門から仲見世通りを行き、宝蔵門を抜けて本堂、浅草神社を参拝して二天門から出る。浅草寺御水舎脇から東京スカイツリーが見える。
正面に東京スカイツリーを見つつ、二天門前交差点で馬道通りを渡り、台東区民会館横を進んで、東参道交差点で江戸通りを渡り、隅田公園西岸へ入る。東京スカイツリーを右手に見ながら満開の桜並木を上流に歩く。隅田公園の桜並木は、古木が多く立派な東岸に比べ、西岸は若木のため、迫力に欠ける。東京スカイツリーに向かって行くような感じで隅田川に架かる言問橋を渡り、東詰から隅田公園へ下りる。
隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の満開の桜並木を歩き、本殿前の全国でも数少ない三輪鳥居がある牛嶋神社、汐入りの池、明治天皇行幸所の碑を見て出口から右折、三ツ目通りへ出る。北十間川に架かる源森橋から東京スカイツリーを見て、吾妻橋交番前交差点で左折、浅草通りへ入り、屈指の東京スカイツリー撮影ポイントの大横川親水公園を経て、業平一丁目交差点で左折、言問通りへ進む。
言問通りの東武橋から東京スカイツリー、工事中の北十間川遊歩道を見た後、計画の634mに達した東京スカイツリーを見つつ歩く。あの大混雑はどこに行ったのか、と思うほど最も賑わっていたポイントでも観光客はごく少ない。押上通りの北十間川に架かる京成橋を渡り、改装中の押上駅に向かう。
シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス経路変更・延伸(H22-11-30)
ニンニンパンダバスは今年(平成22年)9月1日から路線を延伸し、従来の浅草寺界隈から入谷(鷲神社)、上野(かっぱ橋道具街)、押上(東京スカイツリー)まで範囲が広がった。さらに11月25日から、浅草警察署脇に奥浅草観光案内所にバス停を設け、経路を大きく変更した。このため、従来花やしきを通っていたが、国際通りにバス停が移設された。また、人気の東京スカイツリーは、観光客が多いため、正規のバス停を設けられず、業平一丁目交差点付近での一時停車で対応している。(二天門本店で係員に確認)
二天門本店から、馬道通りの二天門前交差点で右折、台東区民会館横を進み東参道交差点で左折、江戸通りへ入る。言問橋西交差点で言問通りを渡り、石浜通りへ進み、待乳山聖天、リバーサイド スポーツセンターと過ぎて、山谷堀公園の今戸橋に至る。
石浜通りのリバーサイドスポーツセンターの先の二股路で左に進み、今戸神社に着く。浅草名所七福神の福禄寿である今戸神社は、招き猫発祥の地であり、沖田総司終焉の地でもある。社殿手前にニンニンパンダバスのバス停が設けられ、境内には今戸焼発祥之地碑がある。今戸一丁目交差点で左折し、会社や商店が並ぶ道を西進、東浅草一丁目交差点で吉野通りを渡り、山谷堀公園の山谷堀橋を過ぎて突き当りを左折し、馬道通りへ進む。
馬道通りを南下、浅草一丁目交差点で右折、一葉桜・小松橋通りへ入り、浅草警察署前交差点を過ぎると新設の奥浅草観光案内所があり、先の角で左折、柳通りへ進む。浅草三業会館(浅草見番)、雷5656会館と経て、浅草寺病院前交差点で右折、言問通りへ入る。このため、従来と違い、花やしきには入らない。「三業」とは、
芸妓衆の屋形である置屋、遊びの場を提供する料亭、料理を供する割烹料亭の三業種を言う。浅草見番界隈には奥の細道の各地の句が書かれた案内板があり、由来は「松尾芭蕉象潟の句碑」建立由来に書かれている。
言問通りの西浅草三丁目交差点手前のひさご通り入口で右折、千束通りへ入り北上、浅草四丁目交差点で左折して、一葉桜・小松橋通りへ進む。千束三丁目交差点で右折、せんわ通りを直進して酒販店かくやす前を進み、せんわ通りの吉原弁財天前で左折する。湿地だった吉原弁財天一帯は、遊廓造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られた。
せんわ通りの吉原弁財天前で左折し、すぐ二股路で右折して鷲神社、長国寺の裏手を北上、突き当たりの五差路を左折する。直進すると飛不動があり、近くの家には第1回「あしたのジョー」のふるさと祭りのポスターが貼られている。あしたのジョー(矢吹丈)は、山谷の泪橋脇の丹下段平のジムで練習したことになっている。
突き当りの西徳寺前交差点で左折、国際通りへ出ると、浅草「酉の市」発祥の寺 長国寺の隣に鷲(おおとり)神社がある。酉の市では熊手を売る店で一杯となる広い駐車場があり、正岡子規の句碑、樋口一葉文学碑、樋口一葉 玉梓乃碑が境内にある。
国際通りを南下し、千束一丁目交差点を過ぎ、西浅草三丁目交差点で言問通りを渡り、向かいに浅草ビューホテルがあり、経路変更で移設された花やしきバス停に着く。バス停の少し先で左折すると、花やしき通り入口がある。公園六区入口交差点、ROXビルと経て、雷門一丁目交差点で右折、菊水通りへ進み、東本願寺裏を西進し合羽橋南交差点で右折、かっぱ橋道具街通りへ入る。かっぱ橋道具街を北上して合羽橋バス停に至る。
西徳寺前交差点で左折、国際通りへ入るとすぐに浅草「酉の市」発祥の寺である長国寺がある。明治初年の神仏分離令で長国寺の一部が新たに分割、酉の市の鷲(おおとり)神社となった。大熊手が飾られた鳥居から鷲神社に入ると、1ヶ月後の酉の市の露店設営が進められている。
千束一丁目交差点で左折、せんわ通りへ入り東進、千束三丁目交差点で左折し、一葉桜・小松橋通りへ進み、浅草四丁目交差点で千束通りを渡る。浅草警察署前交差点手前の信号もなく、名前もない交差点で右折、柳通りを南下して浅草見番に向かう。目標となるものがないため、分かりにくい。
浅草寺病院前交差点で言問通りを渡り、浅草寺裏のはとバス専用駐車場、銭塚地蔵堂を過ぎて花やしき通りに入る。花やしき通りは街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている。浅草六区ブロードウェイを経て、浅草ビューホテル前で左折、国際通りへ出る。
国際通りを南下し、公園六区入口交差点、ROXビルを過ぎる。雷門一丁目交差点で右折、菊水通りへ入り、合羽橋南交差点で右折、かっぱ橋道具街通りへ出て北上する。合羽橋交差点で右折し、正面に東京スカイツリーを見つつ、かっぱ橋本通りを歩き、公園六区入口交差点で右折、国際通りへ戻る。再びROX前バス停を過ぎ、雷門一丁目交差点で雷門通りを渡り、田原町駅前バス停に着く。
かっぱ橋道具街の合羽橋交差点で右折、かっぱ橋本通りへ入り、正面に東京スカイツリーを見つつ歩き、公園六区入口交差点で右折、国際通りへ戻る。ROX前を歩き、雷門一丁目交差点で雷門通りを渡り、ホテルサンルート浅草に隣接するリフォーム会社脇で左折する。突き当りを左折、並木通りへ入ると、はとバス乗り場後ろの電柱の陰に小さな雷門バス停がある。吾妻橋方向には東京スカイツリーが聳え立つ雷門交差点で右折、雷門通りへ至る。
吾妻橋交差点で江戸通りを渡り、吾妻橋西詰めにある水上バス乗り場を過ぎ、吾妻橋から見える東京スカイツリーやリバーピア吾妻橋を楽しみつつ、吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡る。業平橋手前から東京スカイツリーがはっきりと見え出し、業平一丁目交差点で左折、言問通りへ入り、北十間川に架かる東武橋から東京スカイツリーを堪能した後、東武伊勢崎線 業平橋駅に着く。
二天門本店の係員によれば、観光客で大混雑しており、東京スカイツリーの正規のバス停は設置できない。従って、言問通りの業平一丁目交差点から東武橋間で適宜乗客を乗降させる。
言問通りを歩き、向島一丁目交差点、向島三丁目交差点と過ぎ、言問橋東交差点で三ツ目通りを渡る。牛嶋神社(隅田公園)沿いに西進、東京スカイツリーがきれいに見える言問橋を渡り、言問橋西交差点で左折、江戸通りへ進む。江戸通りを南下し、東武浅草駅下をくぐりぬけ、突き当りの浅草二丁目交差点で右折、馬道通りへ入り、ニンニンパンダバスの終点である二天門本店に戻る。どう見ても犬にしか見えないが、天井には遊具を模してハンドルが付いているニンニンパンダバスが二天門本店前に停まる。
江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2109 第1部 小塚原~両国~伝馬町(H22-11-02)
江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第1部として江戸、東京の事件、災害、刑場のメインと言える刑場(小塚原、伝馬町牢屋敷)、災害(関東大震災、東京大空襲)、事件(投込寺(浄閑寺)、本所吉良屋敷)、回向院(両国、小塚原)をテーマとし、三ノ輪駅点から南千住に出て吉野通りを南下、言問通りに入り東京スカイツリーを見た。その後、三ツ目通り、蔵前橋通りを経て、清澄通りで旧陸軍被服廠(横網公園)、本所吉良屋敷、回向院と歩き、江戸通りから十思公園(伝馬町牢屋敷跡)に着いた。
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ入って次の小路を右折すると、すぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。安政2年の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れた縁で文学碑が建てられた。ただ、本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が撮りにくい。正面に東京スカイツリーを見つつ、浄閑寺の白塀沿いに東進、南千住二丁目交差点で左折、吉野通りへ進み、南千住駅前歩道橋に至る。
南千住駅前歩道橋を渡り、左手前の階段を下りると小塚原処刑場跡(延命寺)である。小塚原回向院は両国の回向院が手狭になったために建てられたもので、常磐線建設により南北に分けられ、刑場跡は線路脇に首切地蔵がある延命寺となっている。延命寺は、境内、墓地改修工事で雑然とし、首切り地蔵がかすかに見える。首切地蔵は、刑死者の菩提をとむらうため寛保元年に造立された。
回向院入口の壁には、明和8年の蘭学者杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが、刑死者の解剖に立ち合ったことによる観臓記念碑がある。墓地は整備されて右に史跡参拝所が設けられ、入口から2.26事件の磯部浅一元大尉夫妻、相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓がある。奥には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。
現在の高さは497mの東京スカイツリーを見つつ、吉野通りを南下、泪橋交差点で明治通りを渡る。北めぐりんが横断する東浅草二丁目交差点の次の無名の交差点で、靴ひもの株式会社マモル脇で右折すると正面に江戸六地蔵の東禅寺がある。次の東浅草交番前交差点は、浅草地区を周回する無料のニンニンパンダバスが横断し、山谷堀公園の吉野橋を経て、言問橋西交差点で左折、言問橋へ向かう。
現在の高さは497mの東京スカイツリーを正面に見つつ言問橋を渡り、言問通りを牛嶋神社沿いに東進する。言問橋東交差点、向島一丁目交差点、東武伊勢崎線 業平橋駅と過ぎて、東京スカイツリー撮影スポットとして名高い北十間川に架かる東武橋に至る。業平一丁目交差点で左折、浅草通りへ出て、業平橋、大横川親水公園と経て、本所吾妻橋交差点で左折、三ツ目通りへ進む。
三ツ目通りを南下、本所三丁目交差点で春日通りを渡り、石原三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ進み、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入る。旧陸軍被服廠(横網町公園)は、関東大震災で約4万人がこの地で焼け死んだため、震災慰霊堂が作られ、合わせてその後の復興を記念する復興記念館も建てられた。震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱などが展示されている。清澄通りを南下し、日大一中、一高、江戸東京博物館と過ぎて、緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ進む。
京葉道路を西進、関東大震災殉職者慰霊碑がある本所警察署の先の両国三丁目交差点で左折、平成22年元禄市のポスターや両国小学校前の芥川龍之介文学碑(杜子春)を見て、両国玩具株式会社脇で右折、すぐ右に旧吉良邸の本所松阪町公園の白壁が見える。昭和9年に地元町会の有志が、世に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付した。
突き当りを右折し、京葉道路へ出て旧国技館の両国シティコアの隣に両国回向院がある。天保4年からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれたことに因み、力塚など相撲関係石碑群があり、左奥の史跡記念墓地には鼠小僧供養墓がある。日露戦争の満州軍総司令官大山巌元帥書の表忠碑がある両国橋東詰めに至る。
京葉道路を西進、隅田川に架かる両国橋を、浅草橋交差点で清杉通りを渡り、浅草橋交差点で左折、江戸通りへ進む。馬喰横山の繊維問屋街、馬喰町一丁目交差点、馬喰町交差点と過ぎて小伝馬町交差点で右折、人形町通りへ入る。交差点のすぐ先に伝馬町牢屋敷跡の十思公園があり、その前に処刑者慰霊の大安楽寺がある。十思公園には、刑死した松陰先生終焉之地碑、吉田松陰の辞世の歌碑や、石町の時の鐘がある。
シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス路線延伸(H22-10-11)
ニンニンパンダバスは今年(平成22年)9月1日から路線を延伸し、従来の浅草寺界隈から入谷(鷲神社)、上野(かっぱ橋道具街)、押上(東京スカイツリー)まで範囲が広がった。又、従来花やしきを起点としていたが、今回は二天門本店が起点と改められ、二天門本店、東京スカイツリーでは全員乗り換えるなど、運用の変更がなされ、バス停も見やすく改善されている。公式ホームページがないため、バス停が見つけにくい所があり、無料シャトルバスなので区間によっては混雑している。尚、二天門「本店」となっているが、2階建ての観光案内所である。
住吉、錦糸町、東京スカイツリー、浅草寺ほおずき市散策(H22-07-09)
東京スカイツリーは押上駅脇にあるので、四ツ目通りを北上すれば、段々大きくなるはず、と思い、住吉駅から錦糸町駅を経て、押上駅まで歩く。名前の由来となった四之橋、錦糸町駅、錦糸公園、オリナスを過ぎ、右折すると亀戸天神に行く太平4丁目交差点で蔵前橋通りを渡る。この交差点でやっと東京スカイツリーの頭がかろうじて見える。業平三丁目交差点で一瞬みえた後、浅草通りと交差する押上駅前交差点でやっと東京スカイツリーをはっきり見ることが出来る。
押上駅手前の撮影ポイントとして人気の京成橋で左折、北十間川沿いに歩き、段々大きく、高くなる東京スカイツリーを見つつ歩く。低層棟工事も始まり、道路沿いには工事概要説明、工程表、周辺案内図など見物客への配慮がなされている。高さは398mとなり、最も近い所では写真に全景を収めるのも難しくなる。さらに進み、撮影ポイントとして有名な言問通りの東武橋に至る。
言問通りを南下、業平一丁目交差点で右折、浅草通りへ入り、大横川親水公園を過ぎて吾妻橋交番前交差点で右折、三ツ目通りへ進む。大横川親水公園や、三ツ目通りの源森橋から東京スカイツリーがきれいに見える。
源森橋を渡って左折、隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)に入り北上、言問橋手前の牛嶋神社に着く。隅田公園の汐入りの池沿いを歩いて南下、明治天皇行幸所の碑を過ぎて墨堤通りへ出る。1875年(明治8年)、明治遷都後初の宮中花見の再開において、明治天皇は東京で初めて行う花宴の会場に、この墨堤の水戸徳川家小梅邸を選んだ。枕橋から東京スカイツリーを見た後墨田区役所に行く。
墨田区役所、アサヒビール本壮一帯のリバーピア吾妻橋は、越前福井藩松平氏などを経て秋田藩佐竹氏の屋敷として移りかわり、浩養園、佐竹の庭としてて一層有名になった。隅田公園のうるおい広場、アサヒビールタワーと過ぎ、隅田川に架かる吾妻橋を渡って吾妻橋交差点に着く。1ヶ月前に売り場を大幅縮小した浅草松屋前から新仲見世通りに入りを西進、右折して仲見世通りを北上する。
仲見世通りが終わり、宝蔵門までの間にほおずきの鉢を売る屋台が並ぶ。この日は参拝すると四万六千日分のご利益がある、と言われる功徳日である。ほおずき市との関係は、昔、赤とうもろこしを吊るしていた家だけが落雷の被害を受けなかったことから、四万六千日の縁日に合わせ、ほおずきが売られるようになった。このため、この日にだけ雷除のお守りが売られる。
平成大営繕中の本堂横の浅草神社前の広場には、ほおずき市の屋台が軒を連ねるが、反対側は工事足場のため数軒しか無い。宝蔵門を出て仲見世通りを南下、雷門を出ると吾妻橋方向に東京スカイツリーが見える。
下町情緒あふれる隅田川界隈と話題のスポットを訪ねて(H22-07-03)
都営地下鉄と西武鉄道との共催イベントで、新宿線馬喰横山駅の出入口から清洲通りに出て、東日本橋三丁目中央通りを通り、突き当りで左折、清杉通りへ進み北上、柳橋通り(薬研堀不動院参道)へ入る。ガソリンスタンド角で右折、神田明神の神幸祭で昼食休憩する薬研堀不動院に寄った後、柳橋通りに戻り、突き当りで京葉道路(靖国通り)を渡る。隅田川、両国橋が見える神田川の河口に架かる柳橋を渡って北上し、総武線ガードを潜り、すぐ右折して総武線鉄橋前で右折、隅田川テラスへ至る。
梅雨時の曇天で霞む東京スカイツリーを遠望しつつ隅田川テラスを上り、隅田川に架かる蔵前橋を渡って、国技館通りを南下する。丸いドームの両国公会堂脇で左折し、旧安田庭園を散策して国技館通りに戻り、両国国技館に着く。普段は入れない国技館脇の通用門が開いており、正面入口の相撲絵を見たり、相撲土産店に寄った後、JR両国駅に至る。
国技館通りを南下し、突き当りの両国二丁目交差点で京葉道路を渡り、回向院に入る。狭い境内はイベント参加者などでごった返し、鼠小僧次郎吉の墓などがある史跡記念墓地を通り、通用門を出て左折する。竪川に架かる塩原橋手前交差点を経て、狭小な吉良邸跡(本所松坂町公園)に着く。両国回向院、吉良邸跡(本所松坂町公園)は別サイトで詳細に紹介しているのでご覧いただきたい。卒業生の芥川龍之介の文学碑(杜子春)がある両国小学校の先に両国公園があり、左奥の角に勝海舟生誕之地碑がある。清澄通りに出て、緑一丁目交差点で京葉道路を渡り北上、江戸東京博物館に至る。
江戸東京博前交差点で右折、北斎通りへ入り、野見宿禰神社、三ツ目通りを渡る亀沢四丁目交差点と過ぎ、長崎橋で左折、大横川親水公園へ入る。だんだん近くなる東京スカイツリーを見つつ北上、法恩寺橋 蔵前橋通り下の横川橋を経て、平川橋横から通りへ出て、東駒形三丁目東交差点の本所消防署東駒形出張所を過ぎ、東駒形二丁目交差点で右折、区役所通りへ進む。区役所通りを北上、吾妻橋一丁目交差点で浅草通りを渡り、ここから墨堤通りに改称する。
墨堤通りを北上、北十間川に架かる枕橋から見た東京スカイツリーを見た後、少し戻って墨田区役所前交差点で右折、台東区役所うるおい広場の勝海舟(安芳)像、金色のアサヒビール タワー前を過ぎて、吾妻橋東詰交差点で浅草通りを渡り、隅田川テラスへ進む。駒形橋を過ぎ、階段を上り厩橋へ出て春日通りを西進、厩橋交差点で江戸通りを渡ってゴールの都営大江戸線蔵前駅に着く。
新春の門前仲町、水天宮、浅草散策(H22-01-09)
門前仲町交差点から永代通りへ入り東進、参拝客で賑わう深川不動尊に入る。松が開けているのに初詣をする人、家内安全や合格祈願など用途別に分けられた護摩木に必要事項を書いて焚くことを願うが人が多い。
庭球場脇の道を歩き、富岡八幡宮の裏参道に行くと、深川七福神として普段は閑散としている末社の恵比寿宮に参る人で賑わっている。富岡八幡宮本殿参拝の長い列を見つつ、大関力士像、伊能忠敬 日本測量出発地などを眺めながら大鳥居から永代通りに出て、門前仲町交差点に戻り、清澄通りへ進む。 門前仲町交差点から清澄通りを北上、南詰に採荼庵跡、松尾芭蕉像がある海辺橋を渡ると清澄庭園である。清澄庭園の入口は清澄通り沿いにはなく、狭い小道の清澄庭園・中村学園通りの奥にある。
清澄三丁目交差点で左折、清洲橋通りへ入ると北側には錣山部屋や、大鵬道場・大嶽部屋、北の湖部屋が並ぶ。清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ進むと読売新聞の建物脇に平賀源内電気実験の地碑がある。清洲橋はドイツケルン市のライン河に架かるつり橋をモデルとした優美な曲線をもち、関東大震災復興で架け直された。
清洲橋通りを進み、日本橋浜町Fタワー、トルナーレ日本橋浜町の高層ビルが建つ浜町中ノ島交差点で左折、新大橋通りへ入り、水天宮前交差点で左折、水天宮通りへ進んで階段を上ると安産の神様で有名な水天宮である。境内は初詣を兼ねた妊婦や乳児連れの家族の参拝で賑わっており、出産準備用品販売の露店も並ぶ。
水天宮前交差点で新大橋通りを渡り、人形町通りへ進むと昨年(平成21年)11月に設けられた人形町からくり櫓(からくり時計)があり、その先で右折、甘酒横丁に入る。浜町緑道を過ぎると明治座通りと名前は代わり、明治座が聳え立つ浜町公園前交差点で左折、清洲橋通りへと進む。
清洲橋通りを北上、東日本橋交差点で左折、さらに馬喰町交差点で右折、江戸通りへ入り、浅草橋交差点で靖国通りを渡る。この一帯は馬喰横山の繊維問屋街である。南詰に郡代屋敷跡の案内板がある浅草橋を渡ると、JR浅草橋駅の前後は雛人形が飾られた吉徳や久月などの人形商店が続く。
江戸通りを北上、蔵前二丁目交差点で左折、国際通りへと進む。寿三丁目交差点で春日通りから来る台東区の南めぐりんと同じコースを歩き、寿四丁目交差点で浅草通り、雷門一丁目交差点で雷門通りを渡る。
浅草ビューホテル前で右折、花やしき通りへ入り、六区ブロードウェイの端のパチンコ店前には小さくて見落としやすいが、浅草凌雲閣記念碑がある。家族連れで賑わう花やしきでは、道路沿いに設けられた大江戸ステージで、役人と女怪盗のアトラクションが行われていた。花やしきを通り抜けると平成の大営繕で白い覆いで囲われた本堂が見える。
平成の大営繕中の本堂を参拝後、右から恒例の猿回しが行われている浅草神社に向かう。本堂脇のお守り授与所の裏に迷子しらせ石標がひっそりとある。正月らしく虎の絵馬や宝船、獅子舞などの飾り付けがなされ、いつも以上に大混雑の仲見世を歩き、雷門から出て、都営浅草線の浅草駅に至る。
東京まちさんぽ 第3回 東京の今、昔を見つける秋の下町探訪(H21-11-28)
押上駅から四ツ目通りを北上、押上駅前交差点で浅草通りを渡り、京成橋から東京スカイツリーを見つつ、北十間川沿いを歩く。東京スカイツリーは、1年前には基礎工事が始められて影も形も無かったが、今は215mまで完成し、最終の634m(武蔵 六三四)の1/3に達している。東京タワーと違い、裾が少し膨らんだ高層ビルのように見える。東武橋を渡り、東武伊勢崎線の業平橋駅に着く。
言問通りを北上、言問橋東交差点で左折、三ツ目通りへ入ってすぐに牛嶋神社がある。貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建、江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られ、また本殿前には全国でも数少ない三輪鳥居がある。境内から隅田公園に入り、裸木に近い紅葉した桜並木の墨堤通りを北上し、桜橋を渡って隅田公園の西岸に至る。
桜橋から紅葉した桜並木の隅田公園(西岸)を南下、東京スカイツリーが遠望できる言問橋、水上バスのりばと過ぎて吾妻橋で右折、雷門に向かう。雷門交差点で左折、東西めぐりんや夢の下町バスが走る並木通りへ入り、駒形橋西詰交差点で左折、浅草通りへ出て、駒形橋に向かう。駒形橋西詰交差点には、「駒形」の名前の由来の一つとなった浅草寺の駒形堂がある。
駒形橋を渡り隅田川東岸の隅田川テラスを南下、両国橋手前の水上バス両国発着場から国技館通りに出て、旧安田公園を経て、江戸東京博物館の江戸東京広場を通り、階段を下りて清澄通りに至る。隅田川テラスの駒形橋から厩橋までは日本庭園風で、蔵前橋から水上バス両国発着場までは葛飾北斎の富岳三十六景などが飾られた隅田川テラスギャラリーである。
江戸東京博前交差点で右折、北斎通りへ入り、野見宿禰神社を経て、亀沢四丁目交差点で三ツ目通りを渡り、長崎橋で左折、大横川親水公園を北上する。法恩寺橋横から蔵前橋通りへ出て、太田道灌によって創建された法恩寺を参拝後、太平四丁目交差点で四ツ目通りを渡る。
蔵前橋通りの横十間川に架かる天神橋を渡り、太宰府天満宮を模した亀戸天神を参拝後、蔵前橋通りを戻り、天神橋手前で左折、横十間川沿いの道へ入る。錦糸橋を渡り北斎通りへ入り、錦糸公園前交差点で右折、四ツ目通りへ進んで、ゴールの半蔵門線錦糸町駅に至る。
東京メトロ沿線ウォーク(再訪) #1 地下鉄が最初に走った街、上野・浅草(H21-11-15)
このコースは上野、浅草の観光名所をもれなく組み込んだ優れたもので、特に上野公園、隅田公園の桜の季節がお薦めである。
昭和通りの上野駅交差点脇にある東京メトロ本社から、上野駅前広場の上に造られたコンコース(ジュエリーブリッジ)を歩き、正面口から地上に降り、中央通りを広小路口、不忍口、改築予定の旧聚楽、京成上野駅入口と通り過ぎ、上野公園の入口に至る。
「日本の公園100選」の銘板がある公園入口から入り、西郷像がある広場に入り、木立の中にある彰義隊墓所、重文清水観音堂を見ながら北上、東京文化会館前で左折、突き当りの五條天神社前で右折、紅葉が始まった桜並木へ進む。上野動物園に行く親子連れとともに歩き、上野大仏、パゴダ、上野東照宮前を歩いて行き、大噴水広場に着く。紅葉、黄葉が進む木立の前を行き、東京国立博物館前で右折、都道 神田白山線へ入る。
寛永寺開山慈眼大師(天海僧正)、延暦寺の慈恵大師の像を安置する両大師、上野戦争のため、本坊はことごとく焼失し、唯一戦禍を免れた旧本坊表門と進むと両大師橋に至る。ミニ観光バスとして人気の台東区の東西めぐりんバスは、両大師橋を上り、この逆コースを走って谷中に向かう。
両大師橋のビル5~6階に相当する高さから急坂を下り、凌雲橋歩道橋で左折、北上野交差点で右折、昭和通りへ入り南下する。上野七郵便局先の交差点で左折、昭和通りを渡り小路に入ってすぐに東京メトロ(旧営団)唯一の踏切がある銀座線上野検車区があり、更に進んで上野小学校前交差点で左折、清洲橋通りへと至る。
東上野五丁目交差点で右折、かっぱ橋本通りへ入り、同じ交差点を西から入る東西めぐりんバスと同じコースを進む。かっぱ橋本通りのかっぱ寺(曹源寺)、梅田雲浜の墓がある海禅寺と過ぎ、合羽橋交差点でかっぱ橋道具街通りを渡り、ROXビルがある公園六区入口交差点で左折、国際通りへと進む。
東西めぐりんバスとは反対に国際通りを北上、浅草ビューホテル前交差点で右折、花やしきへ入る。浅草寺界隈を周回する無料のニンニンパンダバスとは逆コースで、江戸時代風の土産物店が並ぶ花やしき通りを進み、平成の大営繕中の本堂横から銭塚地蔵堂、九代目市川團十郎像がある浅草寺裏に出て、雷5656会館前で右折、言問通りへ入る。
日当たりの差で黄葉の度合いが違ういちょう並木の言問通りを東進、馬道通り、江戸通りを渡り、言問橋西詰で隅田公園に入る。東岸には劣るが桜並木で有名な隅田公園を南下、水上バスの仮設乗り場近くにある山の宿の渡しの碑を過ぎると吾妻橋で、右折するとランドマークの浅草松屋がある。 吾妻橋交差点から雷門通りを西進、雷門からいつも歩くのに苦労する浅草寺仲見世を進み、平成の大営繕で白い覆いに囲われた本堂を参拝後、雷門通りに戻る。東西めぐりんバスや、都営観光路線バスの「夢の下町」バスとは逆方向に進み、雷門一丁目交差点で国際通りを渡り、菊水通りへ至る。
国際通りを北上、雷門一丁目交差点で左折する南めぐりんバスとともに菊水通りを歩き、東本願寺裏を経て、合羽橋南交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ入る。南めぐりんバスは右折し、北上する。
様々な食器具や食品サンプルなどを見ながらかっぱ橋道具街通りを南下、菊屋橋交差点で右折、浅草通りへ進む。仏壇、仏具店が建ち並ぶ銀座線稲荷町駅界隈を過ぎ、寄席発祥之地の碑や、正岡子規の句碑がある赤い大きな鳥居の下谷神社に寄る。浅草通りが昭和通りと突き当る上野駅交差点で左折、東京メトロ(旧営団)本社に着く。
シャトルバス 浅草 ニンニンパンダバス(H21-08-28)
ニンニンパンダバスは、公式ホームページもなく、ウェブを調べても花やしき前バス停でのニンニンパンダバスの写真を載せたブログだけで、全体像はバス停の路線図の写真だけである。そのため、仮に花やしき前を始発とすると、田原町駅前、雷門前、水上バス前、二天門本店前、今戸神社前、浅草見番前、花やしき前に至る巡回コースを走る無料シャトルバスである。
浅草の花やしき通りの南端にある花やしき前バス停を出て、六区ブロードウエイ脇を通り、浅草ビューホテル前で左折、国際通りへ出て南下する。国際通りの公園六区入口交差点を過ぎ、雷門一丁目交差点を渡ってすぐに田原町駅前バス停がある。
田原町駅前バス停の少し先のリフォーム会社角を左折、田原小学校前を歩き、左折して並木通りへ出ると正面に雷門があり、その前に雷門前バス停がある。子供の背の高さほどのバス停で見落としかねない。雷門通りを進み、吾妻橋の隅田公園沿いに北進、東武浅草駅の鉄橋下を進んで馬道通りに出る。馬道通りを進むと、ニンニンパンダバスの運行会社がある二天門本店前バス停である。水上バス乗り場が改築中で跡形もないため、水上バス前バス停が見当たらないことや、バス停の丸い部分を切って板に張り付けているため、浅草駅から来ると見えない二天門本店前バス停など、サービス面では大いに疑問符が付く。
馬道通りを北上、馬道交差点で右折、言問通りへ入り東進、言問橋西交差点で左折して橋場通りを北上する。待乳山聖天を過ぎ、山谷堀公園の今戸橋跡を進み、二股路で左に進むと北めぐりんのリバーサイド スポーツセンター前バス停があり、その先に今戸神社がある。バス停が境内にある今戸神社には、沖田総司終焉之地碑や、招き猫の碑などがある。
ニンニンパンダバスは浅草寺界隈の観光用シャトルバスであり、同じようなコースを走る北めぐりんと違い、今戸神社からはノンストップで浅草寺裏の浅草見番まで走る。走る経路も名前がない道や、信号のない交差点を曲がるなど、最短コースを進む。一葉桜・小松橋通りの浅草警察署前交差点の次の信号のない交差点を左折、柳通りを南下して浅草三業会館(浅草見番)に至る。浅草三業会館(浅草見番)は、浅草の花柳界の趣が漂う建物である。
秋田県の象潟町にあった本荘藩の下屋敷が浅草にあったことから、奥の細道の松尾芭蕉の象潟を詠んだ句碑が柳通りにあり、南下して浅草寺病院や雷5656会館がある言問通りを渡ると浅草寺裏である。浅草寺本堂裏で翌日の浅草サンバカーニバルの準備が進められ、銭塚地蔵堂を通り過ぎて花やしき通りに入る。江戸時代の浅草を模した土産物屋が建ち並び、遊園地の花やしきを見つつ歩くと、花やしき前バス停である。
台東区 コミュニティバス 北めぐりん(H21-08-15)
台東区北めぐりんは、浅草駅から隅田公園、今戸神社、今戸一丁目、吉原大門、三ノ輪駅、一葉記念館入口、根岸三丁目、鶯谷駅南、入谷ふれあい市場前、千束二丁目、千束小学校前、浅草寺北、浅草駅に至る巡回コースを走る。東西めぐりんとは#1浅草駅で、南めぐりんとは#27生涯学習センター北で乗り換えることが出来る。
浅草松屋東側浅草駅を出て、江戸通りを北上、花川戸を過ぎ、言問橋西交差点で斜め右上の橋場通りへ入り、隅田川沿いに進む。隅田公園前の待乳山聖天、山谷堀公園から左のバス通りに入り、今戸神社に至る。今戸神社は沖田総司終焉の地で、招き猫で有名である。
4年前と運行経路が変更になり、今戸二丁目交差点で右折、今吉橋通りへ入り、一方通行の住宅街を北上、橋場老人福祉館西を経て、突き当りを左折して西進する。アサヒ商店街、日の出会商店街と進んで、吉原大門交差点で右折、土手通りへ入り北上、途中で明治通りと合流して三ノ輪駅に至る。
昭和通りに入って三ノ輪交差点で左折、国際通りに入るのも運行経路変更の2番目である。国際通りを南下、樋口一葉記念館入口の案内がある竜泉交差点で右折、下谷三丁目交差点で昭和通りを渡る。ここからは以前と同じコースで、金杉通りを南下、根岸三丁目交差点で右折して根岸三丁目バス停に着く。
コース変更3番目で、根岸三丁目バス停から突き当りの交差点を右折し、防災広場根岸の里を経て、尾竹橋通り、言問通りを回って鶯谷駅南(旧 鶯谷駅)に至る。根岸一丁目交差点で左折、金杉通りに戻り、根岸三丁目交差点で右折、入谷駅前で昭和通りを渡り、入谷ふれあい市場前に着く。
金美館通りの入谷市場前交差点で右折、言問通りを経て、南めぐりんと乗り換えられる#27生涯学習センター北に至る。金美館通りに戻り東進、国際通りを渡ってせんわ通りとなり、カクヤス酒店前で左折、台東病院を往復するのが4番目の経路変更である。一葉桜・小松橋通りに入って東進すると千束小学校前である。
一葉桜・小松橋通りを東進、千束通りを渡り、浅草警察署前交差点で右折、観音裏富士通り、言問通りと進み、馬道交差点で右折、馬道通りに出て、南下する。浅草松屋前を歩き、吾妻橋交差点でUターン、江戸通りへ入って浅草駅バス停に至る。
都営バス 夢の下町バス(H21-05-10)
都営夢の下町バスは専用のバスで、東京駅丸の内北口の丸の内オアゾ前から日本橋三越、須田町、上野公園山下、菊屋橋、浅草雷門、両国駅前、都営両国駅前に至る観光バスであり、料金は普通バスと同じである。
丸の内北口から永代通りを東進、呉服橋交差点を経て日本橋交差点で左折、日本橋を通り三越本店に着く。中央通りを北上、神田駅北口の神田警察通り界隈では神田祭の一環で、美土代町会、淡路一丁目町会などの神輿が練り歩く。万世橋からの秋葉原電気街は、神田祭の飾り付けがなされ、外人買い物客で賑わい、名物のメイド喫茶のビラ配りがあちこちで見られる。更に中央通りを進み、上野公園山下に至る。上野駅不忍口から駅前を西から東に進み、浅草通りに入る。神田明神の神田祭同様、上野駅前の下谷神社も大祭が行われており、狭い境内や参道は地元の氏子で賑わっている。菊屋橋のかっぱ橋道具街前を通り、国際通りから雷門通りに入り、雷門前の並木通りに進むと浅草雷門バス停がある。
雷門から並木通りを進み、江戸通りを南下、厩橋を渡って清澄通りを進み、関東大震災や、東京大空襲などの犠牲者を祀った東京都慰霊堂がある横網公園の横を通って旧安田庭園に至る。旧安田庭園は大名の下屋敷で、安田財閥の安田善次郎逝去後に東京市に寄贈されたもので、隅田川の水を引き入れた潮入り回遊式庭園である。旧安田庭園を出ると、国技館通りの先に夏場所初日を迎えた国技館が見える。JR両国駅前を通り、突き当りの回向院前で左折、芥川龍之介生育の地碑がある京葉道路を東進し、清澄通りに入って江戸東京博物館前の都営両国駅前バス停に着く。大相撲初日なのに夏場所の高い席はすべて売り切れ、自由席も早々と満席となっている。明暦の大火(振袖火事)の慰霊で建立された回向院は、鼠小僧次郎吉の墓などがある。
下町の初詣巡り(H21-01-06)
御茶ノ水駅から聖橋を渡ると、普段は閑散としている湯島聖堂に神田明神を参拝した後の会社員が多い。神田明神は企業参拝が多く、臨時の神札授与所の大テントが張られている。秋葉原電気街は普段と変わらず、萌え~系のイラストがあちこちで飾られている。湯島天神はまだ受験生の姿はないが、合格祈願や、学業成就のお守りが前面に出ている所が天神様らしい。
これが年末の大混雑していたアメ横か、と思うほど閑散としているアメ横を通り抜け、ガラガラの上野駅構内を歩く。浅草通りから雷門通りと進み、正月の飾りがされている普段並みの混みの仲見世を通り、参拝後、隣の浅草神社に至る。吾妻橋を渡り、浅草通り、四ツ目通り、蔵前橋通りと歩いて亀戸天神に至る。太宰府天満宮を小さく模した亀戸天神の太鼓橋を渡り、藤棚の先に本殿がある。神札授与所は、湯島天神のように学業成就のお守りが中心になっている。
四ツ目通りに戻り、ショッピングモール オリナスの前を通り過ぎると錦糸町駅である。四ツ目通りから三ツ目通りに出て、戦前の人気漫画「のらくろ」の作者である田河水泡の遺品などが展示される「のらくろ」館がある高橋のらくろードを経て、清澄通りに出ると、清澄庭園、松尾芭蕉旧宅や、滝沢馬琴誕生の地、寛政の改革の松平定信の墓所で、江戸六地蔵がある霊巌寺などが続く。清澄通りをさらに南下すると、永代通りと交差する門前仲町交差点に着く。
「人情深川ご利益通り」の幟も新調された参道を歩き、大きな臨時神札授与所も設けられた深川不動尊を経て、富岡八幡宮に向かう。神札授与所も小振りで、境内も閑散としているのには驚いた。破魔矢を買って大鳥居から出て、門前仲町駅に戻る。
浅草 浅草橋~鷲神社(平成20年二の酉)~吾妻橋(H20-11-17)
馬喰横山の繊維問屋街から江戸通りに出て、浅草橋の群代屋敷跡や浅草見附跡の碑を見た後、JR浅草橋駅の吉徳、久月などの人形店街、クリスマス用の飾り物商店街を通り、蔵前橋通りを渡って、国際通りに入る。春日通り、浅草通りを渡って、ROXなどがある浅草六区を通り過ぎ、千束五差路交差点に来ると歩道の半ばは焼きそば、串焼きなどの定番の屋台が占め、鷲(おおとり)神社の二の酉の市の参拝客で大混雑で、歩くのもままならない。
3年前に国際通りを走るつくばエクスプレスが開通した時に訪れた鷲神社は、閑散としていた。平成20年 二の酉の市の浅草鷲神社の狭くはない境内の至る所に熊手を売る店が軒を接し、参拝客でごった返すため、歩くのもままならない。金、銀、赤など華やかな色で飾られた熊手は芸術品と言っても過言ではなく、数十万から2000円と幅広い値段である。境内を仕切ってテントを張り、人がすれ違うのも難しい狭い通路は、どこを行けば参道に出られるのかも分からない。さらに国際通りを進むと一葉記念館の案内があり右折、旧居跡の案内板を見た後改築された一葉記念館に至る。国際通りに戻るが、屋台と参拝客の混雑は昭和通りと交差する三ノ輪交差点まで続く。
交差点を右折して昭和通りに進み、大関横丁交差点で右折して明治通りに入る。三ノ輪から土手通りを南下、吉原遊廓に因む見返り柳のある吉原大門交差点で右折、吉野通りに出る。江戸六地蔵の一つがある東禅寺を参拝後、山谷堀公園を経て江戸通りを歩き、浅草吾妻橋に着く。
都心の菊花展散策(H20-11-04)
日比谷公園の菊花展は、テニスコート横の草地広場で行われているが、金網で囲まれた木立の中なので分かりにくい。飾られている菊花の数は他の3ヶ所(靖国神社、湯島天神、浅草寺)をはるかにしのぐが、草地広場が広々としており、テントが散在しているとしか見えず、素人目にも立派な菊花がもったいない気がする。祝田門から出て、内堀通りを歩き、桜田門、半蔵門、千鳥ヶ淵を経て大村益次郎の銅像がある靖国神社の南鳥居に至る。靖国神社の神門を通り、中門鳥居の前によしず張りの菊花展がある。規模は他の3ヶ所よりも格段に小さいが、きれいにまとめられている。小泉元首相以来名物となったキャッチフレーズを使った土産物饅頭は、麻生バージョンだけでなく、引退を惜しむ小泉バージョンも休憩所で売られている。
拝殿で参拝後、靖国神社から靖国通りを歩いて小川町交差点で左折、ニコライ聖堂、聖橋、湯島聖堂と進み、神田明神に至る。神田明神の境内は大きくないが、国学発祥之地碑、石獅子、天下祭など歴史の重みを感じさせる。裏参道から蔵前橋通りに出て、不忍通りを歩いて湯島天神に向かう。普段は土産物の屋台が並ぶ参道もよしず張りの菊花展となり、本殿や、大河ドラマ篤姫の菊人形が飾られた参集殿などに所狭しと見事な菊の鉢が並べられている。本殿裏手に回ると、千本咲や、ダルマ作りなどの素人にも分かりやすい説明がつけられた菊の鉢が並べられ、圧倒される。菊花を堪能した後、夫婦坂から春日通りに出る。
上野駅を経て、浅草通りを歩いてかっぱ橋道具街を通り、浅草六区に至る。外人が食品サンプルを土産に買うことでも有名なかっぱ橋は、鍋、釜、包丁、各種の皿や椀など様々な商品が並ぶ。合羽橋交差点からかっぱ橋本通りを東進、国際通りとの交差点が浅草六区である。浅草演芸ホールなど馴染みの六区を通り、五重塔通りを歩くと、浅草寺落慶50周年記念行事として江戸時代の奥山を再現した「浅草奥山風景」が行われている。浅草寺の札所の裏に設けられた菊花展の会場は、日比谷公園ほどでないが広々としている。湯島天神ほどではないが、奉納品も含めて丁寧に飾り付けられており、見ていて楽しい。浅草寺を参拝した後、混雑する仲見世を通り、雷門を出て銀座線浅草駅に着く。
満開の上野、谷中、浅草散策(H20-03-29)
上野駅の不忍口から階段を上り、上野公園のシンボル西郷さんに着く。西南の役で賊将となった西郷隆盛は、明治22年に名誉回復されたのを機に銅像が建てられた。西郷さんの後ろの木立には上野戦争の彰義隊の墓所がある。上野公園名所の桜並木は満開で、場所取りのブルーシートがあちこちに敷かれる中を北上、大噴水を経て東京国立博物館に至る。パゴダの隣にある有名な大仏の顔を初めて見た。上野東照宮は、上野動物園の南にあり、分かりにくい場所にある。狭い参道は普段は閑散としているが、上野公園で唯一の屋台が所狭しと建ち並ぶ寛永寺の五重塔も満開の桜で霞んでよく見えない。狭い境内に入ると、籐堂高虎らが寄進した銅燈籠が立ち並び、日本で唯一の金箔で飾られた唐門が見える。大噴水の向こうに東京国立博物館が見える。大噴水から見た桜並木は、まさに桜のアーケードである。
徳川慶喜や長谷川一夫の墓がある谷中霊園の桜並木を進むと、幸田露伴の名作「五重塔」のモデルとなり、放火で焼失した天王寺の五重塔跡に着く。翌日(平成20年3月30日)に日暮里・舎人ライナーの開通を控え、装いを一新させた日暮里駅の桜並木を見つつ、尾久橋通りを経て、鶯谷駅で言問通りに入り、入谷、国際通りを歩いて雷門に至る。普段でも混雑している仲見世は、花見見物客も加わり、大混雑で、小旗を持ったガイドに案内される中国人ツアーが目立つ。
早慶レガッタのゴールでもあり、隅田川の中央で交差するX字型の桜橋を渡り隅田川東岸に向かう。東岸は土手沿いに桜並木が続き、幹も太く、町内会が屋台や、演芸などの催事を取り仕切っている。そのため、上野東照宮のようなビール、ジュースが500円という暴利もなく、休憩所も多く設けられているため、気軽に飲める。とは言え、花見客も多く、簡単には座れない。桜並木が土手沿いにあるため、多くの屋台船が東岸脇に停船している。隅田川の水上バスの乗船待ちの長い列は吾妻橋の西詰から東詰まで続き、さらに折り返している。
浅草・墨堤・入谷界隈を歩く(H19-05-26)
上野から、かっぱ橋、浅草、墨堤通り、言問通り、上野までウォーキング。上野駅交差点から昭和通りを300m北上し、右折して東京メトロ(旧営団)唯一の踏切を渡る。かっぱ橋本通りを東進、かっぱ寺の曹源寺、梅田雲浜の墓がある海禅寺と歩き、合羽橋交差点で右折、かっぱ橋道具街通りを南下する。各種調理機器や食品サンプルで有名なかっぱ橋道具街は、見物客で溢れ、狭い歩道を歩くのは困難である。国際通りから雷門通りと歩き、浅草松屋に到る。 隅田川に架かる吾妻橋を渡り、隅田川公園、墨堤通りを歩き、言問橋を過ぎ、桜橋を渡り、待乳山聖天を経て、言問通りを西進する。言問団子は小さく高いが、餡がたっぷりと付いて美味しい。入谷交差点を渡り、朝顔市の混雑が想像できない入谷鬼子母神前を歩き、凌雲橋を上って鶯谷駅、国立科学博物館、上野公園と通って、パンダ橋を経てゴールの東京地下鉄ビルに着く。合羽橋交差点脇の金色の河童河太郎像、国立科学博物館の鯨のオブジェなどを紹介。
新春の江戸三大祭の神社巡り(H19-01-07)
日枝神社から、靖国神社、神田明神、湯島天神、浅草寺・浅草神社までウォーキング。外堀通り沿いの赤坂大鳥居から日枝神社に入り、山王鳥居のある男坂から出て、山王坂を上って国会議事堂裏に着く。平和の群像のある三宅坂を経て、千鳥ヶ渕の重厚な感じのイギリス大使館前を通り、靖国神社の南鳥居に到る。参拝後、大鳥居から出て靖国通りの長い九段坂を下り、、御茶ノ水駅のニコライ聖堂と湯島聖堂に挟まられたことに由来する聖橋を渡って、朱色が鮮やかな随神門から神田明神に入る。
靖国神社は、家族連れも多く、富岡八幡宮や日枝神社など各地の神社の絵馬を飾っていたり、靖国大絵馬など正月らしさも溢れている。アメ横は、年末の賑わいはないが、いつもの光景である。仲見世は、普段でも人出が多いが、まさに歩刻みの進み方で、宝蔵門までの距離が長く感じられる。ビートルズが泊まったことで有名な東急キャピトルホテル、三宅坂の渡辺崋山誕生地の碑、赤の外壁で景観騒動が起きているイタリア文化会館なども紹介。
お盆の神社仏閣巡り(靖国神社~湯島界隈~浅草寺)(H18-08-12)
靖国通り、聖橋、湯島聖堂、神田明神、湯島天神、不忍池、上野公園、浅草寺までウォーキング。地下鉄九段下駅を出ると、目の前に靖国神社の大鳥居が見える。靖国神社は年配者だけでなく、高校生や大学生など若い人が結構多く、家族連れも参拝している。靖国通りに沿って急な九段坂を下り、九段会館(旧軍人会館)、を経て、小川町交差点で左折、ロシア正教のニコライ堂を見て聖橋に着く。湯島聖堂の前身は昌平坂学問所(昌平黌)で、秋葉原の昌平橋近くの正門から入った方が分りやすい。仰高門から入り、大きな孔子銅像を経て、大成殿(孔子廟)に到る。小川町は、生類憐みの令のため鷹匠町に改称された。
神田明神は、道路を挟んで湯島聖堂の北側にあるが、歴史を感じさせる随神門、本殿ではあるが、境内は狭い。明神男坂を下り、鳥居から湯島天神に入る。湯島天神は室町時代初期に勧請されたと言われ、学問の神様である。不忍池の蓮の花は、時期が早過ぎてきれいではあったが、わずかしかない。かつては帰省客で混雑していた上野駅も閑散とし、かっぱ橋道具街も、多くの店がお盆休みである。しかし、浅草寺はいつもと変わらぬ人出で、アーケードの布の屋根は夏らしく涼やかである。
新年の銀座、上野、浅草散策(H18-01-04)
銀座から、京橋、日本橋、秋葉原、上野、浅草をウォーキング。4年前の平成14年の大晦日に歩いたコースと同じで、建設中だった汐留シオサイト、日本橋COREDOは完成し、商店街も華やかな新春飾り付けがなされている。日本橋界隈は日本橋を覆い隠す高速道路の移設など、復権を目指す再開発運動が展開されている。三越本店の斜め前に出来た三井越後屋ステーションや、日本橋七福神めぐりのイベントで景品引渡しを行っている山本屋海苔店、日本橋三井タワー、日本橋COREDOなど、昔の面影は無くなりつつある。
秋葉原は今流行の「萌え~のメイド喫茶」は見当たらなかった。アメ横も年末の熱気もなく、マグロや蟹を売ってはいたが、盛り上がりに欠ける。浅草はさすがに観光客も多く、揚げ饅頭やせんべいを食べながらのカップルや、孫と一緒の家族連れで賑わっている。
台東区 コミュニティバス 北めぐりん(H17-09-01)
台東区のコミュニティバス 「北めぐりん」の浅草駅から、隅田公園、吉原大門、三ノ輪駅、入谷駅、浅草観音堂裏、二天門、浅草駅までウォーキング。北めぐりんは、地下鉄浅草駅、白髭橋、日比谷線三ノ輪駅、JR鶯谷駅を結ぶエリアを走る。浅草駅を出ると隅田公園、山谷堀公園、今戸神社、吉原大門と江戸の名残を残す場所を走り、三ノ輪に向かう。その後昭和通り沿いに鶯谷に行き、入谷を経て南めぐりんとの乗換えができる生涯学習センター北バス停に着く。 金美館通りなどを歩いて浅草寺裏、馬道通り、二天門と続き、終点で始発地でもある浅草駅に向かう。新撰組の沖田総司終焉の地碑や、招き猫発祥地(井伊直弼の豪徳寺の故事の方が有名だが)を称する今戸神社や、吉原大門の見返りの柳などを紹介。
浅草橋、浅草寺ほおずき市、上野散策(H17-07-10)
馬喰町繊維問屋街から、浅草橋、駒形橋、浅草、浅草寺 ほおずき市、浅草六区、かっぱ橋道具街、下谷神社、上野をウォーキング。奥州街道の要衝だった浅草橋には、浅草見附跡や関東郡代屋敷跡があり、駒形橋には駒形堂や浅草観音戒殺碑がある。
浅草寺のほおずき市は四万六千日の縁日と、赤とうもろこしを吊るして雷の被害にあわなかった故事と結びついたもので、広い境内に所狭しと店が軒を連ねる。四万六千日分のご利益がある縁日だけに売られる雷除のお守りや、寄席発祥の地の下谷神社などを紹介。
隅田川の橋めぐり 第2回 上野~馬喰町 + 浅草三社祭(H17-05-21)
上野駅から、かっぱ橋道具街、山谷堀公園、桜橋、言問橋、浅草三社祭、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、馬喰町駅をウォーキング。食料品店に関する様々な道具が揃うかっぱ橋道具街は、見ているだけで楽しく、ガイドマップ片手の外人観光客も珍しくない。浅草神社には、一之宮から三之宮の本社神輿が飾られ、広い浅草寺境内は12時からの連合渡御を見るため良い所を、と言う観光客に溢れ、本堂裏に続々と集まる各町内の神輿が並んだ。ただでさえ観光客が狭い仲見世に集まるのに、浅草寺に向かう神輿が次々に来るため、全く歩くこともできない。
横網公園(旧陸軍被服廠跡)は、関東大震災で数万の焼死者を出し、後の東京大空襲の被災者も含めた東京慰霊堂や、震災記念館がある。記念館の外には屋外ギャラリーとして震災で焼けて原形をとどめない鉄柱や、モーターなどが展示される。夏場所の国技館や、神田川の出口で両国橋に近い柳橋などを紹介。
隅田川の橋めぐり 第1回 北千住~三河島(H17-05-07)
隅田川の橋めぐりで北千住駅駅から、旧日光街道、千住大橋、水神大橋、白髭橋、吉原大門、三ノ輪駅、三河島駅をウォーキング。隅田川橋めぐりシリーズの1回目で、千住大橋、水神大橋、白髭橋の3橋を巡る。最も古くに架橋された千住大橋の上流は荒川で、下流は隅田川である。水神大橋は昭和63年に墨田区と荒川区の防災区間の連絡用に架橋された。白髭橋は大正3年に有料の黄橋として架橋、後に東京府が買収した。
北千住駅近くに標識、案内もないが旧日光街道があり、途中に千住宿プチテラスがある。水運を利用した材木店があった千住界隈や、千住大橋袂にある八紘一宇の碑、東京メトロ(旧営団)南千住車庫、墨堤通りの榎本武揚像、三ノ輪駅近くの五色不動の一つである目黄不動なども紹介。
江戸百景 待乳山・山谷堀夜景(H16-06-20)
上野から、かっぱ橋道具街、浅草寺、浅草神社、待乳山聖天、山谷堀公園、吉原大門、樋口一葉記念館、浄閑寺(投げ込み寺)、日暮里をウォーキング。日本堤や、見返り柳、永井荷風など紹介
江戸・鳥取ふれあいウォーク(H15-06-07)
本郷三丁目から、湯島天神、上野、浅草、両国をウォーキング。不忍池、上野東照宮、上野恩賜公園、かっぱ橋本通り、大横川親水公園などを紹介。
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